龍のシカバネ、それに月
5
ふいに、蒼河さんが青鷹さんに言っていたことを思い出した。
世が世なら、青鷹さんが仕えていたのは碧生さまじゃなくて自分だったはずだ、と。
(呪詛がなければ、今の東龍は当時の予定通り、蒼治さん。蒼河さんは東龍嫡男として、今の碧生さまの立場にいたかもしれなかった)
だから『世が世なら青鷹が仕えていたのは、蒼河さんだった』ということか。
だけど、呪詛によって、次期頭領である蒼治さんは亡くなってしまった。
「次期頭領の座は、東龍嫡男の私に回ってきた。望んではいなかったけど、望まれるならね。
そして、ことが落ちついてきたころ、匣姫を失って失意の底にいた私たちは思い出したんだよ」
部屋に帰ってきた碧生さまは、僕の髪に触れ、こめかみを伝い、指の腹で僕の唇に触れた。
「昔、匣姫を連れて逃げた、南龍の娘がいたことをね」
それって──
「──っ……」
突然、考える暇もなく、背後から抱きしめられた。
衝撃で息を飲んでしまうほど強く。
青鷹さんだった。
いつ起き上がったのか、気づかなかった。
「私も、そうすれば良かったのかもしれない……。あの南の娘のように、朋哉を連れて」
朋哉、とかぼそい声が、目の前にいる碧生さまのほうから聞こえる。
僕の真正面にいて、唇に触れていたのに、ついと立ち上がって縁側へ歩いていく。
その足取りが頼りない。
「ま、待って下さい。その南龍の娘というのはっ……」
追いかけようと立ち上がりかけるのを、後ろから僕を抱きとめた青鷹さんが力で止めた。
「優月。碧生さまを追わないでくれ」
「青鷹さん、どうして……」
小さな小さな声が、朋哉、と幾度も繰り返し呼ぶ。
呼ぶというより、呟くというのか。
縁側に出た碧生さまが、月を見上げている。
風に流されてきた黒い雲が、うっすらと月の端に被さっていく。
障子に、もう一人の影が碧生さまに近づくのが見えた。
女の人──多分、浩子さんが碧生さまに近づいて、その背に手を添えた。
「お兄さま。もう寝ましょう。朋哉さまも、きっともうお休みです」
障子の影が、小さな会釈をする。
そうして、碧生さまを連れた浩子さんが、するすると衣擦れを立てて廊下を去っていく音が聞こえた。
力が抜けた。
青鷹さんの胸に、背中をもたれさせる小さな音が、やたら大きく聞こえて。
浴衣の胸がどきどきして、大きく上下しているのがわかった。
抱きしめてくれている青鷹さんの腕に、きゅっと力が入った。
「碧生さまは時折、心が12年前に戻ってしまう。朝には、そのことを覚えていない。知っているのは浩子さまと俺だけだ」
「12年前に戻る、って……どういう」
12年前の呪詛の夜。
碧生さまが朋哉さんを失った、夜。
深すぎる心の傷跡が、碧生さまに今を生きることを許さない。
「助け出せなかったことを、悔いておられる。誰にも無理だったことだ。その場にいた三龍でさえ。後継者たちでさえ」
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