Honey Flower(本編+SS)
10
カイさまといえば思い出すのは、セキュリティライト同様、あの夜の姿だ。
窓際にへばりつくようだった金木犀に対して、カイさまは奥まっていたからどんな顔をしていたかまではわからないけど。
幼い金木犀にあんな顔をさせた当人を、善人だと思いこむことは相当難しい。
流れていた景色が止まった。
何か考えていたようだった結城が、いつの間にか瞳に色を取り戻していた。
「降りて下さい、銀砂。早速ですけど、一緒に来てほしいところがあるんです」
急いで、とつけたして先に車を降りた。
慌てて俺も降りる。
車は正面玄関に止まっていて、数人の使用人が結城の帰りを迎えに出てきているのが見えた。
久しぶりに来たお屋敷はまるで迫りくるようで、庭園から眺めている時とは違う畏怖を抱かせた。
結城に急かされて呼ばれなければ、我に返るのはもう少し時間が要っただろう。
執事服の背中を追いかけて、誰もいないのに煌びやかな光を放つシャンデリアの下を抜けて、エレベーターを上がった。
結城が操ったエレベーターボタンが何階を押したのかはわからないけど、間もなくドアが開いて、視界に灯りを反射させた廊下が伸びた。
硬質な足音を響かせた結城の後を追うのに、小走りみたいになってしまう。
普段は相手に合わせて歩いてくれるせいか、そのことには気づきにくいけど。
(もしかして、俺の歩幅なんかに構っていられない緊急事態ってことなのか? まさか、金木犀がらみで?)
そうでなきゃ、俺を伴ったりしないだろう。
知らず、汗が浮かんだ。
まさか、あの夜みたいなことになっていなきゃ良いけど。
こつん、と足音を止めドアノブに白手袋をかけた結城が、唇の前に人差し指を立てて振り返った。
「こちらです。ただし、何を見ても声など上げないように」
どういうことだ。
中で何が起こっているというんだ?
良いですね、と念押しをして、だが俺の返事を待つことなく結城はノブを捻った。
その背中に続いて入った部屋は薄暗く、足元は毛足の長い絨毯で埋められていた。
それに、何だろう。
(この、甘い中にちょっとつんとするみたいな匂いは……何の匂いだ?)
頭がきんと痛むような、鼻につく匂いだ。
入ってすぐ、大きな木彫りの衝立が立っているのがわかった。
薄暗い中にも、間接照明の少ない光を集めて、艶やかに曲線を光らせている。
図柄はよく見れば、大きな花を咲かせた石南花(しゃくなげ)だった。
細かい部分までよく彫りこまれている。
花自身以外の場所は透かし彫りになっていて、所々衝立の向こう側が透けて見えた。
足が沈む豪奢な絨毯が途切れた場所から向こう側にむかって、膝丈の段差ができているようで、その上は畳敷きになっている。
床の間に、大振りな生け花が飾られている。
濃紺の菖蒲と、赤い実を下げた南天だろう、風雅な部屋だ。
だけど。
(なん……)
畳敷きの上に、菖蒲の前に、布団が敷いてある。
一番初めに飛びこんできたものだが、脳が理解するのを拒んだ景色だ。
天井からさらしが下がっている。
その端はか細い手首を捕らえていた。
[*前へ][次へ#]
[戻る]
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!