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聖王の御手のうち(本編+SS/完結)
2
 どうぞ、と視線を上げる修司を確認してから窓を開けた。

 ゆっくりと髪を撫でる程度の風が入ってきた。
 早く退散しよう、と思っていると雅臣と目が合った。

「王軍長はこの匂い、好きなんじゃないかと思ったけど」

「……どういう意味だ」

 軽い笑い声をたてて、修司は「確かに」と言った。

「トリエチルアミンは、精液の臭いの元となる化合物スペルミジン・スペルミンと同じアミン系ですからね。まぁ、匂いは厄介ですけど、虫の動きを封じられるのでよく使う試薬ですよ」

 遠慮のない名前に皺を刻みながら、修司の手元に目をやった。
 ガラス瓶の底のほうにいるハエが、ころんと動きを止めているのが見える。
 上のほうにいるハエは元気に羽を震わせている。
 それを修司は指先でガラスを叩いて、底へ落とそうとしているのだった。

「死ぬのか?」

「まさか。麻酔ですよ。薬の量が多すぎると永眠してしまいますけど、これならだいたい一時間ぐらいで、また飛んでいくはずです。こうやって力を失って転がるさまを見ているのが楽しいんですよねぇ」

 理解不能な嗜好に、ハンカチの奥から「ふうん」とだけ返しておく。
 つきあっていられない。

「これ、人間に使えないの?」

 恐ろしいことをさらっと質問する雅臣をちらりと見やってから、修司の向かいの窓に近い席に腰を下ろした。
 視界に転がっているハエの群が嫌でも入ってくる。

 これを人間に使う、だと?

 修司は頓狂な笑い声を立ててから、瓶の中の転がったハエを識別板に乗せて、顕微鏡の倍率を触り始めた。

「何企んでるんですか? 鷹宮さま。もしかして、王軍長閣下と同じことですか? 僕には話さないで下さいよ? 同罪に問われたくないんで」

「俺と同じことって何だよ」

 顕微鏡の接眼レンズから目をを上げて「花井汐」とつぶやくように言った。
「まさか」と返したのが、雅臣とほぼ同時だった。
 雅臣はくつくつと笑いながら、俺を見た。

「王軍長の『まさか』は『花井汐にトリエチルアミンを使うなんて』の『まさか』だろう? 俺の『まさか』は『花井汐に危害を加えるなんて』の『まさか』だからね。根本的に違うよ。
 俺は花井汐に乱暴は働かない。何せ彼とは、友達だからね?」

 気味の悪いことを言いながら、雅臣は笑い声を続けている。
 再び接眼レンズに戻った修司が、ハンドルを回しながら「どっちだって良いですよー」と間の抜けた声で言った。

「トリエチルアミンは使えません。人体には無害ですよ。麻酔に使おうったって、だめです。現にこぼした教室にいる僕らは、動けてるでしょう?
 だいたい、こんな匂いのするもの沁みこませてうろうろしようってのが、どだい無理でしょう。バレますよ、怪訝な顔されてね。
 あ、東原さま、そこ邪魔です。光、入らなくなった」

 反射鏡をきらきら動かしながら、くぐもった声を出す。
 一度下ろした腰を上げて、仕方なく雅臣の向かい側にすわった。

「本題は何だったの、王軍長?」

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あきゅろす。
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