狼皇帝のシンデレラ B 辺りは耳が痛いほど静まりかえっている。 夜もすっかりと更け皇帝の訪ないまでもう後僅かに迫っている。 「っ……」 シャンは逃げ出してしまいたい気持ちになるがそれが無理だということはわかっている。 昨日までシャンは王宮の客室に滞在していたが、婚儀を済ませ正式に皇帝の妃となったため後宮に移った。 後宮は皇帝の妃や子供たちが暮らす場所だ。 彼女達を守る為後宮の周りは高い壁に囲まれている。 唯一の出入口である門もこの時間には完全に閉まり皇帝が訪れる時や帰って行く時以外は絶対に開かない。 トゥラや侍女達は肝心な事は何も教えてくれなかったが、こういった情報だけは嫌と言うほど教えてくれた。 まるで、逃げ道をどんどんと断たれて怯えるシャンの様子を楽しむかの様に。 「あ…」 不安になったシャンは自分を落ち着かせようと胸元に怪我をしていない方の4手を当てるが、いつもの手触りがない事に気づく。 そこにはいつもは翡翠の首飾りがあるはずだった。 「そっか…トゥラに取られちゃったんだった」 悲しい時、つらい時、寂しい時いつもシャンを支えてくれたお守りだ。 5年前、幼い時に戦争で父親を失ったシャンは病を患う母と二人その日一日をなんとか生きている状態だった。 シャンの村は明狼との国境のすぐ側にあり常に軍隊が駐留していた。 収穫した作物の殆どは軍隊に徴収され国の為に軍の為にと日々過酷な労働を強いられ、心にも生活にも余裕がなかった。 その日シャンは明狼との国境にある森の中にいた。 ちょうど森の中央にある小川を渡るともう明狼の領内になる。 過去には誤って国境を渡ってしまい明狼の兵に殺された者もいた。 その為村人達は怖がって滅多に森に近付かない。 シャンだって本当は怖い、できれば近付きたくもないが滅多に人のこないこの森は茸や野生の作物などが豊富で母一人子一人のシャン達母子にとって貴重な食料元だった。 「よっと、こんなもんかな?」 シャンが背負う籠には作物や茸が僅かばかり入っている。 本当は冬に備えてもっと欲しいところだが冬が近づいてきた今日の出ている時間は短く山並みに太陽が沈もうとしていた。 ここのところ収穫できる数が減っており、シャンはいつもはこない場所まで足を伸ばし漸く今日の分をかき集めたのだ。 「ええっと………あれ?」 来た道を戻ろうとしたのだが、行きは食料を探すのに夢中だったせいかシャンは自分がどちらからきたのかわからなくなってしまったようだ。 少しでも見覚えのある所はないかと目を凝らすのだが全く思い至らない。 「とりあえず、こっちの方に行ってみるか…」 幼い頃は道に迷ったら近くの人に助けを求めるか誰かが迎えに来てくれるまでその場を動いてはいけないと言われていた。 しかし、今周りに人はおらず村人達も自分達が日々の生活を生きるのに精一杯でシャンが帰って来なくても心配している余裕はない。 シャンの母は心配するだろうが病床の彼女が今から森に入るなど自殺行為だ。 それでも母親はたった一人の我が子の身を案じて探しに出るだろう。 その為 シャンは何としてでも自力で戻らなければならなかった。 村は森の東にある。 太陽の位置さえわかれば、そちらに向かえばいいのだが鬱蒼とした森の中ではそれさえ儘ならない。 シャンはほんの少しでもいいから空が見えないかと天を仰ぐ。 「うわっ!」 空を意識し過ぎたせいか、溝に足を取られる。 シャンの膝より少し高い位の深さで足がひんやりと冷たい、水が流れているのだ。 「う〜、冷てぇ」 バシャリと跳ね返った水でシャンの足は向こうずねの辺りまで水浸しだ。 冬の訪れが後僅かに迫ったこの時期では濡れれは凍えるほど寒い。 ついてない、そう思いながらシャンは溝から上がると真っ直ぐ歩き始める。 "森の中央を流れる小川"が国境であることは勿論シャンも知っていた。 しかし、実物を見たことのないシャンにとってこんな小さな川とも言えない様な水の流れが国と国とを隔てる物だとは思いもよらなかった。 [*前へ][次へ#] [戻る] |