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初めて、口にした。嫌いだと。
森下が、嫌いだと。
そんなことありえなかった。
嫌えるはずが、出来るはずがなかった。
今更森下を嫌うには、俺はあいつを好きすぎたから。

俺はそれをわかっていたけれど、けれど、俺は何度もそれを繰り返した。
森下がそれを受け止めてくれたら、それは少しずつ、本当になれる気がしたから。


『黙れよ』


だけど、森下はそうしなかった。
乱暴に言葉を募らす俺の口を塞いだのは、まぎれもなく。
それまで何度も体を重ねてきたけれど、キスだけはしたことなくて。

わけがわからなくて、唇に触れてるこれが森下の唇で、森下にキスをされてるのだと、信じられなかった。
だけど、信じられないまま、実感もないまま、嫌だ、と思った。


(いやだ、いやだ、)
(いやだ、こんなの)
(いや、だ)


ガリ、とそれを噛みきって、じんわりと広がる鉄の味と離れてく唇に、ああやっぱり森下にキスされたんだ、と思った。
こいつは、俺に自分を嫌うことすら許してはくれないんだと。
涙が溢れて、止まらなかった。


『っんで、こんなことすんだよ……!』


俺にはわからなかった。
森下がこんなキスをした理由、森下がいつまでこんな関係を続けるのか、そのどれもが、わからなくて。
だから、途方にくれてしまった。


『わけわかんねーよ、俺にどうしろっつーんだよ、俺をどうしてぇんだよ……っ』


わからない。わからない。
森下が何を求めて、俺はどうしたらよくて、どうしたら森下は幸せなのか。
何一つ答えはわからなくて、だけどどうしたって俺はこいつを嫌えないんだと、それだけが揺るがない現実として俺の前に横たわっていた。


俺の言葉に、森下は、何も言わなかった。答えなかった。
何も言わずに、ただ、俺を見ていた。
その目は少しだけ、かつてのものに似ていて。
その目が不意に揺らいだのを、俺は見逃せなかった。


『……もりした、?』


だから、さっきまでの激しい閉塞感も忘れて、俺は森下を呼んでいた。
ずっと見ることのなくなっていた、不器用で臆病な色を持った目だった。
俺が呼ぶと、ぴくりと小さく体が震えて、睫毛が小さく震えた。
俺の肩を掴む手にも力はなくて、俺には森下が、なんだかすごく、弱々しく見えていた。


(なん、だよ、)
(なんで、今更、そんな……目、)


固まってしまって何も言えない俺の目の前で、森下は数度緩慢な瞬きを繰り返す。
眉は僅かに寄せられて、唇はきゅっと噛み締められて。
その姿はまるで何かを言うまい言うまいとしてるかのように見えて、俺は胸がざわつくのを感じた。


『……松本せんぱい』


森下が、少し震えた唇で、俺を呼ぶ。
その音に体が震えて、俺は森下に釘付けになってしまった。
森下は、一度またゆっくりとした瞬きをして、俺を見た。
ふ、と淡い嘲笑を、その薄い唇に張り付けて。


『馬鹿だね、先輩』


その言葉には、俺にはわからない色々なものが詰められている気がした。
どこか物悲しげな表情をしながら、森下は笑って、そう言うのだ。
胸が、詰まった。


『……もりした』


なるべく丁寧に丁寧に、森下を呼んだ。
そうしないと、目の前のあいつが消えてなくなっちまうような気が、したから。

だけど森下は、俺の呼びかけに小さく表情を強張らせた。
一瞬だけ、泣きそうな顔をして、唇を小さく噛んで。
そして俺を見て、また、笑った。さっきより、ずっとずっと、下手くそな笑顔だった。

まるで、嘲笑うような、自嘲するような、泣いてるような、縋るような、そんな、かお。


その表情に、一瞬呼吸すら忘れて、心臓が鷲掴みにされたような苦しさを感じた。


『……ばかだよ、ほんと』


その言葉が、何に向けられたものなのかを、俺は知らない。
それを理解出来るほど、俺と森下の距離は、近くはなかったから。
森下が、下手くそな笑みを深める。

ずきずき、胸が痛む。
叶うなら、抱き締めて、「そんな顔をするな」って言ってやりたいのに、距離が遠すぎて、それすらきっと、許されない。
森下は、ゆっくり俯いた。


『……先輩』


俯いた表情は見えず、俺はただ呆然としていて。
森下の見せた表情だとか俺の言葉だとかがぐるぐる頭を回っていた。
森下の俺の腕を掴んでいた手は、いつしか離れ、森下自身のスラックスを、強く掴んでいた。

それを見た瞬間、頬をまた一つ涙が滑り落ちるのを、感じた。



『せん、ぱい、』



――好きだったんだ。森下。
傷つけたくなかった、ただ幸せになってほしかった。

俺とこんな関係になることが、お前の幸せだったとは少しも思わない。
だけど、傷つけたくなかったお前を傷つけてしまった俺には、他には何もなくて。
だけど、いつまでもこんな関係を続けるには、俺はお前を、好きすぎて。
だから、……だから。


(ごめん、)
(ごめん、ごめんな、)
(ごめん……森下)


――好きだった。ただ、それだけだった。
そして、それが俺の犯した、一番の過ちだった。























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