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落花流水
12



その日いつものように孔真宮へ渡った成花は榮植が政務を終えて戻るのを1人寝殿で待っていた。
1人といっても、廊下には何人もの兵がおり、侵入者がないように見張っている。
成花は寝殿から見える広い庭を見下ろし、榮植が来るのを今か今かと待っていた。
ここ数日榮植はとても忙しいらしく、以前のように夕方稜宮に訪れる時間はなかった。
その代わり、朝まで一緒に過ごし、朝食を共に取るのが日課になっている。
いくら皇帝が寵愛する貴妃とはいえ、普通は伽が終われば宮に戻されるのが当然なのだが、榮植は共に休み、共に朝目覚めることを望んだ。
そしていずれは、いつも傍にいられるように成花を公務の間も隣に置くのだと言っていた。
その為にも、成花は読み書きを覚え、国の歴史も外交などもある程度は覚えなければならない。
「頑張らければ・・・・・」
だが呟いて成花は深い溜息を吐いた。
成花は男で、本来は貴妃になる立場にはない。
そんな成花が堂々と貴妃として皇帝の隣に座るなど、快く思う忠臣はいないだろう。
了准と同じように、冷ややかな視線に晒されるのではと思うととても怖い。
だが榮植がそう望むから、成花にそれを拒否する手立てはない。
またひとつ溜息を吐いて、成花は何気なく汪嗣の姿を思い浮かべた。
冷たい月のような榮植と、太陽のような汪嗣。
榮植を好きだと、愛していると思うのに、榮植を思う時間よりも汪嗣を思う時間のほうが、最近では多くなったような気がする。
だがだからといって、榮植よりも汪嗣が好きだとか、逃げたいなどと思っているわけではない。
ただ、なんとなく、頭に浮かんでしまうのだ。
あの褐色の肌は、触れたら冷たいのだろうか、温かいのだろうか。
あの薄い唇は、合わせたらどんな味がするのだろうか・・・・・・。
「っ・・・・、何を、考えているんだろう・・・・。 私は・・」
頭を振って追い払おうとしても、次から次に浮かんでくる汪嗣の姿に成花は胸が高鳴る。
何故、と思っても分からず、そんな自分に焦りを感じた。
初めて会ったときから、汪嗣のことは気になっていた。
あの穏やかな瞳で、見つめて欲しいと、そして笑みを見せて欲しいと思った。
この感情は、一体何なのだろう。
榮植に感じるものとは違う、胸の芯がぎゅっと絞られたり、熱くなったりするこの感覚は、一体。
だがそれを突き詰めて考えるのが不意に怖ろしくなった成花は、寝殿に用意されてあった水を一気に飲み干した。
そして寝殿から繋がっている露台に出ると、少し冷たい夜風が頬に当たる。
火照った頬が夜風に、少しだけ冷まされるような気がしてホッと息を吐いた。
「私は・・・、私は榮植様が好き・・・・」
だから他の誰かに心を移すことなどない。
そうなってはいけない。
榮植を、好きでなければならない・・・・。
そう考えて、不意に嫌な気持ちがして成花は眉を顰めた。
好きでならなければいけないなど、それではまるで義務のようではないか。
自分は、義務で榮植を好きなわけではない。
そうではない・・・・・。
榮植はここに来てからいつだって成花に優しかった。
勿体無いほどの愛情を注いでくれた。
その榮植を、いつのまにか自分も好きになったはず。
読み書きを習いたいと言った時も、花の名を知りたいと言った時も、榮植はいつだって成花の気持ちを優先してくれた。
だが榮植と出会い、こうして伽をするようになってからも、好きだと思っているはずなのにどこかしっくりこない微妙な感覚が常にある。
俺を愛しているかと問われる度に起こる頭痛、思考を邪魔する靄。
「何か・・・・、大事なことを忘れているような・・気がする」
ふとした瞬間に何かを思い出そうとするのに、頭痛と吐き気が襲ってそれ以上考えられなくなるのだ。
それを榮植は成花が慣れない土地での生活に少し疲れているからだと言った。
そうなのだろうか、そうだろうか。
「こんなところで風にあたっていたら、風邪を引いてしまうぞ」
不意に身体に温かな毛布が掛けられ、驚いて後ろを振り返ると榮植が成花を中へと連れ戻した。
「榮植様! いつのまに? 太鼓は鳴らされなかったのに」
「遅くなったからな。 お前が眠っていてはいけないから鳴らさなかったんだ」
冷えた成花の身体を毛布に包み抱きあげて、榮植は寝台へと運んでくれる。
だがいつもと同じように微笑んでいるのに、今日の榮植の瞳はどこか冷たさを含んでいた。
「榮植様・・・・? お疲れなのですか?」
「・・・成花、何故私に言わなかった」
成花を寝台に横たわらせると、榮植は椅子に腰掛け用意されてあった酒を硝子の器に移し一口こくりと飲み込んだ。
横顔が酷く不機嫌に見える。
先ほどまでの微笑みは、怒りを抑えていたのだと分かって知らず成花の身体が小刻みに震えだす。
何をしただろう。 何が榮植を怒らせてしまったのだろう。
だが恐ろしくて成花はそれを訊ねることは出来なかった。
榮植はヤサシイ、だから成花に怒ったり傷つけたりはしないはず。
だというのに、とても恐ろしくて堪らなかった。
「了准のことだ。 辛く当たられていたのだろう。 文官ごときが、皇帝の貴妃を貶める言動をするなど・・・・・俺も舐められたものだ」
榮植は酷く嗜虐的な笑みを漏らし、くつくつと肩を揺らして笑った。
そんな様が、成花の心を怯えさせる。
どこかで、こんな笑みを見たことがなかったか。
人を人とも思わぬその残酷な笑みを成花は見たことがあるような、そんな気がした。
「榮植様・・・・・」
震える声を漏らした成花を見遣り、榮植はにやりと笑う。
「安心しろ。 了准はもういない。 宇壬と同じところへ遣ったからな」
「宇壬・・・先生と同じところへ? 同じ・・・・ところ?」
ズキリと、頭が痛み黒い染みが拡がっていくような感覚。
宇壬と同じところ。
同じ・・・・・ところとは?
「どこへ・・・?」
「お前が気にする必要はない。 宇壬と了准は親しかったからな、今頃仲良くしているのではないか?」
ふっと何かが脳裏を過ぎる。
黒い水溜りと・・・・闇に蠢く何か。
「あ・・・・、あ・・・・。 うぅっ」
頭の中で何かが動いているのに、それを何なのか的確に掴めない。
そして襲ってくる激しい頭痛に成花は寝台の上で呻いた。
「成花? どうした? 成花!?」
異変に気づいた榮植がすぐさま寝台へ駆けつけ、ガタガタと身体を震わせて痛む頭を抱える成花を抱きとめた。
「成花! どうしたのだっ・・・・」
「先生・・・・。 先生・・・? 宇壬先生が・・・」
自分の両手を広げてガタガタと震えながら見下ろす成花に榮植は舌を打ち鳴らし、己が飲んでいた酒を持ってくるとそれを口移しで飲ませた。
咽喉がカッと熱くなり、咳き込んだ成花を抱き締めて榮植は呟いた。
「忘れろ・・・・。 お前は、何も考えなくていい。 考えるな」
「榮・・植様・・・? 私・・・」
一口飲んだ酒が身体を火照らせる。
心臓がドキドキと早まり、成花はぼんやりと榮植を見上げた。
「大丈夫か? 頭痛がするなら医師を呼ぼう」
「いえ・・・・、大丈夫です。 変ですね、さっきまで頭が酷く痛かったのに・・・今はなんとも」
頭の中を占領していた黒い靄が立ち去ると、まるで雨上がりの空のようにすっきりと冴えていた。
深呼吸を繰り返してぎゅっと抱きついた成花の髪をそっと撫で、榮植は聞こえないように小さく息を吐く。
「榮植様、了准先生は帯聯に行かれたのですね? 宇壬先生と同じところへ?」
「・・・ああ、そうだ。 宇壬も連れが出来て喜んでいるだろう」
「そうですか、ではまた先生が変わるのですね・・・・。 宇壬先生は帰ってこないのですか?」
正直了准がもう自分の前には現れないということは、ホッとしていた。
いつも馬鹿にされ、冷たく当たられ、蔑まれていた。
だが誰が言ったのだろう。
慶那には言わないでくれと頼んでいたのだから、誰か他の女官が榮植の耳に入れたのだろう。
ほっとしたような、了准に申し訳ないような複雑な気持ちだった。
「宇壬に会いたいのか? そんなに?」
冷ややかな声が聞こえて、成花はハッと顔を上げる。
「榮植様・・・・?」
成花を腕に抱いたまま、榮植は眉を寄せ口元は皮肉げに歪んでいた。
「榮植様?」
冷たく、そして今にも喰らいついてきそうな程にその黒の瞳は凶暴に見える。
そんな恐ろしい瞳で見据えられ、成花はごくりと唾を飲み込む。
「成花、お前は俺の妃だ。 貴妃は皇帝のことだけを考えていればいい。 よいな?」
「・・・は・・・い・・・。 申し訳・・・」
頷くとまた優しい顔に戻り、成花を抱き寄せてくれる腕にホッとする。
榮植はヤサシイ、だけど怒らせるときっと怖い。
「成花・・・・、俺のものだ。 お前の心も身体も、何もかも俺だけのものだ」
絹のように滑らかな茶色の髪を指でなぞりながら、榮植は満足そうに溜息を吐いた。
氷のように冷たく残酷な皇帝のこんな一面を知っているのは、その寵愛を受ける成花一人。
そんなことすら知らず無邪気に他の男の名を呟く成花を酷く憎らしく感じる時がある。
誰よりも大事にし、誰よりも愛しんでいるのに何故お前は俺のことだけを考えず、他の男の行く末などを気にかける。
成花には知らせていないが、慶那の他にも監視をつけさせていた。
その女官から了准のことも聞いたのだ。
了准が成花に辛く当たり、時には泣かせているのだと。
そして、成花が庭師に酷く懐いているということも。
成花の心から己以外の何もかもを忘れさせ、己のみの世界で、己のみを見つめさせたい。
ほんの少しでも、それがただの同情であれ恩であれ友情であれ、成花の心が他に移ろうのが厭わしくて榮植には我慢がならない。
やはり、何もかもから隔離して一切外に出さず、閉じ込めてしまおうか・・・・・・・・・・。
いずれは成花を公務の席に着かせようかとも考えていた、いつでも傍に置いておけるように。
だが今より更に人目に晒され、人に微笑みかける成花を見れば己はきっと許せなくなる。
ならばいっそ、その前に永遠に閉じ込めてしまえばいい。
そう考えて、榮植は無垢な瞳で見つめてくる成花に微笑みかけた。
「成花・・・・・。 俺の他には、誰もいらないだろう?」




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