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聖王の御手のうち(本編+SS/完結)
1
 初めて男に肌を触れられた時のことを、俺は決して忘れないだろう。
 ざらりとした固い手のひらが、頬に触れる。
 その気持ち悪さに、必死の抵抗をした。

 茶屋の一室。
 商談の後、花井は俺を残して男と二人きりにして、座を引いて行った。
 要するに枕営業というやつだったのだ。

 ぼんやりと灯った明かりが、派手な柄の布団を浮かび上がらせている。
 その上に、うつ伏せに気を失った男は情けない姿態を晒していた。
 床の間に飾られていた花器をつかんで、男の顎をしたたかに殴りつけた結末だった。

 割れた花器と、散らばった菖蒲の花。
 水に濡れた布団と、破片にまみれた男。

 それを見つけた花井は慌てふためき、幸い体に別状のなかった取引先との後始末に奔走し……
 落ちついたころ、仕事の書類を手に追い込まれ、何日も徹夜していた俺を呼びつけて、殴りつけた。

「どうしようもない親父がしでかした不始末を、息子のおまえが贖っていくのが筋だろう! 下賤の血を引きながら、逆らうってのか、生意気な面しおって!」

 抵抗はしなかった。
 花井には恩義も感じていたし、何より汐から離れたくなかった。

 しかし、仕事を手伝わされるのはかまわないが、枕営業だけは願い下げだ。

 花井はそれ以後もそんな機会を設けたが、そのたびに俺は取引先をぶち壊した。
 同じように、花井に打たれた。

 繰り返しに疲れたのは花井のほうが先だったようで、彼が茶屋を予約することは二度となくなった。

 勝った、と思った。
 俺を営業でも使えれば一石二鳥だという軽い気持ちだったのだろう。

 だが抵抗する俺に、花井は屈した。
 逃げられるよりも、仕事で使うことのほうが得だと踏んだのだ。

 俺の能力と経営に関する勘は、すでに花井を凌いでいた。
 花井はもう今更、俺抜きで事業を手がけることなどできなくなっていたのだ。
 花井の手に打たれても、俺は平気だった。

 何しろ、この哀れな男は下賤の血を持つ子供の頭脳に頼らなければ、たちまち路頭に迷うことになるのだから。
 それに俺は、花井に対して切り札を持っていた。









 その晩、「一緒に寝ようよ」という天使のような笑みを浮かべた汐の誘いを断って、俺は自室で書類に顔を突き合わせていた。
 もう何日寝ていなかっただろう。
 このまま行けば、冷静な判断などできなくなる。
 いや、すでにおかしくなっていたのかもしれない。

 朝は学校、夕方から晩にかけて花井に呼びつけられて商談につきあい、深夜から朝にかけては事務処理を行う。
 すべて俺の父がしでかした罪の、贖罪なのだと花井は言う。

 俺にはどうでも良かった。
 汐さえいれば、汐の近くにさえいられれば。

 ふと上げた視線の先に、白いものがよぎった。
 窓の向こう、迷路のように植えられた低木群の中を、ひらひらと白い寝間着が走っていく。

(花井夫人だ)

 ペンを置いて立ちあがると、そっと部屋から抜け出て庭へ出た。
 彼女はまるで少女のような顔をして、心底嬉しそうに男の腕に腕を絡めて微笑んでいた。

 あの男は、どこの誰なのだろう。
 夫人とはいつからの関係なのだろう。
 この事実を俺のために利用する方法は、あるのかないのか――?

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あきゅろす。
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