症候群-追放王子ト亡国王女- ページ:1 ルネ領日本―――― 宿の3階一室に集まったのは慶司が救助し連れて来た日本人達。ダイラーに捕われた者達プラス日本人部隊としてルネに強制出兵させられた者達約30人。一昨日から降り続く豪雨と雷鳴が外から地鳴りのように響いてくる真っ暗な室内に集まった彼等。その中心には河西の姿が見える。 「奴の次はアメリカ軍の人間と、我々の国を侵略した中国軍の人間ですよ。どう思います皆さん」 「甘い!実に甘い!殿下は戦をゲームとしか思っておられないのだ!」 「しかし彼らをこちら側へ連れて来た事にも何か策があるのでは…?」 「あるわけないでしょう?殿下はまだ17歳。いくら軍隊経験があるとはいえ、所詮温室育ちの王室の人間よ。地位を捨てるだなんて言ってもまず根本的なところから世間知らずじゃない?貴方もそう思っているのでしょう河西さん?」 彼等の視線が話を振られれた河西に一斉に向く。掛軸を背に、皆の中心で胡坐を組む河西は神妙な面持ち。普段の飄々とした様子の欠片も無い。 「アメリカ軍の子と中国軍の子に対してはルネの坊やの策があるわ。本当よ。けれど、ルネの坊や達を連れて来た事は何も策は無い。けーちゃんのただの同情よ」 ザワッ… その言葉にどよめく彼等。 「ほらやっぱり…!」 「うまく丸め込めて最後はヴィヴィアンを裏切って殺して俺達日本がヴィヴィアンを殺したんだぞ!ってルネに見せ付けてやるって事くらい考えてくれていると思っていたのに…!」 「あの人達が咲唖様のご友人だったから同情をして連れて来たという噂は本当のようね…!」 「第一、策があるにしろ中国軍の人間が一つ屋根の下同じ場所に居るだけでこっちは憤慨しそうだってのによ!」 「静かにして」 河西が力強い声で言えば彼等は前後左右の人間との私語をピタリ…とやめる。河西は胡坐を組んだ両脚に拳を置く。 「安心してちょうだい。大丈夫。あたしがけーちゃん達の目を覚ましてあげるわ」 ピカッ! 外で光った雷の青白い光が部屋へ射し込み、河西を一瞬照らした。 1階―――― 「妖刀ムラマサ…」 宿の1階最奥に位置する部屋。こじんまりした真っ暗な室内。掛軸の壁裏に隠されている大型の金庫の中から取り出した、鞘にしまってある短い刀を両手で持ち呟くのは総治朗。腕や頭部には包帯を。顔には大きな傷テープが貼ってある。あれから一度も発狂する事は無くなったものの、皆が聞いてもその事には一切答えない彼は明らかにいつもと違ってとても暗い。目の下に幾重もの隈をつくり空虚な瞳で見つめる視線の先には1本の刀。 外から激しい雨音が聞こえてくるが、彼にはそれすら聞こえない。脳裏で蘇るのは自分を含めた家族4人の懐かしく温かな思い出。 ガラガラ… 「其処に居るのは総治朗さん…?」 引き戸が開いて梅のか細い声が自分を呼ぶ。すぐに刀を置き振り向いた彼の顔に浮かぶ笑顔は酷くやつれていた。 「すみません。勝手に部屋を抜け出してしまって」 「いえ…。それだけお身体が回復している表れなのでしょう…。でもまだ安静にしていた方が良いですよ」 「そうですね。申し訳ありません」 やつれた笑顔の彼の後ろ畳の上に置いてある刀に梅が視線を移し、不安そうに右手を自分の左胸に充てる。 「総治朗さんその刀は…?」 問われて彼はふっ、と優しく笑み、刀を両手でそっと持ち上げる。 「妖刀村正」 「村…正ですか?」 「それを真似て作られた物です。この刀の正式名称はムラマサ。片仮名に変えただけで、本当の村正とは全くの別物ですけどね」 「何なのですか?その刀が妖刀と呼ばれる意味は…」 「全員ではありませんが徳川家の人間は代々、妖刀村正によりその命を奪われてきました。そしてあの有名な家康も奇襲をかけてきた真田信繁に村正で襲われました。命に別状はありませんでしたがそれからというもの先祖の命を奪ってきた村正、そして自分も命を奪われるところだった村正が毎晩夢に出てはうなされ、家康を苦しめました。そして村正が妖刀と呼ばれるようになった理由はもう一つ…」 鞘から刀を引き抜く。暗がりでも分かる銀色がギラリと光る。 「普段物静かな人も村正を手にした途端人が変わったかの様に凶暴な殺人鬼へと変貌してしまうのです」 「え…」 ドンッ!! 遠くで雷が青白く光りまた近くに落ちた大きな音がした。障子戸のガラスがガタガタ不気味に振動する。その音にすら挙動不審な梅が後ろを振り向く。窓の向こうには、朝なのに真夜中の様に真っ暗な空が広がっていた。 「…とは言ってもこれは村正の話ですけどね」 「は、はい…」 総治朗の方をもう一度向けば、鞘にしまわれたムラマサが掛軸の前にそっ…と置かれていた。 ドクン、ドクン… 別に何も怯える事などありはしないのに、何故か梅の鼓動は低く大きく鳴り続け胸騒ぎがする。しかしそんな不安を取り除いてくれるような彼の穏やかな笑顔が其処にあった。 「すみません。恐い話をしてしまいましたね」 「い、いえ…。総治朗さんは詳しいのですね…」 「父からよく聞いていただけですよ。この刀は父の物で、父方の先祖が受け継いできたらしいです。両親が離婚した時に母の実家であるこの宿に僕が持ってきたのですけど不気味がられてずっとしまわれていたので今日何年振りかに見ました。ただ村正と同じ呼び方というだけで、この刀には村正のような話も歴史も無いのですけど…」 「では何故今その刀を…?」 鞘の上から刀に触れると彼の両手がピクッ…と反応する。 「少し、父の事を…家族の事を思い出しただけです」 「そ、そうでしたか。ほっ…。良かった。総治朗さんのように穏やかな方にはそんな物騒な物似合いませんよ」 胸を撫で下ろす梅にやっと安心した微笑みが戻る。総治朗が掛軸の裏に再びムラマサをしまうと、2人揃って部屋から出て廊下を歩いて行った。 廊下―――――― 「酷い雨。でもこの雨がずっと…永遠(とわ)に続いてくれれば争いも無くなるというのに」 「梅様」 廊下を歩いていたら後ろを歩く総治朗に呼ばれて振り向く梅はニコッと微笑む。 「梅、で良いですよ」 「いえ…」 「では梅さん、で良いかしら?」 ふふ、と顔を赤らめる梅とは対照的に彼の笑みはやはりやつれており、自然と浮かんでいるようには見えない。 「でも本当良かった。総治朗さんがお怪我を負われ、ましてや体調を崩された時どうしようかと思いましたもの」 「あの、梅さん」 「はい。何でしょう?」 くるっと振り向く梅は彼との会話がとても楽しそう。しかし彼は神妙な面持ちで目線を外の嵐へ向けているから、梅は首を傾げる。 「総治朗さ、」 「先程の刀の話…殿下や皆さんには絶対に秘密にしておいてもらえませんか」 「え」 ザァー… 会話が途絶え、雨音と遠くの雷鳴だけが聞こえる。力強いのにどこか空虚な彼の瞳。恋い焦がれる相手に見つめられたら普通は顔が火照ってしまうだろう。しかし今の彼に見つめられても梅が全く顔を赤く染めなかったのは、染められなかったから。彼の瞳がやけに別人なのだ。 「秘密…?それは一体…」 「梅姉様!此処に居られましたか!」 「慶司さん!」 「?」 調度階段を降りて角を曲がりやって来た慶司にビクッ!と反応した梅が振り向けば、慶司は笑顔で首を傾げる。 「あ!新田見君駄目じゃないか!まだ安静にしていなきゃ!僕が河西さんに怒られちゃうよ」 慶司は総治朗を見つければすぐ彼の前まで歩き出して怒った素振りを見せるから、総治朗は笑む。 「申し訳ありません殿下。少し気晴らしに出歩いたのですが…」 「そうやって殿下って呼ぶのも禁止って…はぁ。ま、いっか。気が向いたら戻してよ。中学生の頃の呼び方に」 「はい。そうですね」 「本当かなぁ?…あっ。朝食の用意ができてるよ。梅姉様も」 「……」 「姉様?」 「…あ!そ、そうですね今行きます!」 慶司の問い掛けにも無反応だったがもう一度呼ばれてようやく我に返った梅。慶司は総治朗と話しながら先を歩いて行ってしまうが、梅は遠ざかる2人の背を見つめたまま立ち尽くす。胸に添えた手でぎゅっ…、と自分の着物に皺をたてて。 「姉様?どこか具合が悪いんですか?」 「い、いえ!少し寝不足なだけですよ」 気に掛けて足を止めてくれた慶司達の元へパタパタ走って追い掛ける。足を止めてくれた慶司はいつもの笑顔なのに対し、総治朗は穏やかなのに空虚な笑顔だったから梅は2人の後ろでまた自分の左胸を着物の上からぎゅっ…と皺をたてるくらい強く握った。 客間――――― カチャ、カチャ… 朝食を終えた広い客間。食器を片付ける音がする。食器を片付ける手伝いをしようとする慶司にオロオロする総治朗と小町の一方で河西は「仕方ないわねぇ」と言い、自分の1/3の食器を慶司に運ばせて4人は部屋を出て行く。 カタン… 梅は閉じた障子戸の硝子張りになっている下の部分から見える総治朗の足元が去って行くのを切なそうに見ていた。 それからは、自分の隣でアンネと話すジャンヌに近寄り、会話に入る。まだ雨は止まない。 「何を書いているのです?」 「日記だって!」 「日記?」 覗き込めばアンネは小さな手で握った鉛筆で、河西から貰った古びて色褪せたノートに絵と大きな文字で日記を書いている。絵日記だ。それが微笑ましくてジャンヌと梅の顔が綻ぶ。日記の絵には、大きな黒い雲から降ってくる雨。その下で悲しそうに眉毛をへの字にしたジャンヌとアンネが描かれている。 「きょうもあめで、みんなげんきがないです。…そうね。雨ばかりだと気も滅入ってしまうわ」 アンネが書いた日記を読んで外に目線を移す梅。 ――でもこの雨が永遠に降り続いてくれれば…―― ドクン… 脳裏で先程の刀ムラマサと総治朗の姿が浮かび、梅の鼓動が深い所で一度大きく鳴った。また胸騒ぎがした。 「これ後でね、マリーお姉ちゃんに見せるの」 「そう!喜ぶわよきっと」 「うん!」 朝食時に姿の見えなかったヴィヴィアンとマリーは離れで生活をしている。理由は言わずとも、特にヴィヴィアンの事を他の日本人達が嫌悪するからだった。その頃、離れでは… 離れ―――――― ザァー… 雨音が酷く目立つ。それ程までに静か…いや、無音の室内。テーブルにつき、冷や飯を食すヴィヴィアン。部屋の片隅にはヴィヴィアンに背を向けて細々と食べているマリーが居る。此処へ来てから2人は本当に一度も会話を交わしていないのだ。この重苦しい空気にマリーは食が進まない。一方のヴィヴィアンは御膳にちょこんと用意された少量の白飯と味噌汁と白菜の漬物を見ながら食べる。 ――さすがに米不足…食料も底を尽いてくる頃なんだろう。まだ米が食べられるだけ僕達は贅沢な方かな―― 何て彼らしかぬ貪欲な事を思いながら窓に目を向ければ、雫がこちらへ突進してくるような勢いで雨は降り続いていた。 カチャ… マリーの方から食器の音が聞こえて彼女が立ち上がった気配を感じたからヴィヴィアンがすぐ振り向けば、食器を母屋へ運んで行こうとする彼女がすぐ其処に立っていた。こちらには背を向けているけれど。 此処からでも見えたのは、ほとんど手が付けられていない食事。ヴィヴィアンが立ち上がればその気配を感じ取ったのだろうマリーは挙動不審にビクッ!と肩を震わせてそそくさと戸を開ける。 「マリー。いいよ。僕が運ぶ」 言ってもまるで無視な彼女…だが、ビクビク肩を震わせていたから聞こえているのだろう。しかし彼女は外へ出て行く。母屋へと続く渡り廊下は屋根があるが、横殴りの雨が横から彼女に吹き付ける。ヴィヴィアンは後ろからマリーの御膳をとろうとする。 「全然食べていないじゃないか。どれか一つだけでも食べないと倒れちゃうよ」 「た、食べれなくなるような事をしたのは貴方ですわ…!あっ…!」 ガシャン! 御膳を取ろうと伸ばしたヴィヴィアンの手をマリーが振り払った衝撃で御膳ごと下へ落ち、白飯と漬物が入っていた瀬戸物食器が音をたてて割れた。足元に散らばる青い花の模様が入った硝子の破片。慌てるマリーより先に冷静なヴィヴィアンが身を屈めて割れた破片を拾い、御膳の中へ片付けていく。躊躇しつつもマリーも身を屈めて一緒に破片を拾うが、やはり無言だった。 ザァー… 雨音が酷く横殴りの冷たい雨がマリーの髪や身体を濡らすから、ヴィヴィアンは自分が羽織っている青い半纏を彼女の肩にかけてあげる。夏なのに最近やけに朝晩冷え込むから借りた半纏は宿からの物だ。かけてあげれば案の定彼女はビクッ!と顔も上げずに挙動不審だが。一方のヴィヴィアンは破片を拾いながら口を開く。 「マリーごめんね。本当、君の言う通りだよ。僕のせいでたくさん辛い思いをさせたね。君をイギリスへ送った時は辛くあたったし本当にごめん」 「っ…、わ、わたくしの事など構いません…!貴方は戦争の火種を生んだ罪の償いを世界に見せなければなりませんわ…!もう貴方は被害者ではありませんの…!立派な加害者です…!…わたくしも…!」 「マリーは違うよ」 「い、いえ!わたくしも…!」 思わず感極まって顔を上げてしまった。するとヴィヴィアンの切なそうな赤の瞳と目がばっちり合ってしまい顔を反らそうとするが、それより先に彼の左手が彼女の右頬にそっ…と触れる。 「痩せたね…。今まで本当ごめんね」 雨音が2人の間に鳴り響いていた。 割れた食器の破片を御膳の中に入れてそそくさと母屋へ小走りで駆けて行ってしまうマリーの背が見えなくなるまで見送り、ヴィヴィアンは離れへと戻る。 「痛っ…。今日は寝ていようかな」 あの日自ら崖へ落ちた為まだ歩く振動だけで痛む骨折した腰に手をあてて、離れの戸を閉めようとした時。 「大きな音がしたが大丈夫か」 少年らしさが残る高い声に声を掛けられて振り向けば、渡り廊下に慶司が立っていた。 「大丈夫だよ」 「そうか。…少しついて来てほしい場所があるんだ」 ――今日は1日寝ていたいのに―― 本音は飲み込み「良いよ」と承諾して母屋へ続く渡り廊下を慶司の後ろに続き歩いて行くのだった。 ルネ領カイドマルド王国 ルネ軍駐屯地――― 「お前は…アントワーヌ・ベルナ・バベット…!」 「アント…ワーヌ…?」 ヴィルードンの言葉に反応したヴィクトリアンが少しだけ瞳に光を取り戻して立ち上がる。一方、白い歯を覗かせてニヤリと微笑んだ思わぬ来客アントワーヌは自分の黒いスーツの懐に右手を触れる。 「お久しぶりです。暴君の玩具ヴィルードン・スカー・ドル」 カチャ、 懐から取り出された拳銃の銃口がヴィルードンの額に向けられる。 「なっ…!?」 「やめるんだアントワーヌ!無意味な殺人はお兄様と同じ、」 パァン!! それはアントワーヌが放った銃声…ではない別の銃声。銃弾はアントワーヌが拳銃を持っていた右手を擦りった。彼の拳銃が床へ勢い良く落ちるから、珍しく動揺して目を見開いた彼が咄嗟に後ろを振り向く。 ガタン! 「あ"っ!!」 「ア、アントワーヌ…!」 振り向いたアントワーヌだが、自分の後ろに突如現れた人物の顔すら見る事ができず。振り向き様思い切り床へ叩きつけられ両腕を後ろに引っ張って固定されねじ伏せられてしまった。衝撃でアントワーヌの眼鏡がヴィルードンの足元へ吹き飛ぶ。床に強く打った顔。眉間に皺を寄せて鋭い目付きで首を後ろへ向けて、自分をねじ伏せた人物を見た見た瞬間彼らしかぬ動揺を見せ、これ以上ない程アントワーヌの目が見開かれた。 「貴様…!生きていたのかダイラー・ネス・エイソニア…!」 彼が呼んだ通り其処にはルネ軍服を着た強面のダイラーが居た。頭部や顔に傷を負っていて痛々しいのに、彼からはいつもと何一つ変わらぬ威厳を感じる。 ヴィヴィアンとの交戦でヴィヴィアンを自害へ追い込み、ダイラー自身も自害したと言われていたからダイラーの生存にアントワーヌとヴィクトリアンが目を見開き言葉を失うのに対してヴィルードンは至って冷静。ふぅ…と息を吐くだけ。それはまるで、ダイラーの生存を知っていたかのような素振り。 「将軍…生きて…いたの?」 『犯人は僕ヴィクトリアン・ルイス・ルネ。デイジー様殺害の犯人は僕だから』 『なっ…!?』 その時ヴィクトリアンの脳裏で1年前、前王妃デイジーを殺害した事をダイラーに打ち明けた自分の姿が蘇る。途端震えが止まらなくなってしまい、ダイラーの鋭い瞳が自分を睨み付けているようにしか思えなくなってしまい… 「ごご、ごめんなさい!僕はお義母様を殺した!だから僕は此処に生きていちゃいけない…!死んで償うしかないんだよね…!?」 「王子!?」 窓を開けて桟に足をかけたヴィクトリアン。すぐさまヴィルードンが彼の身体を強引に引っ張り出して飛び降りようとするのを阻止するが、彼は声を裏返らせながら叫び、謝罪し続ける。 「ごめんなさいごめんなさい!僕もう嫌だったんだ!僕達王室の権力は一方的にみんなを恐怖で支配しているだけなんだ!ルネだけじゃない、ルネに良くしてくれた日本やアン帝国にだって!強い人が弱い人を虐げる世界なんて僕はもう見たくなかっただけなんだ!だから、だから!!僕達王室が居なくなればみんな昔みたいに笑って楽しく過ごせると思ってお義母様を…っう、ぼ…僕が殺しました…ごめ…なさい…しょうぐん…ごめん、なさい…」 最後は涙声で。顔を覆いながらダイラーに何度も謝罪するのは、かつて航海王子と呼ばれた明るい楽天的な彼と同一人物。とてもそうは見えなくてヴィルードンは切なそうに見つめて。アントワーヌはただ黙って見つめて。ダイラーは表情一つ変えぬ厳格を保っている。 「うっ…ひっく…ごめんなさい僕は…今っ…ぐすっ、自分のやった事を…正当化しようとしてっ…ぐすっ…う"っ…ほんとに…ごめんなさい…ダイラー将ぐっ、ん…」 「…将来我国を担う貴方様が泣きじゃくったままでいられては困ります」 「う…っ…え…?」 てっきり地鳴りのような罵声が飛んでくるものとばかり思っていたのに、ダイラーからの予想もしていなかった穏やかな言葉。ヴィクトリアンは顔を覆っていた手の指と指の間から目を覗かせる。其処には自分を見下ろす穏やかなダイラーとヴィルードンの姿があったから、涙を拭い上半身を起こしてその場に座ってから彼らを見上げる。キョトンとした顔をして。 「え…あっ…?僕がルネを担う?そんな、僕はお義母様を…デイジー様を殺したんだよ!僕もお兄様も裁かれて消えなくちゃいけない存在なんだよ…!」 「では国を治める者の居なくなった我国を次に担うのは誰です?」 「っ…それ、は…ア、アントワーヌ!君が良い!君なら僕と違って頭が良い!それに元議会の人として国民のみんなに一番近い考えをもっているから、君ならみんなからの支持を得る事ができる!そうすればルネは昔のようにみんなが笑顔を取り戻すよ!」 「いえ。残念ながら王子。この者はどうも信用なりません。副議長時の功績は認めざるを得ない…しかしその後ヴィヴィアンと行動を共にしたかと思えば突然寝返り、陛下の元についた。そしてヴィルードンから聞いた話によれば、見張り役をアンジェリーナ様にさせその隙に此処へやって来た。この者は何を考えているか全く分からないのです」 「ヴィクトリアン王子に近付き、最後は民衆を味方につけて自分が国の頂点に君臨しようとしていた…という考えが妥当っすね」 ダイラーとヴィルードンの言葉にヴィクトリアンが視線を泳がせてアントワーヌを見るが、まだダイラーに取り押さえられたままの彼は力無く顔を床に伏せているだけで表情は全く見えない。 一方のヴィクトリアンは唇を噛み締める。 「そ、そんな事ないよ!アントワーヌは良い人だって分かるもん!僕と一緒にルネ王室を崩壊させてルネを救おうって…戦争を終わらせようって!僕と同じ思いなんだよ!?それに、僕達のせいでアントワーヌやアントワーヌの家族が悲しい目にあったんだよ!?」 「落ち着き下さい王子。何も、この者を殺すなど一言も申しておりません」 「そ、そうだけど…。僕は僕なんかは国をまとめられる器じゃないよ…!」 「ご心配なく。私共もお手伝いさせてもらいます」 「ダイラー将軍とヴィルードン少尉…そ、そんな事を言ってまるでお兄様達に反乱を起こすみたいな事…」 「その時期が来ただけの事です」 ヴィクトリアンが顔を上げる。 「本…当?本気で言ってるの…?」 「この記事をご覧下さい」 「…?」 手渡された新聞。フランス語で書かれたそれを広げて見開きでかでか記された記事にヴィクトリアンは目を見開いた。同時に、新聞を持った両手が震え出して顔は真っ青になる。記事に載っていた写真は、ルネ王国で先日軍事訓練もそこそこに強制出兵させられた徴兵達の家族が王室へ反乱デモを起こした際、ルネ軍に惨殺された場面。 血塗れで首や腕が吹き飛んだデモ隊の遺体を何の躊躇いも無く、ましてや見開きでこんなにも堂々と記事にしている母国がおぞましくてたまらないからヴィクトリアンは口を手の平で覆う。 「う"…!」 「大丈夫っすか王子」 咄嗟にヴィルードンが背を擦ってやるが「ありがとう」とか細い声で言って、新聞をダイラーに返す。 「う…こんなの酷い…酷過ぎるよお兄様…」 「デモ隊の虐殺は今に始まった事ではありませんが、ここまで大規模になりそして他国への侵略も頻繁となった我国への世論は地に落ちたも同然。陛下は世論など勝手に言わせておけどうせ逆らう者は全員潰してやる…とでも仰るのでしょうけれど」 「…俺達も気付くのが遅くて本当…申し訳ないっす」 失ってから気付かないように…そうは思っていても、いざ多くの犠牲が出てその惨状を自分の目で見なければ気付けないのかもしれない人間という生き物は。しかし、それを糧に反省をする事ができるのも人間だ。 ダイラーはヴィクトリアンの前に跪く。案の定ヴィクトリアンはあわあわ動揺するが。 「王子に重荷を背負わせてしまう事お許し下さい。しかし我々にはルネを任せられる人間が王子しか居りません」 「でも僕は王子だよ…!いくら表向きお兄様の暴君振りが目立つからとはいえ、僕はルネ王室の人間で、暴君になってしまったお兄様と同じ血を引く弟なんだ。これじゃあみんなが可哀想だよ。やっぱり僕は…」 「では地位を捨て、ルヴィシアン王を民衆の前で処刑すれば良いではありませんか」 「なっ…!アントワーヌ…!?」 ようやくダイラーから解放されて体を起こしたアントワーヌの言葉。服に着いた埃を払いながら立ち上がった彼をヴィクトリアンが見れば、今さっきダイラーに取り押さえられた衝撃で打ったアントワーヌの口元が痣になっていた。ヴィルードンの足元に吹き飛んだ眼鏡に手を伸ばすが、手が届く寸の所で眼鏡の真ん前にヴィルードンの脚が立ちはだかるからフッ…と鼻で笑うアントワーヌが顔を上げる。 「すみません。その足を退けてはもらえないでしょうか」 「王子に気安く話し掛けないでもらいたいっすね。そうやって王子を利用し民衆を味方につけて自分が頂点に君臨しようとしている魂胆が見え見えっすよ」 ヴィルードンの鋭い眼差し。アントワーヌははっ、と笑い捨てて腰に手をあてる。 「ご冗談を。私はただ母国に民主主義をとってもらいたいだけ。頂点だの何だのそんなモノに興味はありませんよ。寧ろ、そう言う貴方がた軍が王子を利用しているじゃありませんか」 「え…?そうなの2人共…?」 「何をふざけた事を言っている貴様」 「違いましたか?仮に私が国を担う人間となった時、世論を気にして貴方がたのような上官軍人は一級戦犯として処刑します。しかしヴィクトリアン王子が国を担えば、まだお若い王子の補佐をする軍は王子の後ろ楯になる。と甘い言葉で王子を誘い、その裏では自分達が処刑されないよう生き残る道を必死で確保している。…ではありませんか?」 「はっ。さっきから何を寝呆けた事ばかり」 「そうですか。私の考え過ぎだったようですね」 「まったくだ」 彼らの間に挟まれたヴィクトリアンはあっちをキョロキョロこっちをキョロキョロ。顔色も良くないし不安でいっぱいだ。 「ぼ、僕はどっちを信じたら良いの?」 「それは王子が決める事でしょう。誰に聞く事ではありませんよ」 鼻で笑いながらアントワーヌがヴィクトリアンに手渡した物。それはあの日、ルヴィシアンの本心を録音していた小型盗聴器。ハッ!としたヴィクトリアンはすぐにそれをダイラーとヴィルードンに見せた。 「王子それは一体…」 「そ、そうだ!ダイラー将軍!ヴィルードン少尉!これを聞いてほしいんだ!そしてこれを国民に…いや、世界に流してほしい!」 切羽詰まった声で言うとそのスイッチを押した。 『何も分かっていないなお前は。これから出兵させる民衆は我が軍が今優勢であるかどうかなど国際連盟軍との戦況を知らない。故に我が軍が危機的状況である為本国へも連盟軍に攻め込まれる恐れがあるからこれは民衆を守る為のやむを得ない出兵なのだ。…と民衆へ演技すれば良いだけの話だろう?何せ私は民衆思いの国王陛下だからな!』 『そ、それではお兄様にとって国民とは何ですか!』 『駒さ』 『え…』 『貴族も庶民も皆、私に金と娯楽を献上するだけの駒に過ぎないのだよ』 『今戦で軍をほぼ送り込んだ事も、民衆を出兵させる事も。あいつとダイラーを処刑する娯楽が無くなった今の私にとっての娯楽は一体何か?そう考えた。そうとなれば残るは世界一の大国我がルネ王国へ刃を向ける最も愚かな国際連盟軍を早急且つ無慈悲なまでに殲滅させること。そうだろう?』 『では行くぞアマドール』 『はっ!』 『あぁそうだ。ヴィクトリアン。国際連盟軍殲滅後のルヴィシアンお兄様の娯楽を考えておくように』 ブツッ、 最後にノイズが聞こえてて、ルヴィシアンの本心を録音した音声はそこで途絶える。静まり返る室内。 「…薄々気付いてはいたがやはりか…。しかしここまでとは思っていなかったが」 「やっぱり将軍を突然城へ招いたのは奴を自害へ追い込んだ将軍を処刑する為だったんすね…!」 「え…。もしかしてダイラー将軍とヴィルードン少尉はそれを見越してお兄様にわざと将軍が自害した、って嘘を吐いたの?」 ヴィクトリアンは目をぱちくりさせて問う。2人は顔を見合わせてダイラーが「言え」とでも言うような視線をヴィルードンに送るからヴィルードンはヴィクトリアンの問い掛けに縦に頷いた。そんな彼らにヴィクトリアンは言葉を飲み込む。 一方、ダイラーは腕組みをして窓の外に目を向ける。外には自分達が残した戦争の爪痕が生々しい荒廃したカイドマルドの地が広がっていた。 「アマドールの様子がおかしくなった時から私達も気付いていればデモ隊も死ぬ事はなかった…いや、デモも起きなかったのだろう。自分を守る事に必死で、軍や国は王の玩具ではないと何故気付けなかったのだろうな私達は」 その背中が珍しく寂し気だったから、ヴィクトリアンとヴィルードンは目尻を下げる。掛ける言葉がしばらく見付からなかったそうだ。 「どうしますか将軍。今すぐにでも?」 ヴィルードンが淹れたコーヒーをテーブルを囲んで飲むダイラーとヴィクトリアン。部屋の片隅に縄で拘束され追いやられているアントワーヌの事をコーヒーを飲む度にチラチラと申し訳なさそうにヴィクトリアンが見るが、彼は窓の外だけを眺めていた。 カタン、 ダイラーはコーヒーカップをテーブルの上に置く。 「馬鹿者。私不在の本国は今ブーランジェが仕切っているだろう。奴は昔から王室派の人間だ。それに、軍内に私達と同じ考えの人間がどの程度いるかをまず知る必要がある」 「じゃあ俺達とその人達でデモを起こせば良いわけっすね」 「安易に言うな。国民も全員が反王室派ではない。王室派の人間は主に貴族。しかしそうとは言え、彼らはただの民間人。今迂闊に王室を攻撃すれば王室派である以前に、ただの民間人である貴族共も巻き添えになり最悪の場合殺してしまう事になるだろう。これでは民主主義は唱えられないどころか現体制と同類だ」 「じゃあブーランジェ大将達に気付かれないよう、敵が攻め込んでくるというデマを貴族達に流して貴族達を避難させてから王室派の軍人を始末して…でも反王室派の国民はどうまとめれば良いんすかね。デモに参加させても生身の国民じゃあまた死傷者が出るだけっすから…」 「反王室派のみんなをまとめるのはアントワーヌに任せたら良いんじゃないかな…?!」 突然話に入ってきたヴィクトリアンに2人が視線を移せば、彼は挙動不審に視線を泳がせて俯いてしまう。ダイラーはまたコーヒーを口にする。 「お言葉ですが王子、そちらのご心配は無用です。後に集める反王室派の軍人に任せますので。王子は何も心配せず、カイドマルド総督府で待機下さい。勿論護衛もお付け致します故」 「じゃあアントワーヌは!?アントワーヌだって王室にやり返してやりたい事がいっぱいあるはずだよ!」 「私にはそのような復讐心一切ございません。ただ母国が民主主義をとってくれればそれで、」 ガタッ、 突然立ち上がったヴィクトリアン。3人は不思議そうに顔を上げる。ヴィクトリアンは震える唇を噛み締めてやっとの思いで自分の思いを言葉にした。 「将軍達とアントワーヌもこのくらいの事で協力できないなら今までと何も変わらないよ!軍隊と国民は啀み合ったままになっちゃうんだよ?!命令だよ!将軍達とアントワーヌは共闘する事!」 3人の事を指差して声を張り上げる。命令とは言っても言い方が柔らかいのは彼の生まれ付きの性格によるものだろう。一方の3人は何度も瞬きをする。 「王子、申し訳ないっす。それでも俺達は、」 「…了解した。お前も私達と来いバベット」 「え?!し、将軍何言ってるんすか!」 空になったコーヒーカップをシンクに置きに行くダイラーを追うヴィルードン。一方のヴィクトリアンは目をキラキラ輝かせて「ありがとうダイラー将軍!」と礼を述べるからダイラーは彼の方に顔だけを向けてふっ、と笑むだけだった。そんなダイラーの意図が全く分からず混乱状態のヴィルードンと、ダイラーの意図に気付き眉間に皺を寄せて睨み付けるようにジッ…と見つめるアントワーヌだった。 カイドマルド駐屯地内 廊下――――― 「一体どういう風の吹き回しっすか将軍!」 先を歩くダイラーを追い掛けるのはヴィルードン。2人分の速い足音が暗く灰色の廊下に響く。 「王子に申した通り、準備が整い次第バベットも本国へ連れて行く」 「だから何で急に、」 「王子の目の届かない本国で事故に見せ掛けて奴を殺害する」 「…!」 ピタッ…。足を止めた彼の背から漂う威厳がいつものモノに戻っていた。しかしヴィルードンは目尻を下げる。 「…でもそれじゃ俺達、もしも王政を崩壊できたとしても戦犯としての罪も課せられないまま生きるって事っすよね…」 「そうだ」 ヴィルードンは感極まってしまい、思わず両腕を広げる。 「でもそれって間違っているんじゃないっすか!?俺達は陛下の命令に従って人を殺してきた!でもそれは俺達だってそれが正しいと思ってやってきた事なんすよ?!徴兵のように有無も言わせられず無理矢理兵にされて無理矢理人を殺させられたんじゃないんす!俺達は自ら望んで人を殺す軍人になったんす!ヴィクトリアン王子が国を担う事になれば、優しい王子の事っす…俺達軍人を絶対罰しないし殺さないはず…!でも俺はそれは間違っていると思うんすよ!俺はどんな罪だって良い。処刑されたって良い。このまま何の罰も受けないままのうのうと生きていく方が嫌じゃないっすか!?」 「声がでかい。そんなに罰が欲しければ王子に泣いて懇願するなり己で喉を裂くなりすれば良い」 カツ、カツ… 背を向けたまま冷たく言い捨てて真っ暗な廊下を歩いて行くダイラーの背が遠退いていく。ヴィルードンは彼の言葉に呆然とするが、すぐ両手拳を力強く握り締めた。ギュッ…と革手袋の軋む音がする。 「将軍は…俺とマリソンさんが憧れていた将軍は自分が生きる道だけを優先するような無責任な人じゃなかったはずっすよ…!!」 その言葉は彼に届いているのかいないのか。ダイラーはただ黙って奥の暗闇へ溶け込むように去って行くだけだった。 駐屯地5階―――― 此処は駐屯地に送り込まれたルネ軍人達が寝泊まりする階。ダイラーは自分は自害したと思われているし今もその事を隠し通さなければいけない為、他のルネ軍人と会わないようわざと階段を使って最奥の部屋へ入る。室内でデスクに着くと頬杖を着き、今までの戦略に目を通す。だが実際戦略の内容などこれっぽっちも頭の中に入ってはこなくて、脳裏ではあの日何かを思い出させてくれた慶司の言葉が何度も繰り返されていた。 『お前達ルネに降伏したが故に日本が世界の笑い者になろうともこれ以上日本国民が血を流さないのなら僕は胸を張って降伏する…』 「…罰を受け処刑される事だけが国民への罪滅ぼしではないだろう。ヴィルードンの馬鹿者めが…」 [次へ#] [戻る] |