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◆頂き物
沈也様からの頂き物1
朱いと淫らな

古くからある森の奥深く。
そこに朱い大きな鳥居が一つ、ぽつりとあった。

鳥居の他には何もない。
神を祀る祠も、何も。
しかし森を満たす重い空気とはまた違う、涼やかに澄み切った空気がそこには満ちていた。
そう、確かにここには神が鎮座していた。
神と同列に並べる程の力を持った、九尾の妖狐が。
森と同じだけの永い時を生きていた。

鳥居の向こうには何も無い――様に見えて、実は妖狐の神力で作りだした空間があった。
その空間は同じく妖狐が作りだした結界によって守られており、何人たりとも入る事は出来ない…訳でも無かった。

表からは見えない空間の中にある、落ち着いた、しかし品の良い社の縁側で青年が気持ち良さそうに目を細めている。
彼が普通の人間では無い事は言わずもがな、その風体で直ぐに分かるだろう。
赤茶の滑らかな長髪から覗く同色の尖った獣の耳。直衣に身を包んだその後ろからは立派としか言いようの無い尾が9本揺れていた。
彼こそが、この空間の主。九尾の妖狐だった。
チチッと庭に響いた甲高い鳴き声に彼は嬉しそうに頬を緩める。

「今日のお客さんは君かな?」

そののほほんとした態度に本当に神と並ぶほどの力を持つ者なのかと疑いそうになるが、確かに彼は強かった。
しかしそれ以上に彼は心穏やかな性格だったのだ。
その気になれば蟻一匹すら入る事の出来ない強固な結界を敷く事も出来る。
それなのにそれをしないのは、この空間を訪ねてくれる『客人』を待っているから。

本当ならば空間など籠らずに外を自由に出歩き、いろんな動物と触れ合いたいと思っているのだが、如何せん己の力が強すぎて長く外にいると森そのものに悪い影響を与えかねないのだ。
少しくらいならば生命力を与え、栄えさせる。
しかし強すぎる肥やしは根を腐らせ、樹を枯らしてしまう。
だから、彼はこの空間に籠る。

客人と言うのは大抵迷い込んだ小鳥や小さい獣達だった。
そんな彼らを彼は笑顔で迎え入れ、木の実や果物をたらふく食べさせてやると外へと見送ってやる。
時たま猪が乱入して来たりもするが、それでも彼はやはり困った顔をしながらも笑っていた。

ガサリ

不意に落ち葉を踏む音が庭に響く。
おや、随分と大きな足音だ、と小鳥の囀りが聴こえた空を仰いでいた彼は思った。
もしかして鹿でも来てくれたのか――と少し心を弾ませて振り返ると、そこには――…

「どうも、こんにちは」

一人の青年が佇んでいた。




「粗茶ですが…」

「ああこれはどうも」

震える手で青年の前に湯飲みを差し出すと、にこりと笑って青年はそれを受け取る。
久しぶりの言葉を交わせる相手に妖狐は胸に先程渡した湯飲みを乗せて来たお盆を抱き締め、心中で慌てるばかりだった。

(ああ一体いつ振りだろう!この空間に完全に籠る事になったのは尾が7本を超えた辺りだから…ああ、とにかく久しぶりだ。一体彼は誰なんだろう。人間では無いだろうが、一体何をしに来たのだろう。もしかして道にでも迷ったのだろうか、怪我でもしたのだろうか。とにかく丁重にもてなして…ああこんな客人が来るのならば、菓子でも作っておけば良かった!)

彼の心の中はまるで春の嵐の様に喜びが舞い踊っていた。
例え相手がどんな理由でここに来たのだろうと、嬉しさ以外に何も感じない。それを表すかの様に、赤毛の立派な尾はふそり、ふそりと落ち着きなく揺れている。
もし何か悩みがあるのならばなんとしてでも力になろうと彼は一人密かに心に誓った。

「突然訪ねて来るなんて不躾な事をしてすみません」

「!そ、そんな事は!ここの扉はいつでも開いていますし、誰でも入って来て良いようになっていますから!むしろ、その、客人が来てくれて、私は嬉しいくらいで…」

「そう言ってもらえると助かります」

再び笑みを浮かべた青年の顔にふと彼は見惚れた。
艶やかな髪は青味を帯びた濡れ羽色でとても美しい。
面立ちは端正で(この妖狐自身酷く整った顔立ちをしているのだが)口元の黒子が甘い色気を漂わせている。
ほう、と感嘆混じりの溜息を吐くとそれを知ってか知らずか青年は湯飲みを置いて口を開いた。

「貴方がここに住んでいるという九尾の妖狐…ですよね」

ちらっと彼の後ろの尾を見やって青年は微笑む。

「あっ、申し訳ない!自己紹介が遅れてしまって…っ、その、私は九尾で、名は丹鼓(にこ)という」

名乗りを上げると青年は少し驚いたように目を見開いた後、袖で口元を押えて笑った。

「私はただの化け狸なんですが…名は常葉(ときわ)と言います」

「ときわ…」

うっとりと彼は呟いた。
他人の名というのはこんなにも甘美な物だっただろうか、と舌の上で転がしては蕩けそうな心地に浸る。

「それで、常葉殿は」

「殿なんて良いですよ、呼び捨てで」

「と、常葉…は、何の用があってここに来てくれたのだろうか」

ちらりと窺う様に常葉を見やる。
もし、今回だけで済むような用事で無ければまた彼に会う事が出来るかもしれない。
――いや、もし今回だけで済んでしまっても、もし彼さえよければ…。

「実は初対面でこんな事をいうのは失礼だとは思うのですが、どうしても丹鼓殿に折り入ってお願いがあって今日こちらを訪ねさせて頂いたのですが」

「願い、ですか」

「ええ、それも丹鼓殿にしか叶える事が出来ない物です」

「…私にしか」

明らかに必要とされているという内容に、丹鼓はきらきらと目を輝かせた。


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あきゅろす。
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