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症候群-追放王子ト亡国王女-
ページ:2
「どうした」
「ルネは最低だよ…。民間人を…女子供老人見境無く殺して終まいには強制連行させてる。本国で強制労働を強いるのか軍隊の補充要員として扱うのかは分からない。軍のダメージは双方同じくらいだけど、攻め込まれているこっちは民間人の死者数が膨大なんだ。情けない話、軍だって民間人に手を回していられる余裕は無いよ。このままじゃあ…。ていうか劉邦!あんた今何処に居るんだい!?通信がとれるって事は捕虜にはなっていないようだけど」
「ああ。生きてはいるが、とある馬鹿のせいで計画が失敗すれば殺される状態だ」
「…?どういう意味だい?とにかく!あんたの居場所は、」
「しかし成功すれば我国はルネに対し誇示できるモノが手に入る」
「誇示できる…モノ?」
彼の言いたい事の意味が全く分からないし見当もつかないから、呂雉は通信越しにも関わらず首を傾げる。一方の劉邦はいつもと変わらぬ冷静な表情と声色。
「呂雉。頼みがある」
「な、何だい。そんな真剣な声で…」
「私のこの通信機の発信地を逆探知しろ。そして私の居場所を把握しろ」
「え?!」
「日本である事に違いはないが、どの辺りなのかさっぱり分からない。発信地を掴めたら次は軍の部隊を2…いや、できれば3は私の居場所へ送れ」
「な…どういう事だい?あんたさっきから一方的にベラベラ喋るんじゃないよ!あたいには全くイメージがわかないし言いたい事が分からないよ!」
「分からない?まあそうだろうな。私も分からない」
「はぁ?!あたいはあんたと暢気にお喋りしてる暇なんて無いんだよ!いい加減切るよ!!」
「成功するかは分からないがいつまでも仕掛けられてばかりおらず、こちらから仕掛けるしかもう術はない」
「…!それって劉邦あんた、あたい達がルネへ…」
はっきり言ってはくれないものの彼の言いたい事がようやく大雑把だが分かってきたような気がする。
「呂雉。いいか、今から戦略をお前に暗号通信で送る」
「劉邦あんた…」


ドンッ!


ガーッ…ガガーッ

すると、呂雉の向こうで爆発音が聞こえてすぐ通信は一方的に遮断されてしまった。劉邦は舌打ちをして通信機から口を離す。
「チッ。電波を遮断される前に」
もう一度通信を繋げても一向に繋がらないが、呂雉へ繋がるまで何度も何度も奮闘するのだった。


































母屋2階階段――――

「きゃ!きゃっ!」
「はは。お前本っ当に元気だよな」
エミリーを抱き抱えて木造の階段を降りるバッシュ。高い笑い声を上げてはしゃぐエミリーはバッシュの襟足をぐいぐい引っ張り出す。
「わっ!ちょ、痛ぇ!さっき叱られたばっかなのにまだ分かんないのかよお前〜!」
「…何故お前が…」
「え?」
前方から少年の高い声が聞こえてふと顔を上げると其処には、エミリーを探す為に階段を登ってきた慶司が居た。バッシュと目が合うと眉間に皺を寄せ戦場を駆ける時の眼差しさながらで睨み付けて両手を突き出す。
「早く返せ!その子をどうするつもりだ!」
「おいちょっと待てよ!俺別にそんなんじゃないし!つーかお前の子?俺達の部屋に来たから返しに来ただけだって」
話なんて聞いているのかいないのか慶司は強引にエミリーを奪い返すと、すぐ背を向けて階段を降りて行く。
「ルネを沈静化すると言い制裁を下す神を気取りながら日本を侵略したお前達なら、赤ん坊であろうと躊躇いなく殺すに違いない」
「…!違げぇよ!それに侵略したのは連盟軍としてじゃなくて中国軍が勝手に、」
「どっちも同じだ!!」
顔を向けて怒鳴り声を上げた慶司の目がとても恐ろしくて思わず一歩後退りしてしまうバッシュだが、ここは階段の為満足には下がれず。
「どうせ腹の中では恩も仇で返すつもりなんだろう。けど、そんな事は絶対にさせない。必ず連盟軍の軍事力をこちらへまわしてもらうまで帰さないからな」

『そうやって偽りの取り引きで奴らを騙して私の治療をさせ最後はヴィヴィアン・デオール・ルネを捕獲するのだろう?』

その時、劉邦の言葉がバッシュの脳裏を過った。
慶司はすぐまた背を向けてしまうと階段を降りて行ってしまうから、バッシュは後ろで立ち尽くしたまま両手拳を握り締める。すると…
「うぅ〜…」
「?!エミリーちゃん何処に…!」
スルリと慶司の腕から擦り抜けたエミリーはよちよち歩きながらも階段を登ると、何とバッシュの元へ戻って脚にしがみ付いたではないか。当のバッシュは目を丸めてどうして良いか分からず戸惑うが、取敢えず抱き上げてさっき一番喜んでいた高い高いをしてやればエミリーはたちまちご機嫌になる。
「きゃー!」
それを目の当りにした慶司は呆然。
「そんな…。悪い奴じゃないとでも言うのか…」























するとバッシュは高い高いをやめて神妙な面持ちで慶司の方を向く。だが一方の慶司は警戒心が強く、腰から刀を引き抜くと刃先をバッシュに向ける。すると、刃に映ったエミリーが大きな瞳から涙を溢れさせ…
「うっ…うわああん!」
「なっ…!?あ…これのせいか…!ご、ごめんエミリーちゃん」
慌てて刀を鞘へしまう慶司。
「はは。俺だけになら構わねぇけど、頭に血が昇ったからって子供に刃物向けちまうなんてまだまだだな」
「うるさい!黙れ!第一何でお前のような人間にエミリーちゃんが懐いて…っ!?」
するとエミリーを一段上の階段に座らせたバッシュは階段に頭を擦り付けてあの雨の日と同じく土下座したのだ。一瞬目を丸めた慶司だが、すぐに睨み付ける。
「な、何の真似だ!頭は気安く下げるものじゃないんだ!心から謝罪の気持ちを抱いた時しか下げちゃいけないんだ!」
「礼が遅れて悪かった!兄さんを、あと俺の事も手当てしてくれて本当に助かった。ありがとう」
「っ…、なら今すぐ連盟軍の軍事力をこちらへ寄越せ!」
「分かってる。何とかアメリカ軍を説得するからそれから…」
「本当にできるんだろうな?!アメリカもかつては同盟国だったが日本の危機に何も手助けしてくれなかったんだ!お前だってこうして形だけでも頭を下げて嘘を吐いているんだろう!」
「アメリカ軍とは交渉してみるけど万が一の場合もあり得るから」
「確信は無かったんだな!?お前達との取り引きなんて承諾しなければ良かった…!なら今ここで僕がお前を…!」


キィン!

慶司が刀を引き抜くと、何とエミリーが1人で階段を降りてバッシュにまたしがみ付いたのだ。慶司は躊躇って唇を噛み締める。
「お前…!危ないから下がってろって!」
「うぅ…」
バッシュはエミリーを見て何かを思ってからすぐ慶司に再び頭を深々下げた。
「万が一アメリカ軍が承諾してくれなくても俺は加勢するから!約束する!俺だけは絶対にお前達の味方になる!それがせめてもの恩返しなら!」
「お前1人如きに何ができる!やっぱり信用ならない!ヴィヴィアンはああ言っていたけど、やっぱり僕はお前達を…!」
「俺は、こいつや世界中の赤ん坊や子供の為にも早く戦争を終わらせたい!お前ら日本人もそうなんだろ?!話し合いでどうこうなる世の中じゃねぇから、侵略されても敗戦してもまだ戦おうとするんだろ!?」
「っ…!」
「俺がガキの頃は母国は戦争っつー戦争はしていなかった。けど、戦闘機が家のすぐ頭上を飛んで敵国へたっていく爆音は今でも耳から離れない。テレビで他国が殺し合うニュースも嫌という程見た。ガキの頃だったからそれは余計衝撃的で…。でももう、こいつやこれから生まれてくる子供達には戦争に巻き込むなんてもってのほか。家に居れば小鳥の囀りが聞こえてきたり、テレビをつければ他国の人間同士が楽しそうに遊んでいる姿が映ったり…!そういう平和な毎日を送らせてやりたい。だから俺は母国を国際連盟軍に加盟させるよう王様に言った。だから、俺も出来る限りの交渉とやれる限りの事はするから信じてくれ!」
バッシュの張り上げた声が廊下に響く。慶司は目を下へやったり泳がせつつも目を閉じて唇を噛み締めてから何と右手をバッシュへ差し出したのだ。これにはバッシュも目をぱちくり。
「え…」
「…軍事力を分けてくれるまでお前の事はまだ心から信用はできないけど…。姉上が言っていた。子供達の未来を第一に考える人に悪い人はいないって…だ、だからそれだけだ!」
慶司の顔は外方を向いているが、差し出された右手が嬉しくてバッシュは白い歯を見せて笑うと自分の右手で慶司の右手を力強く握り、握手を交わした。





























「そっか。こいつ、ヴィヴィアン・デオール・ルネの子供なのか」
エミリーを抱き抱えたバッシュとその一歩前を歩いて階段を降りる慶司。黒髪に真っ赤な瞳のエミリーをどこか切なそうに見つめてバッシュは頭を撫でてやる。
「こいつは何も悪くないからな」
「でもヴィヴィアンの子供というだけで世間からどう見られるかは分かり切っている。だから僕達でこの子を守ってあげなくちゃいけない。…昔敵国だった国の出身だから差別するとかそういう風潮が無くなる事は無いのだろうけど、僕はいつか無くしてみせたいし、まずは僕自身がそうならなくちゃ本当の恒久和平は得られないと思うんだ」
見るからに自分より年下の慶司だがその力強い背中にバッシュはふっ、と笑む。
「ところでさお前、姉ちゃんが居るのか?」
「気安く呼ぶな!」
「あーごめんごめん。俺にも…って言っても血も何も繋がってない赤の他人ではあるんだけど、姉ちゃんみたいな存在の大切な人が居たからさ。やっぱりそういう人の言った事って信じちゃうよな」
「僕がこうしてヴィヴィアンとしている事だって元を正せば姉上が残してくれた言葉のお陰なんだ。争ってばかりいたら周りが気分が悪くなる…そう言っていた。状況は違えど、姉上は争いが嫌いな人だった。自分の手を血で染めようとも止めようとするくらい…。でも姉上は1年前カイドマルドとの戦争で死んだ。僕を庇って」
「え…そうだったんか。何か悪い事聞いたな…」
歩みを止めて俯いた慶司にバッシュは戸惑う。慶司は自分の震える両手の平を広げて見つめる。目尻を下げて寂しそうに。
「でも僕は姉上に酷い事を言って無視をしていたのに姉上はそれでも僕を庇って…カイドマルド軍の女兵に撃たれ、死んだ…。だから僕は身を持ってでも例え命尽きようとも姉上の意志を受け継がなくちゃ意味がない」
「俺と同じだな、お前」
慶司は振り向く。バッシュは窓の外に見える快晴の空を見上げていた。どこか寂しく。
「俺の姉ちゃんみたいな存在だった人も…まあお前とはだいぶ状況は違うけど、俺を庇ってもうこの世には居ないんだけどさ。お前の姉ちゃんもそうだけど、大体年上っつーのは勝手なんだよなぁ。俺やお前に自分の意志を託して自分は年下の俺達を庇ってかっこ良く死んで逝っちまう。残されたこっちはその意志を一緒に生きて実現させて一緒に死にたかったっつーのにさ」
カタン…、窓に触れたバッシュの手は掴めないモノを握るように窓ガラスに爪を立てた。
一方の慶司はバッシュの背を見てから視線を下へ向けてまた静かに歩き出す。
「…僕も早くお前達と心から分かりあえるよう努力する」
蚊の鳴くような声だったがその言葉はしっかりバッシュの耳に届いていた。バッシュはエミリーを抱いたまま慶司に体を向ける。
「そして願うよ。お前の大切な彼女が今頃天国で幸せに暮らせているようにと」
「え!?彼女とか!」
「違ったのか?」
「いや!でも違わないっつーか彼女…って呼んで良いんかなぁ?」
「大切そうに話していたからそう思ったんだが」
「あ〜…まあ彼女だな。彼女」
「?」
「つーか俺の事なんていーんだよ!それよりお前、名前何つーの?」
ピタッ…と足を止めた慶司は顔だけを後ろへ向ける。少し口を尖らせて。
「そういうものは自分から先に名乗るものなんだぞ」
「あ。マジ?日本って厳しいな。俺はアンデグラウンド王国のバーディッシュダルト・ジョン・ソーンヒル!」
白い歯を見せて名乗る彼に慶司はふっ、と笑む。
「僕は宮野純慶司。姉上に言っておくよ。良い友達ができそうだ、って」
くるりと背を向け歩きながら言った言葉にバッシュはキョトンとしたが、すぐ顔を綻ばせていた。







































弥彦神社入口周辺―――

旅館の外。黒く重たい雲が覆い始めた夕暮れ刻。
「エミリーちゃん無事見つかったそうです!」
エミリー捜索を慶司から頼まれていた日本人男性5人を呼びに来たのは総治朗。旅館から10分たらずの場所にある弥彦山梺弥彦神社の大きな鳥居を潜った雑木林に居た彼らは、神奈川県の学校でダイラーに囚われていた日本人達。つまり全員民間人。呼ばれて振り向いた彼らにいつもの穏やかな笑顔を向ける総治朗の事を見てから彼らは顔を見合わせ一斉にはっ、と鼻で笑うから、笑顔のまま首を傾げる総治朗。すると、今朝河西に物申していた男性田村が前へ出て高笑い。
「はははは!」
雑木林一帯に響くその笑い声の意味が理解できず総治朗はまた首を傾げる。
「田村さん?どうかしまし…っ!?」


キィン!

すると田村は腰に帯刀していた護身用の刀を引き抜き、総治朗に向ける。他4人も続くようにして引き抜いた。これは外に出る際万が一敵と遭遇した時の為にと日本人部隊の人間から借りた刀。故に、この場に居る彼ら5人は民間人だが今全員が帯刀している。勿論総治朗も。彼だけは自分専用の刀だが。笑顔も苦笑いに変わる総治朗だが、刀を抜く気配は無い。
「どうしたんですか田村さん!一体何の真似で…」
「笑いもんだよなァ!何が殿下だ!今は昔みてぇにお上お上って王室第一の日本じゃねぇんだぞ!俺ら庶民がひもじい思いをしてやっと有り付けた水気もねぇ芋を食ってる時に、自分は温ったけぇ米を食っているような奴が何を今更地位を捨てるだ!?俺ら庶民の気持ちを知るだ!?実際、地位なんざこれっぽっちも捨てていねぇじゃねぇか!勝手に恒久和平だの分かり合うだの訳分かんねぇ事を言い出しやがって!終まいには友人だか何だか知らねぇけど他国の人間やあのヴィヴィアン・デオール・ルネを招き入れて!今はそいつのガキを探せだァ?!あの世間知らずの偽善者王子様は、俺らの気持ちをこれっぽっちも知ろうと思っちゃいねぇのがバレバレなんだよ!」
「それ以上は王族批判に値しますよ!」
「王族?はっ。やっぱり地位を捨てていねぇんじゃねぇか」
「あ…!」
思わず口籠もってしまうのは総治朗の中でもまだ慶司=王族という意識が消えていなかったからだろう。だから田村は嗤う。
「本音が出ちまったみてぇだなぁ兄ちゃん。兄ちゃんも王子様の事をまだ王子だと思ってんだろ?だよなぁ。あのガキ口では綺麗事並べても結局俺達の意思も何も聞かず、自分の決めた事を曲げねぇし。やっぱよぉあの王子様の心の中の片隅ではまだ自分は王子だ王族だっつー意識があるんだと思わねぇか?やたら命令口調だしよォ」
「殿下は皆さん民間人の事もしっかりお考えになられております!先日連れてきた国際連盟軍の2人にもこちらに軍事力を分けさせ、ルネから日本を奪い返そうと必死にお考えになられているのです!田村さん達のご不満も充分分かります。ですが…」
「察しが悪いな兄ちゃん。5対1。この状況でいくら兄ちゃんが軍人だからって命とられねぇ保証はねぇだろ?そういう時は多い人数についた方が良いんだぜ。これ、大人の常識な」


パチン!

ペロッと舌を出して嗤った田村が指を鳴らせば、田村を筆頭に後の4人も刀を振り上げる。総治朗の脳裏では自分の両親と妹亜実の笑顔が浮かび、直後あの日交戦したルネ軍人の言葉が過る。

『お前の親父は敵前逃亡したんだよ』


ドクン…!

その瞬間。総治朗の目がこれ以上ない程見開かれ、右手は腰につけた鞘に無意識の内に触れていた。
「大好きな慶司殿下の事は俺達に任せてさっさと逝っちまいな非国民がァ!!」
「…ない」
「あ?今なんて言って…」
「俺は敵前逃亡なんかしない!!」
「んなっ…?!」


キィン!

無意識の内に引き抜かれた総治朗の刀。勝手に動いた手に引き抜かれた刀。紫色に光る刀の先がぐん、と田村達へ向かってすぐだった。
《通リャンセ通リャンセココハドコノ細道ジャ天神様ノ細道ジャ
チット通シテ下シャンセ御用ノナイモノ通シャセヌ》
何処からともなく唄が聞こえ出す。
「なっ…お前…やめ…!」


スパァン!

悲鳴すら上げさせず、総治朗の刀は一瞬にして5人の首を払い落とした。

























ピチャッ!ピチャッ!

田村達5人の血が辺りの大木の幹を赤く汚す。白目を剥いた5人の首が足元にゴロゴロ転がる様を見て、返り血を頬に付けた総治朗は舌でそれを舐めとると裂けんばかりに開いた口で妖怪の如く笑う。その顔付きはまるで邪を纏っていて別人。
「はははは!これだよこれ!久しぶりの血の匂い!味!やっぱ最高!人間っつーのは本心を偽り過ぎなんだよ。皆、外面ばかりで気持ち悪りぃったりゃありゃしなない。長年幽閉されていたんだ、これから存分に味わわせてもらうからな!」


キィン…

右手がまた勝手に刀を鞘の中へ収めると…
「…ハッ!」
我に返り目を見開いた総治朗の顔付きは普段通りに戻っていた。
「な…何で田村さん達が…こん、な…!?」
目の前に広がる惨状に呆然。全身からみるみる血の気が引いていき体が震えだした時ふと、足元に転がる鞘の中へしまわれた1本の刀を捉えた総治朗は口を自分の両手の平で覆う。
「まさか…これが…いや、俺が…田村さん達を…」
身を屈めて恐る恐る刀に触れて持ち上げる。抜こうとしたがそれができず震える事しかできずにいた。
「ギャア、ギャア!」
彼の頭上を真っ黒な烏達が気味の悪い声で鳴き、円を描くように飛んでいる。生暖かく赤黒い血が付着したその刀の名は、ムラマサ。



























































18時23分、
旅館母屋1階――――

夕食の料理を運ぶ大五郎と総治朗と小町。
「わあ。美味しそうだね」
御膳に並べられていく料理を前に感想を述べながら客間へ入って来た慶司。調度彼の料理を運んでいた総治朗は背後から聞こえた親友の声にビクッ!と挙動不審に体を震わすが、慶司をはじめとする此処に居る人間達は誰も総治朗の不審な素振りに気付かなかった。いつもの白い羽織りを着ていない総治朗が背を向けてそそくさと厨房へ戻ろうとするから声を掛ける慶司。
「新田見君」


ビクッ!

さっき程大袈裟ではないものの、呼ばれて体を震わせた総治朗。だがいつもの笑顔で振り向く。どこか無理をした総治朗の笑顔に、慶司は気付いていない。
「な、何でしょう殿下…」
「エミリーちゃんさ、さっき折り紙を折ってたよ。まだ鶴や形のある物は折れないんだけど後で見てあげてね」
「そ、そう…ですね。そうさせてもらいます」
「?」
いつものような感動は無くあっさりした返事を返してさっさと厨房へ戻ってしまった彼に慶司は首を傾げる。
「忙しいのに声を掛けて悪かったかな。よし。僕も手伝おう!」
太股に手を着いて立ち上がり、総治朗の後を追うように厨房へ向かおうとした時。


ガラガラ、

客間の障子戸が音をたて勢い良く開かれる。慶司は立ち止まり戸の方を向く。やって来たのは民間人の日本人男性2人と女性2人。酷く顔が青いし不安そうだ。
「どうかしましたか」
慶司の問い掛けに4人は顔を見合わせ言いにくそうにするから、すかさず河西が慶司の後ろに立って尋ねる。
「どうかしたのみんな?」
「か、河西さん…。あの…子供を神社へ探しに行った田村さん達5人がまだ帰ってこないんです…」


ビクッ!

4人の声は厨房に居る総治朗の耳にもしっかり届いていた。





















「え?もう見つかったからって誰かが田村さん達を呼びに行ったんじゃないのですか?」
「いえ…私は…。お前呼びに行ったか?」
「うんうん。私は行ってない」
「私も」
「俺もだ」
4人は顔を見合わせ首を横に振る。
「おかしいですね。道に迷ったのでしょうか…」
障子窓の向こうすぐ其処にある中庭すら見えない程陽は落ち、すっかり真っ暗。心配そうに慶司が河西を見上げる。
「河西さん。一緒に探してもらえませんか」
「勿論よ。そうちゃーん!そうちゃんもちょっとこっち来なさーい!」
「は、はーい…!」
厨房に居る総治朗を河西が呼べば、彼は料理の盛られた皿を小町に任せて厨房から出て慌てて2人の元へ駆け寄る。
「エミリーちゃんを探しに神社へ行った田村さんと他4人が帰ってこないらしいの。これからあたしとけーちゃんと探しに行くから、そうちゃんも手伝ってちょうだい」
「は、はい…」
「忙しいところごめんね新田見君。田村さん達が道に迷っているだけなら良いんだけど、この場所が敵に見つかっていて万が一という可能性も無くはないから」
「そ、そうですね…」
2人は4人に旅館内で待っているよう言うと客間を出る。後ろに隠れるようにして2人の後を俯いてついて行く総治朗。


パタパタ…、

すると後方から2人分の足音が聞こえてきて総治朗以外の2人が振り向くと、息を切らして切なそうな表情のヴィヴィアンとマリーが走ってきた。
「そんなに慌ててどうした」
「はぁ、はぁ…慶司君。ラヴェンナ見なかった?」
「ラヴェンナさん?お前達と一緒に居たんじゃないのか」
「それが…」
ヴィヴィアンとマリーが俯くから、慶司は眉間に皺を寄せる。
「先程までヴィヴィ様とわたくしとエミリーと一緒に居ました。でもその後お風呂へ向かわれてそこからいなくなってしまって…」


ピクッ…、

総治朗は反応すると、ようやくヴィヴィアン達の方を向いた。
「お風呂の中や脱衣場を探しても何処にも居りませんの…」
「確かに僕も、離れの渡り廊下から母屋の廊下を1人で歩いて行くラヴェンナの姿を見たんだ。それが浴場へ行く時だったかどうかは分からないんだけど…。慶司君達はラヴェンナを見なかった?」
「いや…」
慶司と河西と総治朗は顔を見合わせて首を横に振る。するとヴィヴィアンは額に手をあてて俯き、悔しそうにする。
「くそっ…!この土地は敵が居ないものだと勝手に思い込んでラヴェンナを1人にさせた僕のせいだ…!」
「ヴィヴィアンお前まさか、敵の手が新潟にも及んでいると言うのか?」
「分からない…。けどそうとしか思えないよこんな世の中じゃ…」
「そうか…やっぱり…」
「やっぱり?どういう事かな慶司君」
顎に手をあてて難しそうな表情で呟いた慶司に顔を上げるヴィヴィアン。
「いや、実は弥彦神社へエミリーちゃんを探しに行ってもらった民間人の田村さん達もまだ帰って来ていなくて、僕と河西さんと新田見君でこれから探しに行くところだったんだ」
「それじゃあ…」
ヴィヴィアンはその先を言えず。彼の隣でマリーは両手で口を覆いとても切ない顔をするから、慶司が落ち着かせる。
「まだそうと断定したわけじゃない。田村さん達もラヴェンナさんも。取敢えず旅館の何処にもラヴェンナさんは居なかったんだな?」
「うん。見掛けた人も居なかったよ」
「じゃあ一緒に来い。どうも嫌な予感がする。東京から新潟は近いからな…」
それはルネ軍東京駐屯地の事を指しているのだろう。全焼はしたが、駐屯地周辺の敵の残存勢力の事を考えての慶司の言葉だ。
「新田見君。念の為、刀は持っている?」
「はい…」
「ありがとう。じゃあ行こう」
慶司を先頭に、河西と総治朗そしてヴィヴィアンが後をついて行くとマリーもついてこようとするから、ヴィヴィアンはくるりと彼女の方を向いて優しい笑顔を向けてあげた。だってマリーが酷く心配しているようだから。
「マリー。君はエミリーを見ていて。すぐ戻るから」
その言葉にマリーは返答できなかったが、4人が外へ出るまで左胸に手をあてて廊下でただ1人心配そうに立ち尽くしながら彼らを見送った。






































21時48分――――

「聞きました?神社入口すぐの雑木林に拭き取ったような夥しい量の血痕が見つかったようですよ」
「でも田村さん達の遺体は見つからないのでしょう?」
「恐いですね…此処から10分たらずの場所ですよ?ルネ軍か中国軍か…」
「どちらにせよ敵がこの地域に居るかもしれないのですよね…恐い恐い…」


ギシ、ギシ

真っ暗な廊下を歩く。脳裏では、母屋に居る日本人民間人達の会話を思い出しながら。


ギシ…、

1階最奥の部屋の前に着く。この部屋だけやけに青白いぼやけた灯りが障子戸から廊下へ洩れている。


コン、コン、

ノックをすれば障子戸1枚向こうの室内からガタガタ音がしてすぐ「はい」と中から声が聞こえた。
「総治朗さん…?起きていますか?梅です」
やって来た梅が尋ねると障子に彼の影が映り、戸が開かれる。梅と同じ寝巻用の白い浴衣を着ていた。夜分遅くに梅が訪ねてきた事に驚く彼。梅は笹の上に乗せたおにぎり二つを差し出して微笑む。
「総治朗さん夕食をあまり食べていらっしゃらなかったから」
青白い部屋の灯りの室内へ入ると、長テーブルの前に胡坐で座る総治朗。1人分のスペースを空けたその隣に正座した梅がお世辞でも上手とは言えない不恰好なおにぎり二つを笹の葉の上に乗せたまま差し出せば、彼は穏やかに微笑み会釈をして受け取る。だが目線はどこか俯いているし笑顔も無理をしているようで元気が無いから、梅は心配をして顔を覗き込むように首を傾げる。
「総治朗さん具合が悪いのですか…?」
「いえ、大丈夫ですよ」
「でも…」
「おにぎりとても美味しいです。お心遣い感謝します」
一つを早速たいらげてニコッと微笑みながらそう言われたら梅は顔をポッと赤らめて照れるが、そのせいで彼がわざと話を反らしている事には気付いていなかった。





















それから、おにぎりを完食した彼が笹の葉を畳んでいると。
「ふふ。総治朗さんったら。お口に付いていますよ」
「え。あ、すみません」
口端に付いた米粒を微笑ましそうにとってやっても、やはり彼の浮かべる笑顔は無理しているように見えたしどこか上の空だった。鳥の音すら聞こえぬ物静かな晩。梅はチラ…、と彼の横顔を見て顔を赤らめる。梅の視線に気付いたのか彼もこちらを見てきたからパッ!とすぐ目を反らす梅は畳に目線を落とす。
「その…昼間は申し訳ありませんでした。私が悪いというのに総治朗さんのせいにしてしまって。頬、痛みませんか…?」
「大丈夫ですよ。全部私が悪いですから、梅さんは本当何もお気になさらないで下さい」
「あのっ!総治朗さんをもうお茶にお誘いしないだなんて嘘ですから!」
「え?」
「そのっ…総治朗さんさえ宜しければまた…お誘いしても宜しいですか?」
「はい。私で良ければ」
その笑顔に梅は顔から火が噴くんじゃないかという程顔を赤らめる。
「あの!一つ宜しいですか?」
「…?はい。どうぞ」
とは言ったもののなかなか言いたい事が声となってくれない梅は畳に目線を向けてもじもじする。だが、すうっ…と息を吸い込むと決心したのか、総治朗の方を勢い良く振り向くから彼は少しビクッと驚く。
「総治朗さん!」
「は、はい」
「よ、宜しかったら一緒に花札しませんこと?」
梅が取り出した花札をテーブルに置くと、総治朗はそれを愛しむように見つめて微笑む。
「花札ですか…懐かしいです。よく亜実とやったのを思い出します」
「あ、亜実?!」
――亜実って誰?!しかも呼び捨て!?昔の女?!――
花札を見つめながらとても愛しむように言うから梅は目尻をピクピク痙攣させて眉間に皺を寄せつつ、ガタン!とテーブルに両手を着いて思わず身を乗り出す。
「あ、亜実ってどなたですか?!恋人なのですか!」
らしくない梅の動揺っぷりに総治朗はキョトンとしてしまうも、首を傾げて微笑む。
「妹ですよ」
「ホッ…そうですか!」
「恋人は綾夏です」
「そ、そうですか…」
せっかく安心していたのに言わなくて良い余計な事を!不貞腐れて口を尖らせる梅に気付きもせず、総治朗は花札を愛しむようにしかしどこか寂しく見つめていた。
























「その…綾夏さんという方はご無事なのですか?」
「いえ…何処に居るかも分かりません。神奈川の出身なので恐らく関東周辺に疎開したとは思うのですが」
「連絡をとれなかったのですか?」
「…4年付き合っていたのですけど突然振られちゃって」
「と、突然ですか?喧嘩をなさったとかではなくて?」
「振る前から私の友人と付き合っていたそうです。全然気付けなかったですけど…だから電話もメールも番号を変えられちゃったみたいでその後戦争が起きて…。私がもっとしっかりしていれば良かっただけなんですけどね…」
「あ…」
――悪い事を聞いちゃったわ…――


しん…

元から静まり返っていたのに余計しんみりしてしまい総治朗は俯いてしまうから、梅は自分の口を右手で覆い、出したばかりの花札を左手でとって片付ける。だから彼は不思議そうに顔を上げる。梅は切なく目尻を下げて俯いているから総治朗も心配そうに首を傾げて、彼女の顔を覗き込むように尋ねる。
「具合が悪いですか?」
梅は首を横に振るだけ。泣きそうだから声が出せないのだ。出したらきっと涙が溢れてしまう。自分の両手を握り締めて、正座をした自分の太股に乗せる。
――私は総治朗さんの事もこの時代の事も何も分かっていない…。総治朗さんの事が好きだからってただその自分のエゴを押し通したいだけで…私はなんて馬鹿なの…!――
自分で自分が情けなくなり顔を上げられなくなっていると…


ポン、

「…!」
総治朗の右手が梅の左肩に乗ったので反応する梅だがまだ顔が上げられず。
「梅さん大丈夫ですか?」
「っ…ごめんなさい私…」
「え?」
バッ!と上げた梅の顔はくしゃくしゃで、山吹色の大きな瞳からぶわっと涙が溢れるから総治朗も驚いてしまう。
「梅さん!?どこか痛いのですか?それともやっぱり具合が悪いとか…」
「うぅ…ごめんなさい。私、総治朗さんの事を何も知らなくて、昼間だってお茶にお誘いしたり今だって花札しましょうや恋人のお話や…!今はそんな悠長な事を言っていられる時代じゃないのに今も苦しんでいる人が何処かに居るそんな時代なのに私…!」
「私は全然気にしていませんよ。梅さんからお誘いして頂けてとても息抜きになりました。だからどうかそんな悲しいお顔をして泣かないで下さい」
「でも…でもいつ死ぬか分からない時代だから少しでも総治朗さんと一緒に居たい…お話していたい…私っ…!」
「梅さん?あの。どうしまし、」
「私、総治朗さんの特別になりたい!」
「え…」

























自分の胸に両手をあてて赤い目をして涙を零しながら告げた彼女のその言葉に彼は目を丸めて呆然。一体何が起きたのか分からないといった状況。俯いた梅が、総治朗の浴衣の裾を掴んでいる。
「でも急になんて無理だから…今晩だけでも一緒に居たいのです…。田村さん達が行方不明になった場所に血痕があったと聞いて…怖いのです…」


ビクッ!

"田村さん達"その言葉に総治朗が肩を震わすが、梅は泣いてそれどころじゃない為彼の挙動不審な様子には気付かず。
「怖いのです…私もいつ総治朗さんと会えなくなってしまうのか怖いのです…。ひっく…。こんな自分勝手な私でごめんなさい…」
梅は鼻を啜りながら両手で顔を覆って立ち上がるから、総治朗は目を丸めて彼女を見上げる。
「梅さん、あの…」
「ぐすっ…ごめんなさい本当…ごめんなさい…」
蚊の鳴くような泣き声でポツリポツリ呟き背を向けて力無く肩をひくつかせ、ヨタヨタ歩いて障子戸の取っ手に手を掛ける梅。その右腕を総治朗が背後からそっ…と掴むが、梅は振り向きもせずまた涙を手で拭ってしゃっくりをする。
「っく…ひっく…」
「梅さんのお気持ちとても嬉しいです。こんな時代だし家族ももう居ないから余計嬉しかったです。…でも私は梅さんや殿下…皆さんと一緒に居ちゃいけないんです…」
梅は振り向く。涙で濡れた顔で。
「どうして総治朗さんはいつもそんな言い方しかできないのです!?もっとご自分に自信をお持ちになられたらどうですか!」
「…ありがとうございます。でも私は…」
「…分かりました。私が出過ぎました…。なら、少しでも総治朗さんのお役にたたせて下さい。お布団まだ敷いていないのでしょう?」
何を言い出すかと思えば梅は彼の脇を通って掛軸の隣壁に設置された布団の入った押し入れの取っ手に手を掛けるから、総治朗はハッ!と顔を真っ青に血相を変えて梅へ右腕を伸ばして駆ける。
「…っ!梅さん其処は開けないで下さい!!」
「え?」


ガラッ…

総治朗に顔を向けながら両手で押し入れの襖を開けてしまった梅。開かれた押し入れの中からハラリ1枚と梅の足元に落ちたのは、総治朗がいつも羽織っている白い羽織。
「え?」


パサ…、

梅は自分の足元に落ちた布の感触に目線を足元へ落とす。其処には、混じり気のない純白の布で作られたはずなのに色を変える程べっとり付着した血で真っ赤に染まった彼の羽織が落ちていた。
これがどういう意味を示すのか。何故彼の羽織が赤いのか。何故こんなにもまだ真新しい血の鼻を刺す臭いがするのか理解できずに目をただただ丸めてそれを見ていた梅の脳裏で、脳を手で直接触れられたように甦る光景。

『子供を神社へ探しに行った田村さん達5人がまだ帰ってこないんです』
『聞きました?神社入口すぐの雑木林に拭き取ったような夥しい量の血痕が見つかったようですよ』
『…でも私は梅さんや殿下…皆さんと一緒に居ちゃいけないんです…』

それらが一つ一つ結び付いて梅の脳がこの真っ赤に染まった羽織の示す意味を理解した瞬間、梅の全身から一瞬にして血の気が引いた。恐ろしさが襲い掛かり顔を酷く強張らせ歪め、そして…




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