龍のシカバネ、それに月
6
ふと顔をあげると、苦笑を浮かべた青鷹さんの表情があった。
少し露骨だっただろうか。
「灰爾は、優月に良くしてくれているのか?」
まるで兄か父親のように心配してくれる言葉に、僕は少しだけ嬉しく思った反面、残りの半分は苦味で満たされてしまうのを感じた。
「良くして下さってます。優しくしてもらってます。ご飯なんかも作ってくれて、あの、美味しい、です」
どうしてか饒舌になってしまう僕に、青鷹さんはうん、と頷いた。
「灰爾は昔から器用で、料理を作るのも上手かったな。それを毎食食べられるのか。羨ましいな」
笑って言う青鷹さんの声は人気のない道に、やけに明るく響いた。
(青鷹さんが作ってくれるごはんだって、ちゃんと美味しいです……)
さらさらと落ちていく雨は、遠くの山の緑に染み込まされていくようだ。
薄く靄がかかっていた。
(なんて、返したら良いだろう)
また食べに来たらどうですか?……なんて、言えるわけがない。
ただの世間話だ。
返事なんてなくたってかまわない。
曖昧に笑みを浮かべてから、視界に映る井葉屋敷を見た。
山の緑に染み込んでいく雨は、井葉屋敷をうっすらと景色ごと湿らせているようだ。
庭の隅にある小さな木戸の前を通りすぎていく。
いつかあの木戸を出て、匣宮へ行った。
もう亡くなってしまった蒼河さんと一緒に。
初めて見た、崩れた匣宮。
勝手に出ていったことに怒った青鷹さん。
笑って許してくれた、珠生さん。
(なんだか、全部懐かしいと思ってしまうな)
それほど、時が過ぎたわけでもないのに。
それなのに、僕はもう、用事でもない限り井葉屋敷に行くことはないのだ。
それを少し、寂しいと思う。
井葉屋敷に行かないということは、青鷹さんにも会う機会がない。
ぴちゃ、と水音が鳴って、青鷹さんの足が止まった。
灰爾さんのマンションの前だ。
考え事をしている間に着いてしまったようだ。
顔を上げると、青鷹さんはマンションの上の階を仰いでいた。
「あの、ありがとうございました。送ってもらって。助かりました」
上から視線を下ろして、僕と目を合わせる。
「うん」と返しながら、また上の階を、灰爾さんの部屋を眺めた。
「少し上がって行かれませんか? 今は部屋で作業って言ってましたから、いるはずですし」
「いや、いい。それじゃあ、ここで……」
ぎこちなく笑う青鷹さんに、僕も「はい」とだけ返して、傘から出た。
エントランスの屋根の下に入って、青鷹さんを振り返った。
目が合った青鷹さんは、小さく笑った。
「じゃあ、また」
『また』なんて、いつのことかわからない。
まるでまた会う機会があるような言葉を挨拶にして、青鷹さんは雨の中、踵を返した。 ぴちゃぴちゃ音を立てて、背中が小さくなっていく。
「は……青鷹さんっ!」
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