症候群-追放王子ト亡国王女- ページ:1 カチャ、 弾を補充する音が聞こえると、扉の後ろから現れたクリスは軍から持ち出したのだろう灰色の煙が吹き出す拳銃を片手にニヤリと微笑む。 「早まるからよ。本当はあんたらの処刑前にあんたの前で派手に殺してあんたをドン底に落としてやりたかったからわざわざこの爺さんを連れて来たんだけど。まああんたの前で殺せたから結果オーライってところかしら?あははは!」 今まさにハーバートンを射殺した悪魔の笑い声が響く。 「あら。でもあんた自ら追い出したのだったら別にどうでも良かったかしら?こんな爺さん」 こんな時でもダミアンに表情が表れないが心中では怒っている…はず。 ピクッ…、 その時自分の肩の辺りでピクリと動いたハーバートンの手に反応するダミアン。 「…!」 「坊っ…ちゃん…ジュリアンヌの分まで…生き…」 パァン! 無慈悲な銃声。ハーバートンは最期の言葉も満足に伝えさせてもらえず、息を引き取った。 ドサッ…、 床に崩れ落ちたハーバートンの身体。クリスは銃口から吹き出る灰色の煙にふっ、と息を吹き掛けると、血に塗れたハーバートンの背中を見つめる。 「残念だったわねぇハーバートンの口から直接聞けなくて。この爺さんはジュリアンヌの父親なのよ?」 「!」 息の詰まったような声にならない声を上げたダミアンの目が見開くと、クリスは口に手をあててクスリと笑う。 「泣いてもイイわよ。どうぞ?」 ケラケラ笑いながら冷かすクリスを睨み、鼻で笑うダミアン。 「はっ。家族殺しの私がたかが1人の為に泣けると思うか」 「あらそうだったわね。ごめんなさい」 けれどダミアンの左拳は微かに震えていた。 「家族…殺し?」 少しは正気に戻ったルーベラは泣き叫んだ枯れた声で呟きながら2人の方にゆっくり顔を向ける。開き切った瞳がゆらゆら揺れていた。その時。 パタパタ…、 階段を駆け降りてくる1人分の足音がするとクリスはそちらを向き、白い歯を覗かせた。 「ルーベラ!」 「え…」 聞き覚えのある中年男性の低い声にゆっくり顔を上げると、ルーベラの虚ろな瞳が見開き、体を前のめりにするから繋がれた部分の首や手が痛む。けれど今の彼女にはその痛みすら忘れてしまうくらい、やって来た目の前の人間に釘付けだ。 彼女の瞳に映る、黒い長髪を白いリボンで一つに束ねた鼻の高く垂れた目のそれなりに身なりの良い男性。 「ぱぱ!」 ついいつもの呼び方で呼んでしまっている事にも気付いていないらしい。少女らしい声で呼ぶ。 やって来た男性は、かつてのアン帝国クリストフェル皇帝…所謂ルーベラの父親だ。しかし今アン帝国はルネの植民地と化しているはず。一体どうして彼が此処に居るんだ、そんなダミアンの考えている事を察したのかクリスは扉に背を預け腕組みをしたまま、 「巧い事逃れたみたいね」 そう言ってきたが、ダミアンはクリスからわざと顔を反らす。 「本当可愛くないガキ」 という呟きがクリスから聞こえた。 「感動の再会だねぇケケケ!」 いつの間に居たのかクリスの後ろからひょっこり顔を出した薬剤師の姿を捉えたダミアンの瞳は、これでもかと言う程見開かれる。 「貴様は!」 「こうやって話すのは前の王様が生きていた時以来かなぁダミアン坊っちゃま?…ってあれれ?クリスさぁん。ハーバートン殺るの早過ぎますって」 ヘラヘラ笑いながらハーバートンを見ている薬剤師に対し、ダミアンの中で灯る怒りの炎。 「そんなに僕を睨み付けたって僕のせいじゃない事くらい百も承知でしょ坊っちゃま?ケケケ!坊っちゃまとジュリアンヌを僕の不老不死の薬の実験台として投薬したのは前の王様。そう!坊っちゃまのパパなんだか、」 「黙れ!」 「おー怖い怖い」 そう言いながらクリスの後ろに隠れる薬剤師。 「ゲホッ!ゴホッ!」 一方ダミアンは怒鳴ったせいかむせ返り、咳が止まらない。 「そろそろ限界なんじゃないのかなぁ。薬漬けのその小さい身体?」 「黙ま、れ…!」 「ケケケ!」 咳き込みながらも横目でルーベラとクリストフェルの方を見ると、クリストフェルの手の中にある小瓶の中の透明な液状の薬。それが視界に入った途端再び見開かれるダミアンの瞳。 そんな彼の心情を察したクリスはまた笑う。その薬は正真正銘、ダミアンの表情や身体をこんなにもした薬と同じ薬だから。 「ルーベラ皇女様。そのお薬は新入りの貴女のお兄様やお姉様も服用なさっていたわ」 「兄様と姉様もマラ教徒に…?」 「そうだよルーベラ」 クリストフェルの低い声が響く。 「ぱぱ…?」 「私も最初はマラ教など嫌悪していたさ。しかしアダムスやルーベラのせいでルネの植民地と化した我が国の国民は、ルネの戦争に備えた軍事品の製造を毎日させられていた。ろくな食事や睡眠時間も与えられず、毎日毎日ルネの人間に鞭打たれながら働かせられていた。そのせいでミランダは過労死してしまった…」 「ままが…?私がルネと敵対するカイドマルド軍に居た事がバレたせいでままが…?」 ルーベラの緑色の瞳は見開き全身がガタガタ震え出す。しかしクリストフェルは優しく微笑み、娘を抱き締める。 「大丈夫だよルーベラ。私と兄さんや姉さん達は此処まで運良く逃れられた。これも不老不死の薬を私達にお恵みくださったマラ教のお陰だと私は思っている」 「不老…不死」 「ルーベラ。お前が我が国に影響を及ぼし、そのせいでミランダを失った罪も死んでしまっては償う事ができない。けれど生きていれば…ずっとずっと生きていれば償えるだろう?」 目の前に差し出された小瓶の中の透明な液体に、ルーベラのやつれた顔が映る。首を傾げるルーベラをクリスと薬剤師は遠くから嗤う。クリストフェルが小瓶の蓋に手を触れる。 「不老不死の薬などあるはずが無いだろう低能!」 静寂を打ち破ったダミアンの怒鳴り声に、ルーベラとクリストフェルが顔を向けてくる。しかし自分を見つめる2人の瞳が死んでいて、一瞬驚くダミアンだが…。 「それは逆に寿命を縮めるだけだ!その薬で私もジュリ、んぐっ!」 「はいはーい。坊っちゃま具合悪いんだからそんなに大声出したら身体に毒だよ〜。ねぇ?」 薬剤師に手の平で口を塞がれてもモゴモゴ何かを伝えようとしているダミアンに、ルーベラの緑色の瞳は徐々に光を取り戻す。 「国王様…?」 しかしぐいっ、とクリストフェルに顔を向き直され、小瓶の口がルーベラの唇に触れる。瓶をゆっくり伝う液状の薬。 「余所見をしてはいけないよルーベラ。この薬を飲んで私達と共にミランダの分まで生き続けよう。アン帝国を再建させよう。それこそがミランダへの最高のプレゼントだ」 「ぱぱ…?」 その時ダミアンは、今は亡きハーバートンが先程外してくれた左手の拘束具を掴む。 「下を向いていろ皇女殿下!」 「え、」 その声と同時にダミアンは自分の左手を拘束していた拘束具を、薬の入った小瓶を持つクリストフェルの右手目掛けて投げつけた。 ガシャン! 「なっ…!?」 ダミアンに言われた通り下を向いたルーベラの頭上スレスレを通った拘束具はクリストフェルの右手に見事命中し、小瓶は割れ、辺りにガラスの破片が飛び散り、薬は床に染み渡っていく。 ゴツッ! 鈍い音と同時に床の上に崩れ落ちたダミアンの頬は、たった今薬剤師に殴られたせいで赤く滲み、口の端からは真っ赤な血が滴る。 薬剤師はダミアンの髪を鷲掴みし無理矢理顔を上げさせる。それでも感情の無い瞳で睨み続けてくるダミアンに対し、白い歯を見せて嗤った。 「ぐっ…!」 「坊っちゃま自分の今の状況を理解していないようだねぇ?ケケケ!その挑発的なところ、ジュリアンヌそっくりだ」 帽子の下から覗くつり上がった糸のように細い薬剤師の茶色の目が怪しく輝く。 「クリスさーん。今は夜中だから調度1週間経ちましたし何よりこいつのこの態度腹立つんで明朝にさっさと公開処刑を実行しちゃいましょうよ」 「そうね」 「そして7年前のルーシー家襲撃の件を全マラ教徒の前で泣いて土下座させれば…ククク!完璧なシナリオ!」 「ちょ、ちょっと待ってくれ!処刑って…それはこの王だけの話…そうですよね!?」 ルーベラを守るように前に立つクリストフェルの視線は泳いでいて酷く焦っている様子が一目で分かる。そんな彼に近寄り肩に手を乗せ、にっこり微笑みクリス。 「ルーベラ皇女様も同じ扱いよ?」 飛び切り優しい声と悪魔の笑みに、クリストフェルは崩れ落ちる。 ガクッ…、 クリスの履いている黒いブーツにしがみ付き必死に、 「やめてくれ!」 と泣き叫ぶクリストフェルだが、クリスは彼を見下して、ふん!と鼻を鳴らし、高いヒールで彼を蹴飛ばした。 ゲシッ! 「ぐあ"!」 その間にもダミアンの拘束具を外していく薬剤師。 目の前に崩れ落ちて、 「薬!薬…!!」 と壊れたレコードのように呟く気が狂った父親の姿。優しく自分の祖父のようだったハーバートンの死体。顔に傷を負い、ハーバートンの返り血を浴びやつれたダミアンの姿。…彼らを捉えたルーベラの瞳からは大粒の涙が溢れ出す。 「いやああああ!」 「チッ。煩い皇女ね。これだからガキは嫌なのよ」 部屋を出て行こうとしたクリスがまたこちらへ戻ってくると、ルーベラの元へ一歩一歩歩み寄る。 「いや、いや…こんな世界大嫌いよ!」 「そうねぇ。でも私は今この時この瞬間がとーっても楽しいわよ皇女様?」 「こんなのっ…誰か助けてよ!!」 「クスッ。助けてって言ってそうすぐ助けがやって来てくれれば世の中苦労しな、」 パァン!パァン! 「ギャアアア!」 「…何!?」 タイミング良くか、たまたまか。階段上から何発もの銃声がして、マラ教徒達の悲鳴も聞こえる。反応したクリスは階段の方を向くと、太股に備え付けておいた拳銃に手を触れ、険しい顔付きへ一変。 「なな、何事だ…」 慌てるクリストフェル。しかしダミアンだけはふぅ…、と息を吐く。助かる事が確信したかのように。 パァン!パァン! けたたましい銃声にクリスが部屋を飛び出そうとするが、薬剤師に止められる。 「クリスさんは此処で!僕が行ってきますから!」 「あんた…!」 薬剤師はぶかぶかのズボンのポケットの中から拳銃2丁取り出すと、階段を駆け上がって行った。 パァン!パァン! 「ギャアアア!」 「嫌だ嫌だ死にたくない、ギャアアア!!」 響く銃声。響くマラ教徒の悲鳴。クリスは眉間に皺を寄せると、バツが悪そうにヒールで床を力強く叩きつける。 ドンッ! 「くっ…!」 「残念だったなクリス少尉?」 ダミアンのわざとらしい"少尉"の呼び方に、クリスの怒りが沸点に達した様子。ダミアンの方をキッ!と睨み付けて向くと、躊躇いも無く銃口を彼に向けた。 「やめて!」 悲痛な悲鳴を上げるルーベラ。恐怖で何も言葉を発せないクリストフェル。銃口を向けられても冷静さを保つダミアン。 「7年前の恨みを今ここで晴らさせてもらうわ!!」 「いやああああ!」 クリスの指が引き金に触れる。が…、 パァン! 「っ…!」 ダミアンの足元に転がり落ちたクリスの拳銃。右手を押さえて蹲るクリス。 「やったー英雄は私だ!見た?見た?ルネ君見た?」 「別に僕はそんなちっぽけな栄光要りませんから」 「まったまたー!」 扉の元に立っているエドモンドとヴィヴィアンの2人の姿を捉えたルーベラの瞳からは、さっきとは意味の異なる涙が溢れた。 エドモンドとヴィヴィアンは銃を構えてはいるが銃口から灰色の煙が出ているのがエドモンドの持つ拳銃なので、ダミアンの危機を救ったのはエドモンドだ。どちらが先に救えるかで賭けでもしていたような余裕たっぷりの2人の会話。 「エドモンドあんたって奴はぁぁあ!」 たった今エドモンドに撃たれた右手から血を流しながらも立ち上がったクリスが、転がった自分の拳銃を取ろうとダミアンの足元に手を伸ばすが、両手の拘束具が外れたダミアンはその拳銃をヴィヴィアンに投げた。 パッ! それをキャッチするヴィヴィアン。 「チィッ…!」 バツが悪そうに歯軋りをするとクリスは走ってこの場から去って行く。 パァン!パァン! そんな彼女をこの場から発砲するヴィヴィアンだが、わざと外して撃っているように見える。 その間にエドモンドがルーベラの拘束具を全て外すと1週間振りに解放されたダミアンとルーベラ。 「何故クリスを殺さない」 「あ、バレました?」 「当たり前だ低能」 ヴィヴィアンと会話をしながらエドモンドにおぶられるダミアン。 「彼女にはもう少し生きてもらうと面白い事になりそうなので」 ニヤリと笑うヴィヴィアンが何を企んでいるのかは分からないが、決して良い事ではないのは確実だ。 「相変わらずルネの人間は趣味が悪い」 「国王様程ではございませんよ」 「死にたいようだな」 「はいはい喧嘩しな〜い!」 エドモンドがヴィヴィアンとダミアンの仲裁をした時。 「エドモンド将軍。ヴィヴィアン。無事でしたか」 息を切らし、返り血を浴びた少尉が階段を駆け下りてきた。 「ご覧の通りさ!」 エドモンドは相変わらずスマイルで応対。 「将軍。大変申し訳ございません。出くわしたマラ教徒は始末しましたが、逃がしてしまった教徒も居ります…」 素直に謝罪する少尉にエドモンドは笑顔で、 「ご苦労様!少尉の命があったからそれでヨシさ」 と一言掛けてやるが、それに水を差すのがダミアンで、 「だから甘いんだ」 の一言に、エドモンドも少尉も苦笑い。 「さてさて。ルネ君はお姫様をおぶっていってくれるかな」 「何故僕、」 「嫌!絶対嫌だわ!」 ヴィヴィアンの声を遮ったルーベラの心底嫌そうな声。ルーベラはヴィヴィアンの前を素通りすると、駆け付けてきた少尉に自分をおぶるよう命令する。 「歩けるなら1人で歩けば良いのに」 ヴィヴィアンの一言はルーベラにしっかり聞こえていたようでギロリ!と睨まれたが、端からヴィヴィアンはわざと聞こえるように言ったから彼女の反応が面白い。 「ならば貴様はそいつを運べ」 「何故僕が死体を運ばなければいけないんですか」 血塗れのハーバートンを担ぐヴィヴィアンがダミアンに問い掛けても、彼はヴィヴィアンの方は向かずただ、 「…いいから連れて来い」 そう呟くだけだった。 エドモンド達が部屋を出て行こうとした時。 「ま、待て!ルーベラをどうするつもりだ…!」 背後からした声に振り向く面々。しかしルーベラだけはガタガタ体を震わせて、父であるクリストフェルの方を向こうとしない。 「ルーベラは私の娘だ!私と一生に生き続け、」 「まだあの薬を信じるか。低能な父親を持ったものだな皇女殿下」 「なっ…!?この私を侮辱す、」 「ぱぱ…」 震えながら顔だけをクリストフェルに向けるルーベラ。 「ルーベラ…!ほらおいで!私や兄さんや姉さんと一緒に、」 「さよなら、ぱぱ…」 「ルーベ、」 彼が娘の名を呼び終えぬ間に、彼の娘はこの場を去って行った。 あれから基地周辺の森林で血塗れになり倒れているマラ教徒達の間を通り抜け、カイドマルド軍人各自が乗ってきた車に乗車し無事、城へ戻っていった。 同時刻―――― 運良く第2基地から無事逃れられたクリスや薬剤師、ダリアやコーテル、アダムス達。 第2基地から更に離れた所にある、以前マラ教会であった廃墟の第1基地に逃げ込んでいた。傷を負ったダリア達の手当てを施す第1基地の教徒達。 「あああああ!」 そんな中、響き渡った女性の叫び声はクリスのもの。 ドンッ!! 鈍い音。怒りで床に八つ当たりをしたクリスの右手に巻かれた包帯に血が滲む。 「大丈夫ですかクリスさぁん!」 ギロッ! 「…っ!」 慌てて駆け寄る薬剤師をも狂気に満ち溢れた目で睨み付けて近寄らせないクリスの水色の瞳は狂っていて、これでもかという程見開いている。 「何故…何故なの何故神はあのガキばかりを救うの!何故、何故なのよ!」 ――あの時だってそうだった。あの時だって…―― クリスの脳内で蘇る記憶の中では、王族や貴族達に隠れて前国王と親密な関係だった家政婦のクリスを、まだ無知で純粋な3歳のダミアンが貴族達に言い触らしている場面。 「あの家政婦さんはお父様といつも一緒なの。ねぇ何で?何でなの?お母様が居るのに何でなの?」 元から女遊びの激しいヘンリー国王だし上流階級の人間はそれが普通だったが、身分の低い家政婦と恋仲という事が貴族達に知られてはヘンリー国王のプライドが傷つくのだろう。ヘンリーは、 「クリスにはぶらかされたんだ!」 と自分は悲劇の主人公を装い、彼女を追放した。 ――あのガキさえ居なければ…いつか身分を貴族と偽って王妃となれたものを…!!―― ドン! 床を叩く鈍い音が何度も何度も響き渡った。 ジュリアンヌ城――― 手当てを受け、頬に大きな傷テープ、頭には包帯を巻いたダミアンが自室のベッドに腰掛けて壁に背を預けている。手当てを施した侍女達に大丈夫かと心配されても、 「ああ」 とだけ無愛想な返事を返した。 しん… 侍女達を追い出し、静まり返った午前4時20分。 脳裏で蘇るのは、ハーバートンが自分の目の前で血を吹き死んだ姿。そしてクリスのあの一言がリピートされる。 『この爺さんはジュリアンヌの父親なのよ?』 「ハーバートンが…」 その時。コトコト…と小さな足音が聞こえてゆっくり目を向けると、少し開いた寝室の扉からメリーが顔を覗かせる。 「にゃあ」 「なっ…、メリーお前!」 首飾りをチャリンと鳴らして勢い良くベッドの上に飛び乗ると、ダミアンの膝の上でゴロゴロ甘える。 ハーバートンを追い出した日から行方が分からなくなっていたから、城の外に居た事が一目瞭然だ。いつものふわふわした真っ白い毛は薄汚れているし、ざらついている。 頭を撫でながらふと…、メリーが居なくなったのは自分がハーバートンを追い出した直後だった事を思い返すとハッ…!としてから、甘えてくるメリーに目を向ける。 「お前は分かっていたのだな。ハーバートンがただの使用人ではなく誰だったのかを…」 だからあいつを追い出した私にあんな態度をとったのか…、そう呟くと、今度は明らかに人間の足音が聞こえてきた。 カツン、コツン…、 ダミアンの冷たい目線がゆっくり上へ移動する。寝室の扉に映る人影。 「誰だ。入室の許可を出した覚えは無い」 キィッ…、 ゆっくり開かれた扉から顔を覗かせたのは、頬に大きな傷テープを貼っていて淡いピンク色のネグリジェを着たルーベラ。俯いていて表情が伺えないが、何故こんなにも彼女が沈んでいるのかは予想がつく。 「どうし、なっ…!?」 ダミアンが声を掛けている途中で、ルーベラはダミアンが腰掛けているベッドに駆け寄り絨毯の上に座り込んで、ダミアンが着ているワイシャツにしがみ付く。鼻を啜り泣きながら。 「やめろ放せ。皺がつく」 振り払おうとするが、なかなかしぶとい。 男で年上の自分の方が力はあるはずだが、薬のせいで身体機能が同年代より遥に劣っているせいもあるだろう。14歳の少女1人すら振り払う事ができないダミアン。前は振り払えたのだが…。 「第一貴様は無礼極まりない。私を誰だと思っている」 怒鳴っても、 「泣き落としか?」 とからかってもただ 「わーん!」 と泣き続けるだけだから、さすがのダミアンも諦めて深い溜め息を吐き、腕にしがみ付かせたままボーッと天井を見上げていたら、ルーベラの方からポツリポツリと話し始めた。 「ぱぱは…ぱぱはアン帝国をあんな事にさせた要因の私に死んでほしくてあの薬を飲ませようとしたんだわ…」 「……」 「きっとそう…きっ、と…」 「違うだろう。どう見てもクリストフェル皇帝はあの薬を不老不死の薬だと信じ込んでいた。だから皇女殿下に死んでほしいなど、」 「だってあの薬は身体機能が低下したり国王様のようなお身体になってしまうのでしょう!?」 ――何も話を聞いていないなこの女―― 表情は表せられないが、カチン…ときたダミアンが睨んでも、ルーベラは動じずいつもの被害妄想に陥っていて周りが見えていない。せっかくあのダミアンがフォローしてやっているというのに。 「私のせいでままも死んじゃったわ。アン帝国の皆はこれからどんどん死んでいっちゃうんだわ私のせいで。私はただ母国の為にと思ってこの国へ来たのに…何で…良いと思ってやった事が尽く悪い方へ進んでしまうの…うぅ…」 「にゃあ?」 メリーが心配そうに、ルーベラのふわふわの髪に触れたりしても無反応。しかしだんだん彼女の泣き声は弱まり、しゃっくりが響く。カーテン越しから射し込む明かりがだんだん明るくなっていくまだ午前4時40分。 「ひっく…私はもう1人なんだわ…。ぱぱや兄様や姉様もあんなに嫌悪していたマラ教徒になってままは死んで…」 「いい加減泣き止め。煩わしい」 「国王様はもっと優しい言葉を掛けられないんですか!」 「…何だと」 やっと顔を上げたかと思えばこれだ。怒鳴ったルーベラの顔は涙でぐしゃぐしゃで目は兎のように赤い。怒っているからか鼻息も荒い彼女を前に、思わず鼻で笑ってしまう。 「はっ。女とは思えない顔だな」 「失礼にも程があります!ジュリアンヌさんにもそんな態度をとっていたんですか?恋人でしょう!」 その言葉にダミアンは目を見開き、キョトン…とするとまた鼻で笑う。心なしかメリーも笑っているようだからルーベラの怒りは更に増す。 「…はっ」 「何故笑、」 「ジュリアンヌの事はあの絵を見て知ったのか」 「…そうです」 「ジュリアンヌはそういう相手ではない」 「へ…?」 ポカン…としていて間抜け面なルーベラ。 「まあもうジュリアンヌは何処にも居ない…私が殺したからな」 「え、今何て?」 自分に言うように呟いたダミアンのその一言はルーベラの耳には届かなかったようで彼女がもう一度尋ねてみるが、無視された。 「とにかく!」 ルーベラはダミアンがかけている毛布を引っ張る。 「国王様はもっと女性に…いえ、もっと人間に優しくなるべきです。猫ばかりに優しい人なんて…」 しん… そこでまた沈黙が起きるとルーベラは再びぶわっと泣き出す。また思い出したのだろう父親達の事を。横目で彼女を見て呆れるダミアン。 「う…どうして?もう忘れたいのに…」 「1人になるのがそんなに嫌か。恐しいか」 「だって家族ですよ…嫌いなところもたくさんあるけど本当は家族皆の事が大好きだから…」 「皇女殿下は温室育ちだな。私は1人の方が気楽だが」 「私は違うんです!」 ぐっ、と毛布を自分の方に引き寄せるルーベラをダミアンが横目で睨むと、萎縮されたのかルーベラはビクッ!として一歩後ろへ下がろうとする。 「贅沢な皇女殿下だ。貴様にはこの城に居て良い許可を与えているというのにな」 「え…」 「あのまま汚らわしい地下牢に置いていっても良かったんだ本当は」 次々と浴びせられる毒舌な言葉にルーベラはポロポロ涙を流しながらも怒ったりと忙しい。ダミアンの毛布の上に上半身を乗せて身を乗り出す。 「なら置いていって下さって構いませんでした!!」 「どっちが本音なんだ…」 「だから、」 同時刻、 エドモンドとヴィヴィアン――― 「いやぁやっぱり私の銃の腕前は超一流だねぇ」 「そうですね」 「ルネにも私以上の腕前の人間は居ないだろう?」 「そうですね」 「…その言い方怪しいなぁ。私より凄腕の人間が居るのかい?」 「そうですね」 「…ルネ君、君って子は…」 国王が無事戻ってきて静寂を取り戻した早朝の城内廊下を、早くも正装したエドモンドとヴィヴィアンが歩く。 「朝早いけどさっき戻ってきたばかりだし国王様起きているよね?」 「エドモンド将軍が後で書類を渡しに来るのが面倒なだけでしょう」 「そんな事あるはずないだろう!全くルネ君は!」 バシバシ背中を叩かれ、苦笑いを浮かべながら目元がピクピク痙攣してイラ立っているヴィヴィアン。 「それにしてもメリーちゃんも発見できて良かったよ〜。けどマダムが裏切っていたのはショックだったなぁ」 「それにしてもハーバートンは何故国王様の幼い頃の写真まで持っていたのでしょうね。彼は国王様が王位に就かれた時城へ来たとお聞きしましたが」 「あー確かに」 自分が持ち出した話題以外はまるで興味無しな彼の態度にヴィヴィアンはまたイラッ…とするが、ここで調度国王の部屋の前に辿り着く。 コンコン、 しかしノックをしても返事が無いし鍵が掛かっていなかったから、 「失礼しまーす」 と言いながら入って行こうとするエドモンド。その時足元からひょっこりとメリーが現れると部屋を出て行ってしまった。 エドモンドとヴィヴィアンは顔を見合わせ、同じ方向に首を傾げる。 ガチャッ、 エドモンドだけ入ると言ったからヴィヴィアンは部屋の外で待っていると言うと、 「どうして一緒に来ないんだい?」 と言われたが返す気にもなれなかった。 ――またあんな事に付き合わされるのはご免だから仕方なく僕が見張っていてやるって言っているんだろ!第一あんな事が起きたんだから警備を増強しろよ低能共!― 内心イライラだが表面では引きつった笑みを浮かべて、部屋の外で待つ事にした。 一方のエドモンドは室内へ入る。中は静かでデスクにいつもの彼の姿は無いから辺りを見回すと、寝室の扉がほんの少し開いている。その隙間から朝の優しい陽射しが射し込んでいる。扉に手を触れ、寝ているかもしれないからこっそり覗くように訪ねる。 「失礼しま、」 しかしエドモンドはそこから少しだけ見えた寝室内の雰囲気に自分は場違いだと気付くと、すぐ様回れ右をして部屋から出た。 バタン、 出てきたエドモンドが国王に渡す書類を入って行く時と同じ量を抱えたまますぐ戻って来たのでヴィヴィアンは、 「は?」 とでも言うような表情で彼を見上げる。 「…将軍貴方は何しに行ったんですか。何故渡していないんですか」 「いやぁもうねぇ!」 「は?痛っ…!」 頬を赤らめてバシバシと力強くヴィヴィアンの背中を叩くエドモンドに、ヴィヴィアンは赤い目をつり上げて睨み付ける。 「意味が分かりません。早く書類を国王様にお渡し、」 「ラブラブなところを邪魔できませんよルネ君!」 「ラブ…、はぁ!?」 「最近の若者はねぇ」 「何の為に捕まったんだか。体張って助けに行った僕達の身にもなれよ!…って感じですよね」 「ルネ君は本当短気だねぇ。ほらほら早く戻ろうよ独り身同士さぁ」 「ちょ…、僕には彼女が居ます!」 バシバシ背中を叩くエドモンドの笑い声とヴィヴィアンのイラ立った声がだんだん遠ざかっていった。 優しい朝の陽射しを浴びた国王と皇女は触れるだけのキスをする。今のこの平穏な時間がもう一生訪れないと心の何処かで確信しながら。 ルネ王国――――― 朝の優しい陽射しの元人々の声が聞こえる。ルネ軍本部では、次戦に備えた新しい戦闘機が今日御披露目という事で嬉しさを隠せない軍人達。 そんな中、低い塀の向こうに見える朝陽にキラキラ輝く海を見つめている軍人ヴィルードンの眉間には皺が寄っていて険しい顔付きだ。 「次のカイドマルド戦でジュリアンヌさん。俺が…俺が必ず…」 ――貴女を殺したダミアンの事を―― 「この手で…」 ギュッ…!と握り締めた右手の黒い手袋がキシキシと音をたてる。 「何なにそんな恐い顔しちゃってー」 「マリソンさん…」 背後から肩を組んできたマリソンのいつもの明るい笑顔に癒される。 「いえ、別に何でもないっす」 「…そう。次はカイドマルドとの対戦だから私も気になったのよね」 「マリソンさん…」 「だってカイドマルドはヴィル君貴方の…って朝からそんな辛気臭い顔しないの!ほら今日も訓練頑張るわよ!」 バシバシ背中を叩かれるヴィルードンだが、マリソンが自分を励ましてくれている事くらい知っている。自分の過去も知らないのに心配してくれる優しいこの女性が、大国の大将とは思えないくらいだ。 その時マリソンが何かを思い出したかのように 「あっ」 と呟く。 「いやあのね。最近設立した外国人部隊で、」 「そんな部隊を作らなくても俺ら正ルネ軍だけで何処の国も対応できるっすよ!」 「いやそれはそうなんだけどね。その部隊でヴィル君の写真を見て、会いたい、って言ってた女性が居て…」 「女性…っすか」 「ええそうよ」 ザッ…、 その時ヴィルードンとマリソンの背後に人の気配を感じた。先にマリソンが振り向くと、 「ああ。この人よ」 と言うから俺の知り合いなんだろうかと思いヴィルードンが後ろを振り向くと… 「なっ…!?」 ヴィルードンの黄緑色の瞳がこれでもかという程見開かれる。そう目の前に居たのは… 「この人よ。外国人部隊の…」 「ジュリアンヌ・メイ・リーサです」 年こそとってはいるものの容姿は相変わらず可愛らしさの残る女性。金色の美しい長い髪を後ろで一つにまとめている。 ――しかし何故だ何故、彼女が…―― ヴィルードンが硬直して何も言えないのでマリソンが声を掛けるが、それどころではない。ジュリアンヌの青の瞳は感情が無いが、表情には少しだけ感情がある。 ルネ軍の黒と赤基調の軍服を着用して今自分の目の前に居る、死んだはずのジュリアンヌ。 ――何故だ何故だ。貴女は7年前のルーシー家襲撃でダミアンに殺されたはずだ。しかし名前が違うから別人なのか?彼女の名前は…― 「ヴィル君?ちょっと…」 そんな時ジュリアンヌが乏しい表情ながらに懸命に微笑んでヴィルードンに手を差し出す。 「ウィリアム・ルーシー・カイドマルド君…ウィリアム君久しぶりだね!」 ――何故俺のその名を…!―― 「え、ちょ…何を言っているのよジュリアンヌ准尉?この子はヴィルードンって名前で、」 ヴィルードンの事をウィリアムと呼ぶジュリアンヌや硬直したままのヴィルードンを交互に忙しなく見るマリソンを余所に、ジュリアンヌは自分からヴィルードン…ではなくウィリアムの手を握った。 ――貴女が本当にジュリアンヌさんなら王室の名前を名乗るはずだ…!―― 「私の本当の名はジュリアンヌ・ルーシー・カイドマルド。忘れたなんて言わせないんだからね。これからまた一緒に頑張ろうウィリアム君!」 握られた彼女ジュリアンヌの手からはしっかりと人間の体温を感じた。 晴れていた空にいつの間にか雨雲がかかっていた事に、気付かなかった。 [戻る] |