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聖王の御手のうち(本編+SS/完結)
2
 王軍長の背後にいた黒い塊が、あっという間に散って、僕を捕まえようと腕を伸ばしたから。

 腕は、無数に見えた。
 黒い影から伸びる、黒い手が、制服の上着を腕から剥いで、シャツを引き裂いた。
 袖の肩口が破れて、風が皮膚に触れたけど、なんとか逃れた。

 めちゃくちゃに走って、教会から学校へ向かった。
 テニスコートやグランドよりも、庭や校舎のほうに逃げたほうが、隠れる場所があると思ったからだ。

 湾曲したバラのアーチの下で、棘ごと緑の壁を握りしめて外をうかがった。
 無数に見える蟻たちが「探し出せ」と声を上げている。

(僕が、『聖王会に席を求めた』……って言った?)

 覚えがない。
“聖王会の席”って、家令とか侍従長とか、だよね。

 なりたいなんて、思ったこともない。
 どうして王軍長はそんなことを事実だと、信じているのだろう?

(王軍長は、わからなくて怖い)

 コクマ会議室に呼び出されたときも、王軍長は何かに怒っていた。
 矛先は僕。

 でもその理由が何なのか、僕には理解できない。
 あの時も今も、一緒だ。

(『あの時』も今も……一緒……)

 そうだ。
 四年前、明石が初めて“みんな”を連れてきたのも、こんな月夜だった。

 僕は裏の庭園を走って走って、蟻みたいな黒い“みんな”から逃れようとして、泣きながら走っていた。

『あかしっ……明石、助けて! 知らないおじさんたちが、僕を追いかけてくるの!』

 毛足の長い絨毯に、擦り切れた外靴を埋めて、明石はぼうっと立っていた。
 明石のお母さんが何度も繕った、彼のシャツの裾を握りしめて、僕は明石が手を取って、一緒に逃げてくれるものと信じて疑わなかった。

 明石は壁紙に移ろわせていた視線を、機械仕掛けの人形みたいに動かして、僕を見た。

『汐。また、泣いてるの……? 汐は、泣いてる顔が一番可愛い……』

『明石……何言ってるの、明石、危ないんだよ、殺されちゃうよ……』

 僕は明石のシャツを、何度も引いた。
 明石は僕をじっと見つめていた。
 その唇は薄く微笑んだ。

『下賤の血が、下賤を呼ぶんだ――』

 その晩が、明石を見た最後だった。


――見ぃつけた……!!








 背中にくらった衝撃に、視界が一回転して、気づくと兵士の顔の後ろに、隙間だらけのバラのアーチがあった。
 まだバラが巻きつくほど成長していない箇所は、アーチの骨組みが剥き出しになっていて、月光がそこだけ光を反射させた。

 シャツが引き裂かれた音と、噴水が水を噴き出した音が同時だった。

「見つけたぞ!! 西のアーチだ!!」

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