聖王の御手のうち(本編+SS/完結)
3
ふくれっ面の汐に微笑が浮かぶ。
汐は学園を離れたほうが、感情が豊かに思えた。
きっと緊張の糸が実家に帰ってきて、ほぐれているのだろう。
「まだ、時間あるよね……」
ティーカップに入れたレモンスライスごと、ぐるぐるかき混ぜておいて、手をつけず、カップを置いた。
飲まないならどうして混ぜたりしたんだと思わないでもなかったけど。
ふいと立ち上がって、汐は部屋に背を向けて、胸元にある鍵束を俺にだけ見せた。
「どこの鍵?」
「本宅。譲に見せたい場所があるんだ」
行かない? と続ける汐の横顔は複雑だった。
金持ちの本宅の内部がどんな作りになっているかは気になる。
「行くよ。探検みたいじゃん、なんか♪」
席を立った汐の後をついて、離れの玄関を出た。
昔、離れは使用人たちの住居だったらしい(いったい何人つかってたんだ!?)
本宅の勝手口から入りこんで、汐は壁に引っかかっていた懐中電灯にスイッチを入れた。
今入ってきた部屋は広い厨房だった。
長期間使われていない調理台には、白っぽい大きな布がかけられてある。
汐は慣れた足取りで奥へ進んでいく。
中はまるで迷路だった。
うっかりしていると、汐の姿を見失いそうだ。
長くて薄暗い廊下を歩いて、ある部屋の前にたどり着いた。
開くと埃の匂いがする。
足が沈む柔らかな絨毯の上に、厨房にあったものと同じ白っぽい布がかかった家具がある。
汐がそれをめくると、小さなテーブルセットとベッド、勉強用の机が現れた。
真正面に据えられた出窓のカーテンを開くと、豪奢な庭園と夕焼けが見えた。
「ここ、僕の部屋だったんだよ。懐かしい。全部そのまま」
「すごいな」
今の汐には合わない小さなベッドに腰を落として、そのスプリングに体を揺らした。
汐は一方の壁に目をやって、ぽつりと言った。
「隣が、明石の部屋だったの。森村明石。聖王の。
明石はうちの、使用人夫婦の子だったから。一緒に育ったんだ」
え、と唇が開いた。
森村明石と一緒に育った? 汐が?
あの聖王 森村明石と?
(聖王の子供の頃なんて、想像つかないけど……)
「じゃあ、汐は聖王がいると知ってて聖風に来たのか? なんていうか、頼ってって感じで?」
「ううん。明石がいることは知らなかった。学園は、叔父さんが薦めてくれたから入ったんだ。僕の両親が亡くなって、叔父さんが面倒を見てくれることになったけど、彼も一日僕のそばにいられるわけじゃないから、って」
だったら同じ年頃の子と一緒にいられる寮のほうが良いでしょ? と続く。
先日の事件を思うと、良かったと言えるかどうか正直俺にはわからないけど。
「汐のご両親って……事故かなんかで? あ! 言いたくなかったら言わなくて良いけど!」
汐は頷くでもなく、視線を返してくると、小さな家具に元通り埃避けをかけて、出窓のカーテンを引いた。
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