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椿の恋
9
安田の、胸の奥の苦しみをかき消してくれたのは、妻だった。

カナちゃんは、紅茶とケーキの載った盆を手に現れた。ニッコリと安田に笑みを向け、安田の隣に座る。安田は、心が落ち着くのを感じていた。

エプロン姿のカナちゃんは、いろいろなものを手に入れ、すっかり美人妻、と呼べる外見になっている。

手入れの良い長い巻き髪、エステで痩せた体、エクステした睫毛、ブランドの服………。隙なく装っているカナちゃんは、一見、女優かと見まがう雰囲気を持っていた。だが、良く見れば、ストレスのせいか、肌に張りがない。

それに、その場にいるのは、ゴリラが好みな安田だし、中身さえ良ければいいと思っている松本だし、女を捨てたふーちゃんだし、カナちゃんの見かけの美しさは、残念ながら、誰にも何とも思われなかった。

「この二人、お似合いね、そう思わない? あなた」

カナちゃんは、安田が思っていたことを、ズバッと口にする。

妻が砂糖をたっぷり入れてくれた紅茶を口に含み、安田は、心を落ち着かせていた。妻が入れてくれる甘い紅茶は、いつも心を落ち着かせてくれる。

ふーちゃんは、がはは、と笑って言った。

「当たり前だろ? あたしたち、付き合ってんだもん」

「ぶふーーーーッ」

ふーちゃんの言葉に、紅茶を吹き出す安田。

松本が嫌そうな顔で、ティッシュを差し出す。本来なら、ティッシュを差し出さねばならない立場のカナちゃんは、心底嫌そうな顔を、安田に向けているだけだった。

「何て、冗談だよ、がはは」

ふーちゃんは、可笑しそうに笑う。松本は、いつものふてぶてしい顔のままだった。その松本をふーちゃんがド突く。

「こいつにはな、ちゃんと惚れた相手がいるんだぜ、な、キヨスミ?」

「まあな」

松本はド突かれても痛そうな顔もせず、素っ気なく答えた。

実は、この二人、遊園地で出会って以来、気さくに話す間柄になっている。職場も近く、偶然、会うことも多かった。ゴリラの扱いに慣れた松本と、女を捨てたふーちゃんの間には、取り繕わない友人関係が築かれていた。

否定しない松本に、目を見開く安田。

ルパンは、やっと、失恋を癒したのだろうか、と。

「え、ルパン好きな人いるの? なら、教えてよ」

「そのうちな」

と、松本は、言葉を濁す。この場で、安田に、説明するのは面倒だし、自分がひっそりと抱く想いを、不用意に晒したくはない。

「というかさ」

と、松本は、安田を見る。

「ふーちゃんは、ヤッチンが好きだったんだぜ?」

「ぶふーーーーッ」

またもや、紅茶を吹き出す安田。

やはり、カナちゃんではなく、松本に、ティッシュを差し出してもらう安田。

安田は、動転して、煙草を激しく、くゆらせた。

え? え? どゆこと?

スパスパ吸われる煙草。狭い書斎に、煙が立ち込める。

「冗談言うなよ、誰がこんなアホを好きになるもんか」

だが、ふーちゃんは、安田の視線を知らんふりで、松本の肩をバンバン叩くだけだった。

真顔で肩を竦める松本。そして、どういうわけか、天井を見た。天井の一か所、火災報知機のある部分をしばし見つめ、すぐに視線を下ろした。

視線を下ろすと、冷ややかな顔のカナちゃんと、目があった。カナちゃんは、ニッコリと笑っていた。



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あきゅろす。
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