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症候群-追放王子ト亡国王女-
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カイドマルド王国―――

小さな窓から朝の陽射しが射し込む。既にデスクに着いているダミアンはその陽射しを利用して、書類に目を向けている。この国カイドマルド王国はやたらと冷え込む為、毛布に包まっていた。
相変わらず無表情ではあるが、とても眠たそうなその姿はまだまだ子供。先程から首がカクンカクンとしていて、いつ眠ってしまってもおかしくはない。何度も出る欠伸と流れる涙を手で拭い、次の書類に目を移す。


コンコン、

「国王様。ハーバートンでございます」
「…入れ」
静かな音をたてて入ってきたハーバートンは、相変わらず老人とは思えない姿勢。背筋がピン、としていて黒いスーツが紳士だ。可愛く鳴きながら足元に寄ってきた愛猫メリーにも一礼をするハーバートン。
「おはようございますメリー様」
「にゃあ」




















ダミアンは頬杖を着き、面倒そうに書類を見ては欠伸をしてばかり。そんな彼を見て、普段から心配そうな顔を更に心配そうにした。
「国王様、御体の方はもう大丈夫でございますか」
「…ああ」
いつもなら話途中に割って返事をしてくるというのに今日はやたらとゆっくりした口調で、誰がどう見ても眠い事が一目瞭然。いつもあんなに大人びた発言をしたり態度を見せているが、こんなにも子供らしい姿が見れて、ハーバートンの顔にはふんわりした笑みが浮かぶ。
「朝食はいつものもので宜しいでしょうか」
「メリーの分もだぞ」
「承知致しました。国王様とメリー様の分でございますね」
「ああ」
一礼をしたハーバートンが部屋を去ろうとして扉の元へ歩み寄った時。


コンコン、

部屋の外からノックをする音がして、ゆっくり顔を上げて扉を見るダミアンは寝惚け眼のまま無愛想な返事をする。























開かれた扉に立っていたのは1人の若い男性軍人。
「失礼致します」
背筋を伸ばして力強く敬礼をすると、一歩だけ前へ出て室内へ足を踏み入れる。これ以上は入室を禁じられているから。
「軍事階級ラキ少佐でございます。国王様、先日から部下のサイの姿が見当たらないのです。失礼ながらも、私が軍を代表して御聞きにやって参りました」
「サイなら先日、生意気にも私の所へやって来たぞ。内乱は止せだとかどうとか逆らってきたな」
「部下が大変失礼を致しました申し訳ございません。私共の指導不足です」
「それ以降一切あいつの姿は見ていない」
「それでは見付け次第御報告をすると共に、サイには何らかの処罰を与えておきます。朝早くから大変失礼致しました」


パタン、

また敬礼をした後ハーバートンにも敬礼をすると静かに去って行った。彼の姿が見えなくなるまで頭を下げるハーバートン。見えなくなるとハーバートンもダミアンに一礼し、静かに部屋を出て扉を閉めた。


パタン…、

閉まる音がしてすぐ、メリーがダミアンの膝の上に飛び乗る。甘えてくるメリーのふわふわ柔らかい毛並みを細く病的な手で撫でながら、右手に持った書類に目を向けた。
「サイ…か。低能な人間は必要無い。まあもうこの世には居らんが」


バサッ!

乱暴に書類をデスクの上に放り、テレビのリモコンを手に取り、電源を点ける。




















テレビ画面に映し出されているニュースを必死に伝える女性アナウンサー。その後ろには、微笑むルヴィシアンの映像が流れている。
右上に表示されている見出しをダミアンは目を凝らして見た後、鼻で笑った。表情は変わらず無いままだから余計恐ろしい。

『先日ルネ王国ルヴィシアン国王が軍事費用を費やす為国民に課税を致しましたところ、一部の市民が暴動を起こしました』

ルヴィシアンの映像は、アナウンサーが読む内容に合った映像に替わる。
力が無いなりに、必死に反対運動を起こす薄汚れた可哀想な民間人達がテレビに映る。貧富の差が激しい国であるから、仕方のない光景だ。彼らがルネの人間で無ければ素晴らしい人生を歩んでいたかもしれない。しかし、この国に生まれついてしまったのは彼等の運命であるから、どう願ったって抗えない運命だ。


パァン!

大きな銃声と同時に、血を噴き踊る様に次々と倒れていく彼らのその様は実に呆気ない。
「こんな映像、以前だったら絶対に放送しなかったというのにな。それだけ人間が荒んできたという事か。予測はしていたがな」
アナウンサーの後ろの映像がルヴィシアンの映像に戻った途端、ダミアンはつまらなそうにリモコンのボタンをもう一度押す。


プツッ、

電源は微かな音をたてて切れた。




















たくさんの書類を一まとめにして、デスクの上で隅をきっちり揃える。
「ぼろが出始めたな。まあここまで保てたという事だけは誉めてやろう」
冷めた口調で言った後、寄ってきたメリーの頭を愛しそうに撫でる。見つめる彼の瞳は感情が無いというのに、どこか寂しそうだった。
主人の心情の変化に気付いたのだろうか。メリーはダミアンに頬擦りをしてくれた。そんなメリーをまた撫でる。此処に居る事を確かめるかの様に。


コンコン、

またもノック音。今日は朝からやけにノック音を聞いている。眠たい時や、そっとしておいてほしい時に限ってこんな調子だ。人生なんてそんなもの。
「ハーバートンでございます」
「入れ」
ハーバートンがこの部屋を出てまだほんの数分しか経っていないというのに、彼はもう朝食を持って来たのだろう。そう思ったが、現れた彼の両手には食事は無い。代わりに電話の黒い子機。走ってきた様で、彼は肩で息をしていた。
そんなにまで急ぐ用なのだろうか?細い右手を彼の方へ伸ばし、「貸せ」とだけ冷たく言うと、その手にそっ…と乗せられた子機。
「はぁ」
電話の相手には聞こえぬよう小さな溜め息を吐いてから、それを耳にあてる。相手から話し出すのをただジッ…と黙って待つ。
「ダミアン国王様でございますか?私、アン帝国第五皇女ルーベラ・ロイヤル・アンと申します。少し御時間を頂けますでしょうか」
「構わない、続けろ」
高めでまだ10代後半もいっていないであろう少女の声が電話の向こうから聞こえてきた。それでも、口調も言葉遣いも大人びていて立派だ。
皇女から他国の国王への連絡など珍し過ぎるし、悪く言えば無礼な事。それでもダミアンは何も指摘をせず、ただ黙って話を聞いてやる事にした。ここ最近同じ毎日の繰り返しでつまらなかったから、少しでも目新しい出来事が欲しかった。ただそれだけの事。





















「コホン、」
電話の相手ルーベラは一度咳払いをすると、先程よりも力の籠った低目の声で話し出す。
「我が帝国は御存じの通りルネとの同盟を結んでおります。しかしそれは今となっては、同盟という名のただの支配下です。言い様に使われ…。やはり力ある者は全てを従えたくなるものでございますから」
「……」
「先日、当国はアルデンス王国の奴隷をルネへ輸出しようとしておりました。しかし、当国の皇女アダムス・ロイヤル・アンが彼等を逃がすという何とも低能な事をしてしまいました。彼女はマラ教信者のようで、教祖の強肉弱食という普通ではありえない精神に乗っ取り、逃がしたのだと思われます。その為当国とルネは今、マラ教殲滅の為に軍まで出しているという事です。この話は一切表沙汰にはなっていない事ですので、国王様にはどうしてもお伝えしたいと思いまして」
「前者と後者では巧く話の内容が繋がっていないと思うのだが?」
「大変失礼致しました。国王様の御国もマラ教殲滅活動を行われておりますよね。そこで、如何でしょう?共にマラ教を殲滅させ、横暴なルネも滅ぼしましょう。大丈夫です、こうして裏で手を組めば…」
真面目で純粋。そんな声で口調の少女が真っ黒い闇に染まっていく事はすぐに気付けた。結局、争いを望む者に清らかな心の持ち主などいないという事を改めて認識する。






















手元に綺麗に並べてある書類の中からアン帝国皇帝の写真が掲載されたものを手に取ると、音もたてずに読み始めた。
そこにはアン皇族の家系図も記されており、第五皇女にはしっかりと今電話の相手をしている彼女の名が刻まれていた。女系家族の帝国だが、少しは皇子だっている。それなのに、何故一番年下で女性の彼女が電話をかけてきたのだろうか。
皇帝は今回の件を頼む粗品として、彼女をカイドマルドへ献上しようとでも思っているのだろうか。もしそうだとしてもダミアンは、女や宝石という上流階級の人間がハイエナの様に群がってまで欲しがるモノなど、欲しくない。欲しいモノはただ一つ…。
「この件は皇帝直々によるものか」
「そうは直接仰ってはおりませんが、皇帝は常日頃口に洩らしているのです。この大戦の諸悪の根元となっているルネさえいなくなればこの世界大戦は幕を閉じるのだ、と」
「欲の塊の人間が居る限り争いは終わらないけれどな」


バサッ、

書類の山の上に手にしていたアン帝国の書類を放り投げると、背もたれに背を預け微かな溜め息を吐いて天井を見上げる。彼の金色の長い睫毛が邪魔をして視界が狭まる。



















電話の向こうからクス、と少女らしいがどこか黒さを持った微笑する声が耳に届く。目線を受話器に向け、それを持つ手の力を込め直した。
「とても楽しい御方ですねダミアン国王様。私、カイドマルド王国の為にも早く争いを起こしたくて堪らないです」
「御託はいい。やるからには多くの犠牲、覚悟、そして勝利を得る事、ルネを潰す事が大前提だ。一瞬でも敗北を考えたらそこで我が国もそちらも終わりだ」
「承知致しております。後日、私から直接御伺い致します。私、外には顔が知られていない者なのです。だから私が。この件はメディアに知られてはいけない事ですから…絶対」
顔は見えないから彼女が今どんな表情をしているか分からない。けれど、最後の"絶対"の言葉と同時に、口が裂けてしまいそうな程まで微笑んでいる少女の顔を予想できた。


ツー、ツー…

通話を終えると、ハーバートンには目を向けず無言で受話器を手渡す。手からそれの重みが消える。すぐに書類に目を通し始めたダミアンに声を掛けようとしたが彼からは"声を掛けるな"そんな雰囲気が漂う。
一歩前へ踏み入れた足を下げると、静かに一礼をし、食事を持ってくる為部屋を後にした。


パタン…、

部屋の扉が閉まる音がしてすぐに顔を上げたダミアンは、目の前にある黒くて大きな扉を、その青く美しい瞳でジッ…、と見つめる。この扉の向こうにある部屋は、ダミアンしか入室を許されていない部屋。
すぐに目線を下へ向けて、1枚の書類に目を向ける。
「超大国は大変そうだな。四方八方から目の敵にされ。どこまでいけるのか見せ合おうではないか。私を楽しませろよ、同類として。ルヴィシアン…」
書類に添えられた写真に写る馬鹿みたいに華やかな格好のルヴィシアンは、弱味一つ見せない自信に満ち溢れた笑みをこちらに向けていた。
















































晩――――

ガタガタ、

窓がガタガタ大きな音をたてて揺れる。下手をすれば硝子が割れてしまうのではないかと思う程だ。
強風、横殴りの雨。人々を和やかな気持ちにしてくれるカイドマルド国内で有名なラッセル川も今日はお怒りの様。酷く荒れているし、川の増水を心配して見に来た人間を飲み込む悪魔と化していた。ジュリアンヌ城真裏に広がる美しい大海も、この嵐に負けぬ大きな声を上げて波を荒げている。
その様子を窓に両手を付けて細い目を更に細め、眉間に皺を寄せて見つめているのはクリス。襟とネクタイが付いた深い緑色の軍服を着用した彼女は細身で、国を守る為に戦う人間には到底見えない。
その女性らしくて華奢な姿を見付けたエドモンドはフッ、と微笑するとわざと足音をたてながら近付く。気付いてもらえるようにとった行動だというのに、彼女は一向にこちらを振り向いてはくれない。機嫌でも悪いのだろうか。


ポン、

肩にそっ…、と手を乗せ、声を掛けようと口を半分開く。
「嵐ね」
「何だマダム。気付いていたのなら"あら御機嫌よう"とかそれくらい言ってくれたって良いじゃないか」
「貴方はいつも本当暢気ね」
窓に背を預けてやっとこちらに体を向けたクリスは半分呆れながらも、半分面白可笑しそうに笑う。
目の前に居る、優しく垂れ目で軍人には見えなくてチャラチャラした貴族にしか見えないエドモンドを見てまた笑う。今度は腹まで抱えて笑う。
「ふふふ」
「嫌だなマダム。私の顔に何か付いているのかい」
「いいえ。そんな事無いわ」
そうは言っても彼女は未だに腹を抱えて笑い続けているから、ムッとして見せた。これっぽっちも怒ってはいないのだけれど、ただこの場の雰囲気に合わせてみただけ。
























彼女の細い肩越しに見える窓の外の荒れ様に目を向けながら、エドモンドは口を開く。窓に右手を添えて。
「聞いたかいマダム。ルネ君は軍に入ったよ。チェスなどの頭脳を使う遊びが好きらしい。ほら、マダムが目を付けていた子だから情報収集までしてきたんだ」
「いやね、そういう意味で目を付けていたのではないわ」
「じゃあ一体どういう意味だい?」
首を傾げて彼女に顔を向ける。壁に背を預け腕組みをする彼女は鼻で笑うと、顔を上げた。
「ちょっと、私用でね」
「私用?駄目じゃないか軍人が私情を持ち込んじゃ。あ、ちょっと!」


カツン、コツン、

黒いブーツのヒールを鳴らし、腕組みをしたまま1人で歩いて行ってしまう。エドモンドの話が全て終わらない内に。
彼女の細い背を追い掛けようとして足を一歩前へ出すが、そこでピタリ…と止めた。遠くなり、やがて見えなくなった彼女。
エドモンドは壁に背を預けると、横目で窓の外を見る。こんな日にも関わらず、小さな1隻の船が海に出ている。案の定大きな高波に飲まれ、船は派手に転覆した。波は横に揺られ、狂者が踊る様に激しさを増していく。
「国に限らず、小さなモノは全て大きなモノに飲み込まれてしまう。お父様の仰る通りだ」
鼻で笑うと、声を洩らして壁から背を離し、歩いて行った。
誰も居なくなった廊下を、古くなったせいで暗い灯りしか放てないシャンデリアの灯りだけが此処を照らす。











































数時間前、
カイドマルド軍本部――

「う"っ!」


ドサ、

派手に殴り飛ばされた音と掻き消される唸り声。冷たいコンクリートの上に体を強く叩き付けられたヴィヴィアンは、冷たい表情しか見せないカイドマルドの軍人達の足元で床に這いつくばる。
殴られた頬は酷く痛むし、口の端からは生々しい赤が流れ出る。眉間に皺を寄せて睨み付けるけれど、まだ若いであろう少尉は動揺一つ見せず腕組みをして見下ろしてくる。
見下ろされる事がこんなにも恐ろしく身震いまでしてしまう事だなんて知らなかった。いつも見下していた自分は、逆の立場の人間の気持ちなど知ろうともしなかったヴィヴィアン。知ろうとするだなんて、気持ちが悪い。このまま永遠に、自分の命が尽きるまで見下ろして生きていくと思っていたし、そうでありたかった。なのに…。
「ぐっ…、」
歯を食い縛り、痛みを堪え力を込めた両手を着いて立ち上がる。長くなった前髪で隠れたヴィヴィアンの顔を、まだ睨み付ける少尉。
「良いか。今までどんな階級を得てどんな生き方をしてきたのか詳しくは知らないが、今のお前は国王様に生かして頂き、この国の為にだけ生きているんだ。昔が王の子供であったなどそんな言い訳は屁理屈になるだけだ。今からは現実から目を反らすな。そして受け入れろ」
長い前髪の間から覗くヴィヴィアンの赤くて鋭い瞳は、少尉の言葉を受け止めた純粋な瞳には到底見えなかった。



































訓練を一通り終えると皆は宿舎へ戻るが、ヴィヴィアンだけはジュリアンヌ城へと戻る。軍人達の冷たい視線と皮肉った笑い声がする道を歩くしかなかった。そうしないと、地獄の様なこの場所からは離れられないから。
「あの小さいのが?」
「ええ、そのようですよ。ほら。先程偉そうに逆らってきましたでしょう。ルネの戦法を私達に押し付けないで頂きたい」
「ルネなんて気持ちが悪い」
何故だろう。真実を分かってくれない母国ルネやルネの人間が憎くて堪らないはずなのに、こうもルネを馬鹿にされると腹が立つ。ヴィヴィアン本人は気付いてはいないが、眉間には何重もの皺が寄っていて丸い瞳がつり上がり、怒りに満ちていた。


ザァー…、

外に出てみると土砂降りだった。空は陰惨で、何だか気が滅入ってしまいそう。
ふと、黒光りした1台の大きな車が視界に入った。
「やあ」
それに乗車していた人間エドモンドは窓を開け人の良さそうな笑顔で、ヴィヴィアンに乗るように合図する。
彼の事は一度城で見掛けた事がある。しかし、何故彼が自分を迎えに来たのかが分からないから、眉間に皺を寄せた悩ましい顔で彼を見ていたら、それに察した彼の方から口を開いてきた。
「国王様に言われて来たんだよ、ルネ君を迎えに行けってね」
また見せた笑顔と白い歯がこんなにも暗い中、光った。

























バタン、

乗車してからは、後部座席でただ黙って酷く機嫌が悪そうにムスッとしているヴィヴィアン。エドモンドは運転をしながら、チラチラとバックミラーでヴィヴィアンを見ている。
「口、切れてるよ」
「大丈夫です」
「あー分かった。怒られたね?駄目だなぁ。少尉は怒りやすい人だから気を付けなさい」
彼はただの貴族なはず。そう思い込んでいるヴィヴィアンには、彼の一言一言が不思議で仕方ない。
「そうそう。私は舞踏会だとか娯楽が大好きなんだけれどね、ルネ君は何がお好みかな」
「僕は貴方と違って軍人ですから、娯楽に依存していられないのですよ」
「あー、この前会った時の私を見たから私の事を貴族だと思っているんだね」
「何を…」
「私エドモンド・マリアはカイドマルド軍の将軍だったりするんだよねぇ」
「!」


キキーッ!

赤信号へ変わろうとする黄色信号を無視してアクセルを思い切り踏み込んだエドモンド。数えられるだけしか車が走っていない閑散とした道路に響き渡るのは、エドモンドが運転をするこの車のタイヤが擦れる煩い音。
軍本部は隣街にあるというだけあってか、城までの道程は遠い。車内に居る時間は道程よりも長く感じる。気まずいと思っているのはヴィヴィアンの方だけらしい。
一方のエドモンドは必要の無い事まで質問をしてくるから、この国の人間としては珍しい明るく陽気過ぎるお喋りな人間だ。恐らく彼は人の輪の中で浮いた変わり者な存在なのだろうな…と思っていたら、その心を読んだかのようにエドモンドは自らを浮いた存在だと言い出した。
「よく変わり者だと言われてねぇ」
内心酷く焦るヴィヴィアン。しかしすぐ自嘲した。
――人の心を読めるわけ無いって。相当病んできたな、僕は―――
少尉に打たれた痛々しい頬や切れた口をバックミラー越しに見ながらエドモンドがまた色々言ってきた。しつこいから、ヴィヴィアンは簡単に気持ちの籠っていない返事をするだけ。






































ジュリアンヌ城――――

城に着いた時、外は最高潮に荒れていた。
その中下車したヴィヴィアンは、城の近くにある大きな車庫へ車を入れてくると言ったエドモンドに礼を言う。やはり気持ちの籠っていない口調で。
エドモンドはまた明るい笑顔を向けて手を上げると車窓を閉め、水飛沫をたてて車庫へと車を走らせて行った。


バシャッ!!

悪気は全く無いのだろうけれど、彼が異常な程までのスピードを出したせいで水飛沫を浴びたヴィヴィアンは濡れた軍服を手で摘み、嫌そうに顔を歪めた。当たり前だけれど傘を渡されなかったから、雨に打たれ、ずぶ濡れになりながら水飛沫を上げて城の入口まで走る。


ギィッ…、

門を乱暴に押し開けて、薄くて不気味な灯りが二つ灯る入口へ入る。城内へ入ろうとして白いノブに手を掛けたのだけれど、その時頭の中で浮かんだのはダミアンの顔。こんなにずぶ濡れで汚いまま城内へ入ったら何と言われるだろうか。
仕方なくエドモンドが戻ってくるまで1人、真っ暗くて悪魔の様な空を見上げながらエドモンドを待つ事にした。





























カタン…、

疲れてしまったのか壁に背を預け、其処に座り込んでしまうヴィヴィアン。切れた口元に触れる。濡れた手触りは無いから、今まで流れていた血は止まった様だ。
「あの戦略で勝てた試しが無いと言っていたから効率の良い戦略を提供してあげただけなのに。階級の無い一般兵の権力はこれ程まで無いに等しいのか。意見一つ聞いてもらえないなんて」
風がまた強さを増した。

ゴオッ…!

雨宿りとなっていた入口も、風に吹かれた雨が襲ってくる。舌打ちをし、エドモンドが車を走らせて行った方向を睨んでみるけれど、暗闇の中から彼が現れる気配は全く無い。
腕で陰を作り顔が濡れないようにした時。入口に1人分の人影が足元に映った。咄嗟に振り向く。
ずぶ濡れなのだけれど、金色の美しい髪と緑色の美しい瞳。整った可愛らしい顔そして何よりも貴賓漂う少女が其処に居た。彼女が人影の正体。
口を強く結んでいる彼女とは視線が合い過ぎて、逆に反らし辛い状況。口もきいていないから彼女がどんな人間かも分からない。けれど、誰かに酷く似ていた。運命に逆らえず物の様に生きているその姿は、嫌になるくらい誰かに酷く似ている。
「ルーベラ様」


バシャバシャ!

黒い傘をさして、黒い立派なスーツを着用した身長の高い1人の男性が彼女の元へ駆け寄って来た。水飛沫を上げる。
























少女ルーベラの細い肩を大切そうに抱き、片手で傘を閉じると、城へと続く扉を開く。その際、其処に座り込んでいるヴィヴィアンを睨み付けるように見下ろしてきた。
「無礼な。この御方を何方と心得る」
「え…」
「アン帝国第五皇女ルーベラ・ロイヤル・アン様だ」


バタン、

怒りが込められた口調でそう言い捨てると、扉が閉まった。煩い雨の中、1人残されたヴィヴィアンは溜め息を吐く。
「僕は今、また自分の以前の身分を口にしようとした。お前の方がこの僕を前にして無礼だろう、と言おうとした。言ったところでどうなるっていうんだよ。嫌だな。いっそ記憶喪失になってしまえたら楽になれるのに」



バシャバシャ!

嵐の音とはまた別に水飛沫の上がる音が聞こえ、ゆっくりと顔を上げる。こちらへ駆けてくるエドモンドの姿を捉えると、ヴィヴィアンはすぐに立ち上がった。










































ジュリアンヌ城内
サルーン――――

国王の部屋隣にあるサルーンでは、縦に長い黒いテーブルに向き合って椅子に腰掛けるダミアンと『ルーベラ・ロイヤル・アン』14歳の姿がある。
ハーバートンは2人の前に、湯気のたつ紅茶をそっ…と置く。それから、サルーンを出た所に立っているルーベラの護衛に挨拶をしてハーバートンは薄暗い廊下を歩き去って行った。


カチャッ…、

一方のルーベラは紅茶を口にする。音をたてぬ様カップをテーブルの上に置くと、顔を上げた。緑色のその瞳は力強く、感情の込められていないダミアンの青色の瞳にも物怖じしない。
ルーベラは黒い鞄の中から数100枚にわたる分厚い書類を彼の前に差し出す。
黙ってそれに手を伸ばす彼は、1枚1枚に目を通していく。一言も発さず。


しん…

その間の気味の悪い沈黙は数分だったというのに異常に長く感じた。
ゴクリ…とルーベラが唾を飲み込んだと同時に、彼は書類の隅を綺麗に揃えてそれらから手を離す。こちらは一切見ず、ただ視線を落としている。
「ルーベラ皇女殿下。ルネと今最も親密な関係にあるアジアの国の事は御存知か」
「ええ、勿論ですとも。日々進化をし続ける国日本でございますよね」
「あの地域の人間は利己的だ。その為、科学技術の発達が目覚ましい。そんな国と軍事大国のルネが手を組んだからこそ、新型戦闘機の導入も考えられぬ事ではない」
「それでは我々に勝ち目は、」
「その為、少しでも役に立つであろう以前ルネ側に居た人間を私は連れてきた。実際役に立つかは分からないがな」
また書類を手に取るとそれで鼻まで隠して、目だけを出して彼女の事をジッ…と見る。
ルーベラは内心、初めて見たダミアンの若さと、歳の割りに幼さがあり表情の全く無い姿に驚きを隠せないのだが、母国の為に自分の為にその気持ちを押し殺す。気持ちを押し殺す事は、幼い頃からの一つの特技となっていたから。






















一方ダミアンは、ルーベラから渡された、彼女が今まで自ら製作したという戦略の載った書類に視線を落とす。
「先程申した私が連れてきた人間は、この戦略を考えた者だ」
「!」


ビクッ!

ルーベラの体が一瞬大きく震える。その後も余韻として小刻みに震え続ける。
初めて彼の前で動揺を見せてしまった。今回の同盟が断られてしまいそうで、不安で仕方ない。一刻も早くこの場から逃げ出したくて下を向き、目を強く瞑った時だった。


キィッ…、

車椅子の動く音が耳に入り、咄嗟に顔を上げる。
ダミアンがゆっくりゆっくりと漕ぎながら、ルーベラの脇を通り過ぎて行く。膝の上に書類を乗せたまま。
「この戦略全て、基となった戦略があるだろう。ルネが憎いからと言って今回申し出てきた者のする事ではないな」
「申し訳ございませんでした。国王様が御察しのように私は、これから敵国となるルネの戦略を、」
「全てコピーした」
「っ…、申し訳ございません。しかし、そうすれば我が帝国は勝てるのかと…」
「それは何とも安易な考えだな。強国の戦法を真似て強国になれるのだったら何処の国だって実行するだろう」
「申し訳ございません、本当に…」
「そんなにルネの戦法が好きなら此処に連れて来よう。母国の戦に使用する程皇女殿下の心を惹いた戦略の製作者を」
「えっ!」
ルーベラの緑色の瞳が美しく輝いた。しかし輝いていたのも始めだけだった。製作者はルヴィシアンという事で世間に伝わっている為、それを思い出した彼女はダミアンの一言に酷く驚く。
何故?と緑色の瞳で問いながら見つめても、ダミアンには表情が無いからただ其処に居るだけだった。





































「国王様がお呼びですよ」
「また…」
ハーバートンに呼ばれ、国王の部屋へ二度目の訪問となるヴィヴィアン。今度は一体何をずけずけと言われるのだろう…。胃が痛む思いでゆっくり扉を開く。


キィッ…、

「失礼します」
其処には、先程雨の中見た美しい金髪の少女ルーベラの姿があった。先程は暗かったし雨に濡れていたから彼女の姿をしっかりと見る事ができなかったが、今ははっきりと見る事ができている。雪の様に真っ白な肌。
戸惑ってダミアンの顔ばかり見るが、彼は黙っていて一切動こうとはしない。この奇妙な雰囲気をどう対処すれば良いのかヴィヴィアンが分からずにいたら、ルーベラ自らこちらに、細くて白い手を伸ばしてきた。
「国王様から御聞きしました。貴方の事全て」
「え、ああ…」
彼女はドレスを持ち上げて簡単に挨拶を済ますが、眉間に皺が寄っている。機嫌が悪そうというよりも、目の前の人物が嫌でたまらないという様子。
「彼女はアン帝国ルーベラ皇女殿下。今までの帝国の戦争ではお前の戦略をコピーして戦っていたという。所謂、幼児貴様のファンだな」
そうダミアンが口にした。また皮肉られても、やはり彼女が皇女という事に疑問符ばかりが浮かんで、ダミアンの皮肉も気にならないヴィヴィアンは彼女を見つめる。
――アン帝国はルネの同盟国であり、奴隷をはじめとするルネにとって最大の貿易相手国のはず。何がしたいこの女は。まさか母国を裏切るのか。それなら一体何故…――
「皇女殿下を待たせる気か。やはり餓鬼だな、ただの一般兵が」
ダミアンの力強い声が耳に入った事で我に返ったヴィヴィアンは慌てて、ルーベラが差し出した手を握った。


ギュゥッ…!

「痛っ?!」
その時握り返してきた彼女の手に込められた力が異常に力強くて痛かった。初対面の相手と握手を交わす時の力量ではない。まるで大嫌いな相手と交わす時の力量。
そんな事も知らず、握手を交わす2人を微笑ましそうにハーバートンが見ていたそうな。

























「ルネはアン帝国と同盟国と言いつつ、圧力でアン帝国を抑え付けている。やっている事は支配下と同じ。それは貴方なら御存知でしょう?」
「…なるほど」
「理解の早い方で助かったわ。ルネは苦手だけれど私は貴方の戦略、派手で的確で大好きです。ルネを滅ぼす為に力を貸して」
「超大国を滅ぼすだなんて事は夢物語に過ぎませんよ皇女様。滅ぼすなら小国までが限度ですね」
「それでは貴方は何を目的としているの」
「ただ生きたいだけな臆病者だろう」
ヴィヴィアンが返事の番を割り込んで、またダミアンの言葉が邪魔をした。腹立たしくてヴィヴィアンの目元はピクリ…と痙攣するが、ここは大人になる事を決意し、込み上げるダミアンへの怒りを抑える。
「国王様の仰る通りです。人間ですから生きたいそれが目的。しかし、それは王室を追放されて直後の僕の目的でした。今は違います。今の目的は、ルネ王室の崩壊」




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あきゅろす。
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