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聖王の御手のうち(本編+SS/完結)
4
 放課後、明石はよく化学室に通っていた。
 教師からショウジョウバエを殖やす手伝いを頼まれていたらしかった。
 そんなもの無視しておけば良いのに、明石は妙に律儀だった。

 白衣姿の明石はピペットを使って、奇妙な匂いのする試薬を綿に吸わせて、瓶の底に下ろしていた。
 すぐに、ヘンな匂いが漂った。
 ヘンって言うか、恥ずかしいって言うか……。

「試薬を恥ずかしいと思う、茂孝のほうが恥ずかしい」

 顔に熱が上る。
 鉄仮面が顔に貼りついて皮膚の一部になっているおまえとは違って、こっちは生身なんだよ! と言いたくなるのを抑える。

 そういえば、と明石が中等部の頃、女と携帯で喋っていた件を思い出した。
 俺は明石の向かい側の席にすわって、次々と瓶の底で動かなくなるハエを、見るとはなしに眺めていた。
 
 推測に過ぎないけど。
 明石は彼女に何か用事を任せている。
 それは、こんな山奥の学校に封印されている俺たちみたいな学生には、到底できないようなことを。
 自分の代わりに、彼女にしてもらっている。

 多分、“用事”は相当重要なのだろう。
 だから、明石は携帯を常備している。

「彼女は明石を、裏切らないのか?」

 唐突に問うた質問に、明石は合点がいっているようで「裏切るさ」と即答した。

 動かなくなったハエを肉眼で雌雄判別して、瓶に分けられていく。
 普通は顕微鏡でもしばらく凝視が必要なのに、変人め、と脈絡のない悪態が浮かんだ。

「裏切るってわかってるなら、どうして頼ったりするんだよ? 変な人間、近くに置かないほうが良いんじゃない?」

 ヘンなこと聞くなぁ、と呟きながら、明石はピンセットでハエを摘んだ。
 そのハエをずいと俺の目の前に押し出してきて、一瞬悲鳴を上げそうになった。

「彼女に関わらず、人間は誰でも裏切るさ。すべての人間が自分に応えてくれると思うこと自体、傲慢だろう?
 だからこそ、俺の思惑通りに動くように、自分の意思では動けないようにするんじゃないか」

 ピンセットのハエをぽいと瓶に入れて、すわったまま別の瓶を取り出した。
 俺の目の前で軽く振って見せるその瓶の底には、いくつものハエが動かずに転がっている。

 麻酔済みのヤツだろうか、と思いながら「それが何」と仏頂面を作った。
 明石の言うことは、回りくどくて理解に時間がかかる。

「系統を守るには処女が必要なんだ。雌は体の中で精子を保存して、必要に応じて受精する。けど、どの系統の雄の精子かわからないのは、困る。だから、一度交配した雌はいらない」

「……それで? 逃がすの?」

「試薬は、加減が大切ってことさ」

 要するに目の前の瓶に閉じ込められたハエは雌で。
 交配済みの雌で。
 多めに加減された麻酔薬で、永眠しているということだ。

 試薬は、加減が大切。

(動けなくするのは、加減が必要……?)

 薄靄に包まれたような話運びを、明石は「ここまで」と打ち切った。

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あきゅろす。
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