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妄想。
*
「また来たのか。」

隣国の町外れの小さなパン屋。カウンターには一人の男性が必ずいることを彼─召使は知っていてやってくる。

「そう言いなさんな。」

クックッと楽しげに声を抑えながら肩を揺らし、レンズ越しの漆黒の瞳を見据える。幸せの形に細められた召使の瞳に堪えられずにパン屋の彼が視線を外す。全てを見透かすような青い瞳が怖かったのかもしれない。

「ブリオッシュ2つでいいんだな。」

既に常連並みに来る召使の頼むものは決まってブリオッシュ2つ。答えを聞くまでもなく男は並んでいたブリオッシュを袋に詰め始める。

慣れた手付きの男の姿を召使はただ見詰める。長めの髪と誠実な顔つき、レンズに隠された何をも包むような瞳。すべてが気になって仕方がない。毎回『彼』に命じられる度にここのパン屋を選ぶのは男の姿と声を聞きたいから。いつか笑みを浮かべて迎えてくれる日がくれば、などと自分でも戯れ言だとわかる夢を見ながら。


不意に穏やかな空間にキィ、と扉の開く音が聞こえた。二人がそちらに視線を向けるとソコには小柄の人物。栗色の髪が光に反射して蒼い澄んだ瞳がとても印象的だった。

「御迎えに上がりました。」

思ったよりも低めの声。そこでやっと少年なのだと判断するのは召使。何を思うでもなくパン屋の男に視線を向けて瞬間、召使はそれを後悔した。『あぁ。』と頷いた男の穏やかな表情に。好意を寄せる男の好意を寄せる人物を知ってしまったという現実に視線を反らした。

「…予定があるみたいじゃな。俺は帰るぜよ。」

そそくさと代金を払いブリオッシュを持って店を出た。足早に自分の国に戻る、という理由をこじつけた思考を押さえ込み足を早めた。

***

王宮に戻るなり召使は大臣の愚痴を聞かされるという面倒事に巻き込まれながら、気付いてしまったひとつの真実に目を見開いた。手にしていたのは一つの本。内容は隣国の話。王について書かれたページに、パン屋の彼そっくりの写真が載っていたのだ。今からずっと前の王の写真だ。
そしてもうひとつ。『彼』が飾っていた海の向こうの写真に写っていた先ほどの少年の姿。

大臣の言葉を右から左へ流しながら召使は理解したのだ、パン屋の男は隣国の王だ、と。予想の集まりの確信だった。証拠などない。しかし否定する材料も何もなかった。


もしも『彼』が隣国の王と海の向こうの彼が会っていると知ったらどうなってしまうだろう、考えてみるも大臣の愚痴が五月蝿くて集中などできる訳もない。

「な…っ!待たんか!話がまだ…!」
「もう3時じゃよ。」

適当な理由を付けて大臣の愚痴から逃れる。ひらひらと手を振りながら。
もし『彼』が真実を知ってしまったその時はきっと──。


***

そしてしばらくして彼は海の向こうへ旅行に行った。その間召使は自由の時間。もちろん隣国の彼に会いに足を運ぶ。他愛もない話。少年に抱く好意とはまた違う好意という感情に、やはり自分は目の前の彼が好きなのだと確信する。例え叶わない想いだったとしても、それで構わない。ただこうして話が出来るのならば。彼の幸せを願うだけ。それが幸せだと思っていた。


はずなのに。


「どうした?」
「………。」

いつもより早く帰国した少年。布団に潜る彼に問い掛ける。大臣が手に負えないと頭を抱えて召使を部屋に向かわせたのだ。

「なんかあったんか?」
「…………。」

微かに鼻を啜るような音。何かを知らせるような心臓の軋む音がドクン、ドクン、と響く。

「…泣いちょるんか?」
「五月蝿い。」

絞り出すような掠れた声。歩く小さな音とギシリとベッドに腰掛ける音。いちいち音が響く。

「…何があったんじゃ?」

しかしそれを表には出さないように出来る限りの優しさを含んだ声で問い掛ける。布団から覗く乱れた髪を指で掬いながら。

「言ってくれんかのう?」

そして一番望まなかったセリフが少年の口から紡がれた。

「‥……隣国を潰して。」
「…………は?」

予想はしていた。にも関わらず瞳を大きく見開いてしまう。ゆっくり布団から彼が顔を上げて涙で腫れた赤い瞳。
瞬間理由を理解した召使の表情が悲しみに歪む。

「お前は俺の召使なんだろ?………俺の言うこと聞いてよ…‥。」

彼の気持ちはよく分かった。全く自分と同じだ。叶わない恋路。ただ、彼はそれに耐えられるほど強くはないというその小さな差。小さな差が大きな結果の差を生み出す。

「分かった。隣国を滅ぼせばいいんじゃな。」

無理矢理に笑みを作って少年を抱き締める。震える体はきっと悲しみに溢れていて、今にも壊れてしまいそうだった。命令に従う、それが召使の役割。



数日後に大臣に告げられた命令。大臣が王宮を出ようとした時道を塞いだのは召使だった。

「なんの真似だ。」
「いかせんよ。」

この国の鎧を纏った召使の姿。一緒に隣国を崩しにいくと言っていたにも関わらず大臣を睨み付ける。

「逆らうというのか。」

いつもとは全く逆。常に何を言うでもなく命令に忠実に従ってきた召使の初めての反抗。

「まぁ、今のままでは、じゃがな。」

含みのある言い方。ニィ、と召使の口端がつり上がり大臣を青い瞳で見詰めた。


***


昼間の隣国の中心の広場。一番人の多い時間。明るく穏やかな時間が流れているはずのその場所は悲鳴で溢れていた。


中心には攻めてきた国の鎧を纏った男。


と、その男によって服を赤く染めたこの国の王。


「王……ーーっ!!」


思わず国の兵士の一人、側近の男が倒れた男に駆け寄る。鎧を纏った男は兜を取ると銀の細い髪がはらりと風になびく。青い瞳で赤を見つめ、一度つらそうに瞳を閉じるとそこに背を向けてその場から去ろうと足を進める。
「てめっ、まちやがーーー…!」

側近の男が男を追いかけようとするも、しかし冷たい手に阻まれる。力の入らない手で側近の腕を掴む。

「……まだ‥だ……。」

掠れた声。死が近い事を示すようなそれに、側近が声を失う。

「ま…だ……手をだすな‥‥」

乱れた王の呼吸が、彼の言葉を打ち消す。それでもはっきりと聞こえる声。脳内を巡るのはつい先程の出来事。






「見回りがあるのに呼び出してすまない。」
「いえ、お気になさらず。」

隣国の王宮。眼鏡越しに街を見下ろす王に呼び出されて膝をつく側近。

「今日、広場で何が起ころうと俺が良いと言うまで手を出すな。」
「……?」

普段言うことのない切り捨てるような言葉。混乱したように側近が顔を上げる。

「いいな。何があってもだ。」






なぜここまで気が回らなかったのだろう。まさか隣国が攻めてくるとは思わなかった。しかも、数えるほどの少人数で。
徐々に小さくなってゆく王の呼吸。

「‥最後の……めい、れいだ‥…。」

王が声を発することなく赤い指が腕を滑り落ちた。しかし動いた唇の意味を彼はしっかりと理解した。


『この国を守れ。』


そう言っていた。それが王の命令という願いならば。生きるというツラい道さえ幸福に。声を出すことなく瞳から滴を溢し、彼は胸に誓った。その意思を継ごうと。


そして生き残った人々と共に王宮に攻め入った。人々は自分の国の王を殺された恨み、普段苦しい思いをさせられた恨み、と直ぐに立ち上がったのだった。










「お前は逃げなくていいのか?」

既に王宮に人はいない。いるのはこの国の支配者と召使のみ。

「お前さんが逃げんのに逃げたら召使失格じゃろ。」

やけに静かな空間に堪えるような笑い声が漏れた。

「別に逃げた所で怒りはしないさ。もうこの国も終わりだ。」

それは死を覚悟した台詞。笑みの形に変えられた瞳が召使を捕らえる。さらに少年はそれに…、と続ける。

「もうお前は俺の命令に反抗しただろ?召使失格だよ。」

それの意味するのは隣国を完璧に滅ぼさなかった事。でなければ王の仇として人々が立ち上がる訳がない。

「ワザとだろ?生き残りをつくったのは。」

彼自身嫌われている事も自覚していたのか、表情は穏やかなモノ。クスクスと今度は少年の堪えるような笑い声。

「いいんだ。もう充分楽しんだよ。お前ももう、俺の召使じゃないよ?」

解放してあげる、と少年は軽く唇を重ねる。少しばかり驚いたように召使は目を見開き、そして困ったように笑みを浮かべた。

「そうか。」

するりと赤い髪ゴムを外して、それを少年へと手渡す。意味が分からずに見上げた少年に優しい表情を向ける。更に手渡すのはどこから出したのか召使の普段着を一式と銀のウィッグ。

「なら今すぐ逃げるんじゃ。」
「………え?」

ふわりと少年を抱き締める召使。表情は見えなくても分かる。きっと泣きたくなるほど優しく笑っているから。

「大丈夫じゃ。身長も瞳の色も同じじゃ。髪の毛さえなんとかなれば俺として逃げられるじゃろ。」

この城には同じくらいの年齢の人間は自分しかいないから。

「………だ、だが…っ!」

体を離そうと肩を押した少年に逆らう事なく体を離した召使の表情を見て少年はゾクリとした。

「これは命令だ。さっさと俺の前から消えて。邪魔だよ。」

クスリと笑みを浮かべたそれはまさに、──自分──。

***


大丈夫。彼ならば逃げられる。窓から入ってくる風に青い髪を靡かせながら、召使は外を眺める。

しっかりと計画は立てた。その通りに全てが進んでいる。手を組んだ人間さえ裏切らなければ全てが上手く行くのだ。

一人は大臣。もう一人はこの国の支配者の少年。そして隣国の王。と、その元で働いていたという、街で見掛けた丸眼鏡の男。

全ての歯車は揃って周り始めた。これでいいのだ。国民たちの前で処刑されるのが隣国の王を殺したという自分の罪の罰。そして国民を苦しめた少年には生きて国民として生きる事が罪の罰。

生と死という真逆の精算の仕方。しかしそれで良いのだ。
これで、愛しい人の元へ行ける。それだけで幸せだ。

瞬間バタンと扉が開いた。

「てめぇだけは許さねぇ。」

シルバーの髪の向こうで小さく笑みを浮かべた丸眼鏡の男の姿を見て、全てが上手く行ったのだと確信した。



***


見せしめの処刑。それは15時の教会の鐘と共に行われた。銀髪の少年は歓喜が溢れる民衆の中で涙を流す。ポロポロと止まらない涙。

「お。お前、泣くほど嬉しいのか!」

一人のスキンヘッドの男が少年に声を掛ける。浮かれ足の男の満面の笑みが涙で何重にも見えた。

「…なんかお前、隣国を王を殺したって言うヤツに似てねぇ?」

また違う男に声を掛けられて瞬間ドキリとする。しかし、召使に言われた言葉を思い出す。

『いいか?もし俺と間違えられたらこう言うんじゃ。俺は──。』

「俺は、この国の支配者の元で働いていた召使の双子の弟だ。兄は、…………兄は支配者によってこき……つかわれて………‥、この戦で‥‥…死ん、だ‥。」

最後は言葉になっていなかったかもしれない。ぐずっと鼻を啜る音。人々は彼に同情してきた。頑張った頑張った、という言葉が、いやに耳についた。



あきゅろす。
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