Honey Flower(本編+SS)
8
「雲英。僕もその白い服着たい」
時折息もれの音をこぼして、だが追いかけるのをやめない。
菫の身長に相応しい歩幅では、雲英の歩調に合わせることはそうとう難儀に違いない。
だが、雲英は歩調を緩めなかった。
「ワガママ言いについて来たんなら、帰れよ。第一、おまえみたいなガキサイズの白衣が置いてあるわけないだろう」
研究所の通用門を通れただけでも奇跡だ。
熟年の警備員の目をパスした設定は『叔父と甥』だ。
「そんな年じゃない」などと、どうでもいい文句を言いたくなる雲英だったが、厄介者の存在を前に、言葉を飲みこむ。
背後に追いかけていた足音が止まった。
体力的に、ついてくるのも限界に来たのだろう。
足音のかわりに息切れが続いている。
雲英は、止まった足音を無視して歩を進めた。
疲れたら独りで研究所を出て行けばいい。
小さな菫は独りでは帰れないかもしれないが、却って好都合だ。
その時は、都真やソウに助けを求めて、そして帰れば良いのだ。
(そうなれば俺は、元通りの生活に戻って、悠々自適の一人暮らしを……)
白衣の首から下げていた携帯が鳴った。
後方にしゃがんでいる菫をちらとだけ振り返って、受話キィを押した。
「はい、雲英ー」
「雲英さんですか。僕、都真のところのソウです。こんにちは」
先日は、と長く続いてしまいそうなソウの挨拶を雲英は一方的に制した。
「そんなことより、都真に会いたいんだが。都真が送ってきた荷物の件で」
気のせいだろうか。
電話の向こうで、ソウが小さく笑ったような息もれが聞こえた気がした。
「……?」
「わかりました。いつならよろしいですか?」
雲英の都合の良い日時を告げると、ソウは「では、その日にお待ちしております」と結んだ。
雲英のほうも終話キィを押して会話を終える。
気づくと足元にしゃがんだ菫が、恨みがましい表情を浮かべて雲英を見上げていた。
「なんだ?」
「今さ。雲英、電話しながらちょっと笑ってた。電話の相手、ソウだよね。都真が自分でかけるわけないし。ソウ相手だと、微笑んだりするんだね、雲英でも。ホント、気持ち悪いの!」
ガキのくせに大人相手に、長台詞を一気に言い切ったせいか、菫は息を荒げた。
「可愛い女の子相手に微笑すら浮かべられないって、男じゃないだろ」
一般論を述べて歩きだそうとするも、しゃがんでいる菫がスラックスの裾をつかんでそれを阻んでいた。
濃い紫色の目が、怪訝そうに影を潜ませる。
「? “女の子”? 誰が……もしかして、ソウが? ソウのこと女の子だと思ってるの?」
菫の発言から、少女だと思っていたソウというあの子が、そうじゃなかったということがわかった。
そういえば、一人称が『僕』だったような気もする。
だとしても何だというのか。
自分にはまったく関係がない。
「……。仕事に戻ろうと思うんだけど。ついて来ないなら、帰れば。家でも構わないけど、できれば都真の所に」
スラックスを握っていた手を離すと、菫はすっくと立ち上がった。
紫色の目がじっと雲英をねめつける。
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