証―彼は僕のものになる 怒り 「おい」 それは、恐ろしく低い声だった。振り向くと、秀麿が、ドアを開けて立っている。その顔を見て、息が止まる。ただならぬ気配。 「お前」 ずかずかと部屋の中に入ってくる。 ななな何だ? 僕は恐ろしくなって、慌てて椅子の上から飛び降りた。 秀麿は、怒りに奥歯を噛みしめている。どうしてだかわからないが、酷く怒っている。 いつもの脅してくる顔じゃない。無表情なのに、目だけに怒気が漂っている。 僕の目の前に立つと、いきなり胸倉を掴み上げ、殴りつけてきた。 バランスを崩して、足元がぐらつく。 どどどどうして? 「最低だな」 「な、何で?」 痛いが、痛みよりも、突然のことに面食らう。 秀麿は、もう一度、胸倉を掴んでくると、すうっと目を細めて、右手を高く振り上げた。 反射的に、僕は、目をつぶって、身を竦めた。 だが、平手は落ちてこなかった。 秀麿は、不意に、つかんでいた手を離した。そしてっくるりと背を向ける。 僕は、その背中を見ながら、ぺたりと尻餅をついた。 何で、急に。 どうして、こんなに怒ってる?何があった? 黙り込む秀麿の背中をただ、驚きあきれ眺めているしかない。 他人にいきなり殴られるなんてことは、僕には、よくあることだが、秀麿は、そんな奴らとは違うはずだ。 やがて、低い声が届く。 「今すぐ、出ていけ。目障りだ」 え? これは、もしかすると。 貧乏神の仕業なのか。 あいつが、秀麿を、操っているのか。 またもや、僕の願いを誤解して、受け取ったのか。 秀麿を怒らせて、僕は追い出され、そして、路上生活。 僕は、辺りの空間を眺めた。気配はないが、まだ、奴は、そこらへんにいるのか。 ひっそり姿を消して画策する貧乏神の姿を思い浮かべ、身震いした。 奴は、これほどまでに、簡単に人間を操作できてしまうのか。行動も感情も、容易に操ることができるのか。 そうだとすれば、あいつは、人間を使って、人殺しだって何だってできる。 僕は、とんでもないものに取りつかれているのかもしれない。とんでもないものの姿を見てしまったのかもしれない。 だが、背筋の寒くなるような貧乏神への恐怖など、秀麿が浴びせてくる言葉に比べれば、たいしたものではなかった。 [次へ#] [戻る] |