◆10万HIT CLEAR 濡れた蕾の続き1 存在を増す腹の大きさとは裏腹に、違和感がなくなる血を与えられる行為。 最近では身体が空腹を訴えると、自然に血を求めてあいつを探してしまう。 こんな自分を受け入れ難く思いながらも、身体は意識を裏切り違和感に慣れていく。 モヤモヤとした気持ちは晴れないけれど、生きるためには仕方が無いと言い訳をして全ての事象に目を閉じる。 放課後―― いつも通りアイツの家に行った俺は、小さな、いや小さいとはいい難い変化に気付く。 普通に考えれば当たり前の事なのに、今までその考えに思い至らなかった事に愕然とする。 「おい」 「え?」 「その傷……」 「あ」 しまったという顔をして、アイツが手を身体の後ろに隠す。 強引に腕を取り引っ張って目の前に持ってくると、あったはずの傷が消えていた。 「傷、あったよな」 「……何の事?」 笑顔で誤魔化そうとするコイツを足で小突いてにらみつけると、視線をずらしつつ諦めたように1つため息をつく。 俺の見る前で綺麗な形の指が幾重にもなった傷痕で無残に変わる。 俺に血を与える為に傷つけ続けていたのだから当然の事なのに、今までそんな当たり前の事にすら気付かなかった。 つい先日切ったと思われる指はまだ痛々しい痕を残し、うっすらと血を滲ませている。 血を与えた後いつも傷口は直ぐに閉じていたから、傷はあっという間に治る体質なのだと思い込んでいた。 「治って、ないのか?」 「そんな事はないよ、前の傷は塞がってるし」 ほらと見せられた傷は塞がってはいるものの、指に引き攣るような傷痕を残して痛々しい。 つまりは治っていたように装っていただけなのだ。 「なん、で、こんな……」 痛くもないはずの自分の指先が熱い。 ノートの端で切った時みたいにジクジクと疼くような痛み。 でも本当はこの何倍も、何十倍も痛いはずだ。 「だって、傷痕だらけだと気持ち悪いでしょう?」 「は?」 「今は君の身体が何よりも大事なんだから、こんなつまらない事を気にして欲しくなかったんだ」 その言葉にゾクリと震えた。 つまらない事、とはつまり自分自身か。 「おかしいだろ、それ。他人の為に自己犠牲ってありえねえよ」 「君は他人じゃないもの。僕の、器」 醜く傷ついた指が俺の腹部をスゥと撫でる。 指の動きはひたすら優しくて、傷付けないように、俺の負担にならないように慎重に動く。 俺を見る瞳は幸せそうな色をたたえていて、それが酷く恐ろしい。 俺はそんな風に自分を犠牲にしてまで何かをしてもらうような人間じゃない。 「そういうの止めろよ」 「何が?」 「自分は傷ついていいとか止めろ!」 「何故? 私が傷ついても誰も気にしないし、誰も悲しまない。痛みはあるけれどほんの一瞬の事だ」 そう言って穏やかな顔で笑うコイツの表情には1つも嘘や誤魔化しを感じられなかった。 本気でそう思っている事に薄ら寒さと、異常な程の寂しさを感じてしまう。 恨みしかない筈の俺ですら傷痕に心が痛むのに、他の誰も気にしないなんてありえない。 こいつは、誰にも受け入れてもらおうなんてつもりが無いんだ。 胸元のネクタイを緩めて襟から抜くと、乱暴な仕草でYシャツのボタンを外しその場に脱ぎ捨てる。 何が起きているのかわからずに目を丸くするコイツをにらみつけながら、ベルトに手をかけた。 「ス、トップッ! なに、どうしたの?」 手首を掴まれ動きを封じられる。 痛くはないけれど強く握られた腕はピクリとも動かない。 「やりゃあいいだろ」 「え……、何を?」 「直接、腹に出せば栄養になるんだろ」 「何を言っているのかわかってる?」 わかりたくなんかない。 でも、わかっている。 コクリと頷くと、俺を宥めるように頬を撫でた。 その指は傷跡のせいでごつごつしていて、肌に少し痛い。 「君が気にすることなんてなにもないんだよ」 穏やかで優しい声。 だけど違う、そうじゃなくて。 自分でも上手く考えがまとまらず、ぴったりな言葉が出て来なくて、まるで八つ当たりのように怒鳴りつけた。 「お前が気にしなくても俺が嫌なんだよ! 自分は傷ついていいとか、誰も気にしないとか、そうじゃないだろ!」 傷ついた指先が 何もなかったように振舞う態度が 世界に自分を気にする人は誰も居ないと言ってしまう言葉が 酷く気に障った。 『産む前から私の子だったもの』 母さんの言葉が頭を過ぎる。 俺は他の誰が俺を嫌ったとしても彼女に必要とされて生まれた。 だから自分を傷付けようなんて思えない。 だけど今まで1人で生きてきたコイツはそういう相手がいなかった。 犠牲にするも何もない、コイツは自分に価値が見出せないんだ。 「僕は君を怒らせるような事をしてしまった?」 理解しない、ただひたすらにそれが悲しい。 俺の腹に子供なんか作っておきながら、コイツの方が子供みたいだ。 誰にも抱きしめてもらえなかった、愛してもらえなかった子供。 何も知らないフリをして目を瞑っていたいのに、俺の心を弱々しく叩く指は傷だらけで必要の無い自己犠牲で赤く染まり、それでも愛されない事を許容している。 ただひたすらに見返りを求めずに愛だけを注いでいた。 震える唇が、いずれ後悔するかも知れない言葉を紡ぐ。 「お前が傷ついたら俺が悲しい」 今までずっと視認していたはずの輪郭を、今初めてはっきり見た気がした。 何故か頬を涙が伝う。 涙で歪んだ相手も、何故か泣いていた。 [*前へ][次へ#] [戻る] |