Snatch成長後編BL(完結) 52、兄 ◇◇◇ それからまた何日も過ぎていった。 テツの傷はもう治り、テツは糸を自分で引き抜いた。 あれから変わった様子は見られない。 多分、気のせいだったんだ。 テツは9時頃には出かけて行ったが、親父さんと釣りに行くまでに、もう1回小森に付き合わなきゃならない。 今日がその日だ。 昼を済ませて猫達とゴロゴロしていると、ピンポンが鳴った。 ひょっとして蒼介か? と思いながら玄関に行き、ドアを開けた。 「ん……?」 見知らぬ女性が立っている。 スーツを着ているし、年はテツと同じくらいに見えるので、なにかの勧誘だろう。 このマンションにはそういった類が来る事はないが、うっかり間違えてやって来たに違いない。 「あの〜、うちは宗教やセールスはお断りなんで」 悪いが、お帰り願う。 「あなた下っ端?」 だが、女性は玄関に入ってきて妙な事を聞く。 「いや……、違いますが……、あの、一体」 組関係の人間なのか? と思ったが、組員の嫁さんだとしても、知らない人間が来る筈がない。 なんなのか分からず、困惑した。 「じゃあ、同居人ね、矢吹さんはバイだから、ふーん……、そういう事か」 女性はテツの名前を出し、俺を見て勝手に納得している。 「っと……、テツの知り合い……ですか?」 聞きたくなかったが、聞かずにはいられない。 「ふふっ、ええ、知り合いもいいとこで〜、あたしは矢吹さんの事をよく知ってるわ、だって、ずっと前に彼と付き合ってたんだから」 「えっ……」 って事は元カノ……? 年が近いように見えるし、事実かもしれないが、朱莉さん以外で他にもいたとは知らなかった。 けど、どちらにしても……そんな人が何故ここに来るのかが分からない。 「驚いた? 今は別の人と一緒になってるけど〜、ちょっと前に彼、あたしの家に来たの、ふふっ……」 女性は衝撃的な事を言って含み笑いをする。 「テツが……あなたの家に行ったんですか?」 どうしてそんな所に行ったのか……。 ついカフェと口紅の事を思い出していたが、カフェにいた女はもうちょい若かった。 あとは……口紅が気になる。 「ええ、あたし達は腐れ縁なの、ふふっ」 女性は曰くありげな言い方をする。 「腐れ縁……」 考えたくはないが、良からぬ事が頭に浮かんでくる。 「あの〜、友也君、お客さんみたいだけど、ちょっといい?」 突然女性の背後から鈴子の声がした。 「あ、はい……、どうぞ」 また醤油か味噌だろう。 「ん、あんた知らない顔ね、友也君、知り合い?」 鈴子はドアを開けて玄関に入ってくると、女性の隣に立ち、女性をジロっと見て俺に聞いてきた。 「いいえ……」 断じて知り合いではない。 「あんた、どこの誰よ」 鈴子は不審者だと思ったらしく、女性を睨みつけてズケズケと聞いた。 「やだわ、失礼な人〜、あなたこそなによ」 女性は眉を顰めて聞き返す。 「あたしゃ友也君のご近所さんだ、あんた、知り合いでもないのになにしに来た」 しかし、鈴子は微塵も怯まず、不信感を露わに問い詰める。 「ちょっと〜なにこの人、いきなりやって来て〜、そんな大きな体で睨まれたら〜なんだか怖い〜」 女性は鈴子の事をバカにしたように言った。 「うっせー! 用がねぇ奴はとっとと消えな!」 頭にきたのか、鈴子は女性を怒鳴りつけた。 「やだわ、ここって柄が悪〜い、さいてー、フンだ」 女性は不貞腐れた顔をしたが、鈴子の迫力に負けたらしく、踵を返して玄関から出ていった。 「ったく……、友也君、知らない人を入れちゃ駄目、アレ宗教のババアだろ?」 鈴子は女性の事を宗教の勧誘だと思ったらしい。 「ええ、まあ〜」 話したくないので、そういう事にしておく。 「やっぱりね、追っ払って大正解じゃない、で〜、味噌ある?」 鈴子はそれ以上突っ込まず、予想した通りに味噌を要求する。 「あ、はい、あります、ちょい待ってください」 さっきの女性は名前も聞く暇がなかったし、何だか心にズシッとくる物があるが……とりあえず味噌を取りに行き、ソッコーで玄関に戻った。 「どうぞ、あの〜、それあげます、使って下さい」 まだ少ししか使ってないし、鈴子にあげる事にした。 「いいの?」 鈴子は確かめるように聞いてきたが、味噌は構わない。 それより、俺は聞きたい事がある。 「はい、どうぞ、あの〜、お腹の子供は順調ですか?」 太っているので、腹の膨らみ具合がまったく分からず、順調なのか気になった。 「うん、順調よ、えへへー、ダーリンは相変わらず微妙な感じだけど、いいの、あたしはこの子を育てるから」 子供は順調なようだが、何よりも、鈴子が張り切ってるので、生まれるまで心配はなさそうだ。 「そうですね、大丈夫ですよ、俺達も協力するし、無事出産まで頑張ってください」 「うん、ありがとう、ほんとに……矢吹さんと友也君には助けられた、だからさ、ああいった宗教ババアが来たら、電話しなさい、すっ飛んでくるから」 鈴子は俺達の事を言って、心強い事を言ってくれる。 「あははっ……、はい、助かります」 底抜けな明るさに、ちょっとだけ励まされたような気がした。 「んじゃ、味噌サンキューね、また来るわ」 鈴子は味噌を大事そうに抱え、笑顔で手を振って出て行った。 テツは帰りは朝になると言っていた。 ひとりになったら、さっきの女性の姿が蘇ってくる。 テツの元カノとは言っても……テツは年下が好きだし、40代の熟女に手を出すとは思えない。 だけど、あの人は『腐れ縁』だと言った。 じゃあ、もし腐れ縁で付き合っていたとして、いつから? って疑問がわいてくる。 俺の前では普通にしているし、むしろ、俺の浮気を疑っている。 それで浮気してたら……ある意味凄いと言えるが、なんかすげー嫌だ。 激しく裏切られた気持ちになる。 「あ"〜っ!」 考えたくないし、浮気をする場面なんか想像したくない。 けど……。 俺は浮気した。 小森は別としても、最低だ。 最低だから、浮気されても当然か? いや、だけど……。 嫌な事が堂々巡りに浮かんでくる。 悶々と過ごすうちに日が暮れたので、とりあえず、適当にレンチンして晩飯を食った。 そろそろ行かなきゃならない。 また今夜も社長がくるんだろうか……。 もし来たら、5万で売られ……終わったら店でまわされる。 嫌な事があった後で、更に嫌な事をやらなきゃならない。 けど、行くしかないので用意をした。 どうせ掘られるし、腹が立つけど体の用意も済ませた。 猫達の世話をして、火の用心をして、カバンを持って部屋を後にした。 玄関を出たら火野さんにバッタリ出くわし、ギクッとして咄嗟に玄関に戻り、焦りながら鍵をしめた。 だが、すぐにピンポンが鳴った。 今の……不審に思われたに違いない。 マズい……。 火野さんに疑われるのは非常にマズい。 けど、出ないわけにはいかないし、渋々ドアを開けた。 「おい、友也」 「はい……」 身が縮む思いで返事をした。 「友也、おめぇ今、なんで逃げた」 火野さんは背が高いから、俺を上から見て聞いてくる。 「いえ、忘れ物をしただけです」 益々小さくなって苦しい言い訳をした。 「嘘をつくな、どこに行くつもりだ」 「ちょっと買い物に」 「よし、買い物なら一緒に行こう、乗せてってやる」 「いえ、その……、ちょっと友達のとこに寄るつもりで」 「じゃ、友達のとこに送ってってやる、今夜は時間が空いてる、迎えに行ってやるよ」 なんとか誤魔化したかったが、よりによって時間があると言う。 思いつく限りの言い訳をして、逃げて逃げまくったが、火野さんは頑として譲らなかった。 テツの事で凹んでいた事もあり、言い訳が尽きて行き詰まってしまい、とうとう黙り込んだ。 「なあ友也……、おめぇは昔、三上の事でひとりで苦しんでた、その時に、俺は木下の兄貴の事を内緒にしたじゃねぇか、それでも信用できねぇか? あの友和会の息子は裏がある、お前、またあん時みてぇに脅されてるんだろ? もしそうなら……俺がなんとかしてやる、矢吹の兄貴にゃ言わねぇ、な、話してみな」 火野さんは俺の力になってくれようとしている。 けれど、そんなのは無理だ。 「あの……、だとしても無理っす、俺は翔吾と……、俺、翔吾がお見合いさせられて鬱になってるから、それを止めたくて……テツと一緒に親父さんを説得しようって、皆で釣りに行く事にしたんです、今翔吾との事をバラされたら……それが取りやめになるかもしれない」 分かりにくいとは思ったが、動揺して上手く説明できず、思いつくままに事情を話した。 「おめぇ、また若と寝たのか、若が誘って来たんだな?」 火野さんは拙い説明を理解してくれた。 普段は何も言ってこないが、ちゃんと俺の事をわかってくれている。 「はい……、翔吾は一生懸命頑張ってる、だから俺……翔吾の力になりたくて」 素直に翔吾との事を明かした。 「ははーん、分かったぞ、それをあの息子に知られちまった、若は引き継ぎをしてたからな、その時に何かやらかして奴に気づかれたんだろう、で、それをネタに脅された、今日はシャギーソルジャーは定休日だ、奴はおめぇを脅して誘った、どうだ、当たりだろ?」 鋭い……。 「はい……」 「というより、おめぇ、既に付き合わされたんじゃねぇのか?」 火野さんは見抜いている。 ここまで明かしたら、誤魔化す意味は無い。 「っと……、はい……」 それも認めた。 「ったく……、とんでもねぇ男だな、奴はお前が兄貴のパートナーだと知ってる筈だ、しかも……若との関係を知ってるなら、バラしたらてめぇの首を締める事になるじゃねぇか、それでよくそんな真似をするもんだ」 「ステイタスだと言ってました」 「はあ? なんだそりゃ、人のもんに手を出すのがステイタスなのか? くだらねぇ」 火野さんは呆れて一蹴したが、なにはともあれ……約束は約束だ。 「あの、俺は行かなきゃ……」 「俺が一緒に行く」 なのに、無茶な事を言う。 「えっ、いやでも……」 そんな事をしたら小森がキレる。 「俺が話をつけてやる、勿論兄貴にゃ言わねぇ」 自信ありげに言うが、話をつけると言っても……そんな簡単にいくわけがない。 「いや、無理っす、俺は親父さんを説得できるか自信ないけど、親父さんと会ったら、テツに白状しようと思ってます」 「おめぇ、兄貴は今度浮気したら墨だって言ってたぜ、それでもいいのか?」 「はい、構いません」 「覚悟してるのか、ま、とにかく……任せな」 「いや、でも……」 「大丈夫だ、俺は三上の件の時にお前を助けてやれなかった、だから今度こそ助ける」 「そんな事ないです、あの時は助かりました」 「いいや、ありゃ木下の兄貴が助けたんだ、友也、俺の車で行く、案内しろ」 火野さんが説教した程度で、小森が言う事を聞くとは思えない。 もしキレて喧嘩にでもなったら事だが、火野さんは行くと言って聞かないし、仕方なく案内する事になった。 目的の駐車場につくまで、落ち着かないどころじゃなく、不安でいっぱいだった。 やがて駐車場に到着したが、遅くなったせいか……小森が駐車場で待っていた。 いきなり鉢合わせする事になり、緊張感は一気にピークに達した。 「あ、あの……」 狼狽えてオロオロしていると、小森が俺に気づいてこっちに歩いてきた。 どうしようかと思っていたら、火野さんが車から降りた。 「あ……」 2人は向かい合ったが、小森は火野さんを睨みつけている。 「お前は……霧島の奴だな、どうしてお前が友也を乗せてきた」 口火を切ったのは小森の方だった。 「俺は霧島の人間だが、友也とは兄弟だ」 「ん、兄弟がいたのか? にしちゃ、やけに歳が離れてるじゃねぇか」 「義理の兄だ」 「はあ? あーあ、そういう事か、つか……友也は兄弟揃って霧島の人間とくっついてるのか」 小森は最初首を傾げていたが、ちょっと考えてわかったらしい。 「ま、そんな事ぁどうでもいい、兄として弟を守らなきゃならねぇ、あんたは友也を脅して関係を持っただろ」 火野さんはストレートに言った。 「ふっ……、兄だと? だからなんだ、友也は若頭と浮気してるんだぜ、それ自体マズいよな? そりゃそんな事をコソコソやってちゃ、脅されても仕方がねぇ事だ」 小森はニヤついて平然と言ってのける。 余裕綽々な態度は、店の裏でカタギを脅した時とおんなじだ。 「仕方ねぇ? 恫喝されて寝るのが仕方がねぇ事か?」 火野さんは呆れ顔で聞いた。 「ああ、人に言えねぇような悪い事をやらかしゃ、そうやってしっぺ返しを食らう」 霧島の人間にバレたって事は、小森にとっちゃマズい状況だと思うが、小森は全然動じてない。 やっぱり……話をつけるなんて無理な話だ。 「ほおー、その言葉を忘れるなよ」 諦めかけていると、火野さんは小森を見据えて言った。 「なんだ、どういう意味だ」 「俺は今朝、偶然あんたの噂を耳にした、知人の会社の人間だが、そいつの婚約者があんたにレイプされたってな、何故わかったかって言うと、あんたが友和会を出して脅したからだ、まったく……気の毒な話だぜ、で、俺ぁちょくちょく顔を合わせる浮島の奴に、事情を話して話を聞いてみた、浮島は裏情報に詳しいからな、そしたら……案の定、あんたの性癖についてわかった、あんたはレイプして快感を得る、歪んだ性的嗜好の持ち主だ、人に言えねぇような悪い事をやらかしてるのは、友也じゃなく……あんたの方だ」 俺には浮島云々の話はしなかったが、火野さんは浮島から情報を得ていたらしい。 「こいつ……、偉そうに言いやがって」 小森は急に顔色を変えた。 鋭い目つきで火野さんを睨みつけ、威嚇するように胸倉を掴んだ。 「やるなら構わねぇ、俺は兄としてやる、手加減はなしだ」 火野さんは小森の腕を掴み返し、グイッと捻って胸倉から引き離した。 「くっ……、この……」 小森は火野さんを嘗めていたらしく、腕を掴まれて一瞬驚いた顔をしたが、悔しげに口を引き結んだ。 「俺はあんたを伸した後で、全てを明らかにする、カタギは泣き寝入りしても、霧島はそうはいかねぇぞ、この友也は霧島の為に尽力した人間だ、矢吹の兄貴を含め、若頭やおやっさんも、あんたの事を許さねぇだろう、叔父貴になったあんたの父親にも迷惑がかかる事になる、それでもよけりゃかかってきな」 立場が逆転し、火野さんは掴んだ腕を離して小森を恫喝した。 「くそっ、むかつく……、じゃ、なんだよ、どうすりゃ納得する」 小森は苛立って腹を立てているが、父親に迷惑がかかると聞いたら、さすがに怯んだようだ。 「まず、レイプした相手に詫びるんだな、場合によっちゃ責任をとれ、それと……今後友也には手を出さねぇと約束しろ、若にも余計な事を言うな、たったそれだけだ、それだけ守れば……カタギの件と友也の事、俺が得た情報についても……全てなかった事にしてやる、あんたも友和会も安泰ってわけだ、簡単な事だろ?」 火野さんは条件を出し、従えば口外しないと言った。 「そりゃ……本当なんだろうな?」 小森は不貞腐れた顔をして問い返す。 「ああ、本当だ、信用できねぇなら……ここでやり合って決着をつけよう」 火野さんは強気に言い返した。 「ちっ……、わかったよ、じゃ、お互い様だ、約束は守れ」 小森は完全に折れたが、父親の事を出されてよっぽどビビったのか、念を押して言う。 どのみちバレたら同じ結果になるのに、何故馬鹿な事をやらかしたのか……小森は頭が悪いとしか言いようがないが、犯罪者ってやつは、そこまで考えないから犯罪を犯すんだろう。 「ああ、約束は守る、それじゃ、俺は友也を連れて帰る」 どうなるかと思ったが、火野さんは小森を上手く丸め込んで、運転席の方へ向かって歩き出した。 「待ちな」 けど、小森が引き止めた。 「なんだ」 「まだ名前を聞いてねぇ」 ハラハラしたが……名前を聞いただけだった。 「火野源三郎だ」 「火野か……、覚えておく」 小森が答えると、火野さんは運転席の方へ回り込んで俺の隣に乗り込んできた。 そのまま無言で車を出したが、俺は小森が茫然と立ち竦むのを横目で見ていた。 「あの……、俺、すみません」 車が歓楽街から離れた所で、火野さんに向かって頭を下げた。 本当なら、今夜もウリをやらされていただろう。 言葉じゃ言い表せない程……ただ感謝するしかない。 「いや……、俺はな、どのみちお前と話をしようと思ってた、今日は店が休みだからよ、部屋にいると思ってた、そしたらよ、お前は出かけようとしてるじゃねぇか、見逃せる筈がねぇ」 火野さんは浮島から情報を得て、俺の事を気にかけていたようだ。 「そうでしたか……、俺、ほんと馬鹿です」 まんまと小森の言いなりになって、情けない。 「おめぇは馬鹿なんじゃねぇ、優し過ぎるんだ、おやっさんを説得するって言っても、上手くいくとは限らねぇのによ、たったそれだけの為に自分を犠牲にした、で、ついでに聞くが……奴と寝ただけか?」 火野さんはため息をついた後で聞いてきた。 「いえ……、ウリをやらされました」 助けてくれた人に嘘はつけない。 「ふうー、やっぱり馬鹿だ、だからほっとけねぇ、小森とは顔を合わせる事になるが、さっき俺が帳消しにしたからな、堂々としてりゃいい」 火野さんは前言を撤回して馬鹿だと言い、今後の事を気遣ってくれる。 「はい……」 俺は馬鹿だと言われて、何故か安堵していた。 火野さんは俺にとって……世界中で最も頼りがいのある兄貴だ。 [*前へ][次へ#] [戻る] |