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キスの理由
「極論すると、もしも、指が、一本しかなければ、俺たちは、今頃、三進数の世界に生きてて、俺たちの精神的自由は、ごく狭い範囲に定められているかもしれない。それは、とても、残念なことだ。生物は、多様であることを、第一テーゼにおかなければならない。多様であることは、存続に不可欠なんだ」

敏は、ふうん、と、眠そうな目で、俺を見返している。

こいつ、話を、聞いてるのか?

「2進数の9は?」

俺の問いかけに、慌てて、敏は、指を折る。

「えっと、その、8が1000だから、その、1001」

「合格」

ご褒美に、口付けを与える。唇が触れるだけの、単なる接触だ。

唇が、素っ気なく離れると、奴は、ためらいがちに尋ねてきた。

「ねえ、ヒデは、僕のこと、どう思ってるの?」

どうでもいい質問。

「3進数の9は?」

「ねえ、どうして、キスとかするの?」

顔を赤らめて、聞いてくる。

「僕、男だし、ヒデだって、僕なんかとキスしたいわけじゃないだろ? 僕のことをからかってるの?」

「答えは?」

「えっと、3進数だっけ。22で繰りあがって、100」

「合格」

何か言いたげな敏の唇を塞いで、少し長めの褒美を与える。

敏は、束の間、目を閉じて、体を預けてくる。口付けされるたびに、信頼しきった顔で、無心に甘えてくる様は、まるきり、犬だ。ひっくり返って、腹を出して、撫でてほしいと、せがむ犬だ。

甘えがひどくなる前に、俺は、唇を離した。

「犬だろ」

「何それ。それ、僕のこと?」

敏は、首をかしげている。

見捨てられて死ぬのを待つだけの犬。だからこそ、俺は、拾い上げた。こいつを、俺のものにするために。もしくは。

「もしくは、傀儡」

俺の傀儡にするために。

「カイライ?」

より一層、首をかしげている。

「だから、それ、僕のことなの?」
 
俺をいぶかしげに見てくる。

面倒臭い奴だ。

「フツーに人間だろ?」

「人間? それだけ?」

ますます、いぶかしげな瞳を向ける。

文句言いたげな顔。

「お前、ホモサピエンスだろ?違うのか?」

「そうだけど、それだけ?」

責めるように見る。

「はァ?」

何が訊きたい、こいつは。

「それだけしか思っていないの、僕のこと」

何が訊きたいんだよ、こいつは

「あーもう、黙れ」

俺は、敏の唇を塞いだ。

乗り気じゃなさそうにしていても、次第に、その体から力が抜けてくる。だが、体の力が抜けたところで、唇を離す。主導権は、常に俺にある。

まだ、勉強の続きがある。少しは、マシな奴にしなければならない。

俺は、熱っぽくなった敏の唇を、押し離す。

「あ……」

敏は、濡らされた唇から、切なそうな声を出した。

「ホント、意地悪だ」

「どうして意地悪なんだ?意地悪と言われるなら、もっと意地悪になってやってもいいぜ。お前、俺に、もっと、されたいんだろ?」

「ッな。んなはずないだろ」 

「じゃあ、しねーよ」

俺は、不機嫌に、プイと横を向いてみせた。

途端に、敏は、俺の顔を、おずおずと覗き込んでくる。

「……怒らないで」

そうだ、それでいい。犬は、それでいいんだよ。主人の行動の一挙一動に左右されればいい。

それに、冷たくされても、うなだれたりせずに、向かってくるようになったのは、いい兆候だ。そうやって、犬から、人間になれ。そして、俺の傀儡になれ。

「4進数の9」

「えっと、21」

「合格」

俺は、口付けを与える。

敏は、褒美を与えられる犬のように無邪気に、与えられるがままに、それを受け止めている。

どう思ってるか、などと。

大事に思ってるに決まってる。

傀儡という道具として。

お前は、俺を受け継ぐものだ。

「……んあ」

褒美の、ほんのついばむ程度の軽い口付けに、敏は、鼻から切ない息をもらす。

俺は、俺のしたいようにやってるわけじゃない。

お前のされたいようにやってるだけだ。

早く、お前に取り入るために。早く、お前を操るために。

早く、お前に俺を移し込むために。

「んッ、もう、だめだよ……」

俺が、唇をずらした僅かな隙間から、敏は、苦しそうな声を出す

俺は、もう少し続けたいような気持になっていたが、敏が、俺の背に手を回してきたので、やめた。敏を突き放す。

こいつは、飽くまで傀儡だ。俺は、お前の意思に沿うようなことは、しない。

「話がそれた。早く次の問題を解け」

俺は、息を乱している敏に、シャーペンを握らせた。

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