椿の恋 14 「あちゃー、俺、また、載っちゃったよ。新婚夫婦の新居、全焼だって。被害者はなし、だとさ。俺、全治二週間なのにさ」 病院のベッドの上で、安田は夕刊を広げていた。 その横で、呆れ顔の松本がいた。夜中の火事騒ぎに駆け付け、安田の無事を確かめた後、仕事に出向き、その帰りに、安田の入院している病院に寄ったのだ。さすがに、少々、疲れた顔をしている。 「全治二週間なら、かすり傷だろ? お前、何で、入院してるの?」 「…………」 まさか、帰りたくないとは言えない。理由はないけど、帰りたくない。 「あの女は?」 松本は、もはや、名前ではなく、「あの女」呼ばわりをしている。 「カナちゃんは、さっき帰った。今夜は、母屋に寝るらしい」 新居は全焼したが、安田の両親の住む母屋は、無事だった。 「あの女と一緒で、お前の父ちゃんと母ちゃん、大丈夫か?」 「……………さあ」 変な沈黙がある。 さっきまで、カナちゃんは、安田に付き添っていた。窓から飛び降りた安田は、擦り傷で済んだ。カナちゃんは、出火時、トイレに行っており、火事に気付くのが早かったらしい。 カナちゃんは、いつもと変わらない笑顔でかいがいしく安田の世話をしていた。 「良かったわ、助かって良かったわ」 何度も涙ぐみながら、そう言った。 そんな姿を見ていると、安田には、到底、カナちゃんを疑うことができなくなっていた。 聞いたところによると、火事は、安田の寝煙草が原因。 ベッドで、煙草を吸った覚えはないが、カナちゃんが、そう言うのだから、寝ぼけて吸ったのだろう。 「あの女は、危険だ」 松本はカナちゃんが新居に火を点けたのだと決めつけている。 「………そうかな」 「あの女が、屋敷に火を……」 松本の言葉を遮るように、安田は被りを振る。 「………カ、カナちゃんが、そんなことするかな」 「火災報知機、壊されてたの見ただろ?」 「でも、さっきまで、俺のこと心配してずっと付き添ってくれてたんだよ? 俺の好きなチョコレートを食べさせてくれたし」 ヤッチンは、人が好すぎる………。 松本は、肩を竦めて、溜息をついた。 松本は、家人に気づかれることなく、安田家の屋敷に忍び込んでいた。慣れた調子で、母屋に上がり込む。松本にとっては、別段珍しいことではない。 客間となっている座敷には、チョココロネとカナちゃんの姿があった。 チョココロネは、布団にシーツをかけていた。 その横で、まさか、犯人だとは疑われもせずに、火災の被害者だと思われているカナちゃんが、掛け布団を押入れから取り出している。 窓から、焦げた建物が見えていた。他の建物に燃え移ることなく消火されたのは、梅雨時とはいえ、幸運だった。 夕刻まで、警察や消防関係者の出入りが続いていたが、今は、もうない。 「ホント、みんな、無事でよかったわァアァァァ。しばらくは、ここで寝泊まりしてね。心配しないで。家なら、すぐに建て直してあげるからァァァアアァァァ」 チョココロネの今日のミュージカルは、さすがに物悲しいイ短調。 「お義母さま、ごめんなさい。私がついていながら」 「いいのよ、あの子の寝たばこが悪かったんだからァァアァァ。謝るのは息子よォォォオオォォ」 チョココロネに慰められて、よよと泣き崩れる、カナちゃん。まさか、内心で、 ちっ、しくじったか と考えているとはチョココロネも思いもよらない。 [*前へ][次へ#] [戻る] |