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症候群-追放王子ト亡国王女-
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母屋1階廊下―――――

昼食の食器を厨房へ片付けに行く彼の背を見つける。しかし胸に手をあてたまま彼の事を呼べずにいると彼が曲がり角へ差し掛かろうとするから、まだ心は準備が整っていないというのに口が勝手に開いていた。
「総治朗さん!」
ギリギリセーフ。角に差し掛かった所でピタリと足を止めてくれた。不思議そうにキョトンとした顔を梅に向けてくる彼総治朗。
「はい。どうかしましたか梅さん」
別に自分へだけに向けてくれる特別な笑顔ではない事くらい知っているけど、穏やかなその笑顔に思わずドキッとしてしまう。梅が目を泳がせている間も彼は催促する事無く笑顔のまま黙って待っていてくれるが。
「そうちゃん早くー」
厨房から河西の声が彼を呼ぶから梅が急かされてしまうが、それがお陰で梅が口をきるきっかけとなる。
「あ。はい今行きます。あ…申し訳ありません梅さん。お話は後でも良いで、」
「あ、後で一緒にお茶しません?!」
自分的にはそうではないものの厨房まで届くくらい大きな声で言っていた。そんな梅の一言に彼は相変わらずキョトンとして目をぱちくりさせるが、すぐいつもの穏やかな笑顔を浮かべる。
「はい。私で良ければ」
その返事が聞けて、パァッ…!と周りに花を散らす梅を、背後の角からこっそり覗いていた小町は口を手で隠して微笑ましそうにクスクス笑っていたそうな。



































母屋3階――――

いつも通りこの部屋に集まった日本人達。
「きゃっ!きゃっ!」


ドタバタ!

下の階からエミリーのはしゃぐ声や廊下を走る足音が騒がしい。額に青筋を浮かべて怒りのあまり立ち上がり部屋を出て行こうとする1人の男性『田村』の肩を掴み、引き止めるのは河西。田村は彼の方を振り向く。
「止めないでくだせぇ河西さん。また輩を連れて来たんでしょう?殿下の甘ちゃんなやり方にはもう我慢できません。俺だけじゃない。此処に居る民間人の日本人皆が同じ思いですわ。だから…」
「待って。まだ早いわ。こっちにはまだ武器が揃っていない。連盟軍の坊や達がけーちゃん達の頼みを聞いて実行してから。それからよ」
「っ…、分かりました」
言いたい事は五万とあるが、渋々胡坐を組み黙る田村。河西は障子戸下半分のガラス張りの窓から外を眺める。朝の雨もすっかり上がり珍しく青々した夏空が広がっていた。
「皮肉なものね。空はあたし達の気持ちを何も分かっちゃいない。けーちゃん達のようにね」




































離れ―――


ガタン、

引き戸を閉めたヴィヴィアンは離れ入口の戸に背を預けて腕組みをする。彼の視線の先には部屋の中央で胡坐を組むラヴェンナ。目線を下へやり、ぎゅっ…と唇を噛み締めている。
数10分前。ラヴェンナとエミリーを前にしたマリーとジャンヌはエミリーを連れて母屋へ移動している。そうさせたのはヴィヴィアンではなく、ラヴェンナだった。彼と2人きりで話したい事があるそうだ。
――自分から持ち出したくせに、何で何も喋らないんだ?――
心の中でそう呟きながら窓の外へ目を向ける。珍しく快晴なのに、彼の心の中からモヤモヤは消えない。ずっと沈黙というのも息が詰まりそうだからヴィヴィアンが口を開く。
「エミリーを連れて来てくれて本当ありがとう。感謝しているよ。あの後城は崩れたのにどうやって逃げられたの?」
「…お前とジャンヌの事をエミリーを抱いたまま追って外へ出たら…」
「運良く倒壊の下敷きから免れたってワケね。はは、僕達って尽く運が良いと思わない?これも日頃の行いかな」
「……」
「ルネ軍戦闘機で此処まで来たみたいだけど、カイドマルド駐屯地から奪取してきた物?」
「ああ…。たまたまカイドマルド人達がルネ軍駐屯地へ反乱を起こしている時で何故かロックを解除された機体があったからそれで…それで…」
「何処に居るかも分からない僕を追った?はは、にしてもすごいね。燃料切れで落ちた所に偶然僕達が居たなんて。不幸中の幸いってやつかな」
「……」
返事をするだけで自分からは話題を持ち出してくる気配の一切無い彼女。話したい事があるから2人きりにさせたんじゃないのか?チラ、と横目で彼女を見てもやはりまだ目線を下へやったままだから窓の外へ体を向けたヴィヴィアン。
「あれからルネと中国はどうなったんだろう。ルネ軍東京駐屯地がね中国軍によって爆破させられて…ってラヴェンナ、君は知らないか。今ね日本はルネと中国に領土を奪い合いされていて」
「…おい」
「はいはい、なーに?」
やっとか。と心の中で溜息を吐くのと反対に表情には軽い笑顔を浮かべておく。彼女に体を向けてもまだ目線を下へやったままだったけれど。
「……」
「どうしたの?黙ってばかりいたら話が進まないどころか始まらないよ」
するとようやく顔を上げた彼女ラヴェンナ。赤紫の瞳は真剣に彼を見つめてくる。まるで逃がさないとばかりの力強い眼差しに一瞬ビクッとさせられてしまうが、それはほんの一瞬だ。
「何?そんな怖い顔しなくても」
「お前にとってあたしは遊びだったのか?」
「…何の事?」


ピクッ、

彼女の真剣な問い掛けにヴィヴィアンの目尻が一瞬痙攣する。
「とぼけるな…。お前はあたしを妾にすると言ったんだ。もう王でも何でもなくてもずっと傍に置いてやると言ったと同じ事なんだ。…分かっている。充分分かっているんだお前はマリーが一番だって事。…ジャンヌとはどうなんだ?」
「は?ベルディネ?」
「お前があの日夜会へ呼んでいただろう!その時あたしはあいつと会ったんだ!それに今此処日本にだって連れて来ているじゃないか!マリーはともかく、何があったかは知らないが…!」
感情的になり立ち上がった彼女に、両手でジェスチャーをしながら"抑えて抑えて"とヴィヴィアンが言っても彼女にはまるで効果無し。
























「そんなに熱くならなくて良いよ。ベルディネはただの友達。いや、そこまででもないか」
「ならどうしてあたしを於いていったんだ!」
「そうじゃないよ。あの時はたまたまルネ軍の奇襲を受けたから戦場へ行ったら何故かベルディネも其処に居て、あのままあそこに置いていったら危ないから連れて行っただけだよ。でもラヴェンナ、君を於いていった事は謝るよ。ごめん」
「お前が自覚していなくても傍から見ればお前のジャンヌへの感情は異常だ!他国への亡命手段だ何だかんだと理由を付けて連れていたけどな、こんな言い方はジャンヌに悪いが言わせてもらう!ジャンヌを連れて何の得になる?有利になる?!優れた軍人でも優れた議員でもない!いい加減はっきりさせたらどうなんだ!マリーもジャンヌも…あたしも!辛いんだよっ…!!」
最後声を擦れさせた彼女は同時に瞳に光るモノを浮かべるが、すぐ自分の腕で乱雑に拭う。鼻を啜りながら。一方ヴィヴィアンの脳裏では…

『もう被害者面できない。あんたは加害者なのよ。だからあんたはこの世界に償ってから死になさいよ…。私だけは死んでもあんたの味方でいてあげるわよ!』

あの日。生きる事をやめようとした自分の命を繋ぎとめてくれたジャンヌの言葉が何故か何度も繰り返されていたから、ばつが悪そうに舌打ちをしながら目を閉じるヴィヴィアン。
――別にあいつは本当ただの…ただの友人…。そうだよ。それ以上なんかない。ただの…――
その時。ギュッ…、とヴィヴィアンの上着を両手で掴んだラヴェンナに気付きハッ!と我に返ったヴィヴィアンが彼女を見れば、顔を下へ向けて肩を上下にひくつかせて鼻を啜っていた。
「どうせ…ぐすっ。あたしなんてマリーの代わりでしかなかった事くらい…分かっていたさ…」
ヴィヴィアンは手振りで何とかしようとするが苦渋の表情。
「そんな事ないよ。ラヴェンナ、君は路頭に迷った僕を新生ライドル王国へ連れてくれた。そこからだったんだよ。僕が兄上やルネへの復讐を決意したのは。君のお陰だ。本当に感謝している」
彼女の右肩に手を乗せて首を傾げて微笑みかけても顔を上げてくれない。


























「誰も誰かの代わりになんてなれないんだよ。人間は皆、唯一無二の存在なんだ」
「じゃああたしの事…」
「愛してる」
「……」
――クサ過ぎたか?まあその場凌ぎの嘘くらい慣れっこだけど。それにしてもどうする。まさかラヴェンナが本気だったなんて想定外だ。婚約者の時は毛嫌いしてきたくせに…。彼女が言うように、マリーの代わりで彼女にとって僕もただの遊び相手でしかないと思っていたんだけどね。まあ彼女も僕がマリーを一番だと思っている事は熟知しているようだし、ここは妾の君にはマリーの前ではこの事を秘密にするよう言って…そうしてくれれば愛すよとかテキトーな事を言っておけば良いかな?彼女は僕の事を好きなんだから――
表では貴公子張りの優しい笑みを浮かべて。裏では1人また戦略を立てているなどラヴェンナは知らず。ラヴェンナは腕でまた涙を拭うと静かに顔を彼の胸に埋めるから、取敢えず形だけでも…と彼は彼女の頭を撫でるように抱き締める。
「…でもな。あたしはまだ赤ん坊のエミリーを悲しませたくない…。マリーとエミリーに支障を来さないようにしたい」
――何だ分かってんじゃん。そうときたらこっちのものだね。ほら、やっぱり僕の計画通りだ――
彼女が自分に顔を埋めているのを良い事に、表で白い歯を見せて笑む。
「そんな事…でもありがとう。ラヴェンナ、君は優しいんだね」
「だから…」
「うん。何?」
にっこり笑顔を浮かべる。彼女は彼から静かに離れるとまた下を向いてはいたがどこか嬉しそうに微笑んでいた。その笑顔はてっきり自分に愛してると言ってくれたから喜んでいるものだとばかり思っていたヴィヴィアンだが…。
「その…。マリー達にあたし達の事を秘密にするならマリー達にも秘密を作ってほしいんだ」
「?」
「お前との子供が欲しいんだ」
「…え?」


チチチ…

外で雀達が鳴きながら一斉に飛び立って行く羽音がした。拍子抜けしたヴィヴィアンと、下を向いたまま自分の両手をぎゅっと握り締めているラヴェンナ。ヴィヴィアンはただただ口角を引きつらせて苦笑いを浮かべる事しかできなかった。










































母屋1階――――

縁側でマリー、エミリー、ジャンヌ、アンネの4人で腰を下ろしている。葉についた朝までの雨の雫が太陽の陽射しに照らされてキラキラ輝く美しい日本庭園。池には赤や白や金色の鯉達も泳いでいる。どこか楽しそうにも見える泳ぎ方だ。
「わーっ!」
「まあ!とても上手ですわエミリー」
慶司から貰った折り紙。鶴などの形ある物を折れる年齢ではないエミリーだが、三角形に折ったピンク色の折り紙をマリーに自慢気に見せてくるエミリー。マリーは顔の前で両手を合わせて誉めてあげる。そんな母子を前にしたらジャンヌの脳裏でエミリーの父親の顔が過るが、自嘲して青空を見上げた。
「好きな人なんていない。私にはもう、いないから」
「え?」
「何でもないわ」
自分にしか聞こえないジャンヌの独り言。何を言っていたかは分からないマリーが首を傾げてジャンヌの方を向くが、ジャンヌは笑顔で流すのだった。
一方アンネがエミリーに折り紙の鶴を折ってみせると、エミリーは自慢されたのだと勝手に思い込み両頬を膨らませて負けじと折り出すが、しわくちゃな折り紙しかできない。まだ2歳のエミリーじゃ折れるわけがない。
「ここはね、こうしてこうやって折るんだよ。一緒にやってみよう」
アンネはお姉さんらしくエミリーの手を持って一緒に折ってあげる事にした。だがそれが余計気に食わないのだろう。エミリーはアンネの手をブンブン振り払うと「あーっ!」と赤ん坊特有の喃語で大きな声を上げるから、アンネはキョトンとしてしまう。けれどマリーはすぐにエミリーを自分の膝の上に乗せてあやす。そんなエミリーを見てジャンヌはクスッ、と笑ってしまった。
「ふふ!プライドが高いのは誰に似たんだか」


ピチャッ!

池の鯉が元気良く跳ねる音がした。
「でも本当良かったわよね。エミリーちゃんが生きていて」
マリーに顔を向けて縁側で足をパタパタさせながらジャンヌが言う。
「はい!ラヴェンナさんのお陰ですわ。後でありがとうを言いに行きましょうねエミリー」
「きゃははっ!」
「もうっ!ままの言っている意味分かっていますか?」
マリーの膝の上に乗ってからすっかり機嫌も直りきゃっきゃ笑うエミリーにマリーが頬を膨らませて怒ってみせる。だが、二度と見れないと思っていたエミリーの笑顔を見れたら思わず笑顔に戻ってしまう。
「マリー様」
「はい!」
「急にじゃなくて良いけど、エミリーちゃんの為にもちょっとずつで良いからヴィヴィアンと打ち解けてあげてね。両親の仲が良い事が子供にとっての幸せでもあるだろうし…って、お節介か。ごめんごめん」
ははっ、と頬を掻きながら笑うジャンヌの言葉にマリーは庭へ目を向けて何かを考えているような表情を見せる。
「…そうですよね」
「え?」
「ありがとうございますジャンヌさん。すぐできるかは分かりませんけれど、この子の為にもわたくし頑張ってみますわ。わたくしも彼の罪を一緒に背負います」
此処へ来て初めて見せたマリーの笑顔にジャンヌは始めキョトンとするが、白い歯を見せてニカッと笑った。ブイサインまでして。
「良い夫婦になりそうね!私も応援するわ!」
「ありがとうございます!この子には…エミリーには争いの無い時代に生きて1日1日を楽しんでもらいたいですからわたくしも頑張って…っ?!エミリー!?」
膝の上に乗せていたエミリーに目線を落とすと、何と忽然と姿を消していたのだ。すぐ3人が一斉にバッ!と後ろを向いても居ない。音はしなかったものの庭の池に落ちたんじゃ…と嫌な考えが過るが、幸い池の中にも庭にも居なかった。すぐ立ち上がる3人。マリーはオロオロしてしまう。
「ど、どうしましょう…わたくしがお話に夢中になってしまったせいで…」
「大丈夫よ!赤ちゃんじゃそんなにすぐ遠くへは行けないわ!私は3階、アンネは1階、マリー様は2階を探して!あと慶司君達にも言っておくから!」
頼んだわ!そう言ってダッシュで廊下を走って行ったジャンヌの足の速さにマリーとアンネは目をぱちくり。
「お、お姉ちゃん速い…あっ。私も探してきます!」
ペコリお辞儀をしてパタパタと廊下を走り探しに行ってくれるアンネにマリーは口に両手を添えて声を掛ける。
「アンネちゃんありがとうございます。でも無理はなさらないで下さいね」
「はいっ!」
その小さくて頼もしい姿が見えなくなるとマリーは自分の左胸にそっ…、と手をあてて微笑む。
「辛い事もたくさんありましたけれど、素敵な人達に恵まれたわたくし達は幸せ者ですねヴィヴィ様…」
すぐマリーは両手をグッと拳を作り、顔を上げる。
「よしっ!わたくしも早くエミリーを探さなくてはいけませんね!」
力むと廊下を走って行った。ジャンヌの速さの1/4のスピードだったけれど。
















































母屋1階、最奥―――

先日例の刀ムラマサを見せてもらった部屋で彼が寝泊まりしている為その部屋で1人待つ梅。後ろの掛軸に首だけを向けて見ていたらムラマサの事を思い出したから首を横に振って忘れようとする。旅館特有の黒く長いテーブルを前に座布団の上で正座して待つ梅は、緊張で肩は上がりっぱなしだし顔は火照って火照って仕方ない。

『どんな話題でもイイからとにかく何か話しなさい!遠くから眺めているだけじゃ何も始まらないし、始めから終わっているも同然よ!』

「…ってジャンヌが言うからお、お茶にお誘いしてみたけど…。普通こういうものって殿方からお誘いするものではなくて…?」
思わず深い溜息が出る。


カチ、コチ…

室内の壁掛け時計の秒針の進む音がやけに不安にさせる。後ろにある時計に不安気に顔を向けた。
「ま、まだかしら…。いえ!総治朗さんだって忙しいのよ!私なんて戦場にも出られない人間なのだから低姿勢で待っていなくちゃいけないわ!」
自分で自分に言い聞かせるがその効果は無くて、どうも不安だけが募る一方だからテーブルに寝そべる。
「はぁ…こんなはしたない事してはいけないのだけれど…不安だわ…。第一、女学校に通っていた上お城の中の生活ばかりだったからお父様や兄弟以外の殿方とまともな会話をした事が無い、」


ガラッ、

「申し訳ありません!大変遅れました!」
「!!」
勢い良く開かれた部屋の障子戸。緊張のあまり、彼が駆けてくる足音すら聞こえていなかった梅はテーブルに寝そべったはしたない姿をばっちり見られてしまった為顔は勿論、耳や腕とにかく全身を真っ赤にしてバッ!と勢い良く正座に戻す。火照った両頬に両手をあてて恥ずかしそうに下を向く。
「あ!申し訳ありませんノックするのを忘れて、」
「そ、そんな事は良いのです!こ、こちらこそ申し訳ありませんわ!まさか総治朗さんがもう来るとは思わず私ったらテーブルに寝そべるなんていうはしたない格好を…!」
「…?あの、すみません。窓を開けても良いですか?」
部屋へ入ってきた統治朗の姿をまだしっかり見れずにいるものの、畳の軋む音で分かる。すぐ其処に居る事が。

























彼は中庭側の窓の前に立ち窓を開けても良いか尋ねてきたので、梅は更に顔を真っ赤にする。
――窓を開ける?!も、もしかして私の顔が真っ赤で暑い事を見抜いているというの?!それじゃあ私の気持ちが気付かれているも同然しゃない!でも気付いてもらう為にお誘いしたのだけど、でも気付かれたら気付かれたらで嫌というか…!――
「わ、私は別に顔が火照ってなんていませんし、と、とにかく暑くないですよ!!」
「え?あ、すみません。じゃあ開けないでおきますね」
畳の上を歩く音がして向かい側の座布団に彼が腰を掛けた気配がしたのでゆっくりゆっくり梅が顔を上げていく。すると、総治朗はいつもの白い羽織は着ておらず腕まくりをして汗をかいていたので梅はハッ!として気付く。
「あの…総治朗さんもしかして暑いのですか?」
「え?あ!すみません。失礼ですよね」
まくり上げていた袖を慌てて下ろすから、梅が待ったをかける。
「い、いえ!そういう意味ではなくて!もしかして今まで訓練をされていたのですか?汗をかかれていらっしゃるようですので…」
「え"!一応シャワーを浴びてきたのですけど、まだ汗をかいていましたか?うわ。どうしよう。失礼しました!今もう1回着替えてきます!」
「そ、そういう意味で言っているのではありませんっ!」
片膝を立てた総治朗が立ち上がろうとするから、また梅が待ったをかけて「どうぞお座り下さい!」と力強く言えば、彼は気恥ずかしそうにしながらも再び腰を下ろす。
「あ、あのですねっ!決してそういう衛生面がどうのという話ではなくて総治朗さんが訓練をなさった後だから暑くて窓を開けようとしていた事に気付かなくてその…ごめんなさい!」
梅が頭まで下げて謝るものだから彼は目をギョッと見開きいて両手の平を前に出して横に振る。
「え?!梅さんが謝る事は何も無いじゃないですか!遅れて来た上、こっちの都合で勝手に窓を開けようとした私が悪いので気になさらないで下さい!」
「いえ!私が悪いのです!総治朗さんは訓練でお疲れという事も知らず、暢気にお茶にお誘いしてしまって!お疲れでしょうからど、どうぞ!私の事はお気になさらずゆっくりご休息下さいな!」
下を向いたまま立ち上がり彼の事は一切見ずに障子戸を開けて廊下へ出て行こうとする梅に、彼は慌てて立ち上がる。
「あの本当、梅さんは何もお気に病まれる事はありませんので…!」


ガシッ!

引き止める為に梅の右腕を後ろから掴んだ彼には全く深い意味は無い。だが、掴まれた当の梅にとったら一大事。一瞬にして全身が真っ赤に染まり熱くなると、目を見開き思わず自分の体ごと捻らせて腕を振り払おうとする。
「〜〜っ!ぶぶぶ無礼者っ!か、勝手に腕に触れるなんて…!あ"っ?!」


ガタン!

大きな物音がして一瞬何が起きたのか分からず天と地がひっくり返ったような光景が映ってから、衝撃で梅が目を開くと…























「〜〜!!」
さっきまで後ろにあった総治朗の顔がすぐ其処ほんの数センチたらずの所目の前にあり、自分の背中がやたらひんやりしている事ですぐにこの状況を理解した梅は顔を真っ赤にして口は魚のようにパクパク開いたり閉じたり。
引き止めてきた彼の腕を体ごと捻らせて振り払おうとした時に腕を振り払えなかった為体勢を崩した2人が板張りの廊下へ倒れたのだ。背中から倒れた梅の上へ総治朗が覆い被さるように倒れるが何とか両手を廊下に着いた為直接重なる事こそ免れた。だがさすがの彼も顔を真っ赤にして、訓練でかいた汗とは全く意味の異なる汗をひっきりなしに流していた。
「もも申し訳ありま、」
「新田見君…何やってんの…」
「ハッ…!で、殿下と河西さん…!」
謝り欠けた彼の言葉は、親友の冷ややかな低い声に遮られる。声のした方を総治朗と梅の2人が恐る恐る向けば、たまたまこの部屋へ訪れた慶司と河西が其処に立って2人を…というより総治朗を見下ろしていた。河西は顔を赤らめて右手を自分の頬に添えているが、慶司にいたっては頬を赤らめつつも目尻をピクピク痙攣させた白い目で見下ろしていた。
顔を真っ赤にしてそのままの体勢で空いた口が塞がらず弁解の言葉も出てこない総治朗と梅。一方の河西はクスッ、と何やら妙に楽しそうに笑う。
「あたし達ね今、ルネの坊やの子供を探している途中だったの。だからそうちゃんにも探すのを手伝ってもらおうと思って来たら…ふっ。そうちゃんは年に似合わず大人びて真面目だと思っていたけどやっぱりただの男の子ね〜。何か逆に安心しちゃったわあたし!」
「なっ?!違います!何か大きな勘違いを、」
「最近元気が無かったから心配してたんだけど…すごく元気そうだね…」
「え!あ。ご、ご心配ありがとうございま、」
「人の姉に手を出すなんて…。新田見君ってそういう人だったんだね…」
「殿下?!殿下も河西さんも何か勘違いをしていらっしゃいます!私はただ梅さんとお茶をしようと思っていただけで!」
「お茶からどうしてこういう事になるの…」
「殿下!ですから…!」
「んも〜っ、そうちゃんったらお茶をしようって梅ちゃんを誘っておいて手ぇ出そうなんて発想がチープ過ぎるわよっ!まっ!なんならお布団敷いてあげるけどね〜」
「何で布団なんですか!?ですから違います!私からではなく梅さんからお誘いを受けて、」
「おとなしい人程何をしでかすか分からないって言うからね…」
「まっ!さっすがけーちゃん!本〜当っその通り!怖いわぁ〜!」
自分の右頬に手をあててポッと顔を赤らめて妙に納得する河西と、相変わらず軽蔑の眼差しを向け続ける慶司。
顔を真っ赤にさせた総治朗は我慢の限界で声を裏返らせる。
「だから皆さんっ!!」
「は、早く其処を退きなさいこのっ…無礼者っ!!」


パァン!

「っ〜!?」
上に乗った総治朗を蹴り上げると同時に右手で彼の左頬を平手打ちした梅。その裏返った恥ずかしそうな声と平手打ちの音が静かな母屋一帯に響き渡ったのは言うまでもない。打たれた左頬を押さえて廊下に膝を立てて座った総治朗は目を丸めて頭上にハテナマークを浮かべて呆然。
一方の梅は顔を真っ赤にして立ち上がり、着物に付いた埃を払いながら着物の袖を前にまとめるとフン!と背を向ける。3人は彼に背を向けてゾロゾロとこの場から去って行ってしまう。
「で、殿下!私も子供探しにお供致します!」
「大丈夫ですか梅姉様」
――で、殿下に無視された…!!――
「え…ええ、ありがとうございます慶司さん。ま、全く!大変な目にあいましたわ!」
「あ、あの…申し訳ありませんでした梅さ、」
「〜っ!も、もう総治朗さんの事をお茶にはお誘いしませんからね!!」
顔を向けて唯一言ったその一言は梅が顔を真っ赤にして恥ずかしそうに言った事に総治朗は一切気付かず、頭上から巨大な盥を落とされたような顔をして1人其処で呆然としていた。




































母屋2階
最奥の一室―――――

「ふん。緊張感の無い奴らだな」
1階からエミリーを探す梅やジャンヌ達の騒々しい声が聞こえてくるから酷く嫌そうに顔を歪めて毒を吐き捨てるのは劉邦。額と腕や首とにかく体中の至る所に包帯を巻いた痛々しい彼は旅館の浴衣を着ており、畳の上に敷いた布団の毛布の中に脚を入れたまま上半身を起こしている。その隣では彼に背を向けて酷く気まずそうに障子戸の廊下側に体を向けて座っているバッシュ。
あれから医学部卒の小町のお陰で一命を取り留めた劉邦。止血された傷口から血はもう滲む事は無くなったし、何より今朝ようやく目を覚ましたのだ。3日振りだろうか。一方のバッシュは頬と腕に傷テープで処置を施してもらっているだけの軽傷。劉邦から比べたら怪我の内にも入らない程度だ。
「おい」


ビクッ!

彼からの一言だけに挙動不審に体を震わすバッシュ。
「な、何すか兄さん…」
背を向けたまま返事をする。
「室内の造りを見たところ此処は日本か」
「…はい」
「…それだけか。お前が事情を話せ。私に相槌すら打たせないようにだ。私は本来ならばお前とは一切口を利きたくないのだからな」
「っ…」
解いた自分の長い黒髪を指に絡めながら機嫌が悪そうにしてバッシュの事は一切見ず襖だけに目を向けてそう冷たく言う劉邦。バッシュは自分の膝に乗せた拳を震わせながらもギュッ…!と強く握り締める。
「あの時…兄さん達とルネが戦っている時戦場へ行ったんです。兄さんは中国軍として日本でルネと領地の奪い合いをしているだろうから…。俺は兄さんがアメリカ軍の戦艦を起動させる為のディスクを持っているからそれを返してもらおうと思って。そしたら兄さん、機内で意識を失っていたから…」
「……」
ここで本来相槌が欲しいところ。だがくるはずの無いモノを待っていても時間は進むが話は進まないし、何より劉邦のイラ苛立ちが増すだけだから話を再開させた。
「その時戦線離脱する日本軍の戦闘機を見つけて…一か八か賭けて追ってみたら此処に着いてそして…兄さんを助けてほしいって頼んだんです。だから今、此処に居るんです」
「ルネに強制出兵させられた民間人か」
「え…」
「早く答えろ」
相槌が返ってきたと思いきや、ドン!と畳を叩かれて催促される。
「いや…日本の王子が1人と他に軍人っぽい日本人と民間人がかなりと…あと…」
そこでバッシュはヴィヴィアンのあの笑みを思い出してしまい口籠もるから、髪をいじっている劉邦の手も止まる。
「あと…ヴィヴィアン・デオール・ルネが…」
「…何?」
劉邦は目だけをバッシュの背に向ける。
――ルネによって植民地にされた奴らがヴィヴィアン・デオール・ルネを捕えた事をルネへ誇示せず、何故匿う?――






















一方バッシュは肩を震わせて下を向き、唇も震わせる。
「っ…兄さんを助けてほしいって言ったらヴィヴィアン・デオール・ルネが取り引きしようって…俺達は国際連盟軍だからルネを標的としている同じ目的なんだから連盟軍の戦闘機…軍事力を貸してくれ、って言われて…。そうすれば兄さんを助けてやるって言われたんすけど…。敵相手に勝手な事をしてすみませんでした…」
怒鳴られる事は分かっている。殴られる事も分かっている。劉邦の性格はよく分かるから。けど、この人に隠していたってすぐバレてしまうに違いない。酷く言いにくそうに言う。彼からの返事は無いからあるまでじっ…と下を向いて待っていると…。
「よくやったな」
「え?」
まさかの返事にバッシュは顔を上げる。劉邦は相変わらず襖の方にばかり目と体を向けていたが、バッシュは戸惑う。
「あの、兄さ、」
「そうやって偽りの取り引きで奴らを騙して私の治療をさせ、最後はヴィヴィアン・デオール・ルネを捕獲するのだろう?お前にしてはよくやったじゃないか」
「…!」
劉邦の一言にバッシュは目を見開き顔を上げる。感情的になってしまい、思わず立ち上がる。握り締めた拳が震えていた。
「兄さん本気で言ってるんすか」
「何がだ?まさかお前、敵に礼をするつもりでいたのか」
「兄さんは恩を仇で返してプライドが傷付かないんすか!」
「何を1人で熱くなっている。理想だけではどうにもならない生きるか死ぬかの時代だ。自分の命程大事なものはない。お前ならできるだろう?姉さんを殺し、自分を私に救出させたお前なら」
「あれは…!」
「あれは、何だ?」
「…っ、すみません…でした…」
冷たくて感情が一切籠っていない劉邦の言葉。これならまだ、いつかの時のように思い切り怒鳴られ殴られた方がマシだ。




















バッシュはガクン、とその場に座り込む。まるで崩れ落ちるように。そんな彼にやはり一切目を向けず劉邦がまた口を開く。
「こちらが裏切れば相手も殺しにくるだろう。相手はヴィヴィアン・デオール・ルネの居場所が知られているのだからな」

『しっかり見張っておくよ。裏切る素振りを少しでも見せたら即殺すから安心してね』

その時。あの土砂降りの日ヴィヴィアンが慶司に言っていた言葉がバッシュの脳裏を過った。
「…兄さん。気を付けた方が良いっすよ。特にヴィヴィアン・デオール・ルネには…」
「何がだ?私はあんなガキなど眼中にも無い」
「そう、っすか…。あの、兄さん。日本でルネと交戦していた中国軍はどうなったんすか」
「お前には関係の無い事だ。いいか。お前は私の指示通り動け。これ以上の勝手な行動を一切禁じる。まだ奴らに恩を返すようなくだらない事を考えているのならば私はお前を撃つ」
「っ…」
「そういう世の中だという事をよく頭の中に叩き込んでおけ。根性良しは命取りだ」
「…了解」


しん…

再び静まり返る室内。この部屋から出たいが出たところで何をする事も無いしそれ以前にできないのだもう勝手な行動は。そう考えたらやはり自分の命こそが最も優先すべきモノなのだと思い知る。


ガタガタ、

「…?」
その時。バッシュが背を向けていた廊下側障子戸の揺れる音がしたからゆっくり顔を上げて後ろを向くと、障子戸がほんの少し開いていてその隙間から外の陽射しが昼間にも関わらず真っ暗なこの部屋へ射し込むと…
「うぅ…」
「子供…?」
隙間からひょっこり覗いた大きな赤い瞳。エミリーだ。バッシュが膝立ちをして腕を伸ばして障子戸を開けば、パタパタ足音をたてて部屋の中へ入ると同時にバッシュにしがみついてきた。
「おわっ!な、どうしたんだ?つーか誰の子?」
「うぅ〜…」
唸りながらポコポコ叩いてくる。ぐずっているのだ。バッシュは胡坐を組んで軽々抱き上げて高い高いをしてやる。
「きゃっ!きゃっ!」
するとほんの1分前までのぐずりが嘘のように消えて今は目を三日月のようにして大喜びだから、バッシュの顔も綻ぶ。
「はは、お前高い高いが好きなんか。じゃあ次はお馬さんな!」
「わーっ!」
畳の上に四つん這いになってエミリーを背に乗せて少し這ってやれば、ご機嫌なエミリーは高い声を上げてとても楽しそうだ。

























また胡坐を組み、エミリーを下ろして抱っこをしてやる。
「じゃあ次はー…」
「さっさとそのガキを追い出せ」
「あ…。すみません」
エミリーと遊ぶのに夢中になっていたらつい劉邦の存在を忘れてしまい、彼の強い口調で放たれた一言で我に返るバッシュ。慌てエミリーを部屋の外へ出そうとするが…
「あ"」
エミリーはスルリとバッシュの腕の中から抜けると、はいはいをして劉邦へ近付くからバッシュは顔を青くしてエミリーを掴もうと手を伸ばすが…
「あ、おい!兄さんにはダメだって!」
「あーう〜!きゃははは!」


ぐいっ、ぐい、

「あ"…」
遅かった。エミリーはとても楽しそうに満面の笑みで劉邦の長い髪をぐいぐい引っ張るのだ。劉邦は目尻をピクピクさせて額に青筋を浮かべて明らかにイライラしているが、さすがに赤ん坊には手も口も出ない。だが劉邦から漂うただならぬ怒りの雰囲気を察知したバッシュはエミリーを掴んで劉邦から引き剥がそうと引っ張る。
「ダメだって!兄さんに迷惑かかってるだろ!」
「きゃ!きゃっ!」
引っ張っても劉邦の髪を掴んで放さないそんなエミリーをバッシュが引き剥がそうと引っ張るから、この中で今引っ張られていてでした一番痛いのは誰かというと…


ブチッ!

「あ"…」
最悪だ。エミリーを引き剥がせたは良いが、劉邦の髪が束で思い切り引き抜かれたのだ。
「きゃー!きゃはは!」
「お前!笑ってんじゃ…ぷっ!」
「…バッシュ貴様今笑ったな」
「え?!わ、笑ってなんていないっすよ!?」
「きゃ!きゃっ!」
「だーっ!お前何べん言えば分かるんだよ!やめろって!」
再び劉邦の髪を引っ張り出すから今度は早い対応をとったバッシュがエミリーを抱き上げる。
「すみませんでした兄さん!今追い出しますから!」


ガタン、

そう言ってエミリーを抱いたまま部屋を出て行ったバッシュの顔がやけにヒクヒク笑っていた気がした。劉邦は怒りなのか恥ずかしさなのか分からないが顔を薄ら赤くして溜息を吐く。
「…はぁ。これだからガキは嫌いだ」
"ガキ"とはエミリーの事だけではなく、バッシュの事も指しているように聞こえた。



























すると劉邦は自分の枕元に投げてある通信機を手に取るとそれをジッ、と見つめて何かを考えてから通信を繋げる。


ガーッ、ガガーッ、

ノイズ後繋がる通信音。
「誰だい!?」
耳がキーンとする程の高い声。通信を繋げた相手は呂雉だ。
「私だ」
「劉邦?!良かった!あんた生きていたんだね!…って別にあんたなんて生きていようが死んでいようがあたいはどーだって良いんだけど!」
「呂雉」
「何だい!」
「母国はどうなっている」
すると今までいつもの高いテンションだった呂雉もゴクリ…と唾を飲み込んで真剣な声色に切り替わる。
「悲惨だよ。宦官のアホがルネに恐れをなしちまったせいで。首席は暗殺されちまったし、指導者不在の状態だから国民をまとめられる人間が居ない。でもあたい達はルネの支配下になんてならない!絶対にね!」
「軍は動いているんだろうな」
「ああ。本土はあたい達とルネ軍との抗争が激化しているくらいだよ。幸いアメリカ軍からの援護もあるからなんとかなっている…けど…」
そこで言葉を詰まらせるから、劉邦は眉間に皺を寄せる。




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あきゅろす。
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