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NovEL
ずんだ餅
ずんだ〜♪ずんだ〜♪ずんずんずんだ〜♪ずーずずぅっず、ずずぅっず、ずんだ〜…♪
彼は駆けていた。この歌の聞こえる方、一路西へ向かって駆けていた。

彼が最初にその歌を聞いた時、にわかに立ち止まった。なんという旋律だろう、西洋のもののような、それでいてどこか民謡のようでもある。不思議な旋律だ。
彼はそのまま聞いていたが、ふと周りを見ると誰も知らん顔をしている。この町に長く住んでいる彼ですら初めて聞くにもかかわらず、彼以外誰も興味を示していない。不審に思いその辺の童に、この歌はなんぞ、と問うた。が、童は、歌なんぞ聞こえんと答え走り去ってしまった。その他三人に同じ問いをしたが、答えは同じであった。
この歌は俺にしか聞こえないのだろうか…?西の方から聞こえゆる。行ってみるか。
彼は謎を好み、胸に芽生えた疑問は常に自分の耳目を以て明らかにしたい性格であった。
故に彼は駆けている。翔ぶが如く駆けている。

時折立ち止まり耳を澄ませ、また駆ける。
気が付くと彼は多摩川まで来ていた。川沿いの草むらの中にその歌の主は居た。彼は草むらの中に足を踏み入れた。
季節は初夏である。彼が歩を進める度に草いきれが鼻を突いた。彼は臭いに顔をしかめつつも歩を進め、遂に
「あの…」
と男に声を掛け、次いで
その歌はあなたが作り、そして歌っていたのですか。というような意味のことを問うた。男は
「いかにも」
と答えつつ、
「そんな汗だくで、おみしゃん(お前さん)は何処から来たんか?」
などと聞いてきた。彼は今までの経緯を説明した。
そうか、とその男は乾いた笑みを浮かべつつ、凄い地獄耳だと言ってきた。随分と失礼千万な言いぐさであるが、彼はこの男に好感を持った。
話をする中で彼が知ったことは、男が多摩の生まれであり長岡藩の河合継之助と親交があり、近々仙台へ行くという、わずかなものであった。男の使う長岡弁はこの河合のがうつったものであり、歌の根は仙台にあった。
男は、仙台に「ずんだ餅」という緑色をした餅があると話す。それはそれは美味なものである。原料の枝豆の風味を残しつつほのかに甘く、一度口にした者はたちまち三つも四つも手を伸ばしてしまうのだと。そしてそれを食いたいと思う気持ちを、得意の歌にして唄っていたらお前さんが来たのだと。
彼は自分もその魔力に満ち満ちた不思議な餅を食いたいと思った。が、すぐに諦めた。彼にはいずれ戦になるであろう仙台へ行く気は湧かなかった。
この時期、この国は討幕と佐幕の二つに割れ激しく争っていた。その波が会津藩を主とした奥羽列藩同盟の地である東北に迫りつつあることを彼は知っていた。無論、仙台藩もこの同盟を結んでいる。
探求心の塊である彼が諦める位であるからその戦の激しさは常軌を逸していた。
彼は男にこのことを話した。忠告のつもりであった。しかし男はこの男特有の乾いた笑みを浮かべただけで別の事を語った。
「この国は時間はかかるかもしれんがいずれは西欧のように豊かになる。薩長の新式の洋服やなんかは始めこそ輸入だったけんど、今は自国で作らせとると聞く。こん国にはそういう技術を持った職人が沢山おる。わしが何を言いたいかわかるから?」
彼は首を振った。
「つまりな、50年かかるか100年後か解らんがこの江戸にいても仙台のずんだ餅が食える時代が来ると言うとんじゃ。それまで待っとれ、と言うことじゃ。」
待っとれ…?彼は男の真意を問うた。
「じゃからな、そういう時代が来たらもう一度此処へ来い。わしはおみしゃんを待っとる。互いに姿は別じゃろうけど、わしは餅を持っておみしゃんを待っとる。必ず来い。約束じゃ。」
なんとも可笑しな約束である。お菓子の話だけに。
この約束の後、彼は男と別れた。
男が何者であったのか、知るものはない。彼自身、維新後に男を探して仙台まで赴いたが消息は掴めなかった。更に彼は宿の主人にあれほど焦がれたずんだ餅を勧められたが、ある男にもらい受ける約束があると言い断り、見ることすら嫌がったという。

あれから百余年―

彼が走っている。東京と言うコンクリートジャングルを。
掻き分けて進んでいく。人間という獣の中を。
新宿から電車に乗り一息着いた。はやる気持ちを抑え携帯電話のメールを開く。そこには
「今、約束の時」
とだけ書かれていた。充分だった。その一言で充分であった。
携帯電話を閉じ顔を上げる。多摩川はもう目の前だった。


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