聖王の御手のうち(本編+SS/完結) 3 「……はい」 踵を返していく背中を見送って、部屋の戸を閉じた。 バスルームの前で汐を背中から下ろすと、そのままバスマットの上に座り込んでしまった。 その視線にあわせて膝をつくと、自分の視界が影ったのがわかったのか、ゆっくりと顔を上げてきて、やっと視線が合った。 「汐くん。わかりますか? ここがどこか」 「天野さん……の、部屋……?」 そうです、と返すと、汐はうん、と頷いてそのままうつむいた。 自分の膝元にある手を見ているようだった。 右手が赤く腫れて、その上に赤い傷跡が浮いて見えていた。 あとで看てやらなければ、と思いながら、先にバスルームに入って、シャワーの温度を確認した。 「そこで脱いで、まずジュースを洗い流しなさい。着替えは出しておきますから。今夜はこの部屋で休むことは譲くんにも伝えてありますから、その辺は心配しないで」 はい、と言ったかどうかはシャワーの水音で確認できなかったが、緩慢な動きで立ち上がると、制服の前ボタンを外していっているのが見えた。 聞こえてはいたらしい。 シャワーをそのまま置いて、汐を中へ入れた。 すりガラス戸ごしに、肌色の影が見える。 きちんと流しているようだ。 良かったと、一つ安堵する。 着替えの新しい下着と寝間着をかごに置いて、部屋へ続くドアを出た。 疲れた、と過ぎらせながら、制服のジャケットをクローゼットへかけた。 部屋の明かりを消して、ベッドサイドの明かりだけで寝間着に着替えた。 カーテンを閉じていても明かりは漏れる。 まるで夏の虫のように、微細な光にも兵隊は吸い寄せられてくるのだ。 感覚の鋭い人間を集めて、王軍と名をつけているのかもしれない。 人選は的確だ。 バスルームのドアが開いて、頭からタオルをかぶって、出しておいた寝間着を着た汐が出てきた。 うつむきかげんに視線を落としたまま、「ありがとうございました……」と礼を言う。 汐に用意していたベッドにすわらせて、僕は救急箱を持ってその前に膝をついた。 「手を出して下さい。今晩は湿布で冷やしておきましょう」 取った手はじんわりと熱い。 熱を持っているようだ。 手の大きさに合わせて湿布薬に鋏を入れていると、汐がぽつりと「お……」とつぶやいた。 顔を上げる。 「何?」 「お母さまのこと……明石は好きみたいだった……」 「明石? 明石って、森村明石ですか? 聖王陛下の?」 こくりと汐は頷いた。 湿布薬を切る鋏の音が、妙に大きい気がする。 いったい何の話をしているのだろう。 森村明石が、花井汐の母親に好意を持っていた? 幼い頃、二人には時を同じにしていた時期があったのか? [*前へ][次へ#] [戻る] |