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落花流水
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落花流水


第一話



草原に風が走りぬける。

サワサワと草が騒ぎ、鳥達が一斉に空高く飛び立つ。

広い草原の丘には一本の大きな木が立ち、風に揺れて咲き始めた花びらを散らせた。

それはまるで木が泣いているようで、世を嘆いているようにも思えた。

成花(ソンファ)はいつものようにその丘で陽が沈むのを眺めつつ、木の幹に身体を横たえた。

ここが一番落ち着く場所で、成花の生まれた場所でもある。

成花は生まれてすぐこの木の根元に捨てられ、近くの村の長に拾われなければ獣に食べられて死んでいただろう。

成花の身元を教えるもの何ひとつなかったという。

幼い頃から親しんできたこの大きな木は、いつも成花の傍にいてくれた。

辛い時ここに来るとまるで慰められているような気さえして、楽しい時は一緒に笑ってくれているような気がして。

だから木が泣いているように花を散らせているのを見るのは酷く胸が痛む。

木が、成花の為に花を散らせてくれているように思えたのだ。

明日、成花は生まれ育った村を離れ、宣羅(スンラ)国の首都是(ジン)へ向う。

それは前皇帝が身罷られ、新しい皇帝榮植(ヨンシ)が即位したことに所以する、成花は新皇帝が即位したことに贈られる貢物として村から献上されるのだ。

新しい皇帝陛下に珍しいもの、美しいもの、美味なるもの、何かを献上することで忠誠を表す。

村を守るためには必要な犠牲だった。

成花は少女かと見間違われるほど、美しいと賞賛される容姿をしていた。

今年16になるのに同じ年の男達とは違う、どこか品のある美貌に控えめな性格。

腰まである栗色の長い髪、そして潤んだ大きな藍の瞳と紅をひいたような赤い唇。

すらりと伸びた手足に細くたおやかな白い体。

長は拾った子供が成長するにつれ、いつの日か皇帝に献上することを夢見ていたという。

これならば皇帝もお喜びになられると、酒を飲むといつも言っていた。

献上された女ならば後宮に召され、皇帝の寵を賜れることもあるという。

だが所詮、奴隷のようななのだ。

国を守る皇帝の為だけに召される奴隷、皇帝が好きなように扱え、生かすも殺すも皇帝の気持ちひとつ。

しかも成花は男だ、皇帝の寵など賜れるはずもなく。

多分、去勢され宦官として後宮に入ることになるだろうと成花は思っていた。

もしくは、皇帝の周囲にいる貴族や大臣達の慰み者になるか王宮で働かされるかのどちらか。

それが、成花の未来で、そうすることでしか成花は生きていけない。

拾ってくれ、ここまで育ててくれた長への恩返しのためにも成花はどんなに逃げ出したくても逃げることはできない。

貢物を献上できなければ村は残虐非道な皇帝に滅ぼされてしまうだろう。

だから、成花は行かなければならない。

どんな地獄が待ち受けていようと、死ぬことになろうとも。

「今日で、お別れだね…」

親しんだ木に抱きつき、最後の別れを呟くと成花はそっとその場を離れ村へと戻っていった。





翌朝は成花の心を表すかのようにどんよりと曇っていた。

今まで着たことのないような緑の豪華な衣装に身を包み、村が用意してくれた輿に乗せられた成花は薄い布越しに見送りの人々を見つめた。

水晶が取れる村は水晶を、真珠が取れる村は真珠を、だが何も出せない村はこうして誰かを貢物として贈らなければならない。

隣村はまだ13歳の少女が贈られると聞いた。

この村にも美しいと言われる少女がいなかったわけではない、だが彼女達には親がいる。

うまくいけば皇帝の寵愛が受けられるといっても、誰も可愛いわが子を王宮へなど送りたいとは思わない。

だから成花が丁度良かったのだ、親もなく、いなくなっても誰も悲しむことはない。

「成花、しっかりとお勉めするんだよ。 お前ならばきっと大丈夫だ」

流れ落ちそうになった涙を必死に堪えた成花の表情に一瞬だけ、長の顔に悲しげな色が走った。

「成花…、すまない。 お前1人に辛い思いをさせてしまって…」

「長さま、私は大丈夫です。 どうぞ…お健やかにお過ごし下さい。 あまり深酒は召されないように、それから…お休みになる時はきちんとお布団に入ってくださいね」

そう言った成花に、長はぐっと目を瞑り俯いた。

例え血の繋がらない子供でも、赤子の時から育ててきた成花の出発にやはり寂しいと思ってくれているのだろうと思うと、胸が温かくなる。

こうして贈られた者は、2度と村には帰ってこれない。

皇帝に気にいられずとも王宮に入ったのだから、生きては出られないのだ。

「長さま…、育ててくださった恩は一生忘れません。 成花はとても幸せでした」

まるで嫁ぐ娘のような言葉に、長は耐え切れなくなったように泣き出し崩れ落ちた。

輿が進み、長の姿が見えなくなるまで成花は身を乗り出し村を見つめ続けた。





村の若い男達の担ぐ輿は5日をかけて首都へ辿りつき、王宮へと引き渡される。

首都は山の中の村では決して見ることの出来ない煌びやかさで溢れ、人々の姿さえ違って見えた。

赤や青の瓦の色鮮やかな家々が並び、露天には様々な品が並んでいる。

行き交う人々の服も村で来ていた貧しい麻の服ではなく、流行にそった鮮やかな服装が目立ち、成花は思わず己の恰好を見て恥ずかしさに俯いてしまう。

いくら着飾ってみても、敵わないような気がした。

「成花、もうすぐ王宮に入る。 そしたら、お別れだ」

幼い頃よく遊んだ幼馴染が言いづらそうにそう言い、輿に乗る成花をちらりと見上げた。

そういえば幼い頃、成花を女の子だと思っていた彼はお嫁さんにしてあげると言ったことがあった、そんなことをぼんやりと思い出し思わず小さく笑った。

男の子だと分かってからも、よく一緒に遊んだ幼馴染達。

彼らはいつかあの村で家庭を持ち、穏やかな人生を送ることだろう。

それを想像しながら、生きていけばいい。 そう思って成花は段々と大きくなっていく守礼門を見つめた。

丸く大きな赤い門をくぐり、王宮の中へ入るとすぐさまそこにいた兵士に輿が引き渡された。

幼馴染達は皆何度も振り返りながら、奥へと連れて行かれる成花を見送ってくれた。

小さく手を振った成花に先ほど声を掛けてくれた幼馴染がつらそうに顔を歪め、仲間達に促されて門の外に出て行くのを見つめた成花は、震える身体を両手で抱き締めてきつく唇を噛み締める。

見上げると大きくそびえたつ王宮が見えた。

宣羅独特の赤や青の鮮やかな色合いが目立ち、ところどころには龍や獅子の文様が描かれている。

気の遠くなりそうなほどの広大な広さを誇るそこには、政を行う羅宮、皇帝の寵姫達が住まう後宮、皇帝の住居である孔真宮、他にもいくつかの宮とありいくつもの庭がある。

成花はまず謁見室へと連れて行かれ、他の貢物と一緒に皇帝にお目通りされるらしかった。

輿から降ろされ、王宮の中へと歩を進めた成花はいたるところから突き刺さる視線から逃れるように俯きながら歩き、青くゆったりとした服を着た王宮付きの兵士に導かれるままに謁見室へと行くとその広さとすでに来ている貢物の女性達に目を瞠った。

100名はいるであろう女性達は皆煌びやかに着飾り、美しさを競い合うようにそこにいた。

男の姿も見える、彼等は成花と同じく親のない人達なのだろう。

献上された人間が男の場合、ほとんどが宦官にされるか、王宮で働く下働きとして使われる。

給金を払わずとも使える奴隷として。

多少見目の良い男は王侯貴族達のお遊びに寝所に呼ばれることもあるという。

成花はとりあえず示された椅子に座り、見るともなしに彼らを眺めた。

女性達はもしも皇帝に召されたら、という夢を抱いているのか顔色は明るい。

だが余程皇帝からの寵愛を受けられなければ、一度寝所に召されたくらいではどうにもならないと聞く。

ただ一度でも皇帝陛下からの寵を受けた女性は貴夫という称号を受け、王宮の中にある観羅宮に部屋を与えられ、寵を与えられなかった女性は彼女達の世話をする女官として働くことになる。

そしてもし部屋を与えられたとしても、もし皇帝の御子を身篭ったとしてもそれ以上を求めることは決して出来ない。

正統な皇帝の御子は、正式に後宮に召し上げられた権力者の娘達、貴妃からしか産まれないのだ。

観羅宮の女性たちが身篭ると、産まれた子供が男ならば殺され、女であれば後に政略結婚の道具として使われる。

それが現実だった。

しばらくそんなことを考えていると、唐突に大きな太鼓の音が鳴り響き謁見室の扉が開かれた。

黄色の服を着た文官が現れ、上座へと向うと天井から御簾を下ろしその前に膝をついて頭をさげる。

皇帝陛下のおなりだと告げる言葉に慌てて皆が床に平伏したのに倣い成花も椅子から降り床に跪いた。

御簾の向こうに人の気配がした、きっと皇帝陛下が女性達を見ているのだろう。

しんと静まり返った謁見室の中に緊張が走る。

文官が皆に面を上げよと告げ、一瞬ざわりと辺りが波打つ。

しばし間があり、御簾の向こうで何かしらの声が聞こえ文官が頷いているのが見える。

皇帝の指示を受けた文官が居並ぶ皆を見渡し、そして成花と目が合うと目を細めた。

「………」

思わず目を逸らした成花の前に文官が立ち、顔を覗き込むとしたり顔で頷いた。

何事かと不安げに瞳を揺らした成花に皆の視線が集まり、居たたまれなさに俯く成花をよそに文官は何も言わず離れると大きく手を鳴らした。

また扉が開き、女官達が現れそこに居た女性たちを連れていってしまった。

後に残されたのは御簾の向こうにいる皇帝陛下と貢物である若い男達、そして文官だけだった。

だが御簾の前にいた兵士が他の男達を女性達と同じように連れ去ってしまうと、成花1人だけがそこに残された。

何故、そう思っても恐ろしくて口を開く事も出来ない。

この場で殺されてしまっても文句は言えないのだ、貢物は皇帝陛下の持ち物で、皇帝が殺したいと思えば殺されても仕方がない。

恐怖に固まってしまった成花の顔は青褪め、身体は小刻みに震えている。

それを見た文官が成花に手を差し伸べ、立ち上がるように促した。

「顔を上げよ、陛下がお前の顔を近くで見たいとご所望だ」

「……っ」

足が震え、歩くのもやっとの成花の手を取り文官が御簾の前へと押しやる。

すると降りていた御簾がゆっくりと上げられ、一人の男が王座から立ち上がった。

細かな刺繍の施された赤くゆったりとした衣装は王族のみが着ることを許されたものだ。

大きく開いた袖には金色の龍が10匹描かれている。

黒く長いであろう髪は結い上げられ、簾付きの帝冠を頭上に抱いたその人こそが、宣羅国現皇帝陛下榮植。

30代前半なのであろう、猛々しいまでの存在感に圧倒される。

きつい眦と通った鼻筋、薄い唇。

小さな成花を軽く超える長身、そして鍛錬を重ねているのだろう大きな体にしばし見入ってしまった。

残酷で非道な皇帝なのだと聞いていた。

とても恐ろしい人なのだと、そしてそれは確かだと成花は思った。

目の前にいる人の黒い瞳は冷酷そのもので、見た者全てを凍らせてしまいそうだ。

「名は何と申す」

不意に口を開いた榮植にぎょっと目を見開いた成花は慌ててその場に平伏し、震える唇を何とか開いて答えた。

「……成花と、申します」

震えて上擦ってしまった声に唇を噛んだ成花は顔を上げることもできず床をじっと見つめた。

何故こうして成花のみが残されたのか、分からないが怖ろしくて堪らなかった。

ここに来て皇帝陛下に謁見しても、直に会うことになるとは思わなかったのだ。

貢物として献上され、王宮の下働きか宦官としてただ働くことになるのだろうと。

「成花、今夜俺の寝所に来い。 よいな」

「っ……!!」

ヒッと息を呑んだ成花に手を伸ばし、榮植はニヤリと冷たい笑みを浮かべ無理矢理立ち上がらせると鋭い眼差しで見据えた。

「よいな?」

「……お、恐れながら…、私は男でございます。…なれば」

両腕を掴まれ、ふっと身体が浮いた。

「ひっ…」

「よいな?」

小柄な成花を抱き上げることなどなんでもないといった風に持ち上げると、視線を同じ高さにして今にも泣き出しそうな顔をした幼い貢物に再度そう命令する。

よいなと聞いているのではない、これは皇帝陛下の命令なのだ。

否と言えようはずもない。

微かに頷いた成花に満足したのか榮植は抱き上げていた身体を床に降ろし、文官に目で合図を送ると何事もなかったように御簾の向こうへ消え、そして謁見室を後にした。

残された成花はガタガタと震える身体をぎゅっと抱き、零れる涙を拭うことすら忘れてしばし床に座りこみ、これからの己の行く末を思った。

女性ならば皇帝と一夜を共にすれば名誉が与えられる、だが男ならば?

男である成花の今後は、一体どうなるのか。

考えれば考える程恐ろしい未来しか思い浮かばず、成花は文官に立ち上がらせられながら意識を失っていた。




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