聖王の御手のうち(本編+SS/完結) 4 その横で、筆記用具をがしゃがしゃ音を立てて片づけながら、尚書長が口を挟む。 「本人が嫌がっているものを、いくら聖王会の指名だからと言って、無理強いはできないでしょう。まして、近年なかった役職で、変な噂もありますし」 僕だって引きうけるの悩みますよ、と続く。 そう言う尚書長は、過去に自らの“尚書長”という役職も一度は辞退している。 (噂か) “姫”にはブラックで気味の悪い噂が、まことしやかに流されている。 文字通り、『体を張って』反対勢力を抑えて回るとか。 (男同士で体がどうのとか、考えただけでもぞっとするが) 同性相手に、愛だ恋だと騒ぎ立てるやつの気が知れない。 自分にないものを求めるのが、愛恋の大前提ってもんじゃないのか? 心がないように見える磁石ですら、異性質でしか引かれあわないではないか。 (異性質……) 花井汐。 整った顔に小柄な体つき。 薄赤く染まる目元口元。 男にも見えない女にも見えない、そしてその両者にも見える。 あれだけは、異質の存在と言えるかもしれない――。 (……。我ながら、バカなことを考えている) 自分の愚考に呆れながら冷めたコーヒーを喉に下していると、川上侍従長が視線をよこしてきた。 「あのー。議題が終わったんなら帰っていーですか? まだ侍従院のほうで、数字合わすとこもあるんで」 ああと頷くと、では、と席を立っていく。 その背中を見送って、尚書長は「ほんっと修司って、遠慮ない」と毒づいた。 「こっちの仕事が終わったんだ。担当部の仕事が残ってるんなら、そっちに回ってもらったほうが中枢にとっても助かる。 まぁ、侍従長の本当にやりたいことは、院の仕事じゃなくて化学室だろうがな」 返す言葉に、堀切王軍長が「そうでしょうね」とあっさり返してきた。 川上修司が化学室で趣味に興じていることは、誰もが周知の事実であるようだ。 尚書長は、しばらく空を見たあと、俺に視線をくれて「家令閣下」と口を突いた。 「何?」 尚書長は一瞬ためらうような表情を見せてから、しかし口を開いた。 「相馬さんは、いえ、相馬司酒長は良い人です。……家令院の言うなりになるだけの人じゃないだろうってことも」 「何か言いたいことがあるなら、はっきり言いたまえ。構わない」 「家令院の人間を、ケセドに咬ませたところで何も出やしません、てことです」 笑いが洩れた。 尚書長は人なつこい性格だが、本音を洩らす機会はなかなかない。 笑みを作っておく。 「安心しているが良い、尚書長。君が心配するようなことは、何も起こらないよ」 「だって“姫”のことだってそうじゃないですか。会議なんて、意味がない。こうして会議をもって決定しているように見せて、その実は陛下や閣下の――」 陛下や閣下の――一存で決まる―― 俺の、眉間を潜めた視線を受けて、尚書長はぐっと言葉を詰めた。 [*前へ][次へ#] [戻る] |