04
先輩の顔は見れなかった。
先輩の前で正座してズボン握りしめて、その自分の手の甲を必死になって見つめていた。
拒まれても仕方がないと思う。
俺は先輩を傷付けた。
嘘だったとは言え(あるいはだからこそ)、”好きな”人の代わりにされた先輩にとって、そういう行為を求められるのは、……どうなんだろう、やっぱり辛い、と俺は思う。
「……」
「……」
「……」
……沈黙が、痛い。
そんなに時間は経ってないはずだけど、もう長いことこうしてるような気分になる。
先輩、嫌な思いをしただろうか。
別に出来なくてもいいんだって、言おうか。
(……正直、拒まれるのは、身勝手だけどショックだけど)
そう俺が悩んでいた、顔をあげようとした、その時。
「……ッチ」
「、え、っ!」
小さな舌打ち、ドキっとした(悪い意味で)俺の胸倉を、先輩ががっと掴んだ。
びっくりして咄嗟に首を竦めて目をぎゅっと閉じる。
……そして、それとほぼ同時に、
「……っ、?、せ、んぱ…?」
「……」
反射的に目をあけて、そこにあったのはドアップの不機嫌そうな顔。
それなら、今、唇に、触れたのは……。
「……っ! っいま、松本せ、ン」
今度は、声を奪うように唇を塞がれた。
俺の見てる目の前で。先輩が、松本先輩が、俺に。
キスを、してくれた。
「……いちいちくだらねーこと聞いてんじゃねえよ」
すぐに離れた唇を、惜しいと思った。
至近距離で不機嫌に囁かれた(これは多分無自覚)言葉を、何より愛しいと思った。
「お前が触りたいと思ってくれるなら触ればいい。お前が抱きたいと思ってくれるなら抱けばいい」
先輩の、俺の胸倉を掴んでいた手がゆるんで、その手が俺の頬を撫でる。
何も言えない俺をどう思ったのか、先輩はふと、表情を緩めて。
「他の誰でもない、俺に対して、そう思ってくれるなら」
――その瞬間俺の胸に込み上げた想いを、きっと誰にも簡単に、言葉にすることは出来ないだろう。
好きだとか愛しいだとか、もうそういう次元じゃなくて。
ただその時俺は、窒息しそうだと思ったんだ。
この言い表せない想いで、呼吸さえもままならない。
(だから、いつかきっと俺は、)
「松本先輩……っ」
思わず俺は、先輩に抱きついて抱きしめた。
力いっぱい、きっと痛いだろうけど。
先輩の座ってたクッションソファが、二人分の体重でギシリと軋む。
「先輩、…先輩……っ」
だけど先輩は、しょうがねえなって顔で笑うだけ。
その表情も、俺はずっと、ずっとずっと、好きだった。
何を考えることも出来ずに、言葉と想いだけがあふれる。
「好き、マジでほんとに好き大好き。好きなんだ、先輩にしかこんなん思えないよ……」
「……ああ」
「なんで、…なんで、そんなこと言ってくれんですか? ……俺なんかに、…いっぱい嫌な思いさせたのに……っ」
ずっとわからなかった。
どうして先輩が俺を今でも好きでいてくれて、こんな風に受け止めてくれるのか。
抱きしめながらの俺の言葉に、先輩は心底可笑しそうに、「俺は馬鹿なんだよ」、って俺の耳元で笑う。
背中をポンポンと叩いてくれる、その少し乱暴な手つきさえ、愛しくてたまらない。
「……ほんとに俺、先輩にさわっていいんですか…?」
「だァら、いいっつってんだろしつけーな」
「俺、…俺ほんとに先輩のこと、もう傷付けたくないんだ。だから、嫌だったら、言ってほしい……」
ぎゅうぎゅう抱きしめながら言うなんて、卑怯かな。
そうは思ったけど、俺は先輩を離せなかった。
先輩を抱きしめてないと、心が破裂しそうで怖かった。
「……森下」
ほら、先輩が俺を呼ぶだけで、どうにかなりそう。
「、はい」
「お前さっき、ちょっとでいいっつったよな?」
そう先輩を抱きしめる俺の耳元で、先輩が言う。
その言葉の真意がわからず、先輩が身じろぎするのに任せて少し体を離し、先輩の顔を見た。
目が合うと、先輩は、悪戯っぽく、不適に笑って。
「……俺は『ちょっと』じゃ、到底満足出来そうにねえんだがな?」
「――」
極めつけに、「森下」、なんて甘い声で呼ばれたら、もう、葛藤なんか消えてしまって。
「………優しくする、から」
今度は俺から、口づけて。
白いシーツの波へ、二人で沈んでいく。
このままこの人と、この瞬間に溶けてしまえたらいいと、本気で思った。
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