Honey Flower(本編+SS)
5
体重をかけてくる皓を支えるのに、私は重心をずらし、誤って先刻の破片を踏んでしまった。
「っ……」
私の腕を袖ごと握りしめた皓は、充血した目で見上げてきた。
息が熱い。
完全に酔っている。
「モデルだ。モデルが悪い。リンなんか描くんじゃなかった。モデルを替える。早くもっかい画廊に戻って、良い奴を紹介させてこいっ……」
重くのしかかる曇天に、びかりと稲妻が走った。
空を二分した光の筋が、床の上にこぼれた。
ところどころめくれている床板に打ち付けた釘が、浮いたように銀を放つ。
それを背景に、再び雨音が響きはじめた。
ふと、画廊の軒で水しずくをぬぐっていたあの少年を思い出した。
年のころは15、6だろうか。
綺麗な瑠璃の目を見開いて、興奮したように頬を染めて。
皓はモデルを替えるべきだと嘯いた私を、真向から激励してくれた。
──貴方はとても綺麗なんだし!
自嘲の笑みが浮かんだ。
年端もいかない少年が何気なく口にした言葉が、今こんなにも嬉しい。
自分で嘯いたセリフが皓の口に上った時、少年の励ましがこれほど染み入ってくるとは思いも寄らなかった。
私にしがみついて震える皓の髪を、注意深く梳いていく。
「わかりました。新しいモデルを用意してもらうように、店主にお願いしてきます」
「嫌だ。行くな。今ここで、電話をかけろ。新しいモデルには、明朝にここへ到着させるように」
戻れと言ったのは皓なのに、という言葉を飲み込んで、口に上らせにくい別のセリフを絞り出す。
「電話は……ありません。止められたので、電話機を売りました。先月、そうするようにと皓が言ったんです。思い出して」
腕の中で震える皓は、くすんと鼻を鳴らした。
泣いているのだろう。
小さな子供のようにして泣く皓はいつものことだ。
激昂して喚きたてた後に、波のように後悔が押し寄せてくるのだろう。
「情けないと思うか、リン。過去に味わった栄光を、いつまでも忘れられない俺のことを……」
「思いません。過去などではありません。貴方の絵は、今でも素晴らしい出来です」
リン、と語尾をちぎったかのような呼び方をして、皓は唇を合わせてきた。
腰を抱いてくる腕の力にも加減がなく、骨が軋んだような感覚がある。
それでも皓の肩に腕を回して、口腔にくれる熱に応える。
「ん…む、つっ、…皓っ…」
小さな抵抗を無視して、皓は私のシャツのボタンを開いていく。
一つ二つ…三つ目からは、引きちぎるようにして肌を顕にした。
噛みつくように肌を貪られ、息をつく暇がない。
「リン…俺の…」
皓の涙声が、肌と唇の隙間を縫っていく。
意味のない、子供が母親を呼ぶような呼びかけに返事ができないのは、痛みのせいだ。
激高した後、涙声で私を呼びながら腕に抱く皓は、肌に歯や爪を立てる。
まるで私の、皓への愛情を試しているかのようだと思う。
――こうしてもまだ、そばにいてくれるか……?
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