3-3 中庭を挟んだ向こう側の校舎にあるという水飲み場。 目指して歩いて数分、蛇口の水を出しっぱなしにした水音に釣られてやって来たら、視界の先にスザクがいた。 体操服に殴り書きされた赤インクの文字を落としているんだろう。 スザクの横顔はどこか辛そうで、あたしはそれ以上前に進めなかった。 気配に気づいたのか、スザクが顔を上げる。 「…………君か」 驚いた様子を見せたのはわずかで、スザクはまた体操服を洗う手を動かし始める。 嫌がらせを隠そうとはしなかった。 「君も、学校では僕と他人のフリをしたほうがいい」 それが何を意味するか。 スザクがなにを言いたいか。 あたしにはすぐ察することができた。 「イヤだ。 他人のフリなんて嘘はつきたくない」 「君を巻き込みたくない。 僕が嫌なんだ」 「あたしだって嫌」 スザクは困ったように笑った。 「いいんだ。 こういうのはずっとずっと続くわけじゃないって知っているから。 今だけだよ」 スザクの見せる穏やかな微笑は、どこか諦めとは違っていた。 「信じたいんだ、君の言葉を。 僕を『枢木スザク』として見てくれる人がいるってこと。 だからいいんだ」 スザクの微笑が穏やかな理由。 それは多分、スザクが諦めてないからで。 「――――わかった。 スザクが怒らないならあたしも怒らない。 でも、我慢できなくなったらキレるからね」 「うん。 ありがとう、空。 だけど本当に辛くなったら必ず君に言うから。 だからそれまで待っててほしい」 『本当に辛くなったら』 その時が来たら、スザクはあたしに言ってくれるのだろうか。 きっとスザクなら独りで抱え込んでしまう。 そんな気がした。 「…………うん、わかった」 でも、今はスザクの言葉を信じてみよう。 「(――――あれ?)」 スザクの肩越しに見える小さくて黒い物体。 走ってこちらに近づいてくるのはゼロの仮面だった。 「―――――ッ!!」 自分の後ろを凝視して硬直しているあたしを、スザクは不思議に思ったのだろう。 振り向こうとしたのが目に映った。 「スザクッ!!」 あたしは、彼を振り向かせないために反射的に抱きついた。 「空?!」 『スザクに猫を見せてはいけない』が、頭の中でグルグル回っている。 それしか考えられなくて、恥ずかしさなんて二の次だった。 スザクの動揺と戸惑いが伝わってくる。 「あ、う、えっと…空? そ、その………もういいかな…?」 スザクの声で、猫の気配がすでに無いことにやっと気づいた。 途端、恥ずかしさが急激に襲いかかる。 「ご ごめんッ!!」 スザクから全速力で距離を取って、でもそれ以上動けなくて。 それはあたしだけじゃなくてスザクも一緒だった。 声を発することもできない気まずい空気がその場を支配する。 あたしの唐突すぎる行動の理由を知りたがっているのか、スザクは強い眼差しをこちらに向けてきた。 ゼロの仮面のことは言えるわけがない。 だけど、どうして抱きついたかの理由は今この場で話さないとヤバイ。 話さないといけないという焦りで嘘の理由が思い浮かばない。 どうしよう! どうしようあたしどうしよう!! 「こっ……これはね! 元気が出るおまじないなんだ!!」 口走り、無理やりすぎる嘘の理由に『しまった』と血の気が引いた。 絶句するあたしと無言のスザク。 すごく気まずい空気が漂ったが、突如響いた校内放送がそれを壊した。 《こちら、生徒会長のミレイ・アッシュフォードです。 猫だ!》 「猫?」 首を傾げたのは、状況が把握できていないスザクただ一人。 校内放送はまだ続く。 [Back] [*前へ][次へ#] |