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症候群-追放王子ト亡国王女-
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ゴツッ、


ドサッ…、

鈍い音がした後、人間の倒れる音がした。それを見下ろす人間の赤色の瞳は据わっていて、恐ろしさが感じられる。
気絶させた日本兵の軍服を拝借する。髪を一つにまとめてリボンで結んでいるような日本人男性は滅多に見ないから、結んでいたリボンは解いて軍服の中にしまう。解かれた長い黒髪をなびかせ、日本の城内へと侵入したヴィヴィアン。


カツン、コツン…、

1人分の足音が遠ざかっていった。

































一方。ヴィヴィアンが侵入した裏口とは反対に位置する正門。警備している日本兵2人は、大きな機械音を鳴らしながら目の前に現れた一機のルネ軍戦闘機に驚きつつ、しっかり敬礼で挨拶をする。
しかし、機内から出てきたルネ軍傭兵のジャックは彼等に挨拶すら返さない。彼等の間を無理矢理割って入り、門を潜ろうとする。
「ルネ軍の方ですよね。失礼ですが一応、身分証明ができる物を御見せ下さい」
「うるせぇ早くしろ!見れば分かるだろ。てめぇの目は節穴か、あぁ?」
耳に痛い怒鳴り声をあげられて片目を瞑る日本兵達。それでも門を通してはくれないので、舌打ちをして渋々自分の身分が証明できるカードを提示する。日本兵達が礼を言い終えぬ内に、ジャックの姿は見えなくなっていた。


































都城内―――

拳銃を所持しているし完全防弾の重たい軍服を着用しているせいか、ガシャガシャ重たい音をたてながら城内を駆けるジャック。外は鼓膜が破れてしまいそうな程の音だというのに、城内はそれが嘘のように静かだ。まるで戦争とは無縁の遠い国に居るかの様。
しかし、そんなのは1人の人間の感じ方にすぎない。今この国は最も戦禍の激しい地なのだ。その事を思い出したら、今は亡き上司フランソワの顔が浮かんだジャック。
弱々しくて上司らしいオーラ一つ放った事のなかった彼の事が大嫌いだった。勿論今も。
「自分が言い出した事だっつーのに、部下にそれを押しつけて自分はどっか行っちまって…ふざけんなクソ中尉!あの世でまた会ったらもう1回死んでもらうからな!」
「早急にだ!分かったか!」
その時。
今まで人の声一つ聞こえてこなかったというのに、階段の上段から男性の低い声が聞こえてきた。
その後に続くのは別の数人の男性の声と1人の女性の声。それでもジャックは足を止めない。


タタタタ!

階段を降り、角を曲がろうとした日本国国王とその側近数名、そして妾と鉢合わせた。
「!」
走っていたせいでジャックは思わず国王と正面衝突してしまうところだった。すぐに側近達が国王前へ出てくると彼ジャックを両脇から取り押さえる。
「何者だ!カイドマルド軍か!」
「うるせぇ離しやがれ!俺の軍服を見て分からねぇのか日本人!」
暴れて怒鳴るジャックが着ている軍服を見た途端彼等は押さえる力を弱め、目を丸めた。口はだらしなく開かれている。
「ルネ…軍?」





















バシッ!

音をたてて彼等の事を乱暴に振り払い、何と国王に指を差して偉そうに前に立った。彼のこの態度には眉間に皺を寄せてしかめっ面の国王。その後ろに隠れるのは化粧でつくられた顔の妾。ジャックは息を大きく吸い、その鋭く尖った目で国王を見る。
「ルネ王国第二王子ヴィクトリアン・ルイス・ルネは何処に居る!さっさと教えやがれ!」
「なっ…!?」
「ルネ軍といえど、国王様にそのような態度をとるとは何奴!」
再び取り押さえられたジャックは本当に学習能力が無い。また暴れて怒鳴り散らす。
国王の後ろに隠れていた妾は彼に寄り添いながら、その厚塗な紅をさした唇を静かに開いて耳元でそっ…、と囁く。
「国王様。もしかしたらこちらの方、ルネ軍に変装をしたカイドマルド軍ではありませんこと?」
「何?何故そう思うのだ則子」
「だって誇り高き国王様に対してこのような態度をとる低能な人間は、敗戦ばかりを繰り返すカイドマルドしかおりませんもの」
「冗談じゃねぇ!誰が低能だ?誰がカイドマルドだ、このっ、」
クソ女!そう続けようとしたが、やっとここで理性を保てたジャックはその言葉をゴクリと飲み込む。言いたそうにしてはいるが、口を強く結んだ。



















愛す妾の言葉ばかりを信用する国王は、なるほど、と2回言いながら頷くと側近達にジャックを捕えるよう命じる。そこでまたジャックの怒りは込み上げ、理性は失われた。カッ!と目を見開き、ガタガタで牙のような歯が見えた時だった。
「お取り込み中失礼致します国王陛下」
深々頭を下げて国王の前に現れた、黒い長髪の1人の小柄な兵がジャックの手を引く。日本国の軍服を着たその日本兵は頭を下げたまま。
一同の瞳には彼だけが映っている。静まった。


しん…

「この者が無礼を致し、大変失礼致しました。ルネの王子を救出したいが為につい理性を失ってしまったのでしょう。この者の無礼を御許し下さい」
こんな兵士、ましてや日本なんて初めて訪れたジャックには何が起きたのか、彼は一体誰なのか分からなくて目をぱちくりさせる。それは国王達も同じ。
「この責任は後々自分が彼に代わってとります故」
「お、おい!?ちょっ、」
謎の小柄な日本兵はそう礼儀正しく言うと、彼の腕を強く引きながらこの場を去って行った。 やはりその日本兵は一度も顔を上げる事がなかったが。
取り敢えず国王の機嫌を損ねる人間が消えてくれてホッ…、と一息吐く側近と妾。胸を撫で下ろし、国王を安全な地下へと導くのだった。
































一方。
見知らぬ日本兵に腕を引かれ、連れられるがままに彼と駆けていくジャック。
「何処のどいつだ!離しやがれ!」
自慢の馬鹿力で彼の腕を振り払おうと何度も試みたのだが、彼の方が力を上回っていた。驚いてしまい、目は無意識の内に見開く。


ドン!ドン!


カツン!コツン!

外からの戦争の音と2人分の足音が響く。
「おい、てめぇ!何のつもりだ!俺は超大国ルネの兵士だ。てめぇみてぇにチビな男に助けてもらうような柔な人間じゃねぇんだよ!」
怒鳴り散らしても、日本兵はただただジャックの前を走って行く。目元をピクピク痙攣させながら「けっ!」と言い捨てると仕方なく彼について行った。






































同時刻――――

ヴィクトリアン達はルネ軍が日本に上陸したとの連絡を受けていた。それと同時に、この作戦の司令官フランソワを失ったとの連絡も受けていた。地震が大分おさまったこの隙に、迎えの船が着いている港へ向かう準備をしていた。
付き添いの兵士達が、ヴィクトリアンを誰よりも先に港へ向かう車に乗せようとする。しかし彼はただ首を横に振るだけだ。何度言っても彼はこんな調子だから、50代前半の大柄な男性の少尉が怒りを露にして目をつり上げ声を荒げる。
「ヴィクトリアン王子!今日ばかりは貴方様の我儘を利くわけにはいきません!どうか早く外へ出て下さい!」
それでもヴィクトリアンは首を横に振る。
彼等の間でオロオロしながら2人を交互に見るのは、泣いて目が赤く腫れたマリー。
彼女の背をそっ…、と押したヴィクトリアンは少尉に微笑んだ。何故かその笑みが彼のモノとは思えなかった。目の前に居るのは確かにヴィクトリアンなのに。






















戸惑うマリーの頭をくしゃくしゃにして撫でると、ヴィクトリアンは彼女に背丈に合わせて屈み、目を糸のように細めて微笑みかけた。彼の笑みの意味が知りたくて必死に見つめるマリー。けれど彼はすぐに彼女から目を反らしてしまう。今度は、少尉に目を向けた。
「マリーちゃんを先に乗せてあげて」
「しかし王子。この場合は王子が最優先です」
「頑固だなー。僕はさぁフランソワの事を迎えに行かなきゃいけないの!」
「王子、フランソワ中尉はもう…」
「居ない?そんなのってさぁ、生きてても死んでても関係無いじゃん。知らない土地にフランソワ1人置いていけ、って言うの?それにね。フランソワってば側近のくせに僕を迎えに来てくれなかったから怒ってやらなきゃ!でしょ?だーかーらっ」


タタタタ!

背を向け、突然走り出したヴィクトリアン。
彼の行動に目を見開いた兵士達は、遠くなっていくその背を見て叫ぶ。
「王子!?何処へ行くおつもりですか!王子!?」
呼ばれて、素直にも彼らの方を振り向くと、幼い子供のようにべっ!と舌を出す。そしてまた逃げるように走り出す。止まらない。
「僕に追い付けるもんなら追い付いてみなよー!」
「お待ち下さい王子!ヴィクトリアン王子!!」
こんな状況だというのに場違いな彼の行動には呆れ過ぎて溜め息も出ない。少尉が自分の方に数人の部下を手招き、共にヴィクトリアンを追おうと呼び掛けた。残った他の兵士達にはマリーを先に車に乗せて港まで連れていくよう指示する。こんな戦禍の中、奇妙な鬼ごっこが幕を開けた。



































タタタタ!

静まり返った都城内を駆ける1人分の足音。ヴィクトリアンは楽しそうに笑いながら走る。
勉強面ではルヴィシアン以下の知能ではあるが、足の速さだけは三兄弟の中で最も優れていたし、学院時代も1位の座を譲った事が無い程。捕まらない自信があるからこそこのような行動をとった。それに、走り出さなくてはフランソワの元へは近付けないと分かっただ。
本当は、彼の事を怒りたいだとかそんな事は一切思ってはいない。いつも突発な我儘にも優しく応対してくれていた彼をこのまま知らぬ土地に残していっては、自分は本当に我儘しか能の無い人間になってしまうから。そして、精を尽くしてくれた彼の顔をしっかりと見ながら贈ってあげたい言葉があるから。


タタタタ!

軽快に走りながら、ヴィクトリアンは時折後ろを振り向く。自分を追い掛けてくる兵士達のいくつかの足音は聞こえてくるが、まだ彼等の姿が見えていないから焦る事なんて無い。
「へっへーん!僕に追い付こうなんて100年、いやいや!100億年早いんだよーだ!」
後方に向けてまたべっ!と舌を出すと更に加速した。外からの戦争の音が、いつしか彼の走る足音さえも掻き消す程になっていた。






































一方、日本軍―――

飛び散る血の雨。聞こえてくる悲鳴。それさえも一瞬にして掻き消す銃声。先程まで数えていられたというのに、もう数えられなくなってしまった。仲間からの通信が途絶えた数を。
日本軍将軍武藤は、長引く戦闘にも弱音を吐く事は無い。心の中でもそんな思いを一切抱かない。
ただ、不安な事が一つあった。それは、慶司と信之との通信が一切とれなくくなった事。これは、彼等2人が自分に頼る事無く立派に成長し戦っている最中という事なのか、それとも…。
「何を馬鹿な事を考えているんだ私は!」
この続きを考えようとする自分が嫌で、首を横に大きく振ってすぐ顔を上げる。目の前の敵を睨み付ける彼の目はもう、人間ではなかった。




無線から、ノイズがした。今や久しぶりに聞くノイズ。通信に出るより早く、鈴木大佐の荒い息遣いが聞こえてくる。彼も相当苦戦しているのだろうか。一瞬にして五通りの考えが浮かぶ。
「将軍、大変です!」
「どうした」
「咲唖様が何処にもいらっしゃらないらしいのです!」
「何っ…」
女性といえど、今最も王位継承に近い彼女の行方が不明。日本の空を、黒く重たい雲が覆いだした。



妾方離宮――――

格納庫から無事脱出した梅は、離宮で身を潜めていた自分の妹達の元へ来ていた。此処には数人の兵士達に支えられる妹達と本妻やジャンヌが居る。そして梅の指示に従い、格納庫付近に居た日本兵に救われたアンネの姿も見る事ができた。ホッ…、と息を吐く梅。
「皆様も此方へ避難下さい」
彼女も兵士達に連れられ、国王達が先に避難している地下へと向かった。その際ジャンヌと梅は何度も後ろを振り向いていた。まるで誰かが此処へやって来てくれる事を心から願うかのように。






































その頃の慶司――――

行く手を拒む敵の戦闘機がどんな具合に散っていったのかも、それらの数さえも覚えていない。慶司はただただ探す。宮野純慶吾を。
「くっ…!」
梅に言われたあの言葉を聞いた時胸騒ぎがしていた。ただ慶吾の事を探してくれ、と頼まれただけだというのに。
それは、慶吾の事をあんなにも嫌っていたはずの梅があんなにも切実に心から彼を探すよう頼んできたからというのもあるがそれより何より、理由は分からないが嫌な予感がするのだ。はっきりとは分からないが。
「慶吾…さん…」
誰からの通信もこないし、繋げる余裕も無くなった機内で1人慶司は、あの時自分を庇ったが為に敵に撃たれてしまい血を噴いた慶吾の姿が脳裏から離れなくて困っていた。
「格納庫に姿は無かった…何処かへ避難したのかな…なら…無事…だよな…」
初めて彼の姿を見たというのに、初めてという感じが一切しなかった。あの時の彼の悲惨な姿が、今度はより鮮明に蘇る。この忌まわしい映像が消えてほしくて速度を上げた。辺りを見回し、慶吾を探し続ける。


ガー、ガガッ、

そんな時、慶司にとっても久しぶりとなる通信。無線からのノイズに混じって聞こえてきたのは、鈴木大佐の低い声。けれどいつもより強さが感じられないから、慶司の中に微かな不安が生まれる。






















「こちら大佐の鈴木でございます。慶司様。私や将軍は只今、敵の相手をするので精一杯な状況にあります」
「カイドマルドの勢力が以前よりも格段に上がっているという事ですよね」
「そのようですね。慶司様やはり貴方様が仰って下さったように、甘く見て良い戦いなど…失礼致しました。こんな事ではなくてですね、あの…」
彼の言葉がまた詰まったから、新たな不安がまた生まれる。それでも慶司はただ探す。1人の、日本の救世主を。
「大佐?どうかしましたか」
「…咲唖様の行方が分からなくなってしまったのです」


ドクン…

心臓は一度、大きな音をたてて鳴った。あまりにも大きな音だったから、それが飛び出してしまうのではないかなんて思ってしまう。
この後も大佐が何かを荒い息遣いで必死に話してくれていた気がするのだけれど、慶司の頭の中には話の内容の一つも入ってこなかった。
美しい木々やそれらがたくさん集まってできた森等の自然が大好きな慶司。しかし、今の彼にはその美しい自然を自ら戦闘機で破壊してでも向かわねばならぬ場所がただ一つ、できた。

















































本妻方離宮――――

日本軍の強い防衛力のお陰か、離宮のある此処はまだ被害が無かった。それだけで一先ず安心できた。
「はぁ…、はぁ…良かった…」
保障のできない安堵。
春や夏、秋にはあんなにも美しい姿を見せていた庭の木々や花々も、今は真っ白な雪に覆われていてとても寂しい。


ガタン、

戦闘機から急いで降りて、自分達本妻方の住む離宮目がけて駆けて行く慶司。その途中で見かけたのは、何処からか侵入してきたのだろう生身の姿のカイドマルド兵達。しかし彼等は全員、既に息を引き取っていた。まだ新しい血を、刀で切られた傷口から生々しく流して。
「…?」
不審に思いながらも慶司が離宮へ到着する。
入り口の引き戸を前にした時、それに手を掛けて普通に開けてしまえばなんて事ないのだけれども、そんな動作をする手間が既に省けていた。引き戸が開いていたのだ。人間1人が通れるくらいの幅で。戸や床には、べっとりとした血痕。
「…!!」
全身に鳥肌がたつ。


























ガタン…、

開かれたままの引き戸をもう少し開けて、入口の冷たいコンクリートの上に足を踏み入れる。真っ暗な廊下に見えたのは、入り口から続いているまだ新しい真っ赤な血痕。頭の中は真っ白になる。
誰か血塗れの人間が此処へやって来た。それも、ここ数分の間に。真っ赤な血の足跡を見る分に、その人間は1人だろう。


ギシ…、ギシ…、

その血の足跡をゆっくり辿っていく。両足は、鉛をつけられたように重たい。重た過ぎる。一歩床に足を着く度に聞こえてくる床の軋む音。それしか聞こえてこない離宮内。
足跡は、広く長い廊下の突き当たりにある階段をのぼっていた。この上にある部屋へと続いている。


ドクン…!

鼓動がまた、大きな音をたてた。進むに連れて、床に付着している足跡の血が新しくなる。


























2階の突き当たりにある一室から廊下に真っ白な雪の明かりが漏れていた。部屋の障子戸が開いてある。足跡はこの部屋の中へと続いているようだ。


ドクンドクンドクン!

すぐ傍に誰かが居たとしたら、慶司のこの鼓動は聞こえてしまうに違いない。
足についた見えない鉛を引きずって、やっと一歩が歩ける。障子戸が少しだけ開いているその一室の前に立つ。戸にべっとりと付着した血の上に手を乗せて、障子戸を開く。恐れながら静かに。


カタン…、

外から差し込む雪の白さが眩しくて、つい目を瞑ってしまう。徐々に開いていき、ふと視線を落とした。慶司はその場に崩れ落ちた。


ガクン、

「あ…あぁ…」
この部屋の畳は真っ赤に染まり、柱や壁にはべっとりとした生々しい血が飛散している。
そしてこんなにも変わり果てた彼女の自室で横たわっているのは、同様に変わり果ててしまった王女・咲唖の姿。

























「慶吾さん…?」
日本軍の軍服は赤色だっただろうか?と思ってしまう程、彼女の着ているそれは染まっている。
「姉上…?」
立つ事ができないから、慶司は幼児が床を這うのと同じようにして彼女に近寄っていく。何度呼んでも返事をしてはくれない。部屋の冷たさが身体に染みて、痛い。
「どっち、ですか…。答えてください。貴方は慶吾さん?それとも…宮野純咲唖…僕の姉上?どっちなのですか…」
やっと彼女の傍に辿り着く。長く美しい真っ黒な髪で隠れてしまった顔を見る事ができない。見たくもないけれど。
失礼します、震える声でそう言いながらその髪をそっ…、と撫でるように透かして現われたのは雪のように美しい白い肌。見飽きたくらいの姉の顔。でもいつもと違うのは、彼女が微笑んでくれない事。





















自分の心臓の動きが停止してしまうと思った。体の震えは増すばかり。彼女の顔を、覗き込む。
「答えてくれないから答えちゃいますよ…。正解は姉上。そうでしょう?」
返事をしてくれない。
「どうしてですか。僕、正解しましたよ?いつもどんなに簡単な勉強でも問題に正解すれば、こっちが恥ずかしくなるくらい褒めてくれていたのに…。どうして今日は褒めてくれないのですか」
鼻を啜り、込み上げてくるモノを必死に堪える。
また彼女が返事をしてくれなかったから、だんだんと心も身体も受け止めてしまう。ゆっくりと。
「姉上。貴女は本当にいつも、不思議なくらい何でも僕より先をいっていましたよね。梅の花が咲いているのを先に知っていたのも貴女。慶吾さんが現れた事を先に知っていたのも貴女。でも、今回ばかりは先にいかなくても良いじゃないですか…」


ポタ…ポタ…、

大きく見開かれた慶司の黄色の瞳からは、染みて痛い程の大粒の涙が溢れだす。そしてそれは、咲唖の顔に、天からの恵みのように降り注ぐ。泣き声も出せない程心神喪失な慶司の肩だけが上下に震える。





















咲唖の腕の脈に触れる。途端、幼い頃から今に至までの彼女との思い出全てがフラッシュバックのように押し寄せてきた。涙も鼻水も流したぐちゃぐちゃの顔のまま、慶司は笑む。普段、彼の姉が浮かべていたような優しい笑み。
「姉上、今戦争中なんですよ…?寝ていちゃ危ないじゃないですか…。敵がやって来たら…どうするんですか…」
いつもこの部屋へやって来る雀達が、こんな戦禍だというのにやって来た。まるで彼女を見送るかのよう。


ドン!ドン!

窓辺からの可愛らしい鳴き声が響こうとすると、外から響く戦争の音が掻き消してしまう。
「僕、謝ります。姉上を無視していた事、謝りますから…。だから姉上も僕と同じ事をしていないで下さい…無視、しないで下さい…。仲直りしましょう姉っ…、」
言葉を続けられなくなってしまった。


ドン!

大きな音をたてて畳を叩く。その際、彼女の血が付着した。この音に驚いた雀達は鳴きながら一斉に飛び立ってしまう。痛い程強く目を瞑った慶司は鼻を啜る。
「うわああああ!!」
畳を拳で何度も何度も殴りながら、叫んだ。
















































都城内―――――

「へっへーん。楽勝、楽勝!」
柱の影に隠れたヴィクトリアンは、自分を追い掛けてくる少尉を始めとする兵士達がこの場から去って行った事を確認すると、楽しそうに笑む。彼等が降りて行った階段とは別の方から軽快に降りて行く。


タン、タン、タン、

角を曲がり、いつもの調子で駆けて行った時に擦れ違った2人の人間が居た。その内の先頭を歩いている俯いて顔は見えない1人の日本兵に何故か懐かしさを感じ、一度立ち止まって首を傾げる。
「ん?えーと…」
「ヴィクトリアン!…王子!」
王子、そう付け足して彼の名を呼んだ少年の声がした。声がした方にヴィクトリアンが振り向こうとした時、彼の腕は力強く掴まれて引っ張られた。ジャックだ。
傭兵という階級も無くて無駄にたくさん居る彼等の顔や名前など全く分からないヴィクトリアンだが、彼がルネの軍服を着用しているのを見た途端、「げっ!」と嫌そうな声を洩らして顔を歪めた。























ジャックの太い腕を振り払おうと藻掻くけれど、無駄な抵抗にすぎない。
「王子!あんたには生きて帰国してもらわねぇと困るんだ!早く来い!」
「無理無理、無ー理!僕、大事な用事があるからそれを済ませてからだったら良いよ!」
「何をふざけた事言ってんだよ!だから…チッ!この馬鹿王子が!」
「馬鹿でいいよ〜別にっ!馬鹿でもあほでも良いから用事を済まさせてくれないかな〜」
「だから…はぁ。怒る気力も失せたぜ」
ジャックから洩れる深い溜め息。自分の前を今の今まで走り、共にヴィクトリアンを探してくれていた小柄な日本兵の方に体を向けるジャック。勿論、ヴィクトリアンの事をしっかり掴まえたまま。
一方の日本兵は相変わらず俯いているし、長い前髪で顔を隠している。その暗い雰囲気や彼から漂う血の生臭さに気味の悪さを感じながらも、ジャックは口を開く。
「この通り、王子は捕まえられたからもうお前には用ねぇや。世話になったな、日本兵」
陽気に言い、このままヴィクトリアンを連れて行こうとする。
――これで任務遂行してやったぜ、クソ中尉!――
心の中で自分を讃えていたのに顔には笑みが表れてしまっている。ガタガタの歯を覗かせて、今日はとびきり嬉しそうに微笑んだ。
ふと、こちらには背を向けているヴィクトリアンが先程のように抵抗してこなくなった事を不思議に思い、彼に視線を落としてみるジャック。ヴィクトリアンはまだあの日本兵の方にだけ顔を向けていた。
「あん?」
つられたジャックがゆっくり向く。瞳にその兵士の姿を映つしたままのヴィクトリアンは目を丸めながらも、静かに口を開いた。
「ヴィヴィアン…?」
「!?」
ジャックの目は大きく見開かれる。
ヴィクトリアンにそう呼ばれた日本兵はゆっくり顔を上げた。長い前髪の隙間から見えた彼の赤色の瞳は虚ろ。ヴィヴィアンだ。






















ヴィクトリアンと、日本兵に変装していたヴィヴィアンを交互に見ながら冷や汗を流すジャックは、懐から1丁の拳銃を取り出す。

『良いか。何処かでヴィヴィアンと遭遇したとしても決してその場で殺してはいけない。奴を殺して良いのは国王様だけなのだ。これは国王様直々の御命令。命令を無視した者は、国王様から死刑という褒美を頂ける。心しておくように!』

将軍ダイラーが言っていた言葉が思い出された途端、引き金に掛けたジャックの手の力が消える。
目の前に居る人間ヴィヴィアンを撃てば自分は彼から命を狙われずに済む。しかし、帰国をすれば命は国王に奪われる。
はたまたダイラーの言い付け通り、目の前に居るヴィヴィアンを撃たなければ言い付けは守った事になるが、自分は彼から命を狙われる事になる。
ならば…とは思うが、彼を撃ってしまったら自分はもうルネには居られなくなる。ルネから脱国したところで、追われる生きた心地のしない日々を送り、終いには死ぬ。どれを選択したって結果は目に見えているのだけれど、混乱してしまう。























ジャックの目はヴィクトリアンとヴィヴィアン両方を見ていたが、やがてヴィクトリアンに止まった。
上司からの最後の指令を守る為にはヴィクトリアンの事を何が何でも守らなくてはいけない。もしも守れなかった場合、自分は、自分の大嫌いな上司のようにヴィクトリアンを守れなかった弱い人間で終わってしまう。…そう思ったけれど、やはり引き金に掛けた手には力を込める事ができなかった。
「…はっ、結局は俺も人間だぜ…根底では我が身大事…か」
不気味な笑みを浮かべながら『ヴィヴィアンを殺害したお前は死刑だ!』そう罰の名を口にする国王の顔が浮かぶ。しかしそこでまた、指令を告げたフランソワの声が思い出される。そこでまた、国王の笑みが浮かぶ…。この二つだけが、ジャックの頭の中をぐるぐる回っている。そんな時だった。
「…ハッ!お、おい!王子!?」
そちらにばかり気が向いてしまっていたジャックは、いつの間にかヴィクトリアンから手を離してしまっていたのだ。何という失態。ジャックが気付いた時には、彼ヴィクトリアンは一歩ヴィヴィアンに近付いていた。まずい…、そう思ったジャックは目を大きく見開く。























「ヴィヴィアン、久しぶりだねー。大きくなったんじゃない?」
「…兄上、一緒に来てもらえますか」
「うーん。何処へ行くの?行く場所によるかなー。楽しい場所なら大歓迎なんだけどそれ以外だとちょっと、」


カチャ、

音がして、ヴィヴィアンの左手にある拳銃の銃口はしっかりとヴィクトリアンに向けられた。
「王子!」
駆け寄るジャック。


パァン!

銃声がして、庇ったジャックの右腕から血が飛ぶ。体がよろめく。
「…!!」
一瞬、ヴィクトリアンの目が大きく見開いた。一方のヴィヴィアンは表情一つ変えず、やはり虚ろな目をしている。
「僕は今、兄上と話をしているんだよ。邪魔」


パァン!パァン!

もう2発の銃声が響き、脚を撃たれたジャックは立っている事ができなくなり、無様にもその場に崩れ落ちてしまう。























ヴィクトリアンはジャックの方を向き、目を見開いている。自分の鼓動が大きく速まる音が聞こえてくる。
「兄上」
呼ばれて、ゆっくり振り向く。其処に居るヴィヴィアンの目は未だに虚ろ。それが逆に、とても恐ろしい。
「ヴィヴィアン…。やめなって。人を撃っても良い事なんて一つも無いんだよ。大丈夫。もうこんな事をしなくて良いんだよ。僕は分かったんだ、お前がこうして逃げ続けている意味が」
「仰ってみて下さい」
「いいよ」
ヴィクトリアンの優しい瞳。力が込められていた。
その後ろでジャックは脚の痛みと格闘しながらも、痙攣する右手で拳銃の引き金にそっ…、と触れて準備をする。
























ヴィクトリアンが一度下を向いてから静かに顔を上げて、返事をしようとした時だった。
「うぐっ…!?」
突然ヴィヴィアンの目は見開き、顔は苦しみ藻掻いていた。
「ヴィヴィアン・デオール・ルネ…見つけた…」
背後から、物音一つたてずにやって来た日本兵慶司がヴィヴィアンの首を後ろから両腕で締め付け、彼の身動きを封じた。けれど、まだ殺さない程度に。
慶司の垂れて丸い瞳の面影が無い。今は鬼の様につり上あがっていて殺気立っている。ヴィクトリアンはただ、目を見開き口をパクパク開閉するしかできずにいた。
「ぅぐっ…、け…、司…君…、」
首を絞められ、顔を歪めるヴィヴィアンからはいつもの捻くれた言葉が一切聞こえず、苦しむ唸り声だけが聞こえてくる。
「戦闘機や爆弾のこんなにも煩い音の飛び交う中にずっと居ると耳がおかしくなってしまうんだ。だから、僕が近付いてきた微かな足音さえも拾えなくなってしまう」
慶司の声がとびきり低くてまるで、悪魔の様にガラガラに枯れている。
「覚えているか…ヴィヴィアン・デオール・ルネ。あの日の舞踏会を…。あの日、お前が姉上に渡した手紙の内容に姉上は心からの笑顔を見せてくれた。初めて他国のお友達ができました。…飛びきり跳ねた声でそう言っていたのを僕は今でも鮮明に覚えている。それは、僕にとってもとても嬉しい事だったから。でもそんな姉上は…お前の友人・宮野純咲唖は死んだ」
「!」


ドクン…!

ヴィヴィアンとヴィクトリアンの目は大きく見開き、外にまで洩れてしまいそうな鼓動が鳴った。


ガタ…ガタ…、

ヴィヴィアンの体が小刻みに震え出した事に気付いた慶司は眉間に皺を寄せて、怒りを露にした悪魔の顔をする。歯をギリッ…!と鳴らす。
「お前が殺したというのに何故こんなにも動揺しているんだ…!ふざけるな!!」


ギチッ…!!

慶司が怒鳴り声を上げたと同時にヴィヴィアンの首を絞める腕の力が限界に近付く。彼は苦しさに目を瞑り、唸り声はだんだんと聞こえなくなる。顔から色が消えていく。























「やめてくれ慶司君!この子は本当はルネ国王を、」
「申し訳ないのですが、今は僕に声をかけないでくれますか、ヴィクトリアン様。…こいつを殺したらルヴィシアン国王様から死刑という刑罰を下されるという御話を耳にしました。しかし、今の僕には殺されても構わない覚悟があります」
慶司の腕に更に力が込められると、唸り声が届かなくなる。辛うじて立っていられたヴィクトリアンの足は震え出した。
一歩一歩ゆっくり慶司に近付き、ヴィクトリアンが説得を試みようとするのはヴィヴィアンの無実を知っているから。確信はできないのだけれど。
「ヴィクトリアン様。今の内に港へ御向かい下さい。どうぞ、御気を付けて」
「慶司く、」
「兄上…助けて下さい…」
「…!!」
辛うじて聞こえた、自分の事を兄として呼ぶ助けを求めてきたヴィヴィアンの擦れた声。そんな彼の赤色の瞳から頬を伝った涙に、ヴィクトリアンの胸は音をたてて痛む。我を忘れ、弟の元へ駆け出した。
「来ないで下さい!!」
そんなヴィクトリアンに対し、目を見開いて狂者のように叫ぶ慶司。そして、先程撃たれた痛みなど忘れて血相変えてヴィクトリアンを追うジャック。






















「王子!」


パァン!

「え…?」
「なっ…!?」
1発の銃声がして、ヴィクトリアンは目を大きく見開きその場に崩れ落ちる。


ドサッ!

ヴィクトリアンがヴィヴィアンを助けようとしてこちらへ近寄ってくる怒りに没頭してしまい、ヴィヴィアンから腕を放してしまっていた慶司。
自由となったヴィヴィアンの左手には、隠れて軍服から取り出していた拳銃。銃口からは灰色の煙が見えた。今、ヴィクトリアンを撃ったのは紛れもなくヴィヴィアンだ。
慶司とヴィクトリアンの隙を見つけたヴィヴィアンは、其処で蹲るヴィクトリアン目掛けて一目散。口が裂けそうな程の悪魔の笑みを浮かべながら。
「!」
その笑みを見てしまったジャックは、先程見せた彼の涙も助けを求める悲痛な声も全てが演技だったと確信する。同時に、一気に込み上げジャックの体を満たした彼への怒り。
「死ねぇぇぇ!!」


パァン!パァン!パァン!

死刑の件など忘れ、狂者のように怒鳴り散らし、命中など気にせず無闇やたらに発砲しだした。そのせいでヴィクトリアンに近付く事ができなくなってしまったヴィヴィアンは、部が悪そうに舌打ちすると、身を屈めながら素早くこの場を去って行く。
「チッ…!」
こんなところでまだ死んでいられないから。























彼を追おうにも、理性を失ったジャックが邪魔で追えずにいる慶司。仕方なく懐から拳銃を取り出して、止むを得ずジャックの足か手を撃って彼の暴走を止める事にした。銃口を、彼の足に向けて標的を定める為に片目を瞑った時。
「やめろ!」
初めて聞いたヴィクトリアンの怒鳴り声。響き渡ったその声に、ジャックも慶司も動きを止めた。
撃たれたせいで血がドクドク流れる脚を押さえながらもゆっくり体を起こすヴィクトリアンは、痛みに顔を歪めて片目を瞑っている。
すぐ様彼の元へ駆け寄った2人の顔の前に右手の平を出して、静止させる。すると自分1人で、ジャックや自分の血が飛び散った床に片手を着き立ち上がろうとするから、慶司はたまらず駆け寄り手を貸すけれど、また静止させられてしまう。それでも尚手を差し出すと、今度は力強く振り払われてしまった。


パシッ、

ふらつきながらもやっとの事で立ち上がったヴィクトリアンは、静かに息を吐き、壁に寄り掛かって低い天井を見上げる。
「…ヴィクトリアン様、大変申し訳ありませんでした。僕が、奴から武器を奪っていれば…」
ヴィクトリアンは静かに首を横に振る。2人の顔を見て、痛みと戦いながらも微笑んだ。元からつり上がったその目が糸のように細くなる。
「ごめんね、僕の弟が。やんちゃ盛りだと話し合うのも難しいねぇ」
返事ができなかった。
口を閉ざす2人を見てまた笑むと、ヴィクトリアンは壁から背を離してよたヨタヨタ歩き出す。
「ヴィクトリアン様!」
「おい!何処行くんだよ王子!」
慌てて追ってくる2人に顔を向けると、申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「ごめん。フランソワを迎えに行くの、ついて来てくれるかな?」










































都城外――――

格納庫で奪った日本軍のあの戦闘機に搭乗したヴィヴィアンは息を荒くしながらも、無線で自身の部隊総員に通信をとる。通信の繋がらない者がいたけれどそれは承知の上。
「今回の作戦は失敗に終わった。直ちに引き返す」


ドサッ、

「…はぁ」
力無く言った後、背もたれに背を預けて天井を見上げ深い溜め息を吐く。
「全くうまくいかないな。ライドルの時から負けてばかりだ…」





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