聖王の御手のうち(本編+SS/完結)
3
談話室を抜けていく小柄な背中に、くすぶった質問を投げつけて問いただしてみたい。
高美はくるっと振り返って「ユズ、帰らないのー?」とのん気に聞いてくる。
(汐の痣の話。追求してきたのは、おまえの尚書長という肩書きには、何の関係もない話だよな?)
あくまで友人として、相談に乗ってくれたのだと思いたい。
へらっと表情を崩す高美は、一見何も考えていなさそうだ。
高美は知っているんだろうか。
尚書長の顔をした高美に、俺が距離を感じていることを。
「いいや。ちゃんと部屋に帰って寝るよ。兵隊サンに捕まるのは、ごめんだからな」
高美は口の端を引き上げた。
「よくわかってるじゃない。いっそ、ユズが王軍長なら、僕も楽なんだけどなぁ」
馬鹿言うな。
一年生のうちから聖王会の一員に収まってしまう高美とは、最初からできが違う。
廊下で高美と別れて、自室に入る。
天井の明かりは消えていた。
俺のベッドサイドの明かりだけが小さく絞って、点けられている。
汐が、帰ってくる俺が困らないように、そこだけ点けておいてくれたのだろう。
「汐」
本人は黒いウサギを抱き枕に、小さな光を放っている俺のベッドサイドに向かって、目を閉じている。
眩しくないんだろうか。
あらわになった汐の肩口に、上掛けを引き上げてやる。
黒ウサギにかかった右手の甲に、緩い光が当たっている。
白い皮膚に、俺が見た痣はうっすらとしか浮かんでいない。
「ん……譲? 帰ったの……?」
「うん。早いな、寝るの。さっき消灯になったばっかなのに」
うん、と頷いたきり、汐はまた眠ってしまった。
自分のベッドに腰を落として、汐を眺める。
今はうっすらとした手の甲に目が行った。
――足首と腹には?
高美の質問に、一つだけ引っかかった言葉がある。
"聖痕"
救世主が磔になった時に、釘を打ち込まれた場所が五カ所。
両手、両足、腹。
信者の身体に、その傷に酷似したものが現れる。
科学的に説明できない現象を"聖痕"と呼び、『奇蹟』と称える。
(俺は信者であるとは言えない)
奇蹟がこの世に存在するのかしないのか、その是非を答える能力はない。
汐本人が、聖痕を顕すほどの敬虔な信者であるかどうかまではわからない。
高美が痣に対して質問をしたからと言って、聖王会が"聖痕"に何らかの意味を見いだしていることにはならない。
両膝にひじをついて、手の中に息を吐いた。
苦笑が洩れた。
俺の考えのすべてが、はっきりしないじゃないか。
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