聖王の御手のうち(本編+SS/完結)
6
“普通の心を持っていない”。
そうかもしれない、と僕の中の誰かが、小さく同意する。
“普通”の定義は人それぞれで、多数意見がそれだと仮定してみる。
明石の所業を恐ろしいと感じていることじたい、僕は明石に全面的に同意できていないのだ。
視界が緩んできた。
僕の感情と関係なく涙がこぼれる。
東原さんは僕の顔を覗き込んで「何が悲しいの?」と問う。
違う、悲しいんじゃない。
東原さんに視線をやってから、首を横に振った。
今の僕の体は、僕の意思に従っているわけじゃない。
納得したかどうかわからないけど、東原さんは質問を重ねてきた。
「聖王会の“姫”という役職に、明石が君を据えたがっている。知ってる? 聖王会から除任された俺には、もう関係ないけど」
それは一度だけ、明石から聞いたことがある。
母と金の話をしている途中に明石が挟み込んできたから、詳しくは聞きだすこともできなかったけれど。
頷くと、東原さんは「そう」と無表情に返した。
「姫は聖王の下にあって、聖王会業務を円滑に進めるための、いわば生徒たちとのパイプ役だ。広報みたいなものだという話になっているけど」
初耳だ。
そうだったのか、と思っていると東原さんが小さく笑った。
「反聖王派が生まれると、姫がそれらを抑えに行くことになる。文字通り体を張って、ね。そんな代もあったらしいよ?
抱かれるのが好きな甘えん坊の君には、よくお似合いだよ」
笑いを洩らす東原さんを前に、僕も顎から涙液を滴らせたまま、笑った。
「もし“姫”の利用方法をそのまま使おうとしているなら、明石らしいと思います……」
東原さんは笑うのを止めて、僕の顔をまじまじと見つめた。
「正気? 花井汐。そういう明石を受け入れるの? まさか、明石を愛して、理解しているとでも言うわけ?」
「愛……?」
何だろう。
朝夕の礼拝で聞きなれているはずの言葉が、空々しく聞こえる。
明石を愛してるか、って?
「明石を好きかどうか……明石に対して持っている気持ちはもう、好きとか嫌いとか、そんなんじゃないんだと思います……」
受け取った薬袋をきゅっと握って、僕は芝生に立ち上がった。
真昼の空がまぶしすぎる。
立ちくらみがしそうだ。
東原さんが続けて立ち上がった。
最初に見た、笑っているのか泣いているのか、よくわからない表情をしている。
(僕は、どうしてか東原さんを傷つけている)
いつも、この人がよくわかっていない。
東原さんは苦しそうでつらそうで、僕に対して大きな怒りを抱いている。
でもその原因が僕の何にあるのかわからなくて、いつも東原さんの怒りを爆発させてしまう。
「君と明石は、同じことを言うんだね。明石も君のことをそう言ったよ。『好きとか嫌いとかじゃないんだ』と。だったら、いったい何が二人の間にはあるって言うわけ?」
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