Honey Flower(本編+SS)
6
ビンタと言っても、それほど痛くはない。
出てきた、手のひらの主は、子供だった。
年のころは、十二、三歳ほどだろうか。
チビで、くるくるの茶色い癖っ毛に、紫色の目。
怒りで釣り上げた眉の下の、紫の目が、みるみるうちに涙を盛り上げてぼろぼろこぼしていく。
「真っ暗でっ、狭いしっ。いつ開けてもらえんのかわかんなかったし、おなか空いたし! おまえ最悪だ!」
あまりにもダイナミックな泣きっぷりに、唖然としながら雲英は手元にあるビールを一口下した。
こつんと当たる指に、コンビニで買った弁当があった。
蛇口を最大にひねった水道のように、とめどなく「おなか空いた」と泣きわめくチビに、雲英は弁当を差し出した。
チビの泣き声は、仕事に疲れた雲英の鼓膜をわんわん響かせる。
「うるさい、黙れ! 腹減ってんなら、とにかくこれ食って、口閉じろ!」
「はぁ!? 何、そっちがいつまでも待たせるから悪いんじゃん! 普通に考えろよ、一週間だぞ!? 一週間、この箱の中にいたんだぞ!?」
キレながら雲英の手から弁当をひったくる。
不器用な手つきでプラスチックの蓋を開けると、がつがつと掻き込んでいった。
目の前で消えていく弁当を眺めて、雲英はすきっ腹にしみ込んでいくビールの冷たさを感じていた。
「……おまえ、都真ん家から来たんだろ? 花屋っていう……」
雲英のほうへは見もしないで、チビはエビフライをかじったまま「うん」と頷いた。
「名前は?」
「菫(スミレ)。『どうせあいつは開けもしないだろうから、名前のインプットは俺がやっとく』って都真が言ってた。『あいつ』っておまえのことだよね?」
「インプット? 何のことだ」
会話にまったく余裕のない菫は、まだごはんを掻き込んでいる。
小さな体によくもそれだけ一気に入るものだと、半ば感心しながら眺めていて、あることに気付いた。
顔中、泣きわめいたあとの涙の筋と鼻水と、口元にはごはんつぶやフライの粉がついた最悪の汚さを見せている菫だが、造形は整っている。
似ているのだ。
都真が連れていた、ソウという名前の少女に。
年頃はソウのほうが少し上に見えたのは、落ち着いた気性のせいだろうか。
菫と名乗ったチビのほうが、年頃も下に見える。
(それにしても『菫』って。イメージには、まったくそぐわねえな、このクソガキは。菫って、もっと楚々としたもんじゃないのか)
ビールの缶を手のうちでふらふらと揺らしていると、食べ終わったらしい菫が、床に端と弁当のプラスチックを置いた。
手を合わせて「ごちそうさまでした」というさまが、先刻までの姿と妙にギャップがある。
紫の目がきょろ、と周りを見回してから、最後に雲英で止まった。
「で、おまえはなんてゆー名前? おまえは都真の何なの?」
「チビのくせに上からだな、てめえ。人のことおまえおまえ言いやがって。『都真の何なのか』? そんなこと、こっちが聞きたいわ!」
「僕は『花』だよ。都真の『花』」
夜には月が出るんだよ。
当たり前のことを言うように、菫はさらりと言ってのけた。
「『花』? なんだそれ……そりゃあ、奴の仕事は花屋なんだろうけどさ……」
「それでおまえは誰で、都真の何なんだよ?」
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