聖王の御手のうち(本編+SS/完結)
1
その男は気に留めるともなしに手を動かして、手首の時計盤から細かな光を床に落とした。
白っぽいマーブル模様の床は、台所でメイドたちの気まぐれに貰えるホワイトチョコレートのようだといつも思っていた。
男のこぼす光の破片に、まるで猫の子のように目を奪われながら、汐は期待感をあらわに男の返事を待っていた。
……俺には、彼が何も言わなくても答えはわかっていたけれど。
男はちっと舌先を鳴らして、少しも練った様子の見えない言葉を吐き出した。
「下賤の血は、下賤を呼ぶ」
咄嗟に俯いた。
彼は俺が、子供心に親を恥じているのだと思ったのだろう。
俺の父親は酒のみで暴力をふるい母親を追い立てたあげく、法に触れて逃走。
今は行方知れずだ。
俺は身よりのない捨てられた子供で、旦那さまのお慈悲で生き長らえている身だった。
それを汐は、こともあろうに自分と同じ学校へ通わせるようにとねだっているのだ。
ありえない。
下賤の父親、下賤の血。
おそらく汐も、同じように解釈したに違いない。
「お父さま、どういう意味!? 明石を侮辱しないで!!」
無論彼は、俺が思ったような解釈で言ったわけじゃない。
だが深い思考があったわけでもない彼の呟きは、皮肉にも的を得ていたのだ。
「明石、ねぇ大丈夫?」
ホワイトチョコレートの床を凝視して、唇を噛みしめて。
噴きだして大笑いしそうになるのを、必死で堪えていた。
明るい月光は、穢らわしい光景を照らしすぎる。
舞台が完璧であればあるほど、浅はかな愚行は浮き彫りになる。
完璧な庭園に走る半裸の兵隊は無様だ。
さくさくと音の鳴る芝生を踏みしめ、逃げまどう王軍を王軍が追うのを眺めた。
「残らず捕らえろ。宣誓は、サインだけでもいい。数をこなせ、茂孝」
同行させた軍の中心に、副王軍長 堀切茂孝がいる。
「……西のアーチには誰もよこすな」
俺の言葉に振りかえって、口の端を引き上げて仰々しく言った。
「御意のままに」
踵を返して駆けていく。
茂孝にしても、今夜は“ずっとしたかったこと”をこなす夜だ。
力を発揮するといい。
追うほうも追われるほうも、腕に金獅子をまとっている。
なぜ事態は起こったか?
ストレスを溜めた王軍へと伸びる導火線に、東原梅路が火をつけた。
飢えた獣の中に、生贄の仔羊を放りこんだ。
梅路は彼らを煽った。
俺は梅路を止めなかった。
西のアーチ。
庭園は左右対称になっている。
東にあるものは鏡写しに西側にも存在する。
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