証―彼は僕のものになる 最後のキス 彼との最後のキスは、空港でのことだった。 秀麿は、大学の入学式の日を訊いてきた。そして、酷いことに、その日を、自分の出発する日にした。 僕に、見送りもさせてくれないつもりなのだ。 入学式を休むと言う僕を、彼は、止めた。 「やめとけ。どうせ、泣くだろ。泣く男に見送られる男の立場になってみろ。俺が困るだろ」 「……泣かないよ」 「ダメだ。絶対に来るな」 秀麿は、本気で、見送りをさせないつもりだ。 二日前、僕は、荷物だけ、小さなアパートに移動していた。僕の荷物なんて、段ボール2個で、中身は、ほとんど、秀麿が寄こしてきた本や衣服だ。 僕自身は、秀麿の家に居候を続けていたが、最後の夜、秀麿は、泊まらせては、くれなかった。 「会うのは、今日で最後だ。敏は、俺がいなくなっても、もう、大丈夫だ。彼女作って、結婚して、幸せになれ」 「……二度と会えないみたいな言い方すんな」 涙が出そうになるだろ。 「もし、二度と会えなくても、お前の中には、俺がいるから、安心して、生きてけ。力の限り、生きてけ」 僕は、自分から、秀麿の唇を塞いだ。それ以上を聞き続けるのが、怖かった。どうして怖いのかわからなかった。しかし、どうしようもなく怖かった。 別れたくなかった。だが、別れられなくなるのも、嫌だ。 別れるのもつらいし、別れられなくなるのもつらい。 やはり、見送りはしない方がいいのかもしれない。きっと、別れられなくなる。 どうして、行ってしまうんだろう。 「明日から、敏には、俺のいない敏の日常が始まる。俺と共に過ごすのは、今日で終わりだ。俺たちのこの関係も終わりだ。次に会うときは、普通の友だちだ。そうだろ?」 「うん」 僕は、秀麿の背中を抱きしめて抱きしめて抱きしめた。 どうして、一つのものになってしまえないんだろう。 どうして、僕たちは、二人別々なんだろう。どうして、一人ずつで歩いて行かなければならないんだろう。 「やれるな?」 「うん」 秀麿がそう言うなら、やるしかないだろ? 秀麿がそう言うなら、やれるに違いない。 「泣くな」 「うん」 でも、泣くくらいは許してほしい。 「必死でバイトして、会いに行くから」 「バイトよりも勉強しろ」 「わかってる」 わかってるよ、ヒデ。わかってる。 秀麿の言いたいことは、全部、わかってる。 僕は、秀麿の考えていることくらい、何もかも、わかっているんだ。 秀麿の考えが、もう、僕には、移っている。秀麿は、僕の中に棲みついてるんだ。 だから、泣くくらい、許してくれよ。 翌朝、僕は、自分のアパートで目覚めた。ここで目覚めるのは初めてのこと。そして、今日からは、ずっと、ここで目覚める。 この部屋に、秀麿は来たことがなかったが、彼がくれた本や衣服が詰まっていて、彼の温もりに満ちている。 自分で買ったスーツを着て、大学に向かう。入学式は絶対に休まないと約束した。 秀麿と歩いた大学構内。図書館までの道のり。 遅咲きの桜の花びらが舞う中、親子連れが嬉しそうに門をくぐる群れに混じり、僕は、まっすぐに講堂に向かって歩いた。彼らは、僕と同い年のはずなのに、なぜか、幼く見えた。 僕は、一人だった。 だが、秀麿がそばにいる気がしている。ずっと、一緒にいると感じている。気配をすぐそばに感じている。不思議だったが、当たり前のことのようにも思えた。 ヒデがいなくても大丈夫そうだ。目の前にいなくても、ヒデは、そばに、いてくれている。 入学式が、終わった。オリエンテーションくらいは、さぼってもいいだろ? 僕は、腕時計を見た。僕には、立派すぎる腕時計も、最近では、違和感がなくなってきた。 間に合うかな? 一度、そういう考えが、沸き起こると、どうしようもなく、見送りたくなってしようがなくなる。 最後くらいいいだろ?許してくれるだろ? 駅までタクシーを飛ばす。折よく入ってきた、特急に飛び乗る。僕にしては、かなりの出費だが、やむを得ない。 しかし。 間に合うはずもない。 出発の30分前、もう、秀麿はゲートをくぐっているだろう。 それに、こんな広い空港で、探し出せるはずもない。 それでも、空港のロビーをしばらくうろついて、秀麿の姿を探した。 そして。 見つけた。 愛する人を。 愛してくれた人を。 ゲートを超えた向こう、ガラス越しに、秀麿は、真っ直ぐに背中を伸ばして立っていた。 秀麿の後姿。気付いてくれなくてもいい。気付かれないままで、見送るのでもいい。 でも、叶えられるなら、振り向いて欲しい。 僕は、ガラス越しに、狂おしく彼の後姿を見つめた。 強く念じると伝わるものなのか 彼は、鮮やかに振り返った。 僕に気づいて、視点を凝らす。 ヒデ。 ああ、ヒデ……。 遠くに行ってしまう……。 [*前へ][次へ#] [戻る] |