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症候群-追放王子ト亡国王女-
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アン帝国―――――

1枚の写真。これは各地の戦場で死を覚悟した戦場カメラマンが残してくれたモノ。
クリストフェル皇帝のその垂れた瞳には、たくさんの怒りと焦りが込められていた。何処かの国の戦場カメラマンが残した1枚のこの写真それは、昨年末に起きた日本VSカイドマルドの戦争での様子。金髪のふわふわした長い髪をなびかせ、深い緑色の軍服に身を包んだまだ14歳の少女ルーベラが映っていた。しかも、はっきりと。
長身で細身、眼鏡をかけたクリストフェルの側近の男性は彼とは正反対の態度だ。この写真を前にしても何一つ焦っていない。皇帝の大きな背を、その光る眼鏡のレンズの下から見つめている。
「皇帝陛下。何をそんなに焦っておられるのですか。ルーベラ様は外には一切姿を見せた事のない御方です。万が一この写真がルネ国王の元へ渡ったとしても、ルーベラ様がカイドマルドと手を組んだ事が知られてしまう事など…」
「以前ルヴィシアンが我が城へ訪れた時、会っているのだよルーベラは。彼とその側近の1人と…」
アン帝国の空を、真っ黒くて重たい雲が覆った。






























それから数週間後―――

煌びやかな服を着用し、赤色の真新しいマントをなびかせ大きな態度でこの地アン帝国へと訪れたルヴィシアン。彼の顔には、絶えず笑みが浮かんでいる。
アマドールをはじめとする軍人3人を連れて来た彼を前に、クリストフェル皇帝は作った笑顔を向ける。その後ろには皇帝の側近達。
ガラスで作られた長細いテーブルを挟んで向き合うルヴィシアンと皇帝。皇帝は先程から唾を飲み込んでばかり。生きた心地がしないのだ。
「ようこそ、ルネ王国ルヴィシアン国王陛下。御忙しい中、遠い我が国まで足を運んでいただけた事大変光栄に思います」
敬語。全て敬語で通す。彼が大国の王だからではない。この国アン帝国は表上ルネとの同盟を組んでおり貿易も盛んで友好関係にあるが、実際はルネの良いように扱われているだけの駒。





















一国の王までも怯えさせてしまうルヴィシアン。彼は今、ソファーに背を預けながら普段よりも大きな態度を見せている。


ドクンドクンドクン

皇帝の鼓動は、ルヴィシアンが微笑する度に大きな音をたてる。
「いやぁ、私は今日のこの日が非常に待ち遠しかったよクリストフェル皇帝陛下。皇帝陛下に直接御会いするのは、私がまだ王子だった頃以来かな」
「……」
「皇帝陛下?」
「…ハッ!」
ルヴィシアンの声が、やっと皇帝の耳に届いた。
ルーベラの件が知られてしまわないかこの件ばかりが気掛かりで、表面上笑顔を浮かべていた皇帝も心は何処か別の場所へ置いていってしまっていた。
自分を呼んだルヴィシアンの高めな声で我に返った彼は目を大きく開き、咄嗟に顔を上げる。やっと光が戻った彼の瞳に映るルヴィシアンは気味の悪いくらい、まだ微笑んでいる。
「し、失礼致しました」
「いやいや。構わないさ」
話を聞いていなかった事をルヴィシアンに軽く謝罪してから「最近どうも疲れているのだ」と笑って誤魔化してみせたのだが、その後に起こってしまったのは沈黙。冷たい沈黙。皇帝の鼓動の音が外まで洩れてしまいそうだ。




















ルヴィシアンを見れなくなってしまい、思わず視線を下へ移した時。テーブルの上に1枚の写真が置かれた。


ドクン…!

鼓動は一瞬、大きな音をたてた。
その写真に添えられている手は、皇帝の側近のものではない。肉厚で、今まで戦ってきた跡がくっきり残った大きな手。
ゆっくり顔を上げていく皇帝の瞳に映った人物は、ルヴィシアンの側近アマドールの姿だった。
ここでも皇帝は薄らと笑みを浮かべる。けれども作り笑いを浮かべる事すら苦痛になっていた。
「これは?」
震える声と、引きつった笑顔。そんな皇帝を前に、アマドールはいつものその円らな瞳をつり上げて力強い眼差しを向けた。


パサッ、

手に添えられた写真をゆっくり裏返す。それに映っていたのは、ほんの数週間前、皇帝が怯えながら手にしていた写真と全く同じものであった。
深い緑色のカイドマルドの軍服に身を包んだルーベラの姿。
「…!!」
皇帝の目が大きく開かれたと同時に、彼が腰掛けているソファーの後ろで横一列に並んでいる3人の側近も目を見開く。息の根を止められた瞬間だった。























向かいから、ソファーから立ち上がる音がした。続いてくるのは、人間1人がこちらへゆっくり、楽しむように近付いてくる足音。


カツン…、コツン…、

一方、テーブルの上に乗った写真に顔を近付けたまま首を下げている皇帝。テーブルに1人分の影が映ると同時に、その足音は止んだ。その影が口が裂けてしまいそうな程笑っているように見えた。皇帝だけに。
ガタガタと震え出す自分の体の異変にも気付かない皇帝。彼には、自分の大き過ぎる鼓動だけが聞こえている。
「この写真には、皇帝陛下の娘でありアン帝国第四皇女のルーベラ皇女がこんなにも綺麗にはっきりと映っているよ。アン帝国の人間らしく、真っ白く雪のように美しい肌で彼女は本当に美しい」
誉めているのか何なのか…。
そう言ったルヴィシアンの顔にはやはり先程からの奇妙な笑みが絶えない。
返事もできず、顔を下に向けたまま震えて縮こまる皇帝を見下ろすルヴィシアンは、彼を鼻で笑う。
「皇帝陛下?こちらの大男は、私の側近中の側近。名はアマドール・ドリー。彼は実に優秀で私の忠実な部下だ。その彼がこの写真を入手し、同時にこの驚くべき事実を私に報告してくれた。どうだい。とても素晴らしく有能な側近だろう?」
ルヴィシアンの隣に立っているアマドールが、例の写真を手に取り懐へとしまう。
外からの物音一つ聞こえてこないこの部屋を見渡すルヴィシアン。大きなシャンデリアや高級家具、ワイン色のカーテン。どれを見ても美しい。しかしルヴィシアンの自室と比べたら、相手にもならない。
「はんっ、」
それを彼は鼻で笑う。
未だに顔を上げず返事もしてこない其処に居る皇帝を再度見下ろした時のルヴィシアンの顔にはもう、笑みなど無かった。其処にあるのは、悪魔の様な顔だけ。もう何処を探してみたって、たった今までの彼の笑顔は何処にも無い。ルヴィシアンは眉間に皺を寄せ、目をつり上げ、怒りに満ちた顔をしていた。
「皇帝陛下。まさか貴方が私を裏切るとは思ってなかったよ。もしかしたら、我が国の奴隷輸入の件あれも皇帝陛下が第三皇女に直々に指示した事だったのかな?」
「違います!あれはアダムス様が御勝手に…」
思わず口を挟んだクリストフェルの側近。眼鏡のレンズの下の目が強い。
そんな彼の方をゆっくり向いてきたルヴィシアンの恐ろしい目と目が合ってしまったら彼は、一瞬体を大きく震わせて目を反らしてしまう。
情けない…ルヴィシアンとアマドールの2人は心の中で同時に彼等の事をそう思っていた。






















ルヴィシアンは話を続ける。
「皇帝陛下が指示していようがいまいが、どちらにせよ貴方の国の人間がルネを裏切った事に変わりはない。こんな貿易にしか能の無い軍隊も弱い国と付き合ってやっていたというのに。アン帝国の代わりなら幾らでもいるんだよ。はぁ。よくもまあ、こんな大それた事をしてくれたよ。私やルネを騙せると思ったら大間違いなんだ!こんな国!こんな気味の悪い国!今すぐ焼き払ってしまえ!!」
口調まで乱暴になり、だんだんと声を張り上げて怒りを露にしたルヴィシアン。それでも皇帝は顔を上げられない。
怒りをコントロールできなくなり始めたルヴィシアンに微かな不安を抱くアマドールが何気なくクリストフェルの側近達に目を向けた時、彼のその瞳は見逃さなかった。
クリストフェルの側近中の側近である眼鏡をかけた男の右手が軍服の右ポケットの中に入っている物を。


ダッ!

ギラリと光ったアマドールの瞳は恐ろしく、悪魔。勢い良く飛び出すと、懐から拳銃を取り出す。同時に、クリストフェルの側近も拳銃を取り出した。


パァン!


ドサッ…、

1発の銃声がした後すぐに1人の人間の倒れる音がした。銃口から出る焦げ臭い灰色の煙。それに息を吹きかけて消したのは、アマドール。






















撃たれ、倒れたクリストフェルの側近の姿を見て動揺し出した他の側近2人は音をたてて拳銃を構えたのだが、その手はすぐに払われてしまう。


ガシャン!

彼等の拳銃は、音をたてて絨毯の上に転がる。
「おとなしくしていろ」
彼等に銃口を向けたアマドールがそう低い声で言う。彼等はあっさりと両手を頭の上で挙げてしまった。
そんな彼等の足下では、先程撃たれた左肩を押さえて血を流して唸っている側近の姿。かけていた眼鏡は、撃たれて倒れた時の衝撃で其処に転がっていた。
「あ…あぁ…」
この銃声を聞いた皇帝は、ゆっくりではあるが顔を上げた。やっと。その怯えて開き切った目で、自分の背後に居る自分の側近達を見る。彼が見た時には、有能で心強い側近達の姿はもう其処には無かった。今居るのは、情けなくて頼りない側近達。





















心神喪失の皇帝の口は、ぱくぱくと開閉するだけ。そんな彼等の傍では、怒りに満ちたルヴィシアンが腕組みをして睨んでいた。眉間の皺がまた増える。
すると、アマドールがルヴィシアンに話し掛ける。
「国王様」
「何だ」
「御言葉ですが、アン帝国を焼き払うと仰っておりましたがそれは少し如何なものかと思われます」
「うるさい!お前も…お前でさえも私に逆ら、」
「落ち着き下さい国王様。私の考えはこうです。逃がされて奴隷が居ない今、ルネの産業を任せる奴隷が何処にも居りません。ですから如何でしょう。アン帝国を植民地とし、我が国の奴隷として働かせるのです」
「…なるほど」
静かになったルヴィシアンの声。彼は腕組みをしたまま、皇帝達の事を睨むように見つめながら少し考え事をしてからすぐにアマドールに顔を向けた。まだ怒った表情だけれど。
「ではそうするとしよう。さすがだな、アマドール。お前は本当に頭が良いよ」
「国王様程ではございませんよ」
アマドールの真っ白い歯が不気味に光った。
「はははは!
2人の奇妙な笑い声だけが響く。





















「!?」
その時突然、ルヴィシアンの身体が重たくなる。
目線を落としてみると、ルヴィシアンの真新しいマントに皺をたててしがみ付いている皇帝が居た。彼の目は開き切っていて、顔色は無い。身体の震えがルヴィシアンにまで伝わってくる。
「お、お願いです。のち…命だけはどうか、どうか…!」
震える皇帝の声を掻き消したのは、ルヴィシアンが鼻で笑った声。
「はっ。それはお前の仕事ぶり次第だな」
そう笑いながら言うと、アマドールと他の軍人達を引き連れてルヴィシアンは去って行く。部屋から出ようとした時足を止めて、皇帝達の方に顔だけを向けた。
「汚い手でこの私に触れた罪を償っておくように」
それから月日は経ち、アン帝国という名は地図上から消えた。こんな時代、地図は毎日のように新しいモノに変わる。


















































カイドマルド王国―――

雪のよく降る国というだけあって、辺り一面真っ白。建物も木も皆、白い化粧をしている。
床暖房で暖かなジュリアンヌ城内。肩に薄いグレーのブランケットをかけて白い息を吐きながら、楽しそうに廊下を歩くルーベラ。その隣を歩くのは、いつもの優しい笑顔のハーバートン。朝食を終えてからのルーベラはお腹を押さえながら、最近少し太ったかもしれないだとか少女らしく自分の体型を気にしているようだ。
そんな事をハーバートンに言ってみたら、彼から返ってくるのはいつも同じ言葉だった。
「大丈夫ですよ。充分御美しいですよ」
そう言われては照れてしまい、頬をピンク色に染めるルーベラ。窓の外に目を向ける。中庭も一面真っ白。目線を徐々に上げていくと、冬の淡い色の空が広がっていて其処を小鳥達が飛び交っていた。窓に手を添えるルーベラは小鳥達を見つめながら微笑む。
「またお父様に電話をしたくなっちゃったわ。この前は失敗したけど次は絶対勝つんだ、って伝えたいの」
ハーバートンはただ黙って微笑むだけだ。その時。


キィ…キィ…、

朝の静かな廊下に車椅子1台分の音が彼等の耳に届いた。その瞬間ハーバートンは慌てて音の方へと駆け出す。ダミアンが居た。
「国王様。御1人でこんな所まで…」
細く白く病的な腕で漕ぎ、彼の部屋から大分離れた此処まで1人でやって来たのだ。彼の体調を心配したハーバートンが駆け寄っても顔を向けてこない。ダミアンの視線も顔も身体も、全てルーベラに向いている。





















窓から体を離したルーベラは目を大きく見開いてから笑顔を見せると、真っ白なドレスを持ち上げて丁寧に挨拶をした。
"おはようございます国王様"そう言おうと、せっかく心の中で準備をしていたというのに、その間にダミアンの感情の籠もっていない声が彼女の耳に届く。
「クリストフェル皇帝と話をする事はこれから先一生無い」


しん…

この一言に凍り付く廊下。ダミアンの言葉の意味が分からないルーベラは目を丸めて、ただ彼を見つめるだけ。
一方のダミアンも、そんな彼女の事黙って見つめるだけだから話が全く続かなくて困る。彼の後ろでは、冷や汗をかきオロオロするハーバートン。ダミアンを見たりルーベラを見たりと忙しない。





















ハーバートンには背を向けたままのダミアンは、あまり血色の良くはない小さな口を開く。
「ハーバートン。お前は残酷な人間だな」
この言葉にハーバートンは返事をしない。しかし、心の中では何度も何度も大きく頷いていた。分かっているのだ、ダミアンが何を言いたいのか。彼から言われて改めて、自分の優しさが短所に思えた。
「優しさというものの実体は鋭く尖ったナイフ。ルーベラ殿下。貴女の国も父も母も兄弟ももう、何処にも居ない。アン帝国という名はルネに奪われたのだ、先日」
「え…?」
理解できなかったというより、理解したくなかった。ダミアンが今言った言葉だけが、ルーベラの頭の中を駆け巡る。
"どういう事?答えて。何故?"
そう目でルーベラが訴えてみても、ダミアンは口を開いてはくれない。
























アン帝国はルネの最大の貿易相手であった。アダムスが奴隷を逃がした事がきっかけだろうか。それにしても今更すぎる。どこにも、ルネがアンを敵視する意味など無いはず。ルーベラは硬直してしまう。
一向に話が進まないまま、かれこれ10分が経過しようとした時。
「…っ、」
ダミアンが寒さで一瞬体を震わす。それを見逃さなかったハーバートンがゆっくりと口を開いた。彼の枯れた声だけが響く。
「先の日本との戦争でルーベラ様がカイドマルド軍として戦場に居た御姿が写された写真が、ルネ国王の手に渡ったのです」
ルーベラの胸は張り裂けてしまいそうになる。
――何故?何故?たとえ写っていたとしても私は外の人間ではないわ。何故私だと分かったの?何故私がアン帝国の皇女だと分かったの?――
ここで、彼女の脳内に繰り広げられた過去の映像。擦れているけれど、はっきり残っているこの記憶の映像には、まだ王子だった頃のルヴィシアンが居た。そしてその後ろには、一目見ただけで怖気付いてしまいそうな程恐ろしい目付きのアマドール。
もう数年前の話になってしまうのだが、前ルネ国王がアンへ訪れた時ルヴィシアンも共に居たのだ。当時城内でたまたま鉢合わせたルーベラは彼等に対し、丁寧に挨拶をしていた。ほんの一瞬の出会いだったというのに、アマドールはルーベラの事を気味が悪いくらいしっかりと覚えていたのだ。だから、アン帝国は名を奪われた。




















ルーベラの中で何かたくさんのモノが崩れ落ちたと同時に、表でも同様の事が起きていた。


ガクン…、

その場に力無く座り込んでしまった彼女の瞳には光が失われていて、視点は定まっていない。がっくり落ちた肩や彼女の小さな手や足全てが震えている。
そんな彼女を見て、薔薇の太い刺に胸を刺されたような気持ちになったハーバートンが駆け寄ろうと一歩前へ足を踏み入れたのだが、その前にダミアンの細い右腕がスッ…と前へ出て行く手を拒んだ。"行くな"を意味する動作。
ハーバートンは肩を落としながら、目の前で死人のようにただ座り込んでいるルーベラを見ている事しか許されなかった。
「う…うっ…、はは…あは…」
静かな此処にやっと、音がした。ルーベラの泣き声。それは悲しむ泣き声には到底聞こえない。
彼女は口元を不気味に笑ませて、泣き声に笑い声を交えながら泣いている。その様がとても、人には見えない。それでもダミアンは感情の無い青色の瞳を向ける。
「私…?私のせいなの?私の…せいなの?」
「そうだ」
やっと声を発したかと思えばこれだ。ダミアンの冷たい返事に、ルーベラはまた笑う。
「やっぱり、やっぱり。あは…これじゃあアダムス姉様と同じじゃない。いいえそれ以上。それ以上の事をしてしまったのね私は…」




















途端ルーベラは自分の顔に爪を立てて、人が変わったように目をつり上げて眉間に皺を寄せて顔を真っ赤にした。自分に対する怒りに支配されてしまっている。
「いや!こんな風になりたくなかった!こんな…姉様や兄様達のようになんてなりたくなかった!私だけはお父様の為お母様の為に何かしなくちゃいけないんだ、って思ってた!だってそうでしょ!?姉様や兄様達はみんな自分の為に暢気にしか生きていないんだから私だけは…王女らしく王の子らしくいなきゃいけないんだって思ったの!!」
「誰と話しをしている」
こんな時にまで冷たいダミアンの一言にさえ、ルーベラの耳には届かない。本当、彼女は誰と話をしているのだろう。それは彼女にも分からない。もしかしたら、その相手は彼女自身なのかもしれない。
「今まで私が私を捨ててまで国の為に生きてきた意味って何…何なのよ!全部水の泡!この14年間ぜーんぶ水の泡よ!こんな事になるんだったら私も姉様達みたいに遊び惚けていれば良かった!…軍事も戦略を考えるのだって本当は大嫌い。本当は戦争なんて…大嫌い」


ガクン…、

力無く崩れ落ち、廊下の上に敷かれた絨毯に両手を着いて俯いたルーベラは泣いた。肩が上下にひくつく。涙が絨毯の染みとなる。それは増える一方だ。


しん…

再び静まり返った此処には外からの小鳥の囀りが時折届くだけ。
ダミアンはハーバートンに右手をかざした。これは、"車椅子を押せ"の合図。
ルーベラの元へ近寄るものだとばかり思っていたハーバートンが前方へ向かって車椅子を押し出すと、ダミアンは無言で彼を睨み付けた。また右手をかざし後方を指差す。"後ろへ進め"つまりルーベラが居る方とは反対の方へ進めという意味だ。
ダミアンの命令に従うとなると、情緒不安定なルーベラを此処に1人置き去りにしてしまう事になるからハーバートンは戸惑ってしまう。国王の命令だというのにすぐに反応できず、彼の良心が仕事の邪魔をする。




















「おい」
そんな彼をまた一睨みするダミアン。睨まれて我に返ったハーバートンは重たい車椅子の向きを後ろに向け、ダミアンと共に自分もルーベラに背を向けた。手だけで無く全身を使ってゆっくり車椅子を押す。一歩…また一歩と離れていくルーベラとダミアン達との距離。
「たかが14年を無駄にしただけだろう。どうって事ない。やってしまった事は事実だ、受け入れるしかない。これからは私の国の為だけに戦い、生きろ」
背を向け、遠ざかっていく彼ダミアンからの思わぬ言葉にルーベラはゆっくり顔を上げる。涙でぐしゃぐしゃの顔だが、自分から遠ざかっていくダミアンとハーバートンの背を映す彼女の緑色の瞳には、光が戻っていた。






























ダミアンの部屋――――

一方、自室へ戻ったダミアン。
傍でハーバートンは忙しなく動き回っている。しばらく寒い廊下に居た為冷えきってしまい、色が悪くなったダミアンの体に高級な羽毛の分厚い毛布をかけてあげた。他には暖かな飲み物を用意してあげる。


ジリリリ!

そんな中、軍からの電話が繋がる。黙って右手を差し出してきたダミアンに、電話の子機をそっ…と乗せるハーバートン。
いつものようにダミアンは相手から話し出すまで黙っている。
「早朝に失礼致します国王陛下。カイドマルド軍少佐クリスです。先程、ラッセル川付近の街でマラ教徒が暴動を起こしたと市民から連絡を受けました。どうか軍隊出動の御命令を」
「…良いだろう」
「ありがとうございます」
ここで、早くも通話は終了した。
「にゃあ」
子機をハーバートンに手渡すと、ダミアンの膝の上に飛び乗ったメリー。頭を撫でてやると気持ち良さそうに首を震わせていた。
ダミアンは、ハーバートンが用意してくれたホットミルクを一口飲む。
「いよいよだな。我がルーシー家をこんなにもしてくれた異端児達との最後の戦いだ。馬鹿げているがな」
ハーバートンの手が、震えた。













































ルネ王国―――――

皆が舞踏会に踊り疲れた、ルネの静かな晩。
今日もまた会へ参加しなかったミバラが空色のショールを肩にかけて1人で廊下を歩いていた時。1人分の小さな足音がした。


タタタタ!

色の悪い顔をゆっくり上げてみたら其処には、真っ黒い髪でまだ幼い男児が1人居た。男児が着ている派手で煌びやかな服に付属されているボタンが金色に輝く。男児はミバラを見ながらその赤らんだ頬を笑ませ、首を傾げる。
「お姉さん元気ないね。どうしたの?」
「こらこら、エマ」
遠くから聞こえてきた女性の声に、ミバラはすぐ我に返る。その、光を失った瞳が怒りに満ちた瞬間でもあった。


カツン、コツン、

柱の影から姿を現し、ヒールを鳴らして男児の元へ駆け寄ってきたのは濃い化粧で紫色の派手なドレスを身にまとった金髪の女性。彼女は、ルヴィシアンの妾だ。男児を抱き上げて優しく微笑むと、彼の頬にキスをする。



















それでもまだ男児がミバラの事を気にしていたので女性は、ふふ、と笑みながら
「関係無いのよ」
と簡単に言い、彼女に背を向けた。


カツン、コツン、

またヒールを鳴らして廊下を去って行く。
その音に紛れて聞こえてきた男児の幼い子特有の高くて、必要以上に語尾を伸ばす話し声。
「お母様。僕、早くお父様の所へ行きたいです。いっぱい遊んでもらいたいのです」
この言葉に殺意さえ芽生えたミバラ。


ギュゥッ…!

震える手を力強く握り締めると、自分から遠ざかっていく妾と男児には背を向けて自室へ飛び込んだ。






























ルネ城外――――

一方ルネ城の外では、煙草を吹かしながら城裏にある港を眺めているジャックと他の傭兵が3人。
日本でのフランソワが行った国王の命令外のヴィクトリアン救出作戦に対しての罰は勿論受けた傭兵部隊。金を貰ってこその傭兵だが、半年間給料が給付されない事になってしまった。たったこれだけで済んだ軽い罰にもかかわらず、ジャックは宿舎でイラ立ちを隠せずに毎日を過ごしていた。金が貰えず戦うだなんて…そう思うだけでまた洩れる溜め息。
「はぁーあ…」
煙草を吹かした。波の音が静かな晩。
すぐ其処に停まっているのは目に痛い程派手な1隻の大きな船。ヴィクトリアンの船だ。
ジャックの脳内でヴィクトリアンの顔が浮かんですぐ後に、日本での出来事が思い出される。自分を騙して発砲し、終いにはヴィクトリアンをも騙した人間ヴィヴィアンのあの時の一瞬の笑みを思い出した途端、ジャックの全身に電撃が走った。目を大きく見開き、眉間には何重もの皺を寄せる。


グシャッ、グシャッ、

突然立ち上がり、火の消えた煙草を足で潰す。
「おいジャック。煙草はきちんと灰皿に始末をしろよ」
そんな行動を同じ傭兵から注意されたが、ジャックの耳には届いていない。
今でもヴィヴィアンに撃たれた傷跡が残る脚。この傷跡を見る度に、背筋がゾッ…とするあの時のヴィヴィアンの不気味な笑みを思い出してしまう。その度にジャックの中で込み上げるのは、彼への怒り。





















「あーあ。馬鹿王子のこの船でカイドマルドまでぶっ飛ばして行って、あのくそガキをぶん殴ってやりてぇなぁ」
「何馬鹿な事を言っているんだよ、ジャック」
「そうだぞ。我々傭兵はいかなる場面においてもこれ以上勝手な行動はとれない立場だろう」
「でもよぉ、罰を受けるはめになったのは俺達傭兵のせいじゃないんだぜ?元を正せばあのくそ中尉のせいだろ!あいつ、罰も受けないで1人で勝手に死んで…嗚呼!思い出しただけで血管切れそうだ!ふざけんな!」
ガラガラの声で怒鳴り、宿舎へ戻ろうと後ろを振り向いた時。
「…何だよお前」
其処には、紺色の大きめなコートを羽織ったミバラが立っていた。走ってきたのだろう、息が荒くて肩で呼吸をしている。彼女はいつの間に居たのだろうか。そして、彼女のような城の人間が何故、こんな晩にこんな場所に居るのだろうか。
ジャックがたくさんの事を考えている間にも、他の傭兵達がミバラの方に体を向けた。
「はぁっ…はぁっ…」
彼等の視線を受けながらミバラは呼吸を整えようと必死。
そこで1人の長身の傭兵が立ち上がり、ミバラに近付く。
「ミバラ様、如何なさいましたか。貴女様のような御方が何故このような場所へ…」
「其処の男!」
ミバラの裏返って枯れた声が響く。ジャックを指差していた。
一方のジャックは訳が分からず目を丸めて口はだらしなく開かれたまま。ミバラとなんて挨拶すら交わした事の無い彼には、今のこの状況が全く飲み込めずにいる。不思議そうに首を傾げる。




















カツン!カツン!

するとミバラの方から近付いてきた。ヒールの音を鳴らして。その音の乱暴さが今の彼女の心情を表す。
「貴方が今言ったように、その船をカイドマルドへ向かわせなさい!あたしをカイドマルドへ連れていってちょうだい!」
全くわけが分からない傭兵達はずっと目を丸めたままだ。何と返答すれば良いかも分からずただこの場で立っていたら、ミバラの眉間に皺が寄った。女らしさは薄れている。
「居るんでしょ!カイドマルドに。ヴィヴィアン・デオール・ルネが居るんでしょ!あたしが奴をルネへ連れ戻してやるわ。ルヴィシアン様の為にこのあたしが奴を捕らえるの!!」



































ブオー、

船の大きな音が響く静かな晩。この音に聞き覚えがあり、大好きなこの音に一早く気付いたヴィクトリアンは眠たい目を擦りながらゆっくりと起き上がる。彼のかぶっているアイピローが垂れ下がる。
「んぅ〜?」
ベッドから降り、裸足のまま窓辺へ行く。彼の部屋から見下ろせる眺めは、美しく大きな海。欠けた月に照らされながら港を離れてゆく1隻の船が視界に入った途端、眠かったその目も大きく見開く。思わず窓を勢い良く開けて身を乗り出した。
「あー!僕の船がー!!」

























この船の音は、港の隣にあるルネ軍本部に居た軍人達の耳にもしっかりと届いていた。
将軍ダイラーが外へ出た時、息を切らしてこちらへ駆けて来た1人の傭兵がいた。慌ただしい傭兵の背を擦ってやるダイラー。
「はぁ…はぁ…」
やっと呼吸がまともになった傭兵は顔を上げ、汗を拭い長身のダイラーを見上げる。その瞳からは必死さが感じられた。
「ジャ、ジャックと他2人の傭兵そしてミバラ様がヴィクトリアン様の船で勝手にカイドマルドへと向かったのです!」
「何!?何故あの国へ向かう必要がある!それに何故ミバラ様が…」
「理由は分かりませんが、相当お怒りの様でした」
ダイラーは顎に手をあてて険しい表情を浮かべる。すぐに手を離すと、目の前の傭兵の肩に大きな手を乗せた。
「しかしお前だけは乗船せず、こうして私に事を伝えてくれた。お前のとった行動は的確なものだったと言える。よくやった」
超大国の右に出るものは居ないとまでされるダイラーから、たかが傭兵の自分が褒めてもらえた事に喜ぶ。傭兵の顔には、子供のような純粋さ漂う笑顔が浮かんだ。傭兵の肩をポン、と軽く叩くとダイラーはすぐに城内へと向かって行った。



































20分後――――

アマドールからこの件を聞いたルヴィシアン。
しかしルヴィシアンは舞踏会後の派手な姿のままソファーの上で横になりくつろいだままで、アマドールの話にも気の無い返事をするだけ。
足をばたつかせながら彼が目を向けているのは、全ての指にはめたゴツゴツしていて光り輝く宝石の埋め込まれた指輪。それらの輝きが、彼の赤い瞳を輝かせる。
「あんな奴等が何処へ行こうと構わん。どうせ次はカイドマルドと戦う事になるのだから、敵地へ出向いた時に発見したら連れて帰れば良いだけだ。まあ別に連れて帰らなくても構わんがな」
冷たく言い捨てた後彼はすぐに上半身を起こす。目を輝かせ楽しそうな笑みを浮かべると、アマドールの方に体を向けた。また、足をばたつかせながら。




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