長編 2 学校中に噂が流れ始めた。それはまことしやかに囁かれ、大半の者は事実だと信じているだろう。 坂田銀時と志村妙が付き合っているという、巧妙に仕掛けられた罠にも似た嘘を。 土方は正直なところ、銀時の流した噂がこれほどまでに広まるとは思っていなかったので、感心すると同時に恐れにも似た畏敬を覚えた。銀時に人を惹き付ける何かがあるとはわかっていたが、こんな風に人を操るように信じ込ませることもできるとは思いもしなかったのだ。 けれど考えてみれば、元々妙と銀時は仲が良かった。皆が信じてしまうのも当然のことなのだろう。 土方は作戦が上手くいっていることを内心で喜びながら、机を挟んで昼食をとっている近藤の顔をひっそりと窺う。 彼の顔は、今まで見たことがないくらいに暗いものだった。近藤も噂を信じている内の一人なのだ。 俺があんたの笑顔を取り戻して見せる。心の中だけで強くそう思って、土方はなるべく自然に聞こえるように明るい声を出した。 「なあ、元気出せよ」 振られた近藤を土方が慰めるのは、もはや恒例のこととなっていた。だからいつも通りに声をかけた土方を不自然に思うものは誰もいないだろう。いや、そう言いきるには少し語弊があるかもしれない。近藤が実際には振られていないという点で、いつもとは決定的に違うのだから。 それをわかっていながら、土方は何も知らないふりで近藤に笑って見せた。 そんな土方に、近藤は苦笑染みた笑みを漏らす。 その笑みをみた瞬間、土方の心臓がどきりと音を立てた。 (こんな辛そうな笑顔を作らせたのは、俺なのか?) 「トシは相変わらず優しいなあ」 「そんなことねえよ」 軽くあしらいつつ、土方は生まれた動揺を心の奥に押し込める。 自分が以前のように太陽みたいな笑顔を取り戻せばいいだけだ。そうしたらきっと、近藤さんは俺を見てくれる。 「トシ?どうかしたのか?」 「……いや、なんでもねえよ」 言いながら土方は、あの日の銀時との会話を思い出していた。 「俺がおまえをヒロインにしてやろうか?」 銀時はそう言って、意地の悪そうな笑みを浮かべた。 土方はその意図がわからなくて、あからさまに顔を顰める。 近藤をヒーローと言ったのだから、ヒロインとはつまり近藤の恋人のことだろう。それはわかる。けれどただ一つ不可解なのは、何故銀時がそんなことを提案したのか、ということだ。土方と銀時はお互いに干渉し合う仲ではない。ましてや願いを叶えてくれるなんてありえないことだ。 もしかしたら、土方が近藤と付き合うことで何か銀時に利点があるのかもしれない。たとえば、銀時は妙のことが好きで、近藤が土方と付き合うことで妙を自分のものにするとか――。 「先に言っておくけど、俺は別に妙のことなんて好きじゃねえからな」 土方の考えを見透かしたような銀時の言葉に、土方はいつの間にか俯いていた顔をはっと上げた。 怖いほどに深い、真紅の双眸が土方を射抜いている。 土方はしばらくの間、目を逸らすことも声を出すこともできなかった。 そんな土方に気付いていないのか、はたまた気付いていて知らないふりをしているのか、銀時はいつもの調子で言葉を続ける。 「俺はおまえが納得するまで全面的に協力する。俺ができることならどんなことだってしてやるよ。だけど」 そこで銀時は、不意に表情を消した。深い瞳に暗い光が灯る。そこに滲むものはなんだったのだろう。この時の土方にはよくわからなかったが、後になって思えば、それは狂気の色によく似ていた。 「おまえが納得したなら、今度はおまえが俺に協力する番だ。おまえが俺の願いを叶えろ」 銀時は顔も成績も運動神経も良くて、自然に人は集まり女にだって不自由しないだろう。そんな彼の願いなんて土方にはわからなかった。想像することさえできない。 けれど、土方は頷いていた。無意識のうちに、と言っても過言ではないだろう。 たとえどんな無謀なことを後から言われたとしても、それでも土方は近藤が欲しかったのだ。 「……わかった」 土方が頷くと、何かの合図のように生温い風が二人の間を吹き抜けた。何をやらしてもそつなくこなす銀時なら、きっとこの諦めかけた願いも叶えてくれるだろう。 土方は暗い喜びに、口元だけで小さく笑った。 次の日から、銀時と妙が付き合っているという噂が流れ始めることとなる。 next [*前へ][次へ#] [戻る] |