日曜の朝の午前九時、学の悲鳴から事は始まった。
「ん? 起こしたぞ」
「本当に!? 過ぎてるじゃん」
昨日、学は勉に朝の八時に起こして欲しいと頼んだ結果が、今の有り様である。
学がどうやって起こしたのか聞けば、
「王子様は何度も目覚めのキスをしましたが、お姫様は全く起きないのでした」
「…………」
次第に顔が青ざめる。
「いーやーーーー!!!!」
思いきり唇を服で拭った。それを見た勉は、笑いながら傷付くなぁと言う。
「ち、ちゃんとしたやり方で起こせよ!!」
「ほう……それが人に物を頼む態度か、目覚ましで起きないからって、まなが起こせって頼んだんだよな?」
頭を軽く鷲掴みをする。
「う、ごめんなさい」
怒ったりしょげたり大変だなぁ、と勉は笑った。
「心配するな。友人には言っといたから」
学の頭を軽く叩きながら爽やかに言う。
「何を……?」
「今日は起きたくないみたいだから遊べないって」
「はいぃ!?」
眉間に皺を寄せ、即座に子供用の携帯を取り出して、登録された電話帳の一覧を出す。
「何やってんだよ! も〜謝らないと」
電話をかけようとするが、勉に取り上げられてしまった。
「俺と遊ぶ選択肢もあるが」
そう言って、にこやかに両手を広げる。
「遊ばない。早く返せ」
「まなちゃんは冷たいなぁ」
飛び跳ね、携帯を取り戻そうとするが、身長が違い過ぎる。
「返せって!!」
「俺とゲームに勝ったら返してやるよ」
家の中に勉が携帯を隠し、学はそれを見つけるだけのシンプルなルールだった。
制限時間は一時間。
「隠すから目ぇ瞑れ」
言われるがまま、渋々目を瞑る。
……実際は五分なのだが、待っている側としては、十分は経っているんではなかろうか、というくらい長い。手の込んだ場所に隠しているのか。
学の考えとは裏腹に、一分もしない内に携帯を隠し終った勉は、学の目の前にずっと立っていた。顔を近付け、じっくり眺めている。
(可愛い)
悪戯のし放題ではないか、と思うも、学が痺れを切らす前に声をかけた。
「ん!?」
「まなー、もういいぞ」
「何……今の」
唇を指差した。
「ば、ば、ばか!!」
学が驚いたのは、ついでにキスをしてきたからだ。
「怒ってる場合か? 時間がなくなるぞ」
「っクソ兄貴!」
悪態を吐きながらも、一時間もあれば、すぐに見つかるだろう、と学は思った。
「兄貴の隠しそうなとこ、兄貴の隠しそうなとこ」
変わり者の勉の事だ、きっと変な所に隠したに違いない、と学は踏んだ。
本の裏に冷蔵庫、服と服の間やトイレの手洗いの中など、学が思い付く限りの変わった場所を探していった。
が、見付からない。その度にニヤニヤされて腹が立つが、怒っている場合ではない。
「ここか!」
変わった場所ばかり探すものだから、時間はあっという間に三十分経ってしまっていた。
早く見付けて謝罪の電話をしたいのに……焦りだけが先走って、思考がだんだん働かなくなってゆく。
「どこにもなーいー。本当に隠した?」
「隠してるさ」
きっと学は変わった場所を探すと踏んで、逆に普通な所に隠したのではないか、と再び部屋中を探した。
それでも、携帯は見付からず、時間は残り十分もなかった。
「ヒントはすぐ近く」
勉からのヒントなど信用出来ないが、今はそれにすがるしかないと思った。
「ま〜なちゃ〜ん」
壁にもたれながら時計を指差し、時間切れを告げた。
「嘘ー、もう一時間!?」
悔しそうに、口をへの字にする。
「電話かけてみ?」
そう言って、家の電話の子機を手渡される。コールが一回、二回と鳴り、
「うおお……バイブがダイレクトに」
「……え」
勉の右側のズボンからバイブの音が聞こえ、見れば布越しから僅に光り、微妙に震えている。
「えーー!? ずるい!」
「ずるいって、家の中だろ」
頬を膨らましながら、勉のポケットに手を突っ込み、携帯を引ったくった。
「大胆だなぁ」
「最っ低、最悪」
学の罵倒も平然として、こう言った。
「見付けられなかったまなには、罰ゲームだな」
「そんな事、一言も」
「言ってなかったか? まぁ良いじゃねぇか」
顔がニヤけている。これが狙いだったのか、と学は舌打ちをした。
「俺の膝の上に座れ」
「いーやーだ」
「罰ゲームするくらいの暇はあるだろ」
半ば、強制的に連れて来られ、男らしい骨張った膝の上へ。
「離せっ」
「おぉ柔らかい」
乗せる為に掴んだ脇腹を、何度も揉んだ。
「うわっ。へ、変態! もう降ーりーるー」
喚く学に平然としていた。
「まな」
いつもと違う、声の低さに学はゾクっとした。
「……っ!?」
切ない溜め息が、首筋にかかる。
「俺の事、そんなに嫌か」
「っやめ」
耳の裏に話しかけられ、学は身動ぐ。
「まな、答えは?」
腰に腕を絡めて、密着してくる。動揺していて答える余裕など、学にはなかった。
「まーな」
「もっ兄貴! ふっふざけんな!」
肘を曲げ、後ろに回して顔にヒットするはずが、簡単に勉の手に止められてしまった。
「冗談だってぇ、まなちゃぁん。罰ゲーム終〜了〜」
そう言って、パッと手を離した。真っ赤なのを隠して、「ばか兄貴」と、一言吐いて、リビングへと逃げて行く。
結局、その後も勉の相手をしていて、謝罪の電話をするどころではなかった。
明日、登校したらすぐに謝ろうと学は思うのだった。
「あた――」
「起きたくないってどういう事だよ、学。ってかもう遊ばないって何だ」
「え?」
謝る前に詰め寄られ、訳の分からない事を言う。
「え、じゃねぇよ」
勉から聞いたものとは違い、混乱した。
「遊ぶの放棄してごめん。あの、それ、良かったら詳しく聞かせて」
――約束の時間から二十分が経過していた。
「もっしも〜し」
軽快な声に、学の友人は怪しく思ったのだろう。
「……誰、ですか」
「学の兄だ。何か用か」
「えっと、学君は? ……遊ぶ約束してて」
先程とはうって変わり、真面目な声に気圧される。
「あ〜まなね、まだぐっすり。起きたくないみたいだから、ってかもう充(あたる)君と遊びたくないんじゃない?」
と、言うだけ言って切られてしまった上に、何度かかけたが、音声ガイダンスになる為、諦めたらしい。
「学、学」
鬼の形相だったのだろう、充から宥められてしまった。
「も〜本当ごめん。遊びたくないなんて、思ってないから」
「分かってるよ、人は本当の事には怒るもんだ」
「充〜」
と、今にも泣き出しそうな声で、器の広い友人に感謝した。
「ってか、学ん家の兄貴ってぶっ飛んでんな」
頭を悩ます学だった。
2011.11.27 完成
2012.07.16 加筆