3 「……ユキ」 ヨウが、おれを呼ぶ。まだ涙を隠せていなかったおれは、振り返ることなく「ん?」となるべくいつもどおりに返事を返した。 向日葵のオレンジがかった黄色を、じっと見つめていた。 「……向日葵、一本とってくれよ」 「、は?」 ヨウのいきなりのその要求に、おれは思わず振り返った。 おれの後ろに立ってるヨウを見上げるけど、逆光で表情はよく見えない。 「いーからとれ。時間ねえんだから」 「あ、……おう?」 なんで、向日葵? そう思いながらも、惚れた弱みで言われるがままに向日葵へ手を伸ばすおれ。 ホームの錆びついた古い鉄の柵から、向日葵畑の向日葵が何本も、顔を出している。 「どれがいいんだよ」 「どれでもいい。……あ、てめそれ元気ねーじゃんかよ。もっと元気なのにしろよ、見る目ねえな」 「どれでもよくねーんじゃん!」 そんなやりとりをしながら、ホームに顔を出してる向日葵の中で一番元気そうなやつを、茎を15センチくらいつけて、ヨウに渡した。 立ち上がるときに柵に掴まろうとして、サビがつきそうな気がして、やめた。 向日葵を受け取ると、ヨウはじぃっとそれを無言で見ていた。 「……ヨウ?」 「……おー、なんでもね」 様子がおかしからそう声をかけても、その反応。 でもきっと問いただしてもこの頑固者はなんも言わないから、おれは向日葵を見つめるヨウを、気付かれないように見つめることにした。 やっぱこいつ、きれいだなぁ。 真っ黒な髪も、同じ色の切れ長の目も、無駄なく筋肉のついた体も。 まつげ、すっげー長い。 (ああ、……好きだなぁ) すきだなあ。 「……ドラマとか映画とか、フィクションの世界ならよ」 いきなり、黙ってたヨウがそう口を開く。 その単語の並びが脈略がなさすぎて、急な展開におれはちょっと、ついていけてない。 「大概こういうときは、雨か雪が降るって相場が決まってんのにな」 「やっぱ、現実はそうはうまくいかねえか」って苦笑。 そんで、ぽかんとするおれの前で、真夏の青空を仰いで、少し悔しそうに言った。 「ちっくしょ……惜しげもなく晴れ渡りやがって。少しは名残惜しみ悲しめ」 その目に、寂しさを感じて。そんで、おれは思った。 ああ、こいつは、ヨウは。 ほんとうに、いっちまうんだな。 「……、ヨウ」 「あ?」 呼びかける。すぐに返事が返ってくる。 もうすぐ、この返事が聞けなくなるなんて。 「元気で、な」 「ユキもな」 それなのに、ありふれた言葉だけが喉を通る。 「無理すんなよ」 「ユキもな」 「電話とかメールとか、……とにかくなんでもいいけど、たまには連絡しろよ」 「あー、まあ、それは気が向いたらな」 「オイ」 親友としての、言葉だけ。 「チームメイトと、喧嘩すんなよ?」 「はは、しねーよ。さすがにそれは」 「どうだかなぁ、……」 伝えたいこと、伝えてないこと、たくさんあるのに。 「……っ」 「ユキ?」 もうなにも、言えなくなっちまう、おれ。 これ以上なんか言ったら、今度こそ大声で泣いてしまいそうだった。 だから、もう何も、言えなかった。 (だって、) だっておれ、ヨウがいない景色なんて見たくない。 ヨウがいない毎日なんて味気ない。 ヨウがいればいいのに。それだけでいいのに。 両思いにもならなくたっていい。ただ、おれの大好きなヨウの隣に、いたいのに。 おれ、ようが、すきなのに。 「オイ」 「っ、あ」 「3年だ」 まともに顔もあげられなくなったおれの肩を、ヨウがゴン、と軽く拳で叩く。 それにはっとするおれの目を見て、ヨウは淀みのない声で言った。 「3年で、帰ってくる。夢もトーゼン叶える」 ヨウは、おれを安心させるためか、おれから目をそらさない。 意志の強い目。 おれは、ただそれをバカみたいに見返していた。 「だから、」 そんで、にっと得意げに、笑って。 「そんときにお前、みっともねえ姿見せんじゃねえぞ」 「――」 それはきっと、こいつなりの、おれへのエール。 「……返事ィ!」 「あっ、はい、おう」 苛立ったようなヨウの声に催促され、おれはなんとか返事を返した。 それに、ヨウが笑う。満足そうに、嬉しそうに。 いつもの、向日葵みたいな笑顔で。 それに笑い返そうとして、うまくできなくて、やめた。 結局最後まで、こいつには勝てない。 (いつだって、こいつは) おれの欲しい言葉を、おれの欲しいと思ったタイミングで、不器用な言葉でくれる。 その変わらないやさしさに、何度おれは救われただろう。 その変わらないやさしさに、 (おれは何度、泣きたくなるほどのいとしさを感じた、だろう) 「約束だぞ」 そしてヨウは、うまく笑えもしないおれに、釘を刺すように低く言った。 今度こそおれは、それに笑った。 情けねえ顔ばっか、見せたくねえしさ。 それに、今度はおれが、ヨウが欲しい言葉を言ってやりたかった。 「ヨウ」 「あん?」 呼びかけて、右手を差し出す。 小指をぴんとたてて。 おれは本当は左利きなんだけど、ヨウは右利きだから、右手を出した。 そんで、小指とおれの顔を交互に見て「わけわかんねえ」って言いたげな顔をしてるヨウの右手を、左手で掴んだ。 「なあ、約束しよう?」 絶対、ここに帰ってくるって。 「いつまでも、待ってるから」 お前が帰ってくるのを、ずっと。 小指を立てさせながら、おれはヨウにそう笑った。 ヨウはびっくりしたみたいな顔で目を丸くして、固まる。 なんでそんな顔すんだよって思ったけど、聞いても絶対こいつ、言わないしなあ。 そう思いながら、おれは、ヨウの右の小指に、弱く自分のそれを絡めた。 「……ガキくせ」 「うっせ」 そこでようやく、ヨウが口を開いた。 いつもよりも、少し小さな声。 されるがままだったヨウの指が、自分の意思で、おれの指に絡まる。 「俺、ゆびきりの歌、もううろ覚えなんだけど」 「お前覚えてんの」と笑うヨウは、やっぱりおれの大好きな、ヨウで。 おれは少し見惚れてから、小さく頷いた。 繋がる小指に視線を落として、目をゆっくり閉じて、小さく揺らす。 「……ゆーびきーりげーんまん」 ガキの頃、よくやった誓いの儀式。 今思えば、相手はいつもヨウだった。 ヨウと交わす約束は、おれにとっていつも特別だった。 あの頃からおれは、変わらないんだな。 「うーそつーいたら」 「……電車が参ります。お下がりください」 ひび割れたアナウンスが響く。 それから、近付いてくる電車のクラクションと、レールを揺らす音。 ああ、電車が来てしまう。 ヨウをここから、連れ去る電車が。 「はーりせんぼんのーます」 その音が近付いてくるたび、指に力が入る。 ガキくさい感情が、あふれ出してくる。 (いやだ、いやだ、) (、はなれたく、ねえよ……) だから、……だから。 「……ゆび、……っ」 結びの言葉が、出なかった。 ← [戻る] |