聖王の御手のうち(本編+SS/完結)
5
まだ幼さを多く残した顔を、赤く染める。
向かいの席にすわる堀切王軍長は、無表情に視線を落とした。
尚書長の言うことは半分正しい。
聖王の一存で決まる。
間違っているのは、そこに家令の意思は入る余地がないということだ。
(“姫”のことだって同じ、か)
例外はない。
すべては聖王の一存で決まる。
“姫”に関しても無論同じだ。
いや、“姫”に関しては特別その傾向が強いように見える。
(花井汐に関しての聖王は、まるで蛇のようだしな)
……蛇。
知恵の実を片手にして、イヴを堕落の道へ誘いをかける蛇のような――妄執。
創世記に現れる蛇は雌で、イヴを誘惑した理由は『神の愛』欲しさの嫉妬心だと説かれている。
まだ顔の赤い尚書長に、俺はやんわりと笑みを作った。
「尚書長。君は創世記を知っている?」
「? もちろんです。神が作った最初の男女アダムとイヴは、『知恵の木に近づいてはならない』という神との約束を破って楽園(エデン)を追われた……」
突然の話題転換に、話の真意がわからないといった顔になる。
「仮にだよ。イヴを誘惑して、アダムとイヴの二人に知恵の実を食べさせた蛇が、もしイヴを欲しがっていたとしたら?」
「……? そんなことは絶対にありませんよ。蛇は雌だという話じゃないですか。そして、悪魔なんです。
イヴを騙して、アダムに神との約束を違わせた。神に人間を見切らせた、妬みの象徴です。イヴを愛するなんて、ありえませんよ」
蛇が雌だから、今更何だというのだ。
同じ性を友情以上に愛する輩は、学園内にもよくある話じゃないか。
「例えばの話だ。蛇がイヴを愛して欲し、共に堕落の道を行かんと、滅びの道に誘っていたとしたら。……これほど甘美な誘惑があるだろうか。
ただイヴの言うなりに知恵の実を口に入れ、喉に下し、エデンを追われるがままのアダムと。果たして、どちらがよりイヴを愛していたのだろうか?」
ますます困惑する尚書長の顔に笑いが洩れた。
聖王が蛇のようだと思ったのは、完全に俺一人の想像だ。
一般的な創世記は尚書長が語ったもののほうで、蛇がイヴを愛していたなどという話は、ついぞ聞いたことがない。
創世記の仮話なんて、第三者に伝わるわけがないのだ。
「余談につきあわせたな。以上、散会する」
まだ顔に?マークを浮かべたまま尚書長は席を立った。
続いて堀切王軍長も、部屋を出た。
森村明石。
花井汐が異質に見えるからといって、俺は別に聖王に同調する気はない。
ただ、想像してみただけだ。
共に生きようとすることと、共に堕ちようとすることはどちらが、より幸福なのかを。
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