聖王の御手のうち(本編+SS/完結) 8 汐は笑った。 「どうせ芳明さんが、叔父さんが帰ってくるまで食べられないよ、今夜は」 「いつもそうなのか? 叔父さんが仕事で遅くなっても、ハラペコで待つの?」 勘弁してくれと思ったのが顔に出たのか、汐はまたけらけらと笑って「今夜だけだよ」と返した。 「僕が譲も一緒に連れていくって言ったら、ぜひ食事を一緒にしたいって芳明さんが言ったから。だから今夜は、芳明さんを待つことになってるの」 なんだ、と安堵すると同時に緊張が走った。 べ、別に、汐の叔父さんに会うのはスゴイことじゃない。 俺は汐の彼氏でも何でもないんだから。 心の葛藤を知るわけもなく、汐は「夜は涼しいねぇ」と髪を夜風に遊ばせる。 綺麗に刈られた緑たちは人工的な形をしていて、学園の庭園にちょっと似ていた。 子供の頃なら、かくれんぼや鬼ごっこに最適な場所だ。 当時、悪友たちとここに辿りついていたら、庭園をぶっ壊すまで遊びたおしたに違いない。 「明石に初めて会ったのも、ここだったよ」 うん、と短く返した。 夜の庭で森村明石と出会ったんだと、さっき汐はそう言っていた。 汐は遠くを見るような目で、少し離れた緑たちに視線をやっている。 「僕はおかしな怖い夢を見て、自分の部屋から駆け出して。 ……手に黒いウサギを抱いたまま、お母さまの部屋に行ったんだ。そしたら、お母さまは部屋にいなくて……探して……庭に出てきてしまった…… …………」 「? うん。それ、さっきも聞いたけど?」 自分で言ったこと、忘れたのか? 汐は緑の一点を、強い目で凝視していた。 ばたばたと風が吹いている。 涼しいというより、少し寒くなってきたような。 「なー、汐。そろそろ帰ろう。叔父さんも帰ってるかもしれないよ?」 「……見たんだ、僕も、明石も。その時は、おかしいなんて思わなかったけど……きっと、明石にはわかってたんだ……」 何を? そう問うことも許さないほど、汐は“その場所”から目を離さなかった。 まるで、凍りつきでもしたかのように。 「お母さまが、知らない男の人と抱き合っていた」 真夜中の、庭園で。 夫ではない男と。 汐が見ている緑に目をやった。 彼らが子供のころの、数年前の話だ。 今見たからって、何があるわけでもない。 「それって……え、でもだからって、恋人とか、決められる?」 汐がまぶたを下ろして、緑を目に映すのを止めていたのは二秒ほどだった。 ゆっくりと開いて、まつげを瞬かせる。 シチュエーション的には、恋人と会っていたと判断するのが楽なシーンだけど。 断定するには、少し証拠が甘いように思う。 目撃したのだって汐と明石の二人だけで、さらに子供だ。 それでも汐の声は、確信でも持っているかのようにしっかりしていた。 「きっと、恋人だったんだよ。その人は、母の」 [*前へ][次へ#] [戻る] |