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症候群-追放王子ト亡国王女-
ページ:2
「薬の効果はダミアンを使用して経過観察をしよう」
「!」
彼女に背を向け部屋から出て行こうとするヘンリーを、床を這いながら必死に引き留めるジュリアンヌ。しかし、振り向いたヘンリーの恐ろしい瞳。
「や、やめて!ダミアンには何もしないで!あの子は何も悪くないでしょ!」
擦れた苦しそうな声のジュリアンヌを乱暴に振り払う。そんな彼の遠くなっていく背を見つめるジュリアンヌの瞳も揺らぎ、霞む。咳き込み、血を吐きながらもヘンリーに向かって声を張り上げる。
「ゲホッ!私はどうされたって構わない!けど、ダミアンに…あの子に何かしたらただじゃおかないんだから!!」
自分がウィリアムに好意を抱いていたと嘘を吐けばウィリアムとキャメロンは救われるが、自分と同じ血を引くダミアンがどうなるか…。目の前の事で一杯一杯で考えていなかった自分の愚かさに腹が立つ。ジュリアンヌは、力の入らない痺れた右手で力強く床を叩く。頬を伝う涙。


ドンッ!

「私は最低…!最低な母親…!お願い神様…お願い!!どうかあの子だけは…あの子だけは守って!お願い神様…!」


























同時刻――――

「そんなっ…そんな…」
ウィリアムの部屋の前にやって来ていたダミアンは、一部始終を見て聞いてしまっていたのだ。
だから今、メリーを抱き抱えて必死に逃げてきたこの場所は、1階の応接間前にある白い柱の陰。暗い深夜だというのに城内が騒がしいのは、紛れもなくヘンリーが側近達を率いて自分を探しているからだろう。
柱の陰でガタガタ震え、体育座りをしているダミアンの瞳から溢れる涙をメリーが掬っている。そんなメリーをきつく抱き締めた。
「どうして…どうしてお父様はキャメロン様はお兄様は…ジュリアンヌ…!」
「にゃあ」
「大丈夫…大丈夫だよメリー。僕が守るから。メリーの事を守るから大丈、」
「ダミアン様?」
「!」
頭上から降ってきた女性の声に、挙動不審なダミアンはビクッ!と身体を大きく震わせる。



















恐る恐る顔を上げれば、頭上から自分を覗き込んでいたのは、厨房で働くふくよかな中年女性。
彼女はいつもダミアンの我が儘を聞いて好みのデザートを作ってくれる信頼できる女性。だから安心した。
ダミアンは立ち上がり、女性の太い脚にしがみ付き女性を見上げて必死に請う。
「あのね!お父様がジュリアンヌを…」
言葉が詰まった。にっこりと不自然な程笑む彼女の背後には、ヘンリーの側近である中年男性の姿。
「ダミアン様おとなしく…、」
女性も既にヘンリーから情報を受けていたのだ。彼女がダミアンを捕まえようと腕を伸ばしてきたが、背の低いダミアンは彼女の脇を擦り抜け側近の脇も擦り抜けていくと、メリーを抱き抱えたまま重たい扉を開けて城の外へと飛び出して行った。
「魔女の子供が城の外へ逃げた。追え」
側近は無線でSP達に連絡を取る。奇妙な追い掛けっこが幕を開けた。































城外―――――


ザァーッ…、

先程の黒く重たい雲は雨雲だったようだ。城の外はどしゃ降り。そんな中、雨に打たれながら城裏の片隅で体育座りをしてガタガタ身体を震わせるダミアン。引っきりなしに流れるのは涙なのか雨の雫なのか。
彼の脳裏に蘇るのは、幸せだったヘンリーやジュリアンヌ達との生活。何気ない日常がこんなにも大切だったなんて。
現実を忘れさせるかのように脳内で蘇るのは、両親が自分を呼ぶ優しい声。余計、虚しくなる。
「こっちではない。とすると、残るは城裏か?」
「!」
雨音に紛れて聞こえてきたSP達の怒鳴り声に我に返るとすぐ様立ち上がるが、辺りを見回してもこれ以上の逃げ場は無い。そんなダミアンの不安を余所に近寄ってくる数人の足音。雨は激しさを増す。


カツン、コツン、
カツン、コツン、

「っはあ…はあ…」
息を殺し、柱に身を隠す。SPや側近がすぐ其処に見える。
最後の手段だ。彼らの隙をつき、子供特有の小柄ですばしっこさを生かし、彼らの脇を駆け抜けて逃げてしまおう…という何とも幼い考え。
ドクドクと速くなる鼓動。心臓が今にも飛び出してしまいそうだ。





















「城の裏手へ回れ」
「そう遠くへは逃げられないはずだ」
その時、SP達が話し合っている隙を見つけたダミアンの顔に笑みが浮かぶ。飛び出そうとしたのだが…


ガシッ!

「痛っ!」
「見つけましたよ、ダミアン様?」
右腕を背後から力強く掴まれた直後、降り注いできた男性の低い声。ガタガタ身体を震わせながらゆっくりゆっくり後ろを向いて見上げれば、雨に濡れた大柄なSP達が自分を見下ろしていた。彼らが映る揺れるダミアンの青い瞳から溢れ出す涙。


ドンッ!!

遠くで雷が光り、爆音をたてて鳴った。

























国王の部屋――――

「さすがは我が側近、我がSP。では始めようではないか。魔女の子供への制裁の儀式を…」
「嫌だ嫌だ嫌だ!お父様…お父様、何でこんな事をするの…お父様!!」
――見下ろしてくるんだ。お父様や怖いオトナ達が楽しそうに笑いながら僕を見下ろしてくるんだ。器具で取り押さえられた身動きのとれない僕の腕や脚や首に向けられる、幾つもの注射針が光るんだ。ギラリと…――
「うわああああああ!」











































翌日―――――

「あれ?ジュリアンヌちゃんの姿が最近見えないようだね」
「エドモンド大佐。ジュリアンヌ様は最近体調を崩してしまわれたようで、前線への復帰は絶望的と国王様からお聞きしております」
「そんな…。大丈夫かな。お見舞いに行けたら良いんだけど…」
「国王様からの伝達によりますと、ジュリアンヌ様との面会は城の人間のみ、と限られているとの事でございます」
「そんなに病状が悪いんだね…大丈夫かな、ジュリアンヌちゃん…」








































1ヶ月後―――――

雲一つ無い晴天のカイドマルド。
城内の廊下を歩き、擦れ違う貴族の若い女性達から黄色の声を受け、律儀に頭を下げながら歩き、一室の扉の前に立つウィリアム。躊躇いながらも意を決し、ノックをする。


コン、コン、

返事は無いけれど静かに扉を開けば、室内に響くバイオリンの音色。
此処からでは後ろ姿しか見えないが、ブラウンのセーターを着て黒の短パンに白のソックスを履いた小柄な少年が、足元に居る子猫と一緒にバイオリンを奏でている。
「ダ、ダミアン…!」
バイオリンを奏でている少年の名を遠慮がちに呼べばピタリ…と止まる音色。静まった室内の雰囲気には、身震いさえしてしまう。
ゆっくりこちらを振り向くダミアンの青の瞳には、光が消えている。不老不死とは名ばかりの薬を投薬後、徐々に瞳の色が濁ってきたとは思っていたウィリアムだが、昨日より増していた弟の異常に、呆然と立ち尽くすだけだ。



















「何」
「あ…その…そうだ!バイオリン!また一層上手くなったんじゃないか?やっぱりダミアンは芸術向きなのかもしれな、」


パシン!

小さな音をたてて振り払われた。触れようとした右手を。
ウィリアムを睨み付けてくる人間とは思えない光の無い濁った色の青の瞳をずっとは見ていられず、反らしてしまう。
するとダミアンは、何事も無かったかのようにまたバイオリンの演奏を再開。
ここで退室したい。この重苦しい雰囲気から今すぐ逃げ出したい…そんな事ばかりが渦巻くウィリアムの心中だが、彼ダミアンをこんな事にさせたのは少なからず…いや自分が元凶だ。そう思い、唇を噛み締める。





















あの事件以降、城隣に位置する犯罪者が集う牢獄にジュリアンヌが移されてからというもの、ダミアンの生活・扱いの転落様には目を瞑りたくなる毎日だ。
朝昼晩ヘンリーの側近に一室へ連れられて行けば、その一室から度々聞こえる叫びにも似たダミアンの悲鳴を聞く度、ウィリアムは両手で耳を塞ぐ。だが、手と耳の隙間から聞こえてくるから罪悪感に支配される。その叫びを聞いた夜は毎夜洗面所へ駆け込み嘔吐する程、罪悪感から逃れられなくなってしまっていた。
あれ以降、明るく能弁だったダミアンは無口で物静かになり、自室に籠もってばかりで、食事もパンとスープしか食べないからか薬のせいなのか、日に日に痩せ細っているのは見て分かる程。





















だから何とか少しでも彼を元気付けたくて、そんな純粋な一心で度々彼の自室へやって来るのだが、ダミアンは彼をまるで無視な毎日。
「すごいなダミアンは。レイチェル先生にもたくさん褒められただろう?」
「チューターはあの日以降辞めさせられたよ。お父様によって」
「あ…」
忘れていた。そうだったのだ。あの日以降、ダミアンのピアノやバイオリンに絵画に政治学など、教養を任せられていた家庭教師達皆廃業させられたのだった。ヘンリーの手によって。
完璧に独りぼっちになった彼を前に、今自分は兄としてどう接するのが彼にとって一番良いものなのか分からない。
「そ、そうだダミアン!今度俺が政治学を教えてあげようか。ダミアンは頭が良いからすぐに覚えられ、」
「飄々と接しないでよ!お兄様だって共犯者のくせに!」
ダミアンの裏返った怒鳴り声に、また唖然。


ガシャン!

バイオリンを床に放り投げると、力が無いなりにウィリアムをぐいぐい押して出ていかせる。
流されるがままに部屋を追い出されたウィリアムはハッ!と我に返ると、ダミアンを呼ぶ。悲痛な声で。
「ダミアン待ってくれ!」
「笑ってるんでしょ、ざまあ見ろって本当は笑ってるくせに!」
「違う!俺は…!」


バタン!!

力強く閉められた扉を前に呆然と立ち尽くす。静かな廊下でウィリアムは、自分の右拳を痛い程力強く握り締めた。























自室にてダミアンは、放り投げたバイオリンを拾おうと右手を伸ばすが、その右手の痙攣が止まらない。
「…!」
怖くなってすぐ様左手で右手を押さえるが、ビクビクと見て分かる程大きく痙攣し出す右手。恐怖に目を見開く。


ピタッ…、

ようやくおさまった痙攣。
洗面所の鏡を前に笑ってみようとするが、笑えない。怒ってみようとするが、怒れない。一思いに泣いてみようとするが、泣けない。


ガンッ!

力強く鏡を叩いた右手の痙攣が、また始まる。
「にゃあ」
足元から聞こえたメリーの鳴き声は慰めのようにも聞こえる。彼女をすぐ抱き上げれば、力強く抱き締める。
「メリー、メリーどうしょう。僕、笑いたいのに笑えないんだ。怒りたいのに怒れないんだ。泣きたいのに泣けないんだ。表情が言う事をきいてくれないんだよ、何でかな…」
薄々気付いてはいた。心は笑っているのに、心は怒っているのに、心は泣いているのに、顔がそれを表情として表してくれない事に。ずっと遠ざけていた鏡の前に立って今、確信した。自分にはもう表情が無いのだと。



ドンドン!

早く開けろ、と扉をノックする音が急かす。行きたくないのに行かなきゃ殺されるから、意に反してダミアンの脚は部屋から出て行った。部屋の外には、大柄なヘンリーの側近が立っていた。投薬の時間だ。
「国王様がお待ちだ」


ぐいっ、

骨と皮だけの腕を力強く引き摺られたのに、もうこれくらいの痛みは"痛い"に入らないダミアンはただただ無表情のまま、側近に連れられて行った。

































2ヶ月後――――

「最近ダミアン様もお見かけしないのですが」
「はは、エドモンド将軍貴方は本当にジュリアンヌ様達を信頼されているようですね。実はダミアン様は持病をお持ちだったようで、最近はお部屋に籠もらざるをえない状態のご様子ですよ」
「そんな…」
ヘンリーの側近は心中で腹を抱えて笑いながら、しょんぼり俯くエドモンドに嘘を吐いた。































晩――――――

「ダミアンどうしたんだその跡!父さんか?父さんがまた薬を使ったのか!?」
その晩。本日最後の投薬後、自室へ帰ろうとフラフラ覚束ない足取りのダミアンを見つけたウィリアムは駆け出す。
今にも倒れそうなダミアンを支えるように両肩を掴み、背丈に合わせて屈んで顔を見上げる。見上げてドクン…!と心臓が鳴った。廊下の窓越しに射し込む月明かりに照らされたダミアンの顔には、表情が無かったのだ。
まるで人形のような彼を前に、恐怖でゴクリ…、と唾を飲み込むが、ウィリアムはもう逃げない。
首や腕に残る痛々しい赤紫色の跡は注射器で投薬された痕なのだろう。罪悪感がまた…そして、あの日の場面がウィリアムの脳裏で今も鮮明に蘇るから、唇を噛み締める。
「ダミアン。今すぐ手当てしてやるからな。俺がお前を助け、」
「これ以上僕に関わるな!偽善者は黙れ!」
「ダミアン…」


バシッ!

手を振りほどかれれば、月が美しい静かな夜の廊下に響いたダミアンの声は裏返っていた。





















ウィリアムは眉毛を下げ、ダミアンの腕に目立つ注射針の跡に触れようと手を伸ばすが…
「次期国王となるウィリアムに何て口の利き方をしますの?」
背後から聞こえてきた女性の嫌みたらしい声に我に返ったウィリアムが後ろを振り返るより先に、女性キャメロンは右手の平でダミアンの左頬を強く打つ。


パァン!

反動で右へ顔が振られたダミアンに駆け寄るウィリアムだが、それもまたダミアンに振り払われると、ダミアンは2人に背を向けて自室へと1人、駆けて行った。廊下の暗闇に溶け込んだかのように去って行ったダミアン。
「ウィリアム行きますよ。家庭教師の方が御見えですわ。貴方は将来この国を任うのです。今からしっかり政治学を学ばないといけませんのよ」
左肩に乗った母の手を振り払いたいのに振り払えなくて、だからと言って弟を追えずにいる自分に酷く自己嫌悪したウィリアムを、月明かりが寂しく照らした。













































それから月日は経ち、5年後の2月が終わろうとしている―――

外から聞こえる爆発音は戦争のモノ。
「ははは。あいつ、日に日に痩せ細っていくだけかと思えば、まるで人形のように表情すら無くした。まったく気味の悪いガキだ!」
不老不死の薬の効果経過観察など忘れ、薬をただダミアンを苦しめる為だけに使用し、尚且つ日に日に衰弱していく彼を見る事を娯楽と捉え始めたヘンリーは、椅子に踏ん反り返りながら嗤う。
数年前の父親ヘンリーの顔はもう其処には無い。今はまるで悪魔以上の顔付きだ。
そんな彼に寄り添うキャメロンの顔付きは例えるならば魔女…が相応しいだろうか。
彼女の髪を優しく手で梳くヘンリー。
「国王様。ウィリアムは国王様のお力になれるよう、日々政治学に励んでおりますわ」
「そうかそうか。なら心配要らんな。やはり最後は本妻であるキャメロンお前とその息子ウィリアムだけが頼りだ」
「そのようなお言葉、光栄でございますわ」
































深々と雪が降り積もる、皆が寝静まり返った深夜。真ん丸の月は笑っているようだ。


キィッ…、

扉の開く音がしてすぐ、城内の廊下を一つの小さな影が駆けて行った。






























城下町路地裏の
とある一軒家――――


パチパチ!

拍手喝采のとある路地裏の一軒家地下。
カイドマルド城から然程距離の無い此処は、皆が寝静まり返った深々にも関わらず、今まさに歓迎パーティーが開かれるところだ。小さな小さなお客様をお迎えする歓迎パーティーが。
「僕は来てくれると信じていたよ。だって君はお父様やお母様達なんかよりうんとココが良いから。そうだよねぇ、ダミアン坊っちゃま?」
ココ、と自分の頭を指差しながらケラケラ笑って喋る薬剤師をはじめとするマラ教徒達の視線の先に立っているのは、紺色の厚手のコートに身を包んだ身なりの良い1人の少年ダミアン王子。
彼に表情が無い事や、瞳に光が無い事は自分が渡した不老不死の薬の効果だという事にすぐ様気付いた薬剤師は内心、自分で自分を誉める。自分はこんなにも素晴らしい薬が作れたのだ、と。
「では只今から新教徒への洗礼を始めましょう…」
スッ…、と音も無く現れたのはまだ背丈も低くてあどけなさの残る第17代目教皇マラ17世。
彼は薬剤師が以前渡した赤の十字架をダミアンから受け取ると、彼の額にそれを触れさせ、静かに目を閉じる。
「ダミアン・ルーシー・カイドマルド。今日から貴方はその命尽きるまで我が宗教の為に尽くしなさい」
スッ…、と静かに離れた十字架。それをダミアンの小さい両手に持たせて終了。
マラは身の丈程の赤い十字架でコンクリートの冷たい床をトン、と突いて教徒達の方を向く。
「さあ皆さん。宴の始まりです」
教皇の一言により教徒達は騒ぎ出し、深夜の宴が始まった。
























暖炉を背に、寒さに身を震わすダミアン。
教徒達は、ダミアンにとっては質素過ぎる料理を前に"御馳走"と喜び唄い、酒に溺れている。司祭であるダリアに奨められた"御馳走"のフィッシュ・アンド・チップスも決してダミアンには御馳走ではないが、渋々食べる。
そんな時。酒に溺れ、顔は勿論耳まで真っ赤にした中年男性の教徒がダミアンの顎をぐい、と持ち上げ、顔をまじまじと見てくる。酒臭さにダミアンは顔を歪めたいが、生憎表情が表せない。
「こいつぁ売りモンになるぜ!ガキ好きなド変態共に闇市で売り捌けば、俺らにはガッポガッポ金が入るってもんよォ!」
「あたい服買いたーい!」
「ちょっとあんた達!酔ってるからって言って良い事と悪い事があるわよ!」
完璧出来上がった男女2人の頭をゴツン!と鈍い音で殴るダリア。そんなどんちゃん騒ぎな中マラはダミアンを呼ぶと、宴の席から外れ、小さな一室へ案内した。


























別室――――

暖炉に火を焚いたばかりだからか、ダミアンは暖炉の前でマラと一緒に体育座りしながらブルブル震えるから、マラは自分が羽織っている教皇の証である羽織り物を肩に掛けてやる。
「ありがとう…」
「先程の事は気になさらないで下さい」
「え?」
ダミアンは顔を上げてマラを見るが、彼は燃え始めた暖炉の炎にだけ目を向けている。
「貴方を闇市で売り捌くという話です。普段はそんな事を言う方じゃないのですあの方は。ただ、酒癖が悪いのです。困ったものです」
「平気だよ…」


しん…

沈黙が起きる。バチバチと暖炉の火力が増す静かな音と、隣室からの宴の声が少し遠くに聞こえる。
「君は何故、我が宗教の信者になる事を決意したのですか?」
「僕…薬剤師のおじさんに言われて気付いたんだ。やっぱりお父様もお母様もお兄様もお城の人皆悪い人なんだ、って。だって悪くない人を殺しちゃうんだよ?だからそんなお父様達なんて死んじゃえば良いんだ!僕達もマラ教も皆仲良くすれば良いだけなのに…」
言葉を詰まらせ、体育座りをしている膝に顔を伏したダミアンの背を擦ってやるマラは、窓越しから見える深々と積る雪を眺めて口を開く。
「君は正しいのですよ、ダミアン・ルーシー・カイドマルド。大丈夫です。私達マラ教徒は強肉弱食主義つまり、強い者の肉を弱い者が食べる…そんな世界を望んでいます」
マラは体育座りをしたままダミアンと向き合い、右手を差し出す。差し出されたそれに戸惑うダミアンを見てマラは笑った。久しぶりだった。表情が乏しい彼が笑顔を見せたのは。
「今日からお友達です」
「お友達?」
「ええ、勿論ですよ」
ダミアンは彼の右手を握り返す。
「良かった。僕の初めてのお友達だ!」
表情は無かったが、マラにははっきりと分かった。彼ダミアンは今心中では笑顔を浮かべてくれているのだ、と。























その後――――

「貴方の調合した薬でしょう?」
「ケケケ!それ以外他に何があるっていうんだい?」
ダミアンが城へ帰り、宴も幕を閉じ、教徒達はあちらこちら床やテーブルに伏せて豪快な鼾をかきながら眠った深夜2時。
マラは、先程ダミアンと話していた部屋に薬剤師を呼び、彼から聞き出していた。誰がどう見てもダミアンの瞳の色や無表情な様子は異常だから、ヘンリーのお抱え薬剤師だった彼に尋ねてみればまさにその通り。
「だってさ、あの馬っ鹿な王様が不老不死の薬が欲しいとか言い出すから、副作用の出るような薬をテキトーに調合したわけだよ!ケケケ!」
「…あまり悪戯ばかりしてはいけませんよ。これ以上マラ教の悪いイメージが増えては大変ですから」
「分かってますよケケケ!」
「信じ難いですね…」



































カイドマルド城内、
ダミアンの部屋――――

ベッドのシーツに爪をたてる。ひき千切れんとばかりに。


ギュッ…!

深夜。目を瞑りながら小さな声で呟く。
「このままあの愚民達の言いなりになっていたら僕の末路は死しか見えないんだ。だからもう、今日から僕は僕を捨てるんだ…」
































3月20日――――

あれから何度か深夜に城を抜け出し、マラ教徒達が集う民家へ通っていたダミアンは今、分厚い本とマラ教徒に関する資料に目を通している。その鋭い目付きにはメリーも近寄れない程。
「22日正午から晩餐までヘンリーは自室にてフリー。同時刻キャメロンは貴族達との茶会を終え晩餐まで自室にてフリー。同時刻ウィリアムは経済学受講後晩餐まで自室にてフリー。同時刻、軍隊は午後6時開始の訓練まで各自宿舎にて自主トレーニング時間。…完璧だ」
表情は無いが、そう呟いてから鼻で笑ったダミアン。


ドンドン!

力強いノック音はいつものアレを意味する。投薬の時間だ。しかしダミアンは怯える事なく音も無く椅子から立ち上がると、メリーを抱き上げ、きつく抱き締める。
「もうすぐ、もうすぐだから。もうすぐ楽になるから待っててね、メリー」
彼はそう呟くと、扉の向こうへと消えてしまった。

































3月21日、深夜―――

マラ教徒達が集う民家にやって来たダミアンの提案に、一同驚きを隠せず騒めき出すが、マラと薬剤師だけはすんなり受け入れてくれた。
「僕は坊っちゃまがルーシー家を裏切るやり方、大胆で好きだなぁ賛成!ケケケ!」
「私も賛同します。ではダミアン君の計画通り、私達は明日正午過ぎ活動開始します。最後にもう一度問いますよ。君は本当に明日、自分のご家族を裏切るのですね?」
マラは皇帝専用の身の丈程の真っ赤な十字架の先端をダミアンに向ける。
彼は深くはっきりと縦に頷いた。それは明日へ向けた一つの合図。





































3月22日、朝――――

城内の窓は曇り、その曇りを利用して小さな手で絵を描くメリーを後ろから抱き上げると、ダミアンはソファーに腰を掛けて時計を見上げる。
午前9時を回ったばかりだ。まだ。カイドマルド城内の穏やかで物静けさは嵐の前のようにも思える。


カチコチ…、


ドクン、ドクン、

自室の秒針が刻む音と時が進むに連れ速くなる鼓動の音とが、交差する。時折、今朝打たれた薬の痛みで首筋に電気が走ったような激痛に襲われ、同時に吐き気が彼を襲えば、メリーをソファーに置き、洗面所へ駆け出す。蛇口から勢い良く噴き出す水に顔と髪まで濡らし、呼吸を整える。
「っはぁ…はぁ…」
ゆっくり顔を上げれば、鏡に映るダミアンの感情の無い瞳には薄ら狂気が渦巻いている。表情は無いから余計、不気味。
濡れた髪から滴る水。
「にゃあ…」
足元からはメリーの心配する鳴き声。すぐに抱き上げ、速くなり続ける鼓動を聞きながら、時が過ぎていくのを静かに待つのだった。






























同時刻―――――

カイドマルド城脇に位置する石造りの何とも不潔で汚らしい牢屋の最奥にて。ベージュの汚らしいワンピースを着て両足につけられた鎖を固定されているジュリアンヌ。彼女は、窓も無く陽の光が一筋も射し込まない暗く湿臭い牢屋に6年も監禁されているのだ。
あの日からずっと浴びていない太陽の陽射し。薬のせいで彼女の青の瞳はダミアン同様光が無く濁った色をしているが、表情はある。しかしダミアンとは異なる症状で、左腕が近年全く機能しなくなってしまったのだ。
頻繁な痺れから2年。ジュリアンヌの左腕の筋肉は硬直化してしまったのだろう。
彼女は体育座りをしたまま虚ろな瞳。頬は痩せこけ、愛らしかったあの雰囲気は何処。彼女は目を瞑り、顔を伏せる。
「ごめんねダミアン…」
か細い声が、静まり返った牢屋内にポツリ…と響いた。



































午前11時21分―――

マラを始めとするマラ教徒達のほとんどは現在、カイドマルド城隣に建設されたカイドマルド軍本部裏から窓越しに中の様子を伺うが、ダミアンが申した通り本部は裳抜けの殻。軍人達は現在宿舎にて自主トレーニング中なのだ。
ダミアンから渡された本部の合鍵を使用して中へ入れば、間近で見る戦闘機の大きさに皆唖然。しかし、時は刻一刻と迫る故、彼らはもどかしい手付きながらも各自、歩兵型の機体に乗り込む。


ガタン!

鍵が掛かったままの機体のパソコン機能にパスワードを打ち込めば、起動し出す戦闘機。振動に驚きながらも、ダミアンから教わった通り実行していく教徒達だった。



























同時刻、
国王の部屋ー――――

ヘンリーはというと、自室にて1人で昼間から白ワインとローストビーフを堪能している。
ジュリアンヌがまだ居た頃は進んで取り組んでいた公務も、また振り出しに戻っている。側近に任せきりで、国民の税金で遊び惚けているのだ。
「私は今まで何故あのように面倒な公務をやっていたのか。それもこれもジュリアンヌの奴にやらされていただけなのだな。全く、あの女はどこまでも他人を操っては自分の良いように扱う魔女だ」
ふぅ…と一息吐けば、タンスの中から、例の不老不死とは名ばかりの薬が入った注射器を取出してニヤリと微笑む。
「もうすぐ正午か…あいつに薬を投薬する時間だな」
それはヘンリーの娯楽の時間でもある。

























その頃のキャメロン――――

予定より早く引き上げた貴族達との茶会。自室へ戻り、窓の外に見える静かで穏やかな晴天の日の今日の景色を眺めては時折、悪魔の笑みを見せる。
「ふふ…。神はやはりわたくしを見放さないでいて下さったのね」
































ダミアンの部屋―――


ゴーン、ゴーン

カイドマルド城一帯と城下町一帯に鳴り響くのは、城下町中心部にある時計台の時計が正午を知らせる鐘の音。
その音は勿論、ダミアンの耳にも届いていた。彼はその音を聞くと、伏せていた顔をゆっくりと上げる。光の無い青が、何か闘志とは似ているようで似付かないモノに燃えているようだった。
「にゃあ!」
彼の青のそれが恐ろしかったのか、メリーは彼から逃げ出してソファーの下に身を震わせて隠れてしまうが、ダミアンは気にもせずただユラリ…、と部屋を出て行こうとドアノブを右に回そう…としたのだが、それより先にノック音がして、ノブは左に回ると扉が開かれる。


ガチャッ、

「ハッピーバースデー、ダミアン」
「…!」
予想外だった。ダミアンが調査したスケジュールによれば、今現在は自室で昼食を採っているはず。ダミアンのそんな予想外の行動をとった人物が今目の前で、遠慮がちな笑みを浮かべて立っている。
「お兄様…」
ダミアンが口にしたように彼の予想を裏切ったのはウィリアム。彼はダミアンがこれから行う事など知りもしない。






















青のリボンでラッピングされた真新しく艶々したバイオリンをダミアンに差し出す。
ばつが悪い彼の登場に内心舌打ちしているダミアンだが、バイオリンとウィリアムを交互に見れば、ウィリアムはどこか申し訳なさそうな笑顔を向ける。
「今日はダミアンが11歳になる晴れの日だろ?お前に許してほしいからじゃなくて俺はただ純粋に、たった1人の弟の誕生日を祝いたいだけなんだ」
ではこのバイオリンは誕生日プレゼントという事だろうか?
今の今まで緊迫していたはずのダミアンも、一瞬だけ普通の11歳の少年と同じ感覚に戻り、表情は無いながらに心中では嬉しさを隠しきれず、差し出された真新しいバイオリンを受け取ろうと、手が勝手にそれに触れようとする。
「誕…生日…」
「そうだよ。ダミアン、お前の11回目の誕生日だ」


ドン!ドン!

「な、何だ!?軍の演習は6時からのはずだ!」
「…!」
間近に聞こえた戦闘機の砲撃音にハッ!と我に返ったダミアンは、バイオリンにあと少しで触れそうだった手をすぐ引っ込める。





















爆発音と同時に城内が大きく揺れた為ウィリアムがダミアンを支えてやるが、ダミアンは彼の腕からスルリと擦り抜けてしまうと、部屋の扉を突き破るように乱暴に開いて廊下を駆けて行ってしまった。
「ダミアン!ダミアン待て!何が起きたのかは分からないけど、今部屋の外へ出るのは危険だ!ダミ、ぐあっ!」


ドンッ!

爆発音と共に、再び大きく揺れた城。その衝撃で壁に力強く背を打ち付けたウィリアムは苦しむが、すぐ様立ち上がる。部屋を出て行こうとした時だった。
「にゃあ…」
「メリー?」
足元からメリーの鳴き声がして、足を止めて屈んで目線を合わせたら、メリーの瞳は泣いているようにも見えたし、尚且つ見て分かる程身体が震えている。ウィリアムは彼女の頭を優しく撫でると、青のリボンがついたバイオリンをメリーの前に置く。案の定首を傾げるメリー。
「ダミアンが戻ってきたら渡しておいてくれ。誕生日プレゼントだよ、って」
ウィリアムらしい優しい笑みを浮かべた直後彼は長い脚で廊下を駆けて行った。




























「軍本部から歩兵型戦闘機が無断出兵…!?」
城内を駆けている最中、窓の外から見えた光景に目を見開き、唖然としてしまうウィリアム。明らかに演習時間外であり、明らかにカイドマルド城へと砲撃しているカイドマルド軍の歩兵型戦闘機。
見当は付く。ウィリアムは右拳を力強く握り締め、歯をギリッ…!と鳴らした。
「マラ教徒共か…!」
軍にも一応在席してはいる上、歩兵型戦闘機にも搭乗経験有りのウィリアムは、この事態を恐らくマラ教徒達の反乱だと過程し、出撃する事を決意する。
「俺だって、ジュリアンヌさんみたいに城を、家族を守る事くらい!」


ガタン!

エレベータに乗り込み、1階へと向かったのだが、途中エレベータは2階に止まる。誰か城の人間が乗ってくるのかと開かれた扉の向こうを見てみれば、目の前に広がっていた光景は侍女や使用人をはじめ、軍人達が血塗れで廊下に倒れている光景ではないか。ウィリアムの顔の血の気が一瞬にして引く。
「大丈夫ですか!」
駆け寄るが、彼らからの応答は無い上、皆、目を見開いていて脈は無い。
「くっ…!」
目を瞑る。すると、遺体のあちこちに転がる銃弾を拾った途端、優しく温厚なウィリアムの黄緑色の瞳が怒りに満ちた。



















覚悟を決め、立ち上がると同時にまた爆発音。


ドォンッ!!

しかも今度のものは明らかに城内でだ。


ガシャン!ガシャン!

爆風により廊下の窓ガラスは割れ、破片があちこちに飛び散る。ウィリアムは顔の前に腕で防御してみせるが、焦げ臭さとバチバチという火の音がして腕の間から目を細めて前方を見てみれば、廊下の奥から真っ赤な炎が上がっているではないか。
「早く城の外へ逃げろ!」


ドドドド!
パァン!パァン!

「きゃあああ!!」
その向こうから聞こえてくるのは、軍人達が、城内の人間の安否を気遣う悲痛な叫び声とライフルの銃声そして悲鳴。廊下に次第に広がっていく炎。
「くっ…!」
早くエレベータで1階へ向かわなければ、逃げ道は無くなってしまう。しかしウィリアムの脳裏に浮かんだのは、自分の家族の顔。3階より上階に居る家族の為エレベータに乗り込むと、再び上へと昇っていった。
































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あきゅろす。
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