Honey Flower(本編+SS)
2
◆ソウ 1
泣きだしそうな空をちらちらと仰ぎながら、僕は買い物袋を胸に抱いて走っていた。
間に合わない。
この、ずっしりと重い鉛色の空は、僕が家に帰りつくまでに降り出してしまうだろう。
買い物袋は紙だし、どこかそれまでに雨宿りできる場所があれば、と思っていると、凄まじい光の筋が曇天を裂いた。
「わっ……」
マズい。
降り出してくる。
瞬間、雷鳴が響いて、見る間にぽつぽつと足元へ水玉を描き始めた。
本格的に降り出してしまう。
「君、こっち!」
声に振り返ると同時に、また稲妻が光った。
慌てて声の主の元へ走りよる。
何かの店の軒下に体を滑り込ませた途端、土砂降りになった。
「うわぁ、間一髪。ありがとうございました」
礼を言うとその人は「いいえ」と言いながらハンカチを差し出してくれた。
ありがたくそれを受け取って、頬に落ちた水玉をしみ込ませていて、ふと顔を上げた。
優しそうな、濃い青の瞳が微笑みに細くなっていた。
「良かったです。こんな雨じゃ、一瞬でびしょ濡れです」
彼の言うことに頷きながら、軒を貸してくれた店を振り返った。
それほど大きくないショーウィンドウは年代を感じさせる。
所々、経年による劣化が見られるが、手が入れられる場所は丁寧に磨かれているのがわかる。
大切に扱われたウィンドウに、細かい細工を施した額に入った人物画があった。
青地に黒糸で刺繍された手の込んだ服を着た、男性とも女性とも判別のつかない美しい人。
「綺麗な人。偶然だけど、少し貴方に似ている気がします」
僕がそう言うと彼はちょっと驚いたような顔をしてから、クスクスと笑った。
(な、なんか変なこと言ったかな、僕)
「それ、私です」
「へっ?」
改めて、彼と絵を見比べてみた。
彼は少しおどけた風に、わざと絵と同じポーズをとって見せる。
なるほど、にっこり微笑む顔は、確かに絵に描かれた人だ。
「え、でもどうして…」
「同居人が絵描きで、彼は私をモデルにして描くんです」
画家の名前は皓(こう)というのだ、と彼はつけ加えた。
はい、と頷きながら、僕は画家の名前よりも彼の名前を知りたいと思ったけど。
高潔な青紫の目を見ていると、名前を聞くのもなんとなく躊躇わされる。
「そしてこうして、できた絵を売りに来るのも私なんですけどね」
売りにきたと言われて、初めて借りた軒が画廊だったことがわかった。
彼の足元には、厳重に梱包された――多分絵が置いてある。
店はまだ営業しているようだ。
それなのに、手元に絵を持ったままだということは。
彼は少し寂しげに微笑んだ。
「買ってもらえませんでした。皓は、モデルを替える必要があるかもしれませんね」
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