禁じられた恋のナミダ※連載休止中 6 吾朗は、玄関に立つ人を見て、腰を抜かすほど驚いた。 最初は、誰だかわからなかった。だが、まじまじとその顔を覗き込んで、素っ頓狂な声を上げる。 「兄貴?」 一年ぶりに見るその姿。だが、一年前とは、まるきり風貌が違う。別人のようだった。スーツを着込んでいるが、怖いヤクザではなく、黒ぶち眼鏡にブリーフケースを持つ、普通のサラリーマンにしか見えなかった。平凡でどこにでもいるような背広姿の男。 だが、黒ぶちの眼鏡の奥には、以前と変わらぬ目つきで見返す拓真がいた。今では、別名を名乗る男であることを、吾朗には知る由もない。 「………何で? 死んだはずじゃ………?」 吾朗は気が動転して、上手く喋れない。 確かに、千葉の警察署で、その死体を確認してきた。その夜、家に放火され、大変な騒ぎに巻き込まれたものの、落ち付いた後、一人で寺で葬式を上げた。遺骨も大事に持っている。 火事から無事生き延びた吾朗は、小さなアパートで独り暮らしをしていた。そして、働きながら、ナオを探し続けていた。 ナオは、火事の現場から姿を消した。おそらく、誰かに連れ去られた。 吾朗は、ナオを守りきれなった自分を責めている。 警察を頼ることはできないが、思いつくかぎりの方法で、ナオを探そうとしていた。焼けた古家に戻ったり、ナオの生家である大島家の屋敷跡を訪ねたりしていた。 「死んだ? 俺が?」 眉をひそめて見返す拓真の顔を見て、吾朗は、事情を理解した。拓真の死は、偽装だったのだと。 吾朗は激しく怒りがわいてきた。 「どうして、今頃になって出てきたの。あたしたちがどれだけ待ってたことか。兄貴、酷い、酷いわよッ」 吾朗は拓真の胸をどんどんと殴りつけた。拓真は殴られるままになっていた。 「……すまなかった」 その言葉を聞くなり、吾朗は、急に嗚咽を始めた。いろいろな感情に襲われる。 拓真を失ったこと、でも、帰ってきたこと。ナオを失ったこと、そして、今も戻らないこと。様々な感情が濁流となって噴き出る。 吾朗もまた、つらい日々を何とか凌いで過ごしてきたのだ。抑え込んでいた感情が、ふつと、堰が切れたように溢れ出す。 「兄貴……ナオちゃんが、ナオちゃんが……」 それ以上は言葉にならない。 吾朗は、床にひざまずいた。どれだけ詫びても、足らない。俺の恋人を囲え、と、そう頼まれたのに、守ることができなかった……。 拓真は責めなかった。責める資格もなかった。 「大体のことはわかってる。ナオの正体を知る者がいると想定しなかった、俺が悪かった。あいつを、日本に戻した俺がいけなかった」 「ナオちゃんの正体?」 「いや、吾朗さんは、知らなくていい。今日は、あんたを責めるために来たんじゃない。あんたの無事を、確認しに来ただけだ」 吾朗は、それを聞いて、また、嗚咽を上げた。 「ごめんなさい、ごめんなさい」 吾朗は、なかなか泣きやまない。自分の無事などどうでもいい。ナオがいなくなったのに。 「……ナオちゃんは、どこにいるの?」 「わからない」 「……ナオちゃん、兄貴のことが、本当に好きで好きで……。兄貴のスーツを広げて、その上で、眠ってた……。絶対に、帰ってくるってずっと信じてた。あの子、兄貴がいないと生きていけないのよ? どうして………」 どうして、戻ってきてくれなかったの? 兄貴がいれば、あの子は連れ去られなくて済んだかもしれないのに。どうして………。 だが、そんな責め言葉を口にすることはできなかった。 無言で吾朗を見つめ返す拓真の目には、既に痛々しいほどの後悔の念が宿っている。 「これから、どうするの?」 「わからない。俺には、果たさなければならないことがある。そのためには、どんなことでもすると、過去に誓った」 俺の人生にナオは不要だ………。 あえて口にする必要のない言葉をシンは飲み込む。 「兄貴、まさか、このまま、ナオちゃんを放っておくつもりじゃないわよね?」 「俺は、あんたが思っているような人間じゃない」 拓真の言葉に吾朗は絶句する。そして、拓真の両腕を掴んで、ゆすぶった。 「兄貴、まさか、ナオちゃんを見捨てるなんてことはないわよね………」 吾朗は、拓真に必死に言い寄った。 拓真は、頷くことはなかった。ただ、じっと、吾朗を見つめ返すだけだった。 これからやろうとしていることが、見捨てるなどという生易しいものでないことをただ自覚していた。 [*前へ][次へ#] [戻る] |