龍のシカバネ、それに月
2
抑揚のないその声には、聞き覚えがあった。
朝陽の反対側に、地味な彩りの和服を纏った女性が、背筋をのばした姿勢で正座していた。
「貴女は……匣宮の場所を教えてくれた……」
彼女は目を細め、小さく口元を緩めた。
そして指先を畳の上に揃え、美しい所作で頭を下げる。
「井葉浩子(ひろこ)と申します」
「あっ、佐藤優月です」
すいと頭を上げた顔は無表情で、存じております、と短く返ってくる。
(“浩子”さん)
色がない名前で、ほっとした。
でも、苗字が“井葉”ということは。
「ひょっとして貴女は」
「碧生の妹でございます」
「あ、あー……そうなんですか……」
どことなく会話のテンポが似てると思った。
浩子さんが淹れてくれた冷たいお茶を受けとる。
湯呑みもひんやりとして、手のひらに気持ちが良い。
「夢を見ておられたのですね。……匣宮の?」
「はい。多分、ですけど。どうしてわかるんですか?」
浩子さんにもそんな特殊能力があるのか、と内心身構えていると「匣宮に行かれた後でしたから気にしておいでなのでしょう」とごく普通の答が返ってきて安堵した。
匣宮は12年前、呪詛を受けて滅びた。
12年前……。
(僕が、5才のころ)
父さんは既に亡くなっていた。
朝陽は4才。
幼い兄弟を抱えて、母さんはさぞ大変な暮らしをしていただろう。
だけど、僕には笑顔の二人と過ごした、幸せな記憶しかない。
「浩子さんは、当時の匣宮をご存じなんですか?」
「わたくしは……中学に上がったところでしたね」
茶器を触る繊細な音に、浩子さんの静かな声はよく似合う。
「見に行きましたよ、匣姫さまの舞も。それは美しいものでした。遠目でしたけどね。……色名でない者には、美しいものも危険なものも、何もかもが遠うございますゆえ」
「碧生さまは当時から、次期東龍のおぼえが高かったんですか?」
いえ、と短く返ってくる。
「当時、次の東龍に推されておいでだったのは兄ではなく――」
咳払いが台詞を遮った。
いつの間にか障子に人影が浮かび上がっている。
茶器を載せた盆を避けて、浩子さんが障子を開いた。
「碧生さま……」
碧生さまと入れ代わりに、茶器を持った浩子さんが出て行ってしまった。
本当を言えば、もう少し当時の匣宮の話を聞いていたかった。
「具合はどうかな、優月くん」
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