[携帯モード] [URL送信]

症候群-追放王子ト亡国王女-
ページ:1




7年前。
カイドマルド王家ルーシー家とマラ教徒との内紛が起きていた。
カイドマルド王室は軍隊のお陰で見事勝利をおさめたのだが、国王をはじめとする王族のほとんどがマラ教徒に殺害されてしまったという大惨事になってしまった。この事件を人々は『ルーシー家襲撃』と呼ぶ。
その中で唯一奇跡的に生き残ったのはダミアン・ルーシー・カイドマルド。彼は、マラ教徒達が最も憎む国王。































結局、マラ教徒の少人数しか発見する事ができなかったカイドマルド軍。
ダリア達が隠れていた教会へも訪れたのだが、彼女達が逃げた後だった。これ以降教徒を見つける事ができなかった為、軍隊は引き上げていった。











































翌朝――――

太陽の日射しが明るくて清々しい朝。
音一つしない静まり返った自室でデスクに着き山積みの書類に目を通していたら、扉をノックする音がした。


コンコン、

「入れ」
ダミアンがいつもの無愛想な返事をしてすぐ、若い軍人が入ってきた。けれど一歩しか足を踏み入れてはいけない決まりなので、一歩だけ。
「国王陛下。また内乱を起こすというのですか。我が国は先日日本と戦ったばかりでございます。無礼を申し上げますが、このままでは我が国の軍事費が底をついてしまいます。国王陛下が王家の崩壊を防ぐ為にマラ教を潰したい御気持ちは痛い程存じて、」
「ぐだぐだ煩わしい奴だ、要領が悪過ぎる」


ドンッ!

頬杖を着いている手とは反対の手で強くデスクを叩いたダミアン。表情は相変わらず無いのだが、この態度で今の彼の心情を察する事ができる。




















軍人が切実な思いを伝えても、所詮ただの国民の一提案に過ぎない。国王の権力には逆らえない。逆に怒りを買ってしまった軍人。
動作で心情を表す事など滅多にしないダミアンがたった今、力強く手を叩いた。軍人は動揺して一歩後ろへ下がりたくなったが、歯を食い縛り、力強い眼差しを向ける。自分の国を思うこの思いを伝える為。
「しかし陛下!」
「下がれ」
しかしダミアンにそんなもの通じなかった。またしても軍事費が赤字だな…そう思い肩をがっくり落とした時。
ダミアンが自分で車椅子を動かして軍人の元へ近寄ってきたのだ。彼の突然の行動に驚き、そして、もしかしたら解ってくれたのか…?という淡い期待を抱く。顔に笑みが浮かんだ。
「サイ、お前に見せたいモノがある。来い」
そう軍人の名を呼んで淡々と言うと、今にも折れてしまいそうな細い腕でまた車椅子を動かし、部屋の中にある大きくて黒い扉の前で止まった。何も言わず、軍人の方を振り向く。
軍人は静かに頷くと、靴の踵を鳴らしてゆっくりとダミアンの元へ歩み寄る。彼が自分の隣に立った事を確認すると、大きくて重たい扉の低い音をたてて開いた。


ギィッ…、





































カイドマルド城下町――

町の真ん中で人々が集まっている。木製の古くさい買い物籠を手に持ち、人々の中心で歌を歌いながらくるくる回っている黒髪の少女が1人居た。
「♪〜♪〜」
靡く髪に負けず劣らずその声も美しい。表情は可愛らしく、ピンク色のキラキラ輝く瞳は見る人の視線を釘付けにする。この少女はアダムスだ。
いつも隠している右目を出しているのは、マラ教徒だと気付かれないようにしている為。これはアダムスの意志でやった事では無く、ダリアに言われたから仕方なく目を隠さない事にしたのだけれど。マラ教徒のほとんどが左右どちらかの目を隠している容姿なのだ。




















歌い終えると、お世辞でも綺麗とは言えない小汚いベージュのワンピースを持ち上げて丁寧に一礼する。


パチパチパチ!

同時に沸き上が拍手と歓声。満足気な笑みを浮かべた人々が1人、また1人と去って行くと、アダムスは籠を肩にしっかり掛け直して笑みを浮かべる。気分が良くなり、買い物の続きをしようと思った矢先。
「立ち退けマラ教徒!」
「!」
背後から聞こえてきた怒鳴り声に驚いてしまい、体を大きく震わす。顔を青くして、声がした方を恐る恐る向く。
自分かと思っていたが、違った。だからといって良いわけはないのだけれど…。
「赤い十字架なんて気味の悪い物を持ち歩きやがって!」
「この異端教徒共が!」


ゲシッ!ゲシッ!

遠くでは、数人の男達に足蹴りされて蹲っている1人の青年がアダムスの視界に飛び込んできた。
彼はマラ教徒らしく右目を髪で隠しているから、自分がマラ教徒である事を世に知らしめている。他国でなら別にこの髪型でいてもただ冷ややかな視線と悪口を受けるだけ。しかし、マラ教発足且つマラ教に王室を壊滅させられた過去があるこの国では、冷ややかな視線だけでは済まないのが現実。





















無抵抗な青年を嘲笑い殴り続けていても、道行く人々はそのすぐ脇を冷たい目で通り過ぎて行くだけ。誰1人助けてあげようだなんて気取った事はしない。我が身大事だ。逆に、面白がって新たに暴行に加わる男も居た。
そんな悲惨な光景を目の当たりにしたアダムスの体は大きく震え、胸はナイフで刺された様な強い痛みを感じる。息が苦しくなり鼓動が速さを増す。
胸元を手で締め付け、ピンク色の小さな唇を震わせながらも静かに開いた。
「て…、やめて…」
頭の中で思い出された映像は、真っ暗で一筋の明かりも射し込まぬ地下に閉じ込められ、鞭で叩かれて血を流しても働かされる奴隷達の姿。あの悲鳴が生々しく思い出されたと同時に、肩に掛けた籠が音をたてて汚い地面の上に落ちた。


ドサッ…、

目をつり上げて覚悟を決める。青年の元を目指して駆け出そうと、小さな足を一歩前に踏み込んだ。


ガシッ、

しかしこれ以上前へ進めない。背後から誰かに服を掴まれているから。
恐ろしく見開いた目で後ろを振り向いたアダムスだったが、自分の後ろに立っている人間の事を見た途端いつもの表情に戻った。
「ダリアさん…」
「アダムス。寄り道しちゃいけないでしょ」
無理矢理肩を掴まれ、青年が居る場所とは反対の方向を歩かされる。歩きながら後ろを振り向いたら男達は居なくなっていて、其処には血を流して身体中傷だらけで意識が朦朧として動く事ができない青年だけが居た。
込み上げる涙。背を優しく叩いてくれたダリアの優しさが逆に辛かった。




























町外れに在る、殺風景で木々が鬱蒼としていて幽霊でも出てきそうな森に一軒だけ建っている家がある。まるで幽霊屋敷の様な平屋。
「ひっく!ひっく…!
中から聞こえてくるのはアダムスの悲しい泣き声。木製の古びた椅子に腰を掛け、顔を手の平で覆いながら泣き続けるアダムス。
ダリアは傍で、アダムスが買ってきてくれた野菜を包丁で細かく切りながらも浮かない顔をして、時々彼女に顔を向けている。


ザクッ!

「痛っ!」
アダムスと野菜を交互に見ていて集中を切らしてしまっていたので、思わず指を切ってしまった。そうは言っても軽傷中の軽傷。瞬間的に感じた強い痛みに思わず声を上げて指を押さえ、止血する。
そのまたすぐ傍にある椅子に腰を掛けているコーテルは、テーブルの上に頬杖を着きながら彼女の事を鼻で笑った。
ダリアは目をつり上げ、自分がこんなにも痛くて驚いたというのに笑っているコーテルの事を一睨みしてから、自分1人で傷の手当てをする。
睨んできた時のダリアの人間とは思えない悪魔の様な恐ろしい表情に恐怖を抱き、今もまだ全身を震わせているコーテル。「あんたこのくらいでなーにそんなに脅えてるのよ!ったく。情けないわねオヤ、」
「オヤジじゃない!!」
「…あら。言い返すのが少しは早くなったじゃない。進歩したわねぇ。偉い偉い。あはは」
わざとらしく笑って拍手まですると、また野菜を切り出した。そんな彼女に向かってまた怒鳴るコーテルだが、ダリアときたら鼻歌を歌っているから無意味だった。




















怒鳴る事にも疲れてしまったコーテルは深い溜め息を吐いてまた頬杖を着く。チラ…、と横目でアダムスに目を向けてみると、まだ肩をひくつかせてはいるがいつの間にか泣き止んでいた。安心して息を吐く。
「アダムスもう泣かなくて良いからな。今はまだ異端とされている俺らだけどさ、もうすぐ。もうすぐだって!ルーシー家も他国の奴らも見返してやれる日がくるからさ。な?」
「ちょっとちょっとコーテル。たかが一般庶民のあんたが一国の皇女様をナンパしないでくれる?」
「お前には関係ないだろ!それにナンパではなくて励ましてあげているんだ!このっ、暴力女!」
2人はまた目をつり上げて怒鳴り声を上げ、睨み合う。堪えきれなくなったダリアが思わず右腕を振り上げた時。
「私は皇女なんかじゃないです…」
あと少しでコーテルの頭の上に拳が落ちるというところで聞こえてきたのは、アダムスの小さな泣き声。お陰で殴られずに済んだコーテルは一安心して大きく息を吐く。
「ホッ…」
その隙に、思い切り殴られてしまった。


ドスッ!






















右手でコーテルを殴るダリアだが、顔も目もアダムスに向いている。切ない表情を浮かべてアダムスを見つめた。
「アダムス、あんた…」
「ダリアさぁんっ…!」
顔を上げたかと思えば、大きな瞳が零れ落ちてしまいそうな程泣いていたアダムス。テーブルに顔を伏せると、声を上げて再び泣き出してしまった。そんな彼女の背を優しく何度も擦ってあげるダリア。
その時。


♪〜♪〜♪〜♪

コーテルの携帯電話からこの場に合わない陽気なメロディが流れだした。
「もしもーし?」
「もしもし、コーテルさんですか」
「あの、失礼ですがどちら様で?」
「私ですよ、マラ教皇の17代目です」
「マラ様!?」
マラの名を口にしたコーテルの声にすぐ反応したダリアはこちらへ飛んできて彼の携帯電話を無理矢理横取りすると、媚びた声で電話を代わる。
「マラ様ー!大丈夫でしたか?ダリア、とーっても心配していましたよ!心配で心配で夜も眠れなくて!」
「寝ていただろ」


ゲシッ!

隣で囁いたコーテルの一言もしっかり聞いていたダリアは通話をしながら、力強く足蹴した。コーテルは部屋の隅まで蹴り飛ばされてしまう。そんな彼の元へ、アダムスは慌てて駆け寄ると優しく背を擦ってあげていた。




















「ダリアさん、お元気そうで何よりです」
「私ですか?きゃー!御心配して頂けて光栄ですわ!」
「そちらにアダムスちゃんはいらっしゃいますか」
急に低く怖い小さな声になったマラのその声は、何か良くない事を予感させる。すぐに真剣な眼差しになるダリアは、横目でアダムスを見ながら返事をした。
「ええ。居りますわ」
「ふぅ…」
電話の向こうからマラが安心して息を吐いた音がしたので、やはり何か良くない事があった事を確信させた。恐る恐る伺ってみようとしたら、逆にマラの方から話し出してくれた。とても小さな声で。
「動き始めたのです。アン帝国皇帝がアダムスちやんを探す為、私達マラ教を壊滅させる為にルネと手を組んだのです」
「なっ…そんな!」
突然叫んで慌て出すダリアの背を、2人は目を丸めて見ていた。アダムスは全く察していない様だが、コーテルには電話の内容を大体察する事ができていた。それは見事的中。


















マラは、動揺するダリアにこれ以上の心配を掛けさせないよう、何とか話を丸めていく。
「大丈夫です。何をそんなに恐れ、心配しているのですか。私達には神という最大の味方が付いているではないですか」
「でも…」
「アダムスちゃんをしっかり守ってあげて下さいね。私も次期に合流しますから」


ブツッ、

一方的に話され、一方的に通話を切られてしまった。電話の向こうから聞こえてくるのはツーツー…という通話が切れた寂しい音。永遠と聞こえる。
























ルネ王国―――

一方その頃のマラは、この時代珍しい公衆電話のボックスから出ると、身の丈程の赤い十字架で一度地面を叩き、ルネ王国の空を見上げる。青くて美しい空なのだけれど、どこか荒んでいるのはこの国に広がる空だけに言える事なのだろうか。
マラがルヴィシアンに告げた通り新生ライドル王国にヴィヴィアンは居たのだが、マラ教会をルネに建設するという計画は案の定流されてしまったし、あれ以降直接ルヴィシアンに会う事すら禁じられてしまった。尚且つ城への入城も禁じられてしまい、今回の件については側近のアマドールから城外で説明をしてもらった。説明とはいっても、暴言で一方的にこちらの意見を言わせない様にされただけだったけれど。
しかしマラはそこで反発一つせず、最後までその暴言を黙って聞いた。ルネに何を言ったってこちらが不利になるだけだと知っているから。話が終わったのを確認すると、
「ありがとうございました」
とだけ礼を言い、一礼して去ったのだ。
赤い十字架をジッ…、と見つめる。他の教徒達よりも古びていて所々赤色が剥げてしまっていて木の色が見えているマラの十字架は、初代教皇から受け継がれてきた物なのだ。代々受け継がれてきたこのマラ教という宗教を自分の代で潰されるわけにはいかない。改めて力強く決意した。


ぎゅっ…、

十字架を力強く握り締める。もう片方の手で、十字架の先端を優しく撫でながら話し掛けた。
「大丈夫です。あなたは私が次の代へとしっかり受け継がせますから」

















































カイドマルド王国―――

「では、ルネ国王を殺害した犯人は現ルネ王国国王という事か」
「…そうだよ」
ダミアンとヴィヴィアンの間に沈黙が起こる。
相変わらず無表情なダミアンを横目でチラ、と見るが、表情に全く変化が無いので目を向けたって意味が無かった。


キィ…、キィ…

黙ったまま車椅子の大きくて重たいタイヤを動かし、背を向けて扉を開くダミアン。
相変わらず無愛想な彼の背を見て、聞こえないようにヴィヴィアンが溜め息を吐いた時。
「!」
彼が顔だけをこちらに向けたから、思わず驚いて一瞬体が震えた。
「言っておくが私はこの国の王だ。その学友のような馴々しい話し方は直ちにやめろ、低俗」


バタン!






















ギュッ…!

部屋の扉が閉まったと同時に、切れてしまうのではないかと思う程の力でヴィヴィアンはシーツに爪を立てた。
「何だよあいつ…ムカツク」
怒りで血管が切れてしまいそうだったが、後から冷静に考えてみると彼が言った事は正しかった事に気付く。自嘲したら、自然と溜め息が洩れた。
「けど、人の事をいちいち何かに例えて罵倒するのはやめてほしいな」


ドサッ!

苛立ちで目元をピクピク痙攣させ、わざと大きな音をたててベッドの上に横たわる。


カチッ、コチッ…

時計の針が動く音だけがして、外からの音は一切しない。本当静かなのだな、と改めて思いながら寝返りを打つ。
その時浮かんできたのは新生ライドル王国でマリソン達と戦った戦場での光景。次に、自分に明るい笑顔を向けてくれたラヴェンナと首を絞められて苦しむラヴェンナが思い出されて少しだけ胸が痛んだ。
「…殺されただろうな。彼女も、国王も王妃も」
やはり自分1人居たところでルネには適わない事を改めて痛感し、毛布をかぶった。





















真っ暗な毛布の中、眠ろうとしても目が開いたまでなかなか閉じてくれない。何か考え事をすると眠れないから、頭の中を真っ白にしようとするのだけれど無理だった
。ジャンヌとアンネの顔が浮かぶとまたシーツに爪を立てて、強く目蓋を閉じる。
勝手に想像だけが膨らんでいく。彼女らが乗った船がルネの戦艦から放たれた砲撃たった一発で沈められる光景。オレンジ色の炎が海を包んで間もなく、美しい海はまさに炎の海となる…想像。
――これが順当な考えだな。生きていたとしても結局僕はベルディネ達を利用というより、助けてやった事になるね――
「はっ、」
また自嘲した。
毛布の中から顔を出すと頭の後ろで腕を組み、綺麗な赤色の目を開く。
「僕はまた、対ルネ王国の道具として使われるわけか。戦争が終わったら用無しだな。はっ、捨て駒なのは僕も同じという事か」
起き上がろうとしたら、全身がキシキシ音をたてて痛んだ。痛みに顔を歪めながらも、ゆっくりベッドから下りる。裸足だとひんやりとした床が冷たい。


キィッ…、

カラカラ、音をたてて片手で点滴を引きゆっくり部屋の扉を開くと、辺りに誰も居ない事を確認してから部屋を出た。


パタン…、




































城内廊下――――

真正面には、広い中庭がガラス張りの窓越しに見えて美しい。太陽の日射しも眩しくて、真っ青な夏空が広がっていた。
今まで花に対して美しいだとか可愛いだなんて感動も抱かなかったのだが、こんなにも体も心も病んでいる時は花々に癒された。


カツン、カツン

窓ガラスに両手の平を付けて花を見ていた時、背後からこちらへ近付いてくるヒールの音が聞こえて、窓ガラスから手を離した。
「あら」
ヒールの音が止まり、柱の角を曲がってやって来たのは綺麗な栗色のショートへアーの女性クリス。彼女はカイドマルド軍の少尉であるのだが、真っ赤なドレスを着ている。身長が高く細身でスタイルが良い。
朝からこんな派手な格好をしているのだから、今日は城で舞踏会でもあるのだろうか。そんな事を考えていたら…、


ぐいっ、

「!?」
彼女の細い手で顎を持ち上げられた。顔が近付くから、嫌そうに顔を歪めるヴィヴィアン。
細い目でヴィヴィアンをまじまじと見た後彼から離れて首を横に振り、笑い混じりの溜め息を吐くクリス。
「容姿端麗だけれどまだ小鳥ちゃんだものね貴方。もう少し…そうね、20代なら考えたのだけれど」
1人で淡々と話しているクリスを見ていたら、クリスはヴィヴィアンの視線に気付いたのか、こちらに微笑み掛けてきた。不気味な笑みだ。
「早く怪我を治して体調万全にしてちょうだいね、ルネ君」
クスクス笑いながらそう言い残すと、またヒールを軽快に鳴らして歩いて行ってしまった。
ルネ、と呼ぶのは自分がルネの人間だからだろう。ダミアンから事前に知らされていたのだろうか?そう呼ばれて、改めて自分がルネの人間だという事に腹が立った。
「チッ…!」
舌打ちをすると、行く宛ても無くカラカラと点滴を引き摺って歩く。

























「ですから紅茶はやはりアールグレイが」
「いやしかしローズヒップもなかなかですぞ」
妙齢の男性達の低い声が幾つも聞こえてきた。すると今度は、柱の角から煌びやかな服装の中年や高齢の男性5人が現れた。
彼らに道を開けてやろうと思ったが、彼らが横いっぱいに広がっていたからどちらへ避ければ良いのか分からなくて戸惑ってしまった。そんなヴィヴィアンの事を、長い茶色の髪を白いりぼんで一つに束ねた中年男性『エドモンド・マリア』がこちらを見て鼻で笑ってきた。
「ふふっ」
笑われてムッ、としたヴィヴィアンが黙って睨むと、エドモンドの隣に居る50代くらいの真ん丸く肥えた男性も鼻で笑ってきた。彼らには見えぬよう、怒りで震えの止まらない手を後ろで強く握り締める。今まで馬鹿にされた事なんて無かったから、余計腹が立つのだろう。
笑ってきた相手の容姿で劣っている点を探しては、それを心の中で笑うヴィヴィアン。その行為は自分で自分を慰めているだけという事くらい、誰に指摘されなくたって分かっている。情けないという事も同様に。


















ぐっ…、

「!?」
ん丸く肥えた男性の肉厚な右手に押され、点滴が窓ガラスにぶつかってしまいよろめいたところを、男性達は遠慮なく歩いて行った。
クスクスと笑い、小声で話している。でもこんなに近い距離だからいくら小声とはいっても何を話していたかは丸聞こえだ。余計怒りが込み上げる。
「あの小僧1人の為にダミアン様は船を3隻も出したというのか?」
「声が大きいぞ」
「でもあんなガキ1人入ったところで…。国王を殺害して逃げ回っている様なガキですぞ」
「ダミアン様はただ同い年の御友人が欲しかっただけなのでは?」
「まあまあ、そうきつい事を言わずに!」
「エドモンドお前は優し過ぎるぞ」
ははは、と5人の笑い声を背に受けるヴィヴィアン。傾いた点滴を怒りを込め立て直すが、歩き出そうとはしない。握り締めている手だけでなく全身が震える。怒りで。
――僕が父上を殺した!?あんな小僧?僕を誰だと思っているんだ。お前らなんて敗戦してばかりの非力な国のせいぜい子爵と言ったところだろう。産まれながらの地位にだけ頼って、何も努力をしない腐った人間のくせに…!――
「どうかなさいましたか?」
「!」
しわがれた老人の声がして我に返る。咄嗟に顔を上げたら、髪も髭も真っ白で見るからに老人なのだが背筋がピン!とした家令のハーバートンが居た。






















首を傾げて心配そうに見てくるから、哀れまれている事に腹が立つ。今日は怒ってばかりだ。
すぐに目を反らし無視をして歩き出そうとしたら腕を掴まれた。


ガシッ、

眉間に皺を寄せて家令を見ると、彼は中庭を優しい目で見つめていた。
「私にも貴方と同じ年の孫がいましてね」
「……」
「似ておりますよ。その素直になれないところとか」
「放してくれ」
目をつり上げ力強く低い声で言うと、ハーバートンは不思議そうに首を傾げてこちらを見てきた。
彼のとぼけた雰囲気にまで腹を立たせる程気が立っているヴィヴィアン。
「これは失礼致しました。少し雑談が混じってしまいましたね。国王様が貴方様を御呼びでしたので、私が御迎えに参ったのでした」
「国王が…?」


































国王の自室まで案内されている途中、何度も正装した人間と擦れ違った。その度に小言を言われたが、彼らの方は見ずに前だけを見て歩いた。
まだ体調が万全ではないからか数10メートル歩いただけで息苦しくて、何より傷が痛んで仕方ない。
時折痛みに顔を歪めて息を荒くすると、何も言わずにハーバートンが背を擦ってくれた。優しくされたり哀れに思われるといつもならプライドが傷付くはずなのに少し安心してしまったのは、今までと違って周りの人間が冷いからだろう。もう自分は周りからちやほやされる王子では無い事は理解しているけれど。
「こちらです」
部屋の前に立つ。
大きな扉にはいくつもの宝石が埋め込まれていて煌びやか。色は何故か寂しそうな水色など青系統の色だけ。重たい扉を、低い音をたててハーバートンが開けてくれた。


ギィッ…、

室内へ入るとまず、紅色の絨毯が敷かれた細い道があった。進んで行くと奥に小さい扉がある。開いてもらうと、朝だというのに薄暗い部屋でダミアンがこちらに背を向けて座っていた。























ハーバートンが来た事を分かっていても一切こちらを向こうとはせず、声も掛けてこない。本当に変わった人間だ。
「国王様。ヴィヴィアン様を御連れしました」
「そんなガキに様付けする必要は無いと何度も言っただろう」
「申し訳ございません」
本当に一々人の気に障る事を言うダミアン。わざとしているのだろうか、これが彼にとって至って普通なのだろうか。
ハーバートンが一歩後ろへ下がる。やっと自分の番になったヴィヴィアンが左胸に手をあてて一礼する。未だにダミアンは背を向けているけれど。
「国王様。ヴィヴィアン・デオール・ルネ参りま、」
「その名前がそんなに好きか、ガキが」
やっとこちらを向いたかと思ったら、またキツイ一言。込み上げる怒りを顔には出さないよう平常心を装うヴィヴィアン。
「もう王子でも何でもないただの庶民のくせに生意気だな。ルネがそんなに恋しいか?ままやお兄ちゃんがそんなに恋しいのか?赤ん坊」
「っ…!」
「顔にまで感情を剥き出しにしやがって。これだから困るんだ自惚れたガキは」
「国王様、本題に入りませんか?」
ヴィヴィアンの堪えきれない怒りを察してくれたのか、ハーバートンが前に出てきて一言割ってくれたお陰で話が中断された。何だかんだいって、彼はこの国の中で一番物分かりの良い優しさのある人間かもしれない。





















ハーバートンの一言にダミアンは黙り、無いその表情を向けて冷たい目で軽く睨んだ後、デスクの上の1枚の薄い書類をジッ…、と見つめる。
「ヴィヴィアン。貴様を軍人として我が国へ迎えてやる事はもう既に申したよな」
――はっ。何だかんだいってこのガキだって僕のを認めているという事か。口だけな奴という事かこいつは――
心の中でダミアンを鼻で笑い、今から告げられるであろう自分の軍事階級が楽しみで仕方ない。
性根の腐った国王だが、自分を必要としてわざわざお迎えの船まで出したのだから、そう低い階級ではないだろう。そう考えれば考える程心が踊る。新生ライドル王国の時みたいにまた自分の力を見せ付けてやれる。
――今までのふざけた発言も全て撤回させてやる――
また心の中で彼を笑う。
顔を上げると、彼の冷たい目と視線が合ってしまった。書類でほとんど顔を隠し目だけを見せているダミアンは、少しだけ間を空けてから書類に目を向け直す。
「ああ、申し訳なかった。貴様には階級は付けないのだった。つまりただの一般兵だ。階級など無いただの一般兵」
「なっ…!?」
わざとらしく何度も"一般兵"と言うから嫌味だ。無表情で言われると尚恐ろしい。まだ怒鳴りながら言われた方が絶対に良い。書類の隙間からヴィヴィアンを見る。
「やはり階級を与えられると期待していたな、自惚れめ。周囲が甘やかすからいけないのだ。ひょっこり現われた奴に階級を与えてやるなんて馬鹿馬鹿しい。生かして手当てまでしてもらい、貴様の望み通り軍人にさせてもらえて幸せだと思えないのか。欲集りなガキだ」
わざとらしい深い溜め息を吐くと、書類をデスクの上に放り投げてすぐ背を向けてしまった。






















一方ヴィヴィアンは下を向き、力強く握り締めた包帯だらけの拳を震わせて口を強く結んでいる。唇も怒りで震え、肩も震える。


ポン、

そんなヴィヴィアンの肩に乗った皺だらけの細い手。人の体温を感じて震えが止んだ。
「国王様。話は変わりますが、本日の舞踏会は如何なさいますか」
それでもダミアンは背を向けたまま。
「好きなようにすれば良い」
「国王様も今回は、」
「私は一生出ないからな。あんなふざけた踊り合いなど」


しん…

沈黙が起きる。
部屋の外を歩いて行く貴族女性達の話し声と楽しそうな笑い声だけが聞こえてくる静かな室内。
ギシ、と車椅子の軋む音がしてダミアンが顔をこちらに向けた。髪と同じ色をした長く綺麗な睫毛の下に見える青い海の様な瞳がジッ…と見てくる。
「ヴィヴィアン。代わりに貴様が舞踏会に出ろ」
「いえ、僕は、あっ。私は軍人として生かして頂いた身で、」
「冗談だ。本気にするな、早とちりが。ただの一般兵を出席させるわけないだろ」
今度こそ背を向けたダミアンに殺意さえ抱いたヴィヴィアン。死ぬはずの命を永らえてもらったのだが、今のヴィヴィアンの心情なら彼を殺めてしまえそうな勢い。しかし彼を殺したところで、一生呪われそうだが。


パタン…、

部屋を出るとハーバートンが扉を閉めてくれた。






















足早に先を歩いて行ってしまうヴィヴィアンを追い、息を切らすハーバートンは何とかヴィヴィアンに追い付いた。隣を歩く。
「申し訳ありませんでした。国王様の数々の失言御許し下さい」
「仕方ないよ。世の中色々な人間がいるんだしさ。それに彼は国王なんだし」
そうは言うものの、ヴィヴィアンの瞳に怒りが込められているのが誰が見たって分かる。
素直でない彼を見て優しく笑んだ家令は点滴を押してくれた。いい、とヴィヴィアンが断ってもただ首を横に振りまた優しく微笑み掛けるだけ。
まるで祖父の様だ。ヴィヴィアンの祖父はこんな優しい笑みなど一度も向けてこなかった厳しい人間だったけれど。
「君はどう思っているんだ?カイドマルドの敵のルネが軍に入る事を」
「私…でございますか」
返事を求められたハーバートンはオロオロして、ヴィヴィアンとは目を合わせずに歩く。中庭からの小鳥の囀りと点滴を引きずる音だけがする静かな廊下。
「それで結果的に国のプラスとなるのでしたら宜しいかと…」
「はっ。何だかんだいって君も国王と同じ考えか。そして僕は誰からも恐れられてもいない…」
――彼に安心感を抱いた僕が馬鹿だったという事なんだ――
「ふ…あはは」
不気味に笑い続けるヴィヴィアンは気味が悪い。
けれどもハーバートンは引く事も恐れる事もせず、部屋に着くまでずっと点滴を押してくれた。以降、2人の間に会話は何も無かったけれど。











































室内―――

する事も無くてただ回復を待つだけだから部屋で1人、死んだ様に眠り続けていたヴィヴィアン。


♪〜♪〜

ふと、目が覚めたのは城内の何処からか聞こえてきた舞踏会の華やかなメロディのせい。頭上にある小さな窓に目を向けて目線を上げてみる。
外はいつの間にか真っ暗で、月さえ姿を現していた。真っ暗い底無し沼に浮かぶ白い宝石の様。
「はぁ」
深い溜め息を吐き、ベッドの上に派手に背中から落ちた。















1/1ページ

[戻る]


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!