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症候群-追放王子ト亡国王女-
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9年前――――

黄色の大きく優しい瞳にすら当時のヴィヴィアンは"どうせまたルネの王子という肩書き目当ての女"にしか映らなかったからすぐ咲唖に背を向けてしまう。しかし、放っておいてほしい時に限ってだ。咲唖はヴィヴィアンの隣に立った。不機嫌な顔をして咲唖の方をチラッ…と見れば、元からキラキラ輝いた咲唖の瞳には広がる夜景が映っていた。だからヴィヴィアンはすぐに顔を伏せる。
――日本語…?そういえば日本王室の人間も来てるってフランソワが言っていたっけ――
当時は欧米諸国が最も栄えておりアジアの中でも日本は特に目立たない存在であった為か、傍から見れば失礼ではあるがルネのような超大国にとって日本など眼中になかった。母国ルネの風潮から、先程日本語で話し掛けてきた咲唖を格下に見ているヴィヴィアン。
「What do you want me to do?」
「え?あっ…!」
本来ルネはフランス語が母国語だがわざと英語で問えば咲唖は目を丸めて口をポカン…と開ける。気付いたのだろう。
「あ。申し訳ありません私つい、日本語でお話してしまいました」
少し予想外。格下に見ていた日本人が自分と大差無い流暢な英語で返答してきたのだ。満面の笑顔で。
――王女なら社交辞令程度の英語しか分からないと思っていたけど――
からかってやったのに、顔の前で両手の平を合わせて首を傾げながらこんなにも笑顔を向けられてしまうと、己を格上に見ていた自分に恥ずかしさを覚える。それもあってかヴィヴィアンはまた顔を両手の上に伏せた。だって、ばつが悪いし。

























けれど咲唖はヴィヴィアンがからかってきた事に気付いていないから、また顔を伏せてしまった彼に対し不安が募るだけだ。もしもこれは恥ずかしさ故の行動だ、と彼から説明されても理解ができないだろう。彼女はそういう人間だった。
「どうかしましたか。御気分が優れないのですか?」
「質問する前に名乗ったらどうですか」
こんな不遜な態度をとられれば、いくら彼が今最も栄えている超大国の王子とはいえムッ、とくるだろう。人間だから。そうすればこの少女は自分に呆れて何処かへ去って行き、また1人になれる。そう考えた故の言葉。しかし彼女咲唖にそんな在り来たりな展開を求めたところで、策を練った時間が無駄だったと思い知らされる。
「あ!そうですよね。失礼致しました。私、日本国第一王女宮野純 咲唖と申します。貴方のお名前もお伺いして宜しいですか?」
全く怯みもせず嫌な顔一つ見せず太陽の笑顔を絶やさない彼女には、ヴィヴィアンもさすがに目を丸めた。てっきり、癇癪を起こして"失礼な殿方ですわ!"なんて、何処ぞのご令嬢のようにぷんすか去って行くものとばかり思っていた。だから、意表をついてばかりの彼女に興味が湧いた。それはまだ好きとかそういう類のモノではなくて、例えるなら動く物に興味を示す赤ん坊。
やっと顔を上げたヴィヴィアンは手摺りに背を預けて両腕も手摺りの上に乗せるという大きな態度だ。けれど背を向けたままだった先程よりはマシと言えばマシかもしれない。
「僕ですか?僕はルネ王国第三王子ヴィヴィアン・デオール・ルネです」
「まあ!あのルネの王子様でしたか!」
「…!僕の事を知らなかったのですか?」
「申し訳ありません…」
――知っていて僕に声を掛けたわけじゃない…?――
ルネの王子であるヴィヴィアンの肩書きでも地位でも財産目当てでもないのに、彼女は何故他者をこうも気遣うのか?ヴィヴィアンにとって理解に苦しむ咲唖の行動。目を丸めてしばらく呆然と咲唖を見ていたヴィヴィアンは鼻で笑った。
「はっ、そうか…僕は兄上とは違うんだったな」
呟いた言葉に咲唖は首を傾げて、
「どうかしましたか?」
と尋ねてきたけれどただ平然と、
「何でもありません」
英語でそう返答しておいた。
























♪〜♪〜〜♪

舞踏会の音色が聞こえてくる。すぐ真後ろ扉の向こうが会場だというのにやけに遠くに聞こえるのは扉の厚みのせいか、それとも…。
「本日は何方とお越しになられましたか?」
彼女なりに明るく振る舞っているのだろう。さっきから笑顔を絶やさない咲唖が人間らしいはずなのに逆に機械にも見える。ヴィヴィアンは腕に顔を乗せたまま夜景を瞳に映す。赤い瞳に映る夜景はこんなにもキラキラ輝いているのに、ヴィヴィアンの瞳は空虚。映しているのに何も映していない。
「婚約者と側近です」
咲唖は両手の平を顔の前で合わせた。
「まあ!素敵ですね」
「全くもってそんな事はありませんよ」
そう言えば、次に咲唖から返ってくる台詞は大抵ヴィヴィアンが不機嫌な理由を尋ねるものがセオリー。だからその応答を用意して待っていたのに。
「お国の為なのですか?」
「え…」
その台詞は自分が言おうとしていたモノに近い。だからヴィヴィアンは咄嗟に咲唖の顔を見る。ニコッと微笑んですぐ彼女は手摺りに両手を乗せて瞳に夜景を映す。黄色い瞳に映る夜景はこんなにもキラキラ輝いていて、咲唖の瞳はそれ以上に輝いていた。
「でも沈んでいると幸せって逃げちゃうんですよ」
「だからと言って1人で居る時まで自分の気持ちに嘘を吐いて笑ってなんていられる程器用ではありませんよ」
「そうだっ!ヴィヴィアン君のご趣味は何ですか?」
全く支離滅裂な返答にヴィヴィアンの目元がピクリ…と痙攣。口角を上げた苦笑いを浮かべる。
「…あの。返答が支離滅裂なのですが」
「ふふ、私は花札や将棋あと…チェスもできますよ」
「チェスですか?日本人なのに?」
「はいっ!皆さんに驚かれるんですけれどよくやりますよ。ヴィヴィアン君もおやりになられますか?」
「やりますよ。ポーカーの次に得意です」
「ふふ、いつかお相手して頂きたいものですね」
「そういえば此処へ来るまでの道中、車の中に暇潰しになる玩具を持ってきたと思うんですが…あ。トランプだったかな」
「今日はチェスボードはお持ちではないのですか?」
「多分。持ってきていないと思います」
「ふふ、では次お会いした時が楽しみですね!」
「はい。そうで、」
――…あ!――
ようやく気付いた。いつの間にか普通に咲唖と向かい合って普通に友人同士のような会話を普通に楽しんでいる自分が居た事に。






















突然言葉を詰まらせたヴィヴィアンに咲唖が笑顔で、
「どうかしましたか?」
と尋ねてくる声が遠くに聞こえる。目の前に居るのに。
――僕は彼女の策にまんまとハマったってわけか――
「はっ…」
自嘲するが、策にはまったというのに何故かい嫌な後味がしなかった。寧ろ…
「さすがですね貴女は」
「え?」
「強引に話題を運び、人を笑顔にさせる。生温い日本人らしい策だと言ったんです」
「策なんかではありませんよ」
「またまた…」


ぎゅっ…、

咲唖はヴィヴィアンの両手を包み込むように握る。首を傾げてポカンとしたヴィヴィアンは瞳に彼女を映した。
「貴方とお話をしたいと思ったから。ただそれだけです」
「はっ…。万が一日本が敵対した時は惑わされないように気を付けなくてはいけませんね。今のように」
一向に捻くれた思考から脱出できないヴィヴィアンにもニコニコ笑顔を絶やさない咲唖。ヴィヴィアンは目線を上に向けてふぅ…と溜息吐くと静かに彼女の手から放れる。
「ところで貴女は何方とご一緒されたのですか」
「ふふ、私は今日従者の方とです。本当は慶司も一緒だったのですが熱を出してしまって」
「慶司?」
「あ。すみません!弟の事です。ヴィヴィアン君は御兄弟はいらっしゃいますか?」
――ルネ王室の家系図を知らないのか日本人は――
なんてまた人を下に見る癖が出てしまいつつ。
「そうですね。多分兄が2人」
「多分、ですか?」
「はい。多分です」
「ふふ、分かりました。多分です!」
何が分かったのだろう。こんな意味深で曖昧な言い方で。それでも咲唖は先程からよく出る右手で口を隠す仕草で優しく微笑む。





















「貴女に御兄弟はお1人だけですか」
「異母兄弟なら居ますよ。同い年の梅ちゃんと慶司と同い年の信之君と慶司より五つ年下の菊ちゃんと霞ちゃんです」
――名前を言われても分からないんだけど…――
「そうですか。貴女が本妻方ですか」
「はい」
――意外に日本王室もこっちと変わらないんだな――
日本とは特にこれといった交友関係も無いし何より格下に見ているルネだからサラッとしか知識が無いのだ。顎に手をあてて1人で頷くヴィヴィアンの隣で咲唖がまた首を傾げる。
「あの」
「はい?」
呼ばれたヴィヴィアンはくるりと咲唖の方を振り向く。
「貴女、ではなくて咲唖、と呼んで下さいね」
夜景を背に浮かんだ見た事ないくらいの優しい笑顔は背景より勝っていたかもしれない。
――なんて、三流小説の一文的表現だよね――
でもその笑顔から今まで接してきた人間からは感じなかったモノをヴィヴィアンは確かに感じていた。


バンッ!

「ヴィヴィアン王子!こちらに居られましたか」
「フランソワ」
バンッ!と扉が開いて現れたのは水色の服に正装した側近フランソワ。少し呼吸が乱れているのは恐らく、夜会会場から忽然と姿を消したヴィヴィアンを探す為走り回ったからだろう。超大国の王位継承権を持つ人間だ。フランソワの脳内で拉致又は暗殺といった背筋の凍り付く単語が過ったのだろう。フランソワはとても安心した笑みを浮かべ歩み寄ってくる。途中咲唖に気付くと、彼女がフランソワに丁寧にお辞儀をしたのでフランソワもつられて会釈をした。次に、自分の主であるヴィヴィアンと向かい合い敬礼をする。
「王子。間もなく宮殿を出発なさるお時間でございます」
「そっか。分かった。フランソワはリンダを呼んできてくれるかな。僕は先に護衛の人間と車に乗って待っているよ」
「リンダ様とご一緒なさらなくて宜しいのですか」
スッ…と自分の横を通り過ぎて行く主にフランソワが問えば、主の足がピタリと止まる。
「好きでもない人間と一緒に居たってリンダが哀れなだけだろう」
背を向けて発したその一言が薄っぺらいモノで、フランソワは目線を下へ落とした。
スタスタと右通路奥の階段を降りて行くヴィヴィアン。
「ヴィヴィアン君」
咲唖に呼ばれて歩みを止めたヴィヴィアンが階段の柵の上から背伸びをして彼女に顔を向けた。
「またお会いしましょう」
日本語で言った彼女の言葉は通訳が居ない彼には何と言ったのか分からなかったけれど、彼女の満面の笑顔だけで胸が暖かくなった。今日彼女に抱いた気持ちはどんなに周囲に嘘を吐いても自分にだけは吐けないと思った。ルネと日本という国の力量関係…所謂世間体が邪魔をするから、まだこの時点では確信できなかった。彼女へ抱いた気持ちの意味が。


























半年後――――

「ヴィヴィアン王子。本日はリンダ様と共にタニア公国の夜会へご招待して頂いている日です」
「日本は?」
「え」
「日本の王室は誰か出席するのかな?」
「ええと…確か第一王女と第一王子の2名が御出席なさる御予定です」































タニア公国城内―――

「咲唖」
煌びやかな屋敷に煌びやかな服装で煌びやかな宝石を身に付けた客人の中。ルネを除く欧米諸国では珍しい真っ黒な長い髪の少女の後ろ姿を見付けると、一目散に駆け出すヴィヴィアン。
「ヴィヴィアン君も居らしていたのですね!」
初めて会った時とは異なるライトブルーのドレスを着た咲唖の隣には、彼女同様華奢な黒い短髪の正装した少年が立っていた。初めて見たけれどすぐに誰か分かったヴィヴィアン。一方で少年に手を向けた咲唖が少年を紹介する。
「ご紹介致します。先日お話した弟の慶司です」
「初めまして。ルネ王国第三王子ヴィヴィアン・デオール・ルネと申します」


ササッ!

紹介されるとすぐ目線を反らして咲唖の後ろに隠れてしまう慶司。そんな彼にヴィヴィアンと咲唖は目を丸めて2人で顔を見合わせたら、どちらからともなく笑ってしまった。
「ふふ、慶司ったら恥ずかしがり屋さんなんです」
「大丈夫ですよ。僕も幼い頃は人前に出る事が苦手で。でもすぐ慣れますよ。…あ。そうだ咲唖。晩餐を終えたら以前話していたチェスの相手をお願いできますか」
「まあ!覚えていてくれたのですね」
「勿論ですよ」
「私とても楽しみにしていて実はお城の方々に練習のお相手をしてもらっていたのです。ふふ、負けませんよ」
「はは、僕に勝った人間は未だ居ませんよ」
紳士淑女が手を取り踊りあう中楽し気に満面の笑みで笑い合う2人の事を、ヴィヴィアンの婚約者リンダが会場の片隅で睨み付けていた。




























それからは、ルヴィシアンの陰湿な嫌がらせからか、表に出て人と接する事を拒んでいたヴィヴィアンが人が変わったかのように突然他国の夜会へ積極的に出席するようになった。彼が出席した全ての会には宮野純 咲唖も出席していた。








































ナタシア王国主催舞踏会
当日の朝――――


ガシャン!

紅色のカーペットでも分かる程葡萄ジュースの赤がじわりじわり染みていく。その上にはキラキラ星屑のように光るグラスの破片が散らばる。
「誤解だよリンダ。他国との友好関係を築く為に僕は忙しい父上の代わりに出席をしているだけで、」
「違うわ!私見たもの!タニア公国で開かれた夜会で日本人の女と仲睦まじくお話していたじゃない!!」
出発の快晴の朝。ヴィヴィアンの自室へ鬼の形相で訪ねて来たヒステリックなリンダはテーブル上の物という物を彼目掛けて投げ付ける。理由は簡単だ。ヴィヴィアンが婚約者であるリンダを差し置いて、ここ最近頻繁に夜会へ出席している事が原因。それが他国との友好関係を築く為の父王からの命令ならばリンダが癇癪を起こす事はない。しかし、ヴィヴィアン自ら夜会へ頻繁に出席する本当の目的…それは日本国第一王女宮野純 咲唖に会う為だとリンダは勘付いたから。いや、リンダでなくとも当事者であるヴィヴィアンと咲唖以外の人間ならすぐ勘付くだろう。
「あれは…あれはコンピューター技術に長けている日本と友好関係を築く事ができればその技術を吸収したルネはより一層栄えると思っての行動だよ」
「嘘よ!そんなの取って付けた嘘でしょう!不純な理由で夜会へ出席しておいて正当化しようとしたって分かっているのよ!よりによって、あんな格下日本人の女なんかに近付くだなんて大国の面汚しも良いとこだわ!!」
「っ…!」
胸の奥いや、それよりも更に奥が痛んだのは自分を貶されたからなんかではない。込み上げてくる感情を残り僅かな理性で必死に抑え込み、歯を食い縛るヴィヴィアン。表情にもソレを表さず穏やかな笑顔の仮面を貼りつけて、リンダの右手をそっ…と取る。
「誤解なんだリンダ。僕には君だけ、」


パシッ!

音をたて振り払われる左手。丸めた赤の目に映るリンダの目はこの上ない程つり上がっていた。





















「リンダ?」
「僕には君だけ?はっ!笑わせないでちょうだい!私あんたになんてこれっぽっちも恋愛感情無いから。無感情だから!」
「っ…」
「誰が好き好んで、自惚れで傲慢で人を見下す事しかできないガキと婚約するのよ!?本当は…私には生まれた時から隣にいてくれた幼なじみの恋人がいたのよ。それなのにお父様が母国発展の為、超大国ルネと友好関係を築く為、私の気持ちなんて無視して勝手に結んだ謂わば契約よこんなもの!!あんたに良い顔をして様付けをして呼ぶのも本当は嫌で嫌で仕方なかったわ。けど、私があんたとの婚約を破棄すれば私が世界で一番愛する恋人が暮らす母国が焼き払われる!腐ったルネ王国にね!だからこんな関係は慈善活動よ!それなのに私が慈善活動をしてやっている事にも気付かず他国の女にうつつを抜かされたら、私が他の男にうつつを抜かしているからあんたが他の女に走ったと思われたら…私のせいにされたら嫌だからよ!ルネのあんたはルネ王国に守られるかもしれないけど、この国で私の味方なんて居ないし、私が愛する人なんて居ないのよ!!」


しん…

静まり返る室内。嵐が去った後のような室内には呼吸を調えるリンダの荒い息遣いと窓の外で飛び立つ小鳥達の鳴き声だけが聞こえる。
「…ハッ!」
我に返ったリンダは気が付く。自分が超大国ルネの人間に逆らったのだと。脳内に広がるは母国が炎の海に染まる映像。


ぎゅっ!

真っ青な顔で目も泳いだリンダがヴィヴィアンの両手を握り締める。俯いたまま黙り込む彼の顔を覗いた。貼りつけた笑顔で。
「な、なんて冗談に決まっているじゃない!ほ、ほら私、貴方の事を愛しているからそれで…それで!他の女に貴方を盗られてしまうんじゃないかと不安が募って混乱しちゃって…じ、冗談とは言え貴方を貶してごめんなさい!夫となる人を貶すなんて私は妻として最低よね!これからはもうこんな事が起きないように…いえ!起こさない。起こさないと貴方と神に誓うわ!あ、愛してる!心から愛しているわヴィヴィアン様!」
「そんな事言わなくても充分分かっているよ…」
優しい声色の一言。リンダは目を輝かせる。
「ほ、本当?ありがとう!私には貴方だけ、」
「どうせ全て嘘だって事くらい、虫酸が走る程分かっているよ?」
ようやく上がったヴィヴィアンの顔に浮かぶ満面の笑顔。
「あなた…だ…け…」


ガクン…、

放心状態。膝からガクンとその場に崩れ落ちたリンダの膝には先程自分が散らかしたグラスのガラス片が突き刺さり、ライトグリーンのドレスを赤く染めていく。その光景をヴィヴィアンは顔だけを後ろに向けて鼻で笑う。
「はっ。下衆が」


バタン!

部屋を出て行った。

































廊下―――――

「ヴィヴィアン王子!」
朝陽の射し込む廊下を1人で歩いていると、前方から駆けてくる側近フランソワ。彼も咲唖と同様いつも笑顔だからヴィヴィアンから見たら機械に見える。
「お車のご用意ができました!後20分程しましたらまたお呼びに行きますね」
「フランソワ」
「はい!」
「これを父上に渡しておいてくれるかな」
「え…」
差し出された物は小型の盗聴器。頬に汗が伝うフランソワは咄嗟に顔を上げる。
「ど、どうかなさったのですか…!」
「リンダ王女は我国への侮辱罪として民衆の前で腕を脚を首を飛ばされ、母国もカルタゴのようになるだろう…ってね!」
最後、首を傾げて浮かべた幼い子供らしい笑顔のヴィヴィアンはとても子供らしくて純粋過ぎるが故に真っ黒く染まっていた。


































自室――――

「あはははは!」
今晩の夜会会場へ出発まで後10数分。自室のベッドに腰掛けたヴィヴィアンの高笑いが響き渡る。そのまま背中からベッドへ大の字になってダイブ。見上げた天井のシャンデリアの美しい輝きさえも嗤った。
「シャンデリアの美しさは人工物!下衆が美しいと口を揃える夜景は人工物!婚約者の笑顔は人工物!そうだよそうなんだよ!この世の何もかも人工物なんだ!僕を今まで気持ち悪いくらい褒め称えてきた婚約者の言葉も全て人工物!あいつもあいつもあいつも!誰1人として僕の事なんて見ちゃいない。人工的笑顔で人工的愛を語るだけなんだ!そんな下衆共に浮かべる僕の笑顔も言葉も全て人工物!本当に好きな人間すら選択できず、父上とお国の為に婚約させられる僕は初めから道具でしかなかったんだ。その僕でさえ、父上による人工物に過ぎないんだよね!はははは!」


ギリッ…!

シーツに爪を立てて顔を伏せる。
「勝手に決められた見ず知らずの婚約者へ見せる上っ面の僕の感情も人工物…。けどこれだけは…肩書きなんて気にせずルネの王子じゃなくてヴィヴィアンという人間に声を掛けてくれた咲唖への…これだけは人工物なんかじゃないのに…」
内ポケットの中から取り出した1通の手紙を寂し気に見つめる。
「唯一のこの自然な感情でさえ僕の人工的人生によって塗り潰されるんだ。それならいっそ、どうせ…!」


グシャ!

手紙を手の中に丸めて強く握り締めた。











































ナタシア王国宮殿―――

夜会会場外の南側静かなサロン。ソファーに腰掛けて本を読んでいるヴィヴィアン1人しか居ない。
「遅くなってごめんなさい!」
パタパタ足音と共に、初めて会ったあの日と同じ黄色地にピンクの薔薇が飾られたドレスを持ち上げて駆けてきたのは咲唖。顔を上げれば、いつもと何一つ変わらない彼女の笑顔が其処にあって安心する。今朝の出来事すら一瞬にして忘れてしまうくらい。


パタン、

すぐに本を閉じると、向かい側のソファーに座るよう咲唖に言う。少し呼吸が乱れている。急いで来てくれたのだろうか。道具でしかない自分の為に?あまり彼女に執着しないように…そう思えば思う程執着してしまうのは人間だから仕方ないで済ませておこう。けれど万が一の時執着していたが故に襲い掛かる反動が怖いから平然を装ってみせるのは、彼女に自分の感情が気付かれてしまわないようにする為なんかではない。自分が絶望しないようにする為。
「このお屋敷はやっぱりとても広いですね。ヴィヴィアン君との待ち合わせ場所へ着くまでに4回も迷子になってしまいました」
「咲唖」
「はい!」
顔の熱を冷ます為か白いハンカチで自分の頬をぽんぽん軽く叩きながら咲唖が顔を向ける。だからすぐに目を反らすヴィヴィアンに、咲唖は不思議そうに首を傾げた。
「その…」
ふと、彼女の顔を見たら重なったのは父や兄やリンダの顔。次々と重なっていく彼らの笑顔が脳内で言ってくる。

『お前は産まれた時から道具でしかない。道具は道具らしく黙って使用者に使われていれば良いんだ』

「くっ…!」


ギシッ…!

強く握り締めた両手の白手袋が軋む音がする。歯をギリッ…、と鳴らした。上着の左ポケットの中のモノを服の上から握り締める。
「具合が悪いのですか?」
「え…」
優しい声に我に返って咄嗟に顔を上げれば、心配そうに眉毛を下げて顔を覗き込んでくる咲唖の顔が其処にあったから、笑ってみせた。それこそヴィヴィアンが最も嫌悪する人工的笑顔。
「はは…すみません呼び出してしまって。夜会がメインだというのに本当…すみません」
「何か御用があったのでしょう?」
「忘れてしまいました。すみません。僕、側近の様子を見てきますね。あいつ気が小さいから1人じゃ混乱するからなぁ」
なんて独り言を呟きながら席を立ち、咲唖に背を向けて夜会が開かれている広間へ行こうとする。


パサ、

ヴィヴィアンの左ポケットの中から紅色のカーペットの上に落ちた1枚の封筒。皺は伸ばしてあり一応手紙の形をしているが皺だらけでみすぼらしい。原因は、今朝ヴィヴィアンがそれをごみ屑のように丸めたからだ。
手紙に2人の視線が注がれる。目を見開いたヴィヴィアンはそれを拾おうと慌てて左手を伸ばす。
「お手紙ですか?」
「あ!それは…!」
最悪だ。ソファーから立った咲唖の方が先にそれを拾ってしまったのだ。幸い宛名が書いてある面ではないからヴィヴィアンがホッ…、と一息吐いたのも束の間。
「宮野純 咲唖様へ…?」
「!!」






















お世辞でも上手いとは言えない日本語で書かれた宛名を首を傾げながら読む咲唖に、ヴィヴィアンの体温が一気に上昇する。
「返して下さい!それは僕の持ち物です!」
手を伸ばして咲唖から手紙を取り返そうとするが、あっさり避けられてしまう。しかも笑みながら。
「ふふ、でも宛名は私の名前です」
「でもそれをまだ僕から渡していないからまだ僕の所有物です!」
「日本では宛名の書かれたお手紙は宛名の人が読んで良いのですよ」


ビリッ、

封を開ける音がして、ヴィヴィアンは肩をがっくり落として全身から力が抜けてもう諦めて壁に寄り掛かる。下を向いて。


♪〜♪〜〜♪

咲唖が皺だらけの手紙を読んでいるしばらくの間。音一つしないサロンには広間からの優雅な音色が遠くに聞こえてくる。
「ヴィヴィアン君」
「何ですか…」
ようやく読み終えた咲唖から名を呼ばれても、壁に寄り掛かって腕を組みながら下を向いたまま無愛想な返事をするヴィヴィアン。
「こちらのお手紙全文日本語で書かれてありますけれど、ヴィヴィアン君が日本語をお勉強してくれたのですか?」
「一応…。でも同じ言葉でも使い方次第で全く正反対の意味になる言葉があってなかなか難しいです日本語は…」
「それなら尚嬉しいです。日本にご関心を持って頂けて」
"私の為に日本語を勉強してくれて"そんなセオリーな返答が彼女から返ってこないところにも自分は惹かれているのかもしれないけれど。
一方の手紙の内容。兄のモノとされる戦略を練る時間を割いてまで学んだ日本語で全文書いた手紙。さすがに執着し過ぎな自分に自嘲しつつも、学ばずにはいられなかった日本語で書いた手紙。余分な文章を省けば手紙の要件は"お付き合いをしてもらえませんか?"…どうせ自分は道具でしかないから渡さず捨ててしまおうとした。手紙と一緒に。…というのは表面上だけで一度丸めて皺くちゃにしたのに皺を伸ばしてまで手紙の形に直して、ましてや持ってきた。
――諦めの悪い使えない道具だ…――
鼻で笑う。ここ最近自嘲する回数が増えてきたから、数ある癖の仲間入りをしそうだ。






















壁から背を離すと歩き出し去って行こうとするヴィヴィアン。
「お手紙読ませてもらいました」
「…はい」
「私で良ければ是非お願いしますね」
「はい…え!?」
自分はどうせ道具だから…その事ばかりが脳内を巡っていた為、彼女から良い返事が貰えるだろうかなんて不安すら忘れてしまっていたから驚いた。立ち止まりすぐ咲唖の方を振り向いたヴィヴィアンのほんのり赤く染まる頬や自然な笑顔は年相応。
「本当ですか?」
「はい!私もいつかお伝えしたかったのですがなかなかタイミングが掴めなくて…」
了承してもらえただけで嬉しいというのにそれプラス咲唖も自分と同じ気持ちを抱いていて尚且つ伝えようとしていただなんて。道具の自分にこんなに良い事が立て続けに起きて良いのか分からなくなる。
「は…はは…。初めてですよ。ルネ王国の王子ではなく僕という人間を見てくれた人なんて」
「それは一体どういう意味ですか?」
「政略結婚です」
「政略結婚…」
「はい。父上は他国をあからさまに侵略するのではなくわざと他国の王女をルネへ迎え入れ、王位継承権を持つ自分の子供と結婚させ子供を産ませる。産まれた子供を婚約者の母国の王とさせる。産まれた子供は婚約者の母国の血を引いている事は勿論ですが、ルネの血も引いている。…そうなれば相手の国の王までもルネが支配しているという事になります」
「今も婚約者の方が居らっしゃるのですか?」
「いえ今は…色々あって恐らく破棄になると思いますけど…」
「ヴィヴィアン君はその方の事を好きではないのですか?」
「はっ…好きも嫌いもありません。無感情ですよ。勝手に一生を約束させられた見ず知らずの相手に抱く感情なんて有りません」
「辛かったですね…」
「仕方のない事です。僕は国の道具でしかありませんから」
「また辛い事があったらヴィヴィアン君さえ良ければ私に打ち明けて下さいね。我慢ばかりしていると壊れちゃいますよ。私達はもうお友達なのですから!」
「そうですね。僕達はもう友だ…え?」
"友達?"と聞き返す言葉が声にならなかった。






















目が点で呆然のヴィヴィアンの前に立っている咲唖の優しい笑顔をこれ程までに見たくはないと思ったのは今日今この瞬間が初めて。
「えっと…咲唖、手紙読んでくれ…ましたよね」
「はい!お付き合いして下さいと言って頂けてとても嬉しかったです!」
「……」
「私実はお城の中で家庭教師の方からお勉強を教えてもらっていたので学校へは一度も行った事が無くて…。ヴィヴィアン君は私の初めてのお友達です!」
…これは、付き合いたいという申し込みを遠回しに断られているのだろうか?捻くれた思考が過ったが彼女の笑顔を見ていたらどうもそんな策士には見えなくて思わず笑ってしまった。肩を竦めて。
「はは。会った時と同じですね」
「え?何がですか?」
「咲唖はいつも僕の予想の斜め上を行く」
「え?そうだったのですか!?どうしましょう!私、ヴィヴィアン君を困らせてしまっていたのですね…どうしましょう…」
「そんな事を言いたいのではありませんよ。多分そういうところも含めて…なんだと思います」
わざと濁らせた言葉はこの先彼女に一生言う事は無いだろう。ヴィヴィアンは赤の瞳に咲唖を映す。
「ありがとうございます。吹っ切れました。僕は道具だ。道具は道具らしく大人しく使われていろという神からの思し召しなのかもしれませんね」
「……」
「そうです。その手紙は咲唖に僕の友人になってもらいたいと思って書いたものです。稚拙な文章で申し訳ありませんでした。次お会いする時はまたチェスを打ちましょう。友人として」
最後の一言は自分に言い聞かせていたのかもしれない。作った笑顔すら引きつっていたヴィヴィアンだがそのまま背を向けて広間の扉がある方へと歩いて行く。
「Je vous souhaite bien du bonheur.」
――フランス語…?――
母国語と英語しか喋れないと言っていた咲唖が突然話し出したフランス語に思わず足を止めてしまった。どこか片言なフランス語に少し笑ってしまったけれど、顔だけを彼女に向けて微笑んだ。
「僕も同じ想いですよ」
ヴィヴィアンの片言な日本語の返事に、咲唖は口を右手で隠して優しく微笑んでくれた。










































現在――――

「結局次に再会した時はお互い銃口を向け合っていたけれど…。今思い返してみればあの頃から咲唖は僕なんかよりずっと大人で、遠回しに僕に教えてくれたのかもしれない。王族に産まれたその瞬間から自分も僕も自由なんてものは無いのだと」
真っ暗闇の夜空を飛ぶ鳥達の不気味な鳴き声が聞こえる物寂しい雑木林の中建っている咲唖の墓前に立ち、両手拳を強く握り締める。
「唯一僕の無実を信じてくれた咲唖を守れなかった。今はあんなだけど、僕を信じてくれていたマリーの事は守る。もう二度と同じ鉄は踏みたくない。いや、踏まない。マリーだけじゃない。もしもできるのならそれが尽きるまでに、今まで犯してきた過ちを償い巡礼したい。…もうどうせ僕が戦闘機に乗る機会はやって来ないだろうから…」


ジャリ、

小石が散らばる地面を踏み締めて咲唖の墓に背を向けると…
「さ、咲唖…!?」
何という事だろう。これは現実か?いや、夢だ。何故なら後ろを向くと其処には暗闇の中でも映える赤とピンクの着物を着た咲唖がぼうっ…と立っていたのだから。夢だと分かっていながらもヴィヴィアンは咲唖の元へ歩まずにはいられなかった。





















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